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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編

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29/34

古い約束

「……ありえない」


 遊子は放心した。

 あまりにあっけなく、予想外な終わり方だった。


 それを思ったのは遊子以外も同様である。


「冗談だろ?」


 地面に這いつくばりながら、鈴城は言った。総一郎も脇腹を押さえたまま瞬きをしている。小柳だけは、ようやく目をあけたばかりで何が起きたのかわかっていなかった。


 皇族、それも男児にしか使えないそれを持っていたのは、たおやかな木蓮のような女性だった。

 音橘姫おとたちばなひめ健皇子たけるみこの伴侶たる姫である。


「いつもそうだ。おいしいとこはかっさらっていく」


 ぬばたまの髪に和装の音橘姫と真逆にいる、白磁の西洋人形のような少年は言った。朔也は、放心状態から解けて、今は不機嫌な顔をしている。

 早々に老執事に手配を回し、葛城かつらぎにひとを回していた。


 遊子は唇を噛みながらも、こちらの話を優先することにした。


「どういうことですか? 朔也さま」


 わけがわからないと、鈴城が問いかける。


 朔也は顔に似合わぬ下品な笑いを浮かべている。それによく似た笑いをした朔也の兄たる健皇子は伴侶の働きを満足した様子で眺めていた。

 

 健皇子は片手に携帯電話を持っていた。携帯を下ろして懐にしまう。

 遊子の携帯の着信はいつのまにか消えていた。


「にいさまだから使えるんだよ」


 朔也はなんとも複雑そうな顔をする。


「でも、使っているのは奥方のほうではないですか?」


 鈴城は身振り手振りを加えながら何度も音橘姫と朔也に視線を流した。

 朔也は鼻息を荒くして腕を組んだ。


「誰が実の兄といった」

『えっ?』


 皆が声をそろえる。


「それはどういう……」

「兄様ではなく義兄様だということだよ」

『……』


 理解できない皆のために、朔也は枝を拾って『義兄』と書いた。そして、枝の先を音橘姫へと向ける。


 遊子の頭の中で何かがクラッシュする。倒錯もいいところだ。


「健皇子が男だとは誰も言ってないよ」


 振り返ってみると、健皇子と音橘姫は常に同行し、少なくとも朔也は『にいさまがた』としか呼んでなかった。

 つまりそういうことである。


 愕然とするギャラリーを後目に、仕事を終えた音橘姫は刀を鞘に納めると恥ずかしそうに健皇子の背中に隠れた。頬を紅潮させた姿は乙女という以外に何というのか。


「ちなみに、しゃべらないのは声がバリトンだからです」


 冗談めかして、健皇子も入ってきた。

 音橘姫が姫でないとすれば、こちらもこちらで皇子でないことになる。


 なるほど、年齢の割に小柄で声が高いわけだ。


「本気か……」


 小柳は話が理解できないらしく、うずくまってうなりはじめた。


「姫とか皇子とかいうのは、マスコミが名前と容姿で勝手に言ってるだけだから。公式では、そんな呼称つけないから」


 意地悪な顔をした健皇子は、追い打ちをかけるように耳元でささやく。

 標的は混乱した小柳だった。


「おまえのよりずっと立派なんだ、こいつ」


 小柳は白く固まったまま灰になる。何のことを言っているのかは想像にまかせる。


 音橘姫は今にも泣きそうなくらい真っ赤な顔で唇をぎざぎざに結んでいた。遊子は真人のままだったら、その場で押し倒しているかもしれないと正直思ったりした。


「つまり実質も夫婦なのか」


 地獄耳の総一郎はささやきが聞こえたらしい。なぜか羨望のまなざしを向けた後、遊子のほうを見る。


「しかも妊娠中……」


 遊子に折檻せっかんをくわえていた時、朔也が『胎教に悪い』といったのはこういうことだろう。

 音橘姫もそうだが、健皇子もまた、到底妊婦には見えない。なんちゃって歌舞伎役者の恰好のまま、いじけた小柳をぺちぺちと扇で叩いて遊んでいる。


 趣味なのか、それとも理由があるのかわからない。

 どちらでも遊子には関係なかった。


(それよりも)


 遊子は老執事のほうへと向かう。

 葛城の本体は、もとの人間の姿に戻り静かに息をしていた。

 周りには小さなしめ縄のついた石とさかきが配置されているが、意味をなしていなかった。


 葛城はまったくただの人間になっていた。

 澱みらしい澱みも彼の周りにはなかった。


 朔也や健皇子たちがあちらでふざけあっている理由がわかった。

 こうなることがわかっていたのだ。


(どうしてだろう?)


 あれほど憎んでいた奴なのに、今はただぼんやりと痩せこけた男を見ている。

 元は自分の肉体であったそれは、十六年という歳月をこしてみると、まったく別物になっていた。 


 まるで子どもの玩具に対する執着のようだった。あれだけ返してもらいたいものだったのに。

 

 ぼんやりと執着の失ったものを見つめる遊子。


「なあ。俺が言うのもなんだけど、許してやってくれないか」


 後ろから声がする。

 振り向くと、地面に正座した健皇子がいた。額を地面に摺合せていた。


「殴ったことを怒っているなら、殴ればいい。蹴ればいい。俺ができることはなんだってする」


 健皇子はいきなり地面に正座して頭を下げた。土下座する健皇子に、音橘姫が心配そうにすり寄る。皇子と姫の名称は本来入れ替えたほうが正しいのだが、やはりそのままのほうがしっくりきた。

 

(妊婦を殴れというのか?)


 逆手にとっている気がしてならない。どう見たって遊子のほうが悪役に見える配置だ。


 それも計算にいれているだろう。

 あまりに健皇子の思い通りの展開に持っていかれている気がしてならない。


 遊子を祖父のもとに送ったのも、刀を盗み出すのを見越してのことだったとしたら。

 臣籍降下したとはいえ、東雲の家の宝を皇族が手にするのは暴虐と思われる。孫娘が持っていたのであれば、多少、体裁は悪いものの身内でかたがつく話となる。


「兄貴を許してやってくれ」


 地面に頭をこすりつける姿は、真摯に見えた。とても演技には見えなかった。


「健、そんな真似はしなくていい」

 

 片腕のない衰弱したかつての自分の肉体は、ぼんやりと目をあけた。


 普段の斜めに構えた傾奇者は、普段から想像できない表情をしている。額に砂粒を付けたまま、葛城に駆け寄る。


「兄貴も馬鹿だなよな。俺たちのためだったんだろ?」


 健皇子は、葛城の枯木のような身体を抱え、にじむ汗を拭いてやる。


「冗談じゃない。私は生きたかっただけだ。他人のものを奪ってでも」


 葛城は奪った相手を見る。遊子は不思議なほど何の感慨もないことに気付いた。


「なあ、今更、この肉体を返すといっても許してはくれまいな」

「……」


 遊子は何も返さない。


「はは、私は都合の良すぎることを言っているのだろうな」

「何も喋んなくていいから。黙って寝てろ」


 気丈な健皇子にあるまじき声であった。鼻をすするような声が聞こえる。彼女の優しき伴侶は、その様子をただ見守っていた。


「なあ」


 いつのまにやってきた総一郎が怪訝な面持ちで前にでる。なぎ倒されたときにひらいた傷口を治療してもらっていたようだ。真新しい包帯がのぞいていた。

 

「その身体に遊子は戻れるのか?」


 遊子は驚き、咄嗟に総一郎の腕を掴んだ。


「何を言ってる」


 葛城は落ち窪んだ目を瞑ると、


「不可能ではないはずだ。今は弱っているが、本来あるべき魂が戻れば、元の活気を戻すことだろう」


 老人のような手を伸ばし、遊子を仰ぐ。


「私が魂駆けをしたところを狙って主が望めば、元の器に戻ることができよう」


 あくまで予測であるが、と付け加える。


「元の器」


 遊子はつかむ力をさらに入れる。総一郎は食い込む爪を痛がることもせず、そっと手を添えた。


「おまえの好きなようにすればいい」


 葛城は、後押しをするようにささやく。


「ああ、私の代わりに東宮になることも、元のように東雲家嫡子に戻ることもできる」

「東宮ね。資格はあるのだし、このようなことだし。誰も反対はしないだろうね」


 朔也も複雑な表情でこちらを見る。


「むしろ、おおやけにできない事象なので、そちらのほうが好ましく思われるだろうね。東雲の家には、本家からお達しが入ることだろうし」

 

 健皇子とは対照的に、あくまで冷静な朔也の言葉である。複雑な表情であるが、朔也なりの決意も現れている。


「待ってくれ」


 健皇子は支えていた葛城皇子をゆっくりと壁にもたげさせると、


「ならば、今の東雲遊子はどうなるんだ?」


 質問を投げかける。

 真人の妹である遊子ゆうこは、もういない。遊子ゆうこがいなくなり、遊子ゆずまでいなくなるとすれば。


「ただの抜け殻になるのではないか? それとも、違うなにかが入るのか? わが兄上が入ることはないのだろ?」


 その意見に、遊子は健の言いたいことが理解できた。


(兄上が好きなのだな)


 ふざけてばかりの人間であるように思えるが、芯ははっきりしている。己をおのこのように扱うのは、葛城皇子をおもんぱかってのことなのだろう。けして、権力争いに優位に立つなどというものではない。


 遊子がもとの身体に戻ることは、葛城の死を意味する。逆に、葛城が遊子の身体に入ることは選ばないだろう。


「おい、これは遊子が決めることだ」


 無礼も承知で総一郎が口を出す。


「遊子、真人に戻れば、嫌な嫁ぎ先もあてがわれずに済む。おまえ、本当は嫌なんだろ? 爺たちのレールにしたがって生きていくのは」


 そっと乗せられていた手のひらが熱く握ってきた。


「そうだな。これは俺の勝手な望みだ。兄上はおまえの人生を狂わせた。一方、それ以上に苦しんできたと思うんだ。だから、兄貴にもっと苦しんでもらうために、このままでいてくれ」


 健皇子が遊子を見る。


「おい、おまえは本当に性格が悪いな」


 楽にさせてくれよ、と葛城が言う。


「僕は兄上などどうでもよい。生きようが死のうが勝手にやってくれ。それを受け入れるのが僕の仕事だ」


 朔也はそういいながらも、汗ばんだ兄の顔を拭いていた。


「だけど、遊子さあ。君はこのまま、東雲の姫として受け入れるの? 真人であるほうが、遊子よりもいくらか自由じゃないのかな」


 朔也なりの遊子を考えた意見のようだ。


 音橘姫は不安な顔で伴侶の顔を見ている。

 鈴城も小柳も黙っていたが、好きなようにするがいいさと表情が語っている。

 生まれる前からいる幼馴染の青年は、複雑な面持ちでずっと遊子を見ていた。


 皆が皆、どう望んでいるのだろうか。

 遊子は、周りを見渡し、そして、総一郎の前で視線を止める。


「なあ。総一郎」

「なんだ」

「名前を呼んでくれないか?」


 幼馴染の突然の言葉に、首を傾げながらも、青年はいつものようにこう呼んだ。


「なんだよ。ユズ」


 青年の声に遊子はにこりと笑うと、痩せこけたかつての自分の前に立った。






 行方不明者たちは、その後、次々と見つかった。


 場所は、門前町にある鳥居の前だった。


(やっぱり)


 あの白髪の少年は、葛城が元に戻ったのを見計らって戻したのだろう。

 最後まで、彼が何者であったかわからなかったが、深く考えても仕方ない。考えてわかるようなものでもないだろう。


 と、遊子ゆずは思考を打ち切ると、オレンジジュースを飲んだ。なめらかな口触りは、他の果汁をブレンドされているので、細かくいえばオレンジベースのミックスジュースだ。


 久しぶりに飲む味だ。

 昔、離れに住む総一郎のもとにいくといつもこれを飲んでいた。いつもオレンジジュースを飲んでいて、この味じゃないと思っていたら、ミックスジュースだったかららしい。


 遊子は、遊子のままだった。

 葛城の提案を受けず、遊子のままでいることにした。


 それが一番いいと自分で決めたことだ。

 

 『遊子ゆうこ』にせっかくもらった身体を、簡単に捨てることなどできなかった。それは、妹の意に反することであろう。


 今後、葛城には監視がつくことになるらしい。

 朔也は、「監禁されないだけましだろう」といっていた。たける皇子のいったように、葛城に残されたのは本当に生き地獄なのかもしれない。


 畳に寝そべり、クッションをぎゅっとつかむ。白檀びゃくだんがたきしめてある。


 部屋はかわったが、趣味はかわっていない。

 昔、たむろった離れの一部屋と同じ。

 マンションのフローリングにわざわざ畳を敷き詰めて、カーテンを御簾みすにしていた。贅沢をいえば、季節を感じさせる庭が欲しかったが、「どこかのセレブとは違う」と怒られた。


「行儀が悪い」


 不機嫌な三白眼の主は、寝転ぶ遊子をねめつける。


「居心地がよくてつい」


 と、言いながら体制を改めようとしない。

 

 総一郎は黙々と食事の準備を続ける。総一郎は遊子の好みを知り尽くしているので、つい入り浸りたくなるものである。

 いつも呆れた顔をして部屋にいれてくれる。


「なあ、おまえ、昔、俺に言ったこと忘れているだろ?」

「なんかいったか?」


 薄口で味付けされた煮物と焼き魚を炊き立てのご飯で食べながら、遊子は首を傾げる。

 ご飯は炊飯器でなく圧力釜なのがポイントである。


 総一郎は、細い目をさらに細くしてこちらを見ると、深い深いため息をついた。


「なんだよ、その態度」

「いや、俺はその言葉に人生狂わせているんだけどって思ってな」


 言った本人は責任ないから困る、と首を小刻みに振る。


 遊子は最後の一口を飲み込んで、お茶を飲むと、


「聞き捨てならないんだが、それは。言ったことくらい責任持てるぞ」


 湯飲みを叩きつけるように置く。


「そうか」


 総一郎がほんの少しだけ頬をゆるめた気がした。

 何を思ったのか、棚から工具を取り出しコンセントをいじり始める。外した裏側に奇妙な機械が付いている。

 他にエアコンとテレビ、デスクトップパソコンもいじる。

 奇妙な機械は部屋中からわんさとでてくる。


「なんだ? それは?」

「うちのご主人がのぞき趣味だってわかってるだろ。ここも例外じゃない」


 と、言いながら、どんどん怪しげな機械を取り出していく。


「それにしても、多すぎないか?」

「面白いものを見つけたら、なんでもするだろうからな」


 以前、総一郎が別宅にいたときに慣れている様子だったのは、こういうわけだったのか、と遊子は納得した。

 それにしても、今更とりはずすのは何の意図があってのことか。今まで放置していたというのに。


「たしかに責任持てるんだな?」


 総一郎は、確認するように遊子に言う。


「ああ」


 しつこいなあ、と遊子は答える。


「言質はとったぞ」


 と、遊子は総一郎に肩を押された。そのまま倒れこむが、後ろにはクッションが置かれていた。


「昔、『妹が生まれたら、おまえにやる。そしたら、おまえはおとうとだ』と、言った幼馴染がいました」

「……」


 遊子は見下ろされる視線と合わないようにそっと目をそらした。

 忘れていればよかったものの、どうにも思い出してしまった。

 なんだか、とても居心地が悪い。


「なにか意見はあるか?」

「……時効?」

「それはないな」

「家族愛的なそういうもので」

「もう遅い」


 頬に触れてくる角ばった手にぞわぞわしながら、遊子は混乱する頭の中で打開策を考えるのだった。


 その後のことは、以下略とする。



次から裏面です、むしろ本編です。

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