里帰りしたときの裏話
「連絡くらいしろ、馬鹿息子」
すねにローキックをくわえられるとともに、総一郎の耳に懐かしい声が聞こえた。
口も足癖も目つきも悪いその女は、総一郎を生んだ人物に他ならなかった。動きやすいジーンズをはいたその姿は、成人済みの子持ちとは思えない。たしか、まだ三十代のはずだが、身内びいきをひいても十は若く見える。
「もーしわけありません。おかあさま」
やる気のない口調の総一郎、すねをしきりに撫でる。
「よろしい。っで、着流し気に入ったか?」
明朗快活な声をしている。目が細く全体的にすっきりした体型は総一郎そっくりだが、性格だけは似なかったらしい。
たまに、「あんたの親父そっくりよ」と言われるが、生憎、総一郎は写真すら見たことがない。生きているのか、死んでいるのかもわからない。
「ああ。裏地になぜか般若の刺繍が入っていること以外は」
「そうか。竜虎のほうがよかったか」
母はまったく違う方向にとらえてくれた。
総一郎の母は、その昔、走り屋なるものをやっていて、絶滅危惧種となった典型的非行少女をやっていたわけで、そこで培われた感性は今も健在である。その当時に総一郎が生まれたことを考えると、あまり品性のよい父親ではないだろうと想像できる。
「まあ、いいか。それより、遊子ちゃんに、手ぇつけてないだろうな?」
「息子を疑うのか?」
使用人の息子という立場はわかっている。なにより、自分と遊子の関係については、どういうものなのかわかっている。
「そりゃ、二次性徴はじまったばかりの小学生にどぎまぎしていた変態には、そう言わざるをえない」
「……」
それについては、総一郎も弁解の余地がある。
九歳の遊子が「どうしよう、死んでしまう」と、青ざめた顔をして相談してきたのを覚えている。身体に未知の症状がでて混乱して総一郎のもとにやってきたのだ。事情を聞いた総一郎は、遊子の母や自分の母に報告するのもそっちのけで、近所の薬局に駆け込んだ。近所といっても、田舎の近所なので、無免許で母の単車に乗っていった。
両手にビニール袋を持ち、遊子のもとに帰ってみたら、すでに離れに帰っていた母が適切な処置をして遊子をなだめすかしたあとだった。
母は中学生の息子を見るなり、「ヘルメットつけろ!」と、鉄拳で制裁された。無免許はセーフらしい。それでもって、大量のビニール袋の中身を見て、「この変態」と鳩尾を蹴られた。実に理不尽だ。
何が原因で遊子が「死んでしまう」のかは、想像にお任せする。
ただ、思春期まっさかりの少年に相談するのは、いささか不適切すぎるものだったとだけ伝えておく。
その後も幾度となく、遊子の行動に振り回されたのであるが省略させていただく。それらは、同時に総一郎の黒歴史でもある。
あまりに遊子が総一郎に依存していたので、本来、高校卒業まではいる予定だったものを前倒しにし、総一郎は東都学園に編入することになった。年頃の娘の元に、若い男が住んでいるのは、東雲家の体裁が悪いためだ。
東都学園を選んだ理由は、今後、東雲の家に仕えるには一番適当な場所だったからだ。
その数年後、総一郎は朔也に見鬼の才を見出された。
遊子だけでなく、母への連絡を絶ったのもこの頃だ。
「まあ、いい。ロリコンなのは血筋なのでしょうがない」
母が呆れた声で言った。
「いま、さくっと重要なこと言わなかったか?」
私生児である総一郎は、多少なり父親のことが気になるものだ。
「細かいことは気にすんな」
そういいながら、母は大きな発泡スチロールケースを抱える。中から、生臭さが漂ってくる。中に魚介が入っているのだろう。
「今日は、腕によりをかけないとな。おまえも手伝えよ」
「わかってるよ」
総一郎は母親からケースを奪うと、台所のほうへと向かった。




