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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編
28/34


 振り下ろされる鉤爪を遊子は紙一重でかわす。

 前髪がはらりと落ちる。


 刀が重い、でも振れないことはない。遊子が生まれる以前、真人だった頃の記憶をたどる。祖父や父に教えてもらった刀の使い方。真剣は初めてだが、拙い記憶通りに持ち替えて重心をかえると動きやすくなった気がした。


 それ以上に刀の影響が強かった。

 まるで、どう動けばいいのか、刀が勝手に反応してくれる。まるで生きているいようだと、遊子は感じた。化け物の動きの流れが見えてくるようだ。

 

 本来、反応できないはずの動きにもなんとかついていけたのもそのおかげだ。


(朔也さまはあれを狙っていたのか)


 化け物の中心、心臓と喉の間の位置に黒い澱みの塊が見える。それは、迷ひ神の核だろうか。


 刀を持つことによって見えるそれを狙うが、複数の腕に拒まれてなかなか切りつけることができない。


 どうすればよいか。


 遊子はポケットに手を入れる。携帯電話と小柄こづかと小瓶が入っているはずだ。


 それにしても。


 鈴城たちが本体を狙わなかった理由が理解できた。

 化け物の攻撃の主体は、背中に埋まった三体の迷ひ神だった。本体であろう鳥のような迷ひ神はまったく攻撃らしいものは仕掛けてこなかった。


 そのように気が付くと簡単だった。


 遊子は、身をひるがえし化け物の背中に回る。

 複眼に小柄を突き刺し、小瓶の水を振りかける。硫酸を振りかけたかのように背中から生える翼と足が焼けただれる。蠍の尾を刀で地面に突き刺し、そのままねじって引きちぎる。


 朔也たちが与えられなかったダメージを遊子はいとも簡単にやってのけた。

 理由は簡単だった。


 手加減する必要は遊子になかった。

 それだけだった。


 長年夢見た復讐がようやく遂げられる。


 そう考えると次第に笑みがこぼれていた。おそらくひどく醜い笑顔を作っているだろう。

 

 遊子は引きちぎった尾を振り払うと、再び化け物の正面に向かう。


 水を被ったところからじゅわじゅわと音がする、腕はしばらく動きが鈍いだろう。


 遊子は、刀を向ける、黒い澱みの中心に向かって。

 

「ゆ、遊子ゆず……」


 背後で、漏れるような声が聞こえた。総一郎の声だ。


(いまさら、止めるのか?)


 ふと、遊子はみにくく歪んだ笑いを止めた。


 油断したつもりはなかった、ほんの一瞬だった。


遊子の頬になにかが触れた。

葛城の腕、今は翼のようになったものが触れた。


不気味な獣の一部であるはずなのに、それは柔らかくどこか暖かかった。ふんわりと撫でられるような感触だった。


 葛城に触れた瞬間、遊子の頭の中になにかが流れ込んでいく。


(なんなんだ?)


 濁流に流されるような感覚がすると思ったら、遊子の意識が一瞬で別の場所にとんでいた。






「やあ。君も迷子かい?」


 白髪の少年がこちらを見ている。やさしそうな笑みを浮かべているが、真っ黒な目には何の表情も浮かんでいない。人形のような少年である。


よくわからないと、首を振る。


 おかしい、なんでだろう。先ほどまで、屋敷にいたはずなのに。母さまがそばにいて、ぎゅっと手を掴んでいて、周りには変な白装束のおじさんたちがいたはずなのに。変な呪文みたいなのをとなえて、いっぱいいっぱいきらきらした道具や、しめ縄みたいなのがたくさんあった。その中心で、寝ていたはずなのに。


 ここはどこだ。


 畳に古い箪笥の階段に囲炉裏に、とりあえず古臭い家だった。時代劇にでてくる町屋に少し似ている。


「ここかい。ここは、迷子の預り所じゃないんだけど、よく君みたいなのがくるんだ。この子もだけどね」


 少年が茶をすすりながら答えてくれる。


 座布団の上に、小さな白い服を着た女の子が座っている。

 髪を切りそろえた人形のような女の子だった。市松模様の着物を着ればそのまま人形と間違ったかもしれない。


 女の子は悲しそうな笑みを浮かべていた。

 なぜ、浮かない顔をしているのだろう。


「なぜって? そりゃあ、生まれる前に死んでしまうことを憂う以外に他ならないだろ?」


 少年はなにもかも見透かした顔で答えてくれる。


 死んでしまう、この子もか。


 親近感がわいた。自分と同じく黄泉路をたどろうとしているのか。

 痩せ衰えた自分の身体と同じように、少女もまたはかなげな姿をしていた。


「ああ、ここはそういう場所に近いからね。君らみたいなのが間違えて入ってくるんだよ。あとで、送ってあげるからそこで待っていてくれるかい?」


 少年は、茶碗を持ったまま奥の部屋にいった。


 死にたくないのに。


 死ななくてはならない。それが運命ならば、どれだけあがけば逃れられるのだろうか。


 ぎゅっと拳を握ったとき、ちょんとなにかが自分の袖を引っ張った。

 視線を落とすと、少女が自分の顔を見上げていた。


「ねえ。わたしのからだをあげようか?」


 少女の言葉に首を傾げる。

 すると、少女ははかなげな笑顔を見せた。


「わたしのからだはげんきなの。でも、それにわたしじしんがもたないだけなの。おにいちゃんは、からだはだめでもげんきだから、あげるの」


 たどたどしい言葉でわかりづらいが、大体の意味は理解できた。

 少女の提案はありがたいが、首を縦に振る。


「だめなんだ。母さまは男の子じゃないとダメだっていうんだ」


 でないと、妹たちがひどいめにあう。

 生まれたばかりのまでひどいめにあう。


 そして、母さまはまた薬を飲むだろう。新しく男の子を生むために。


「僕が生きていないとダメなんだよ」


 少女に言い聞かせるように伝えると、部屋をでることにした。


 障子をそっと開けると、奇妙にも深い霧のかかった森が見えた。


 なにかによばれるように森の中に入って行った。






(葛城の記憶?)


 流れ込む記憶の濁流にのまれながら、遊子は次の場面へととぶ。


 それは以前見た夢の続きだった。






(どこへいけばいいんだ)


 肉体を奪われ、漂うしかない真人は、いつのまにか奇妙な家の前に来ていた。漆喰の壁をした古臭い店だった。


 壁をすり抜けて中に入る。不思議とすり抜けられるのだと、わかった。


 畳に囲炉裏、時代劇の薬問屋を思わせる不思議な空間が広がっていた。そこに、真っ白な服を着た少女がちょこんと座っている。


(座敷童?)


「ちがうよ」


 少女は顔をふくらませて真人を見る。切れ長の目がどこか自分に似ていると思った。


 ふわふわする身体をゆっくりと畳の上にのせ、少女の目線に合わせるように座った。


「おにいちゃん、からだないの?」


(とられたんだ)


 ほんの少し前のことのような、何年も前のことのような気がした。時間の経過がわからないのと同じように、自分が何者かというのも希薄になっている気がする。


「おにいちゃん、からだいる?」


 おかしなことをいう女の子だ。

 まるでお菓子を与えるように気軽に言ってくれる。


(どうして?)


 つい疑問で答えてしまう。


「おにいちゃん、もうすぐきえちゃいそうだから」


(そうか)


 道理で自分の存在が薄くなっているように思えたはずだ。手のひらを見るとさっきよりも薄くなっている気がする。


「わたしももうすぐきえてしまうの。だから、わたしといっしょにかえらない? さっきちがうひとさそったけど、ふられちゃった」


 少女は悲しそうに笑う。


(どうして?)


「きっとおにいちゃんとなら、うまくいっしょになれるとおもうの。わたしはすぐにきえちゃうけど、おにいちゃんはのこるとおもうの。わたしひとりだと、きっとうまれるまえにきえちゃうから」


 少女はぎゅっと小さな手で真人を掴む。

 実体がないのは自分だけかと思ったが、少女もまた同じように存在感がなかった。


(それでいいの?)


「いいよ。たとえすこしのあいだでも、おかあさんのおなかのそとをみてみたい。それに」


 今度ははにかむように笑う。


「お兄ちゃんに、おまえにはこんやくしゃがいるから、はやくうまれてこいっていわれているの。お兄ちゃんのなかよしのことけっこんしたら、きょうだいになれるからって」


(それは迷惑な兄ちゃんだ)


 と、思いながら真人は首を傾げた。

 どこかで聞き覚えのある台詞だった気がする。


(それって……)


 聞き返す前に手を引っ張られた。


「はやくいかないと、ちがうばしょにつれていかれちゃうの。いこうよ」


 少女が強引に真人を外に引っ張り出す。扉の向こうは、不思議な光につつまれた場所につながっていた。


「行こう。おちゃん」


 少女は笑いながら言った。


「だから、わたしのぶんもいきてね」


 と。






 遊子の目から涙が落ちた。


 なんで忘れていたのだろう。


 どうして、自分が妹の身体を何の問題もなく使っているのかを。


 そして、葛城があれほど真人の身体になじんでいないのも。


 すべては器の主が原因だったのだ。真人の肉体を奪ったからこそ、真人の身体に拒まれている葛城。遊子ゆうこから次第に譲り受けたからこそ、遊子ゆずの身体は何の影響もなく生きることができていた。


 母は妹を遊子ゆうこ、自分を遊子ゆずと呼んでいた。


 遊子ゆうこはもういない。次第に魂の力は薄くなり、三つになるころには完全にいなくなった。


 遊子ゆうこの存在を今まで忘れていたなんて。

 遊子ゆうこが消える前に言った言葉を今頃思い出すなんて。


『いっしょに生まれてくれてありがとう』


 と。


 身体を奪われようとも、自分は恵まれていた。奪った葛城よりもずっと。


 それなのに、自分は刀を振るう。化け物となった葛城を滅するために。


 もしかしたら、真人として葛城を許していれば、葛城もまた遊子ゆずのように生きていけたのではなかろうか。


 そんな考えが頭をよぎった。


 でも、もう遅い。遅いのだ。

 復讐は今まさになされようとしていた。


 遊子は刀の切っ先を向けていた。


 化け物の核に切っ先がかかる。


 そのときだった。


 膝になにか違和感があった。それがほんの少しだけ、反応速度を鈍らせた。


 その瞬間、刀の柄を包んでいた本繻子が、抜き身の刀の力に耐えきれずぼろぼろと形を崩した。


 遊子の頭の中に、なにかが大量に流れ込んできた。視界が歪み、世界が異界に変わる。見えすぎる能力は、強すぎる刀の力に耐えきれない情報を吸収する。

 本来見えることのない極小のやおよろずの神たちが視界をふさぐ。


 何も見えなくなる、見えすぎて何も見えない。異常な光景に飲まれていく。


(あと少し)


 遊子の願いもむなしく、刀が手から落ちる。


 視界はもとに戻ったが、ぐらつく感覚は残った。


 そこに、化け物の一撃がきた。

 遊子の身体が、くの字に曲がる。


 頭が一瞬真っ白になった。


 かちゃりと何かが落ちた音で、途切れた意識を持ち直す。気を失ったのは数秒ほどだろうか。


(あっ、携帯)


 ポケットに入れたままにしていた携帯電話が地面に落ちた。振動している。


(なんだよ、今頃)


 先ほどの違和感の原因はこれのようだ。一瞬、途切れた集中力のせいで遊子は、化け物の腕に跳ね飛ばされた。地面に横這いになって恨めし気に見る。


(そういえば)


 誰からの着信なのだろう。朔也はいまだ放心したままこちらを見ている。総一郎たちは地面に伏したままである。朔也たちではないとすれば他にだれが。


『何かあったときの保険』


 と、朔也が言っていた番号。それが今頃かかってきていた。


性質たちが悪い)


 空気くらい読めといいたかった。


 刀は遊子の前に落ちていた。腹を押さえながら、右手を伸ばすが届かない。胃液がこみ上げるのをこらえながら、身体を地面に這わせるがほんの一メートルほどの距離がひたすら遠かった。


 刀の干渉を減らしていた本繻子は、ぼろぼろにちぎれていた。鞘を抜いた刀の力に耐えきれなかったようだ。


 震える指先がさらに震えて見えた。


 熱くなった目元からこぼれるものをこらえようとも思わなかった。


(死にたくないな)


 だけど。


(あいつも死にたくなかったんだろうな)


 異形の生物が遊子を見て近づいてくる。

 

 化け物の向こう側で、総一郎がなにか叫んでいる。何を言っているのか聞こえない。


 何もかもスローで世界が回っているように見えた。


 振り下ろされる化け物の腕を他人事のように見えた。


(ごめんな。せっかくもらったのに)


 もうずいぶん前に消えてしまった妹を思いながら目を瞑った。

 どんな姿に成長していたのだろうか、遊子ゆずよりずっと女の子らしく育っていただろうか。


(幻想か?)


 目の前に和装の少女が現れた。切りそろえられた髪に、白い肌をしている。


(私にはあまり似ていないな)


 目元が柔らかく、下がり気味の眉をしている。どこかで見たことがある顔立ちだ。


(あれ?)


「お借りします。この刀」


 聞いたこともない低い声が聞こえた。少女の口からもれている。


 他に声の主らしき人物はない。ただ、刀を拾う和服の女性がそこにいた。長いぬばたまの黒髪を一つに束ねた女性は、記憶が確かなればたける皇子の奥方だったはずだ。名前はたしか、音橘おとたちばなといったはずだ。


 音橘姫は抜き身の刀を軽々と持ち、美しい弧を描きながらふるった。


 遊子に振り下ろされるはずだった化け物の大きな腕は、バターを切るよりも簡単に斬りおとされた。


 音橘姫は、前脚に力を入れると流れるような動きで、葛城だったものの懐に飛び込む。草履とは思えない踏み込み方だった。


 葛城の鋭い鉤爪のついた腕が振り下ろされる。


(あぶない!)


 遊子の声が出る間もなく、それは音橘姫を傷つけるはずだった。

 しかし、姫は何事もなかったかのように立っている。

 化け物の鉤爪は宙を切ったかのように空ぶっていた。


(まったく攻撃を受けていない?)


 迷ひ神としてほぼ実体を持っているはずの葛城の攻撃を受け付けず、なおかつ、朔也にも使えなかった兄弟刀を軽々と持っている。


「お義兄さま、よろしいですか」


 低い低い男の声が、たおやかな木蓮のような女性の口からつむがれる。


 音橘姫はまるで針に糸を通すかのごとく、迷ひ神の核に刀を突き刺した。ぼやけた視界の中で、黒い澱みの塊が拡散するさまが遊子にも見えた。

 

 恐ろしい咆哮が響くとともに、複数の化け物をより合わせたそれはぼろぼろと崩れ去っていった。


 あまりにあっけない終わりだった。


 そして、化け物がすべて崩れ去ったあとに残ったのは、憔悴し意識を失った葛城だった。



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