ひとつ、ふたつ、ななつ 中編
『七つになるまで神さまの子』
母がうたったのは童謡だったか、それとも昔話だったのか。遊子は遠い記憶を探った。
朔也が「七つにもなっていない」と言ったのはここからだろうと、遊子は思った。
古い時代、まだ子どもの死亡率が高かった頃、幼い子どもは七つ生きるまでが指標とされていた。つまり、いまだ幽世の存在であり、いつ元の世界に戻ってもおかしくないということ。ゆえに、神さまのものであると言われていた。
(七つになるまで……)
その言葉は迷信ではないことを遊子は良く知っていた。
遊子は、石畳と鳥居の並ぶ路を歩く。その両脇は森になっており緑が気持ち良さそうだが、そうとも思えないのが遊子だった。じめっとした空気が身体にまとわりつく気がする。明確な黒い瘴気ではなく、その場ににじみ出るような、染みついたなにか。それは、遊子以外も、総一郎たちも感じているようだった。いつもご機嫌な鈴城ですら、顔をしかめている。
同行者はこれだけでなく、他に数名いたが、ごく普通のスーツ姿の人たちだった。いや、普通と形容するには少し特殊だ。いかついジュラルミンケースを持ち、みなサングラスをかけている。SPと言われたらしっくりする人たちだろう。なぜか、遊子を取り囲むように歩いている。
「これは、どういうことですか?」
遊子は、一番まともな受け答えをしてくれる鈴城にたずねた。
「朔也さまの配慮だよ」
遊子を『仕事』に誘ったのはいいが、まがりなりにも十華族の娘だ。なにかあったら困るからとのことだ。
そして、朔也といえばこちらへ向かわず別行動である。手持ちの駒は、ここにいる人間たちだけでなく、セバスチャンとともに別の部下たちと行動をするとのことだ。
遊子は顔を歪めそうになる。なんとかこらえて鈴城を見るが、彼はその表情の変化に気づいたようだ。
「君になにかあったら、僕らも困る」
鈴城は言い聞かせるように固い笑顔を見せる。ぎこちなく笑みを作っているのがわかった。
わかっている、わかっているのだが。
「鈴城の言うとおりだ。大人しく言われた通りのことをしていろ」
横から口を出すのは、総一郎だった。彼もまた、細長いハードケースを持っている。総一郎は手に持っていたそれを遊子につき出す。
「打ち刀、刃渡りだけで二尺、重さ一キロ以上あるそれをおまえが扱いきれるか?」
遊子はごくんと唾を呑みこむ。たかだか一キロと侮ってはいけないことを遊子はわかっている。古い古い記憶に、昔、祖父に振らせてもらったことのある家宝の刀。あれを思い出す。
そして、刀などまともに扱えないこともわかっている。重さではない、遊子は日本刀という形状のものに触れることに躊躇いがある。
自分が触れていい物なのか、そんなことさえ考えてしまう。
その理由は、今はもう触れることができない、あの刀。それを思い出すからだ。
総一郎はそちらを意図して言っているのだろう。
「お館さまが、おまえに刀を教えるとは思えないからな」
遊子は総一郎の言葉に拳をギュッと結ぶ。そのとおりだ。おじいさまは、女に刀を教える真似などしない。それどころか、道場の敷居をまたぐことも、家宝の刀を見せてくれることもなくなった。
(総一郎は教えてもらっていたのに)
彼の太刀筋には、今でも東雲家の動きが染みついている。祖父が徹底的に教え込んだ型だ。遊子は彼が知っている半分も知らない。
「自分の身を守ることだけを考えろ。余計なことを考えるな」
総一郎は、そう言い放つとさっさと前に進んでいく。
(余計なこと……)
そんなんじゃない、とかぶりを振りたかった。でも、それを言い返せるだけの力が己にないことをよくわかっている、だから、遊子は何も言えない。
遊子は、周りを護衛に囲まれつつ、前に進むしかなかった。
鳥居を一基くぐるごとに、遊子は身体がふわふわと軽くなる気がした。まるで、自分の中からなにかが外に出ようとしている。そんな気分だった。
遊子は、もう一度拳を結ぶ。自分から離れようとする何かを必死にとどめようとする。
(あまり長い間、いたくないな)
気持ちが悪いわけじゃない。むしろ、生ぬるい湯につかったような心地よさを感じてしまう。
自分の身体が、鳥居の内側の世界に近いことを示しているのだろうか。
七つの子どもと同じ、自分もまた、霊的に不安定な存在である証拠だった。時折、自分の身体がぶれてみえる気がする。
「どうしたの? なにか見える?」
遊子の表情が曇っていることに気づき、鈴城が声をかけた。端正な顔立ちが遊子をのぞきこむように近づいてきた。
「いえ、いまのところは」
場の雰囲気が違う世界のものに変わっただけだ。鳥居をこえれば違う領域、それはごく当たり前のことだ。
ごく当たり前のことだが、それを知る者は少ない。
世の中の大多数の人間は、遊子たちのように人の負の念がかたまった黒い粒子も、それに群がる不気味な虫の化け物も見ることはない。
この場は、どこにでもある神社だ。商売繁盛ののぼりや土産物屋が並んでいる。少し高い場所にあることから見晴しもよく、近くに展望台付のレストランがある。空気が澄んでいるので、星はよくみえそうだ。元々、避暑地として有名な場所なので、何もないなりに工夫して商売しているのだろう。
「商売繁盛ねえ」
鈴城はにいっと皮肉な笑みを浮かべている。その眼線の先には、土産物屋のお飾りがある。ふくよかな顔に魚と釣竿を持った神がかたどられている。
(蛭子か)
遊子は、平日の夕方、閑散とした境内を見る。
静かなその場所にいるのは、遊子たちの他に、閑古鳥の鳴く売店の店員と子どもたちが数人遊んでいるくらいだ。店員は巫女服を着た女性で、暇なのかずっと子どもたちを眺めている。他の土産物屋に店員はいなかった。
「あそこらへんだねえ」
鈴城が、タブレットコンピュータなるものを片手に見比べる。遊子としては、普通に印刷した写真のほうが見やすいと思うのだが、この男にとってはこういう機械の類のほうが便利らしい。
鈴城は境内の隅にある大きな木の前に立つ。
「どう? なにかおかしいところある」
たずねられたところで遊子は、首を横に振るしかない。写真では、奇妙なゆらめきのようなものが見えたその場所だが、今はなんとも言えない。おかしいといえば、この場神社全体であるが、それは鳥居をこえた場所としては当たり前のことである。
「じゃあ、どうしようか? 手ぶらで帰るわけにもいかないなあ。一応、依頼受けているわけだし」
わざとらしく困った顔をする鈴城。道中、話を聞く限り、朔也は行方不明になった子の親から依頼をうけて探しているという。朔也に依頼をするということから、子どもの親はある程度家柄の高い人間であることがわかる。
「西の人が、せっかく頭下げてきたっていうのにね」
端正な顔を少し崩しながら、鈴城が言った。彼のその顔は、なぜかいつもよりも愉快そうで、ゆえに少し不気味に見える。普段、明るく空気を読んでくれる人なだけに、遊子は意外だと思った。
「鈴城、質問の仕方が悪いぞ」
だるそうに総一郎が前髪をかき上げながら言った。
「こういう場合、こうだろ。ここは元々、おかしい場所なんだよ。だから、むしろ普通の光景が広がっていたら変なんだ」
総一郎の言葉に遊子は、売店のほうに目を向けた。客のいない店と巫女服の店員、そして数人の子どもが見える。
「なあ、俺たちが仕事をする場合、それが他人に見られていいもんだと思うか?」
遠回しな言い方だが、遊子はそれが何を意味しているか気づいた。
「銃刀法違反で捕まるような真似、人前でできるわけないですね」
きっと、この場は人払いされているのだろう。しかし、遊子の目には、しっかり人間の姿がうつっている。
子どもをじっと見ていた巫女が遊子の視線に気が付いたのだろうか。ゆっくり、こちらに顔を向けてくる。
ぬるま湯のような空気が一層濃くなった気がした。まどろみを誘うそれは、今では息苦しささせ感じさせる。全身に粘り気のある液体が付着しているような感触がした。
ゆっくりと動く巫女の顔が半分見えかかったところで、ずっと静かだった小柳が動いた。
「……なにが見えている?」
それはそのままの意味だった。
彼の眼には、遊子と同じものは映っていないだろう。もしくは、何も見えていないのかもしれない。それが、常世の光景であり、遊子が見ていたのは幽世の光景だったのだ。
「女性です」
遊子は見たままを答えた。
巫女服を着た女性、その振り向いた顔は白塗りの能面をはりつけて笑っていた。