複合体
(妹がしたこと?)
遊子は、車内で白髪の少年の言葉を反芻していた。
(どういう意味なんだ)
遊子が頭を抱えていると、なぜか面白くなさそうな顔をした朔也がじっと見ていた。
朝早く、刀がなくなったことで驚いた総一郎に起こされた。
なぜか遊子のもとにあったことで、総一郎は安心と驚きを同時に顔に浮かべた。なぜ遊子のもとにあった理由をたずねられたが、夢で見たことをいったところで首を傾げられるだけだった。
「お前のいったことなんだから、嘘ではないだろうが」
素直に信じられることではないと、遊子もわかっているのでそれ以上はなにもいわなかった。
ただ、総一郎は刀に巻かれた本繻子をほどくと「一応、もっとけ」といって渡してくれた。刀はその後、朔也が用意した特製のケースにうつしている。
その後、朔也が迎えに来るまで無言の時間が続いた。不思議と沈黙の時間が気にならないのは、昔と変わらなかった。
その後、朔也は部屋にいきなり乗り込んできて、周りを見渡すと、
「ツインじゃないのかよ……」
と、吐き捨ててなぜか総一郎を蹴っていた。軸足をうまく利用した見事なソバットだった。麗しい少年がそんなことをやるとは思えなかった。今度、教えてもらおうと遊子は思う。
傷口の開きかけた総一郎は苦悶の表情を浮かべていた。
普段の貴族のような服ではなく、動きやすそうなカジュアルな格好をしていた。変装のつもりだろうか。いつもの恰好から想像できない姿だが、美人は大抵のものが似合うのだなと世の理不尽を恨んだりした。それが男性でも同様である。
今乗っている車も、普段の下品なリムジンではなく、キャンピングカーだった。中は狭いながらも、一級品の居間になっている。老執事があいもかわらず香りよい紅茶をいれていた。
「早速だが、おまえにとってうれしいような悲しいようなことが起こっているよ」
朔也は端的に、状況を説明する。
ノートパソコンに映し出された映像は、葛城のものだった。
遊子は目を見開き、画面に食い入る。ふつふつとわきあがる感情を必死で抑える。
常世にいるべき青年は、女生徒に近づき何かを喋っている。音声はカメラに搭載されておらず、画像が小さいので唇を読み取ることはできない。
少女の身体ががくんと震え、力尽き地面に倒れこんだ。
(あれは……)
力尽きた少女の顔に見覚えがあった。昨日の夢で、あの不思議な少年が見せてくれた繭に包まれた女性だった。今も箪笥の引き出しの中で眠っているはずである。
葛城は少女を抱きかかえると、供物のごとく差し出した。
少女の身体は、見えないなにかに吸い込まれ、画面上から消えてしまった。
他の映像も同じようにその場にいた人間が消えている。
おそらく、少年の部屋で見た他の繭は、その人たちだろう。
(どういうことだ?)
朔也がテーブルに置いた行方不明者のプロフィールを見る。見直してもやはり顔写真はあの眠っていた女性にちがいない。
なぜ、葛城が消した人間があの少年のもとにいたのだろう。
少年はそれを形はどうあれ、保護という形をとっていた。これはどういうことだろうか。
「生徒に被害がでたのであれば、どうしようもないね。鈴城と小柳は、東都自治区で目撃された映像をたどって追っている」
遊子の頭に答えが浮かばぬまま、朔也は今後の方針を打ち出す。手には、兄弟刀を掴んでいた。遊子や総一郎と違い、その奇妙な刀の力に飲まれることはないようだ。
遊子は例のことを口に出そうとしたが、きゅっと口を結んだ。朔也はいつもの皮肉な笑みを浮かべていなかった。苦々しい顔をしている。
(気が変わるかもしれない)
決意した朔也の心をわざわざ揺らす必要はなかった。大義名分を得てうてるのであれば遊子には好都合だった。
『それで本当にいいの?』
少年の言葉が繰り返される。吸い込まれるような黒い目は、何もかも飲み込むようだった。
遊子は頭を振る。
(惑わされるな)
そっと、肌身離さず持っている小柄を握った。
○●○
すでに自分がなにものかわからなかった
鳥のような身体には、いつのまにか蠍のような尾と鉤爪のついた腕が付いていた。自分を主体にした身体ではなく、自分がその付属品のようについていると思えた。
なにをしているのだろう、自分は。
なにをするわけでもなくふらふらと漂っている。
昔、自分の戻るべき身体を見つけるためにあがいたように。
三つ、覚えているだけでそれだけの数を自分は吸収したようだ。
歪にはみ出た奇妙な手足がそれだろう。
なにになろうとしているのだろう。
わからないまま歩き続ける。
学園の中を歩くと、奇異の目で見られているのがわかる。
あるものは叫び、あるものは目を見開いている。
そのような姿に見えるのだろう。
時折、まったく自分の姿に違和感を持たないものもいたが、それはごく少数だった。それだけ自分の身体が、人と違うものと変わっている証拠なのだろう。
学園に無数に配置されているカメラを見る。モニター越しにも、自分の姿が化け物となるまで幾何もしないだろう。
それだけ、異質のものに変わっていることは自分でもわかっていた。
頭の中が曖昧になっていた。
まるで自分を構成している成分が、流れ込む大量の異物に飲み込まれどんどん希薄になっているようだった。
ああ、そうか。
完全に飲まれたとき、そこに葛城とよばれた存在はなくなるのだろう。
苦笑いが浮かんでくる。
ならば。
葛城は、校舎を離れる。
人気の少ない場所を選んで歩く。
誰もいない場所へと。
石畳を歩き、古びた赤塗の柱が見える。
あそこがちょうどいい。
石階段を上る。
鳥居をくぐるたびに、身体にしびれのようなものが走る。足が重りをつけられたように重くなる。廃れていても神聖な場所である。自分を異物として反応しているのだろうか。
とうてい神といえない神。
それが、今の自分なのだから。
吸収した化け物たちが咆哮をあげる。眠気にも似た怠惰な感情が揺り動かされる。
このまま、意識をあけわたしてしまえばどんなに楽だろうか。
鉤爪に変わった自分の手のひらをギュッと結ぶ。痛みで眠気を覚ますように頭を振る。
まだ、やるべきことがあった。
「本当に残念です」
階段を上りきり、境内に足を踏み入れたときだった。
聞き覚えのある声が聞こえた。
葛城は、ほとんど化け物と化した顔に微かな笑いを浮かべる。
声の主は、普段と違い動きやすそうな服を着ていた。中性的な容姿が完全に男のものとなっている。
その右手には、白木の鞘におさまった刀がひと振りあった。
「兄上」
下の弟、朔也がそこにいた。
そうだ、そうだよな。
母親の愛情を独り占めにし、なおかつ醜く生き続けようとする化け物を見逃すはずはない。
それが弟に与えられた仕事なのだから。
いや、弟と呼ぶべきなのだろうか。
ふと、身体が楽になった。
葛城は、自分の意識を手放した。
○●○
葛城は、到底人間とも思えない姿に変異していた。
鉤爪を持った鳥のような姿に、背中から外骨格の足と蠍のような尾と翼がついていた。背中には複眼が付いており、ぎろりと四方を眺めている。
鳥の姿が本体で、背中についたものはまるでとってつけたような部品のように見えた。
(使えたのか)
遊子は、朔也が軽々と刀を振るう姿に驚いていた。その動きは無駄がなく、普段の優雅だが運動の欠片もない朔也の日常から考えられなかった。
たしかに、遊子たちに比べて朔也はまったくといっていいほど、見鬼の才はない。もし、力がないことが刀を使う条件であれば理解できる。
なにか、別の力が働いているのかもしれない。動きをみるに、刀自体が生きているようにも思える。
真人のような特異な例をのぞき、まったく常世のものに影響されないのが東雲の男子の特性であり、それは東皇の男子にもいえることだ。
朔也は、か細い腕で刀を振るう。その動きは、剣道や居合というよりも、フェンシングに近い動きだった。相手の動きをかすめながら、狙いをつけている。
本当にいつものパソコンにかじりつく姿から想像できない。
何かを狙って突き刺す動きを繰り返す。
白木の柄は鍔がないので、使いにくそうに見えた。
朔也を援護するように、総一郎たちも参戦している。総一郎は傷口のためか、間合いを大きくとっている。下手に前に出過ぎて邪魔にならないためだろう。
統制のとれた動きは、化け物を少しずつ追いつめているように見えた。
遊子は自分の手持ちの武器を見る。
小柄が二本、それだけだ。
たとえ、飛び出て参戦したとしても、足手まといになるに違いない。
冷静に状況判断できる自分がうらめしかった。
いっそ、なにも考えずに玉砕したほうが、今の鬱屈した気分から逃れられて気が楽になるのではなかろうか。
しかし、それを実行した際、周りにかける影響を考えるとなにもできなかった。
また、総一郎のように誰かを傷つけてしまうかもしれない。
(私にできることはないだろうか?)
今にも踏み出しそうになる身体を抑えて、遊子は化け物のほうを見る。なにか自分にできることはないか、必死に探す。
(あれ?)
さきほどまで、きれいに統制されていた動きに若干のずれが見えた。
朔也の動きが鈍くなっている。
疲労によるものかと思ったが、彼の顔は真っ青になっていた。目の焦点が合っていない気がする。たしかに、朔也のスタミナはなさそうだが、まだ、そこまで目に見えて動きが悪くなるとは思えない。
(どうしたんだ?)
遊子は嫌な予感がして、朔也の後ろに回り込む。
朔也はやはり青白い顔をして化け物をみつめていた。
いや、その存在がどこにいるかはかるように見ていた。
(もしかして)
見えていないのでは。
それとも。
(見えすぎて、どこにいるのかわからない?)
見えないものを見せることができる刀だ。まったくの無力者ならともかく、多少なりとも見る能力があれば、その力を何倍にも増幅しているのだろうか。
『迷ひ神さんはやおよろずやけんね』
母の言葉がよみがえる。
無数にどこにでもあるその存在がとめどなく見えてしまえば、刀の意味はない。
朔也が瞼をこする。
息が荒い。
遊子は化け物の動きを見る。
鈴城が化け物の足を狙う。関節を狙うように突きを入れる。
小柳はその動きを止めるように、朔也や鈴城に攻撃が当たらぬように防いでいる。
朔也は、なおもなにかを目をこらして見、鋭い突きを入れる。
朔也以外は、本体である鳥人間に攻撃を加えていないようだ。
(甘いですよ)
遊子は、朔也の真意を読み取ると、皮肉めいた笑いを浮かべていた。
(ほら)
朔也の動きが鈍くなったことで、統制がずれる。先ほどまで、抑えていた化け物の尾が風を切る。
激しく吹き上がる風とともに、朔也、鈴城、小柳、総一郎の順に吹き飛ばされる。
(いわんこっちゃない)
遊子は自分よりも小さな朔也の身体を抱える。踏ん張るが、慣性の法則に逆らえず境内の公孫樹の幹にぶつかった。
背中を強く打った。
他の三人は、それぞれ地面に伏していた。
「朔也さま!」
老執事が声を荒げる。
「来るな!!」
凛々しい男の声を上げる。
周りに待機しているものたちも動けずにいる。逃げ出さないだけましだと遊子は思う。
「待機していろ……」
語尾が弱弱しく小さくなった。言葉尻は勇ましいというのに。
まったく朔也らしくなかった。
「やっぱり、だめか」
朔也が地面に前のめる。真っ青にかわった顔には、複雑な表情を浮かべ、遊子にはそれがどんなものか想像がつかなかった。
「やはり、僕はできそこないなのかな……」
嗚咽に似たかすれた声が聞こえた。
何を見たのか、何を見せられたのかわからない。ただ、薄い上着に脂汗がにじんでいるのが目視でも確認できた。
化け物ががちがちと外骨格の腕を動かしている。鉤爪のついた足で朔也のもとに近づいてくる。
(朔也さまはもう無理だ)
遊子はゴクリと唾液を飲み込む。
朔也以外の吹き飛ばされたものは、したたか身体を打ち付けられたらしく気を失っているのだろうか。伏したまま動く様子はない。
遊子は、ポケットに突っ込んだあるものを取り出した。青い、不思議な少年に貰った本繻子だった。
持っていた小柄で本繻子に穴を開け、指を通した。
(少しの間なら)
遊子は、朔也と化け物の間に落ちた刀に向かう。
化け物の背中についた複眼がぎろりと動く。鞭のように動かされる尾に足をとられる。前かがみになり片手をついて前転する。地面をえぐる音がすぐ後ろで聞こえた。
(とどいた!)
勢いあまる身体を右足と左ひざでブレーキをかける。擦りむいた痛みなど気にする暇もなかった。
布で巻いた右手で刀を掴む。
一瞬、耳から汚泥を流し込まれたかのような気持ちの悪い感覚がしたが、我慢できそうだ。
繻子に包まれて滑るかと思ったが、指でしっかり固定すれば問題なさそうだ。
いつも以上に遊子の感覚が鋭敏になっていることがわかる。葛城の今の姿が、四体の迷ひ神の集合体だと目視できる。その境目まで、まるでCTにかけたかのようにくっきり見えた。
その中で、なにやら黒い塊が見える。
ちらちらと化け物の身体に黒い渦が見えていた。それが核であることは、今までの経験でわかっていた。
(いつまで、もつだろうか?)
それに使いこなせるだろうか。
そんな疑問は頭の隅にやる。できなくても、やらねばならなかった。
ずっしりと重い真剣を片手に遊子は、葛城をみつめた。