兄弟刀
「これでよかったのですね」
孝人は受話器越しに聞こえる少年のような少女のような声の主にたずねた。「問題ない」と、答えがかえる。
孝人は相手が回線を切るのをたしかめると、受話器を秘書に渡した。
背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。会長室は適温に保たれていた。
竹と和紙で作られた照明が目に優しい。以前はシャンデリアだったが、悪趣味だと改装の際、すべて和風にかえてしまった。隣の応接室は、町屋をイメージして作り変えてある。
古民家の建材を利用して作った囲炉裏がひそかに気に入っている。築百五十年のものを丸一軒買い入れて手に入れた。
屋上の別宅といい、酔狂だといわれればそれまでだが。
秘書が玉露を置き、モニターを操作する。
モニターには、平静を装った二人組が映し出されていた。いつのまに着替えたのか目立たぬようにスーツ姿になっている。
「及第点といいたいところだが」
詰めが甘いと、孝人は思う。刀を模造紙に包み、画材として運び出すのは問題ないが、それを持っているのは総一郎のほうだった。庶務課の制服を着た遊子に持たせるべきだろうに。
おそらく、遊子には刺激が強いのだろう、あの刀は。ケースに入れずに置いていれば、近づくだけで頭痛がする、というのが息子の嫁の言だ。
それでも、総一郎にも負担があろう。なんだかんだで、あの男は孫娘を甘やかすことしかしない。
あいかわらず過保護だ。引き離した五年間は意味がなかったのだろうか。
孫娘をモニター越しに身ながら、孝人は玉露をすする。苦味のあとにほのかな甘みが口に広がる。
「……すまない」
自分がかたをつけるべきことを、若者に託す真似をするとは。
それも、一番背負わせたくないものに。
何のために、今まで鳥かごに閉じ込めるような思いをさせて育ててきたのだろう。監視し、がんじがらめにしてきたのだろう。
すべては、己の心の弱さが原因だ。
人でなくなったものの器を、孫として見てしまった結果だった。
ためらうことなく心の臓を潰してしまえばよかった。
宝刀を持って孫だったものに対峙したとき、そこにあったのは孫の皮を被る別ものだった。
落ち窪んだ眼窩をした少年が重なって見えた。以前、一度だけ見た東皇の長子の姿だった。
遊子が朔也とご学友になったと聞いたとき、いつかこうなるのではないかと頭に浮かんでいた。
恐ろしくて、孫の声も聞けなくなった。顔を合わせることもできなくなった。
宝刀を持って生まれたばかりの遊子を見たとき、そこには奇妙に浮かぶもうひとりの孫が見えた。ぼんやりと浮かぶそれは、自分が滅すべき存在だった。
結局、どちらも滅せぬまま、ひとつは逃がし、ひとつは監視することになった。西の血を継ぐ嫁が「問題ない」といった言葉を信じることにした。
そのツケが、今頃くるとは。
孝人は残りの玉露を一気に飲み干すと、もう一度、「すまない」とつぶやいた。
○●○
「どうするんだ? これから」
遊子は、雑居ビルにもたれかかる。時間は午後八時を回っており、街燈のまわりに蛾が飛び回っていた。
遊子は慣れないパンプスで疲れた足をぶらぶらとさせる。会社の更衣室から拝借した制服から、ジーンズとシャツの軽装に着替えている。衣服はすぐに買えたが、靴屋はもう閉まっており踵のあるパンプスのままである。
頭にはキャスケットを被り、普段と少し違う恰好にうきうきしている自分を不謹慎に思ったりした。
「朔也さまの迎えを待つ。それまで、見つからないようにどっかで待機ってところだな」
衛星携帯をしまう総一郎。繁華街が近いので、外で待つのは得策ではないだろう。総一郎はともかく遊子はまだ未成年だ。いろいろ問題があるし、治安もそれほどよさそうではない。
総一郎は、遊子とさして変わらぬ恰好に大きな紙バッグを持っている。脇腹をおさえているところを見ると、鎮痛剤が切れているのだろう。
宝刀はバッグに斜めに入れればすっぽり収まった。
布でぐるぐる巻きにしているが、気持ちの悪い渦に巻き込まれるような感覚は残っていた。
(それにしても)
たとえ、手に入れたとしても誰が使うのだろう。
遊子はもとより、総一郎たちも使えないと思う。
もし、使えるとすれば。
(東皇家直系か、十華族の男子か)
朔也が使うのだろうか。しかし、あの少年にそんな膂力があるとは思えない。
(いま、考えても埒があかないな)
遊子は首を振り、今のことだけを考えることにする。
「わかった。じゃあ、宿探しってところか」
「そうなるかな」
遊子はパンプスをはきなおして歩き出す。
「できれば、これが使えるところがいいんだが」
総一郎が出したのはクレジットカードだったが、比較的マイナーなものなので使えるかどうかは半々といったところか。
「他のカードは?」
遊子がたずねる。
「お前のとこの系列だ」
なるほど、それは無理だ。所在がばれる。
ちなみに遊子は、学生証をカード替わりに使っていたので現金の持ち合わせはない。
「現金は?」
「残り二万ちょい、ちなみに銀行もお前んとこの系列だ」
ATMはあいているが使えない。困ったものだ。
「もう少し持ち合わせはないのか?」
遊子が言うと、総一郎は呆れた顔をする。
「おまえ、平均的サラリーマンの月の小遣い知ってるか?」
「……十万位?」
それじゃあ、少ないかな、とか思うと、総一郎が腹の立つため息をついた。遊子は、少し口を尖らせて、総一郎のカードを見る。
「……うちって、けっこうでかかったんだな」
「今頃、気づいてどうする」
総一郎は呆れた顔をする。この世間知らずめ、とでもいう顔だ。
(仕方ないじゃないか)
遊子は家の周りの集落をほとんどでたことはなかったし、買い物らしい買い物も東都自治区の中くらいしかしたことがない。
正直、ホテルに泊まる相場というものもわからない。二万という金額で足りるのだろうか。
遊子が首を傾げていると、とある看板が目に入った。
総一郎の袖を引っ張る。
「あそこじゃ、駄目なのか?」
宿泊費の書かれた看板を指さすと、総一郎は青ざめた顔をして遊子の手を引っ張り、速足になった。
「なんだ? いきなりびっくりするだろ?」
「あそこはだめだ」
「なんでだ? うちの系列じゃないと思うけど。まあ、装飾は華美というか悪趣味だな」
周りの雰囲気にそぐわない中世のお城のような外装をしていた。電飾がむだについて派手だが品がない。周りの雰囲気が良くなかったので駄目なのだろうか。
「ところで、ご休憩って……」
「お願いだから、黙ってくれ」
総一郎の疲れた、懇願に似た声が聞こえた。
結局、少し離れたところにあるチェーンのホテルに泊まることになった。
宿泊価格は遊子の想像よりもずっと安かったが、その値段なりの部屋ということもあって、寮の部屋よりもずっと狭い部屋だった。おしいれのようだった。
総一郎の部屋は隣である。何かあれば、すぐ電話しろとのこと。
刀は総一郎が預かっている。
遊子としてもそのほうが助かった。総一郎のほうが、遊子に比べて刀の影響は薄いようだ。
ルームサービスは大したものはなく、無難にサンドイッチを頼んだが、パサついたパンは味を楽しむのではなく腹を満たすことだけに役に立った。ポテトサラダのサンドイッチはどうしてあんなに微妙なのだろうと、遊子は思う。
風呂については、部屋の広さ以上にショックを受けた。トイレと風呂が一緒にあるなんて初めて見た。
カルチャーショックを受けながら服を着た。寝間着については以下略にしておこう。
(そういえば)
遊子は、カードキーを持つと、隣の部屋に向かった。
呼び鈴を押すと、三白眼の不機嫌な顔が出てきた。
「聞きたいことがあったから」
「なんだ?」
部屋に入らず、ドアを挟んで会話する。
「暗証番号、一体なんだったんだ?」
総一郎は後頭部をかいた。
「一〇〇〇と一一一一」
「なんだそりゃ」
「二進法だ」
総一郎は、言い放つとドアを閉めた。
やけに突っぱねた反応だった。
(二進法?)
遊子は部屋に戻ると、テーブルの上のメモ帳とボールペンをとった。
一は一、二は一〇、三は一一と書いていく。
一〇〇〇は八を表し、一一一一は十五を表している。
持っていたボールペンが手から落ち、カラカラと音をたて、床に落ちた。
「らしくない」
祖父らしくない暗証番号だった。生年月日や電話番号を暗証番号にするなというものなのに。
真人、そして遊子の誕生日は、八月十五日だった。
遊子は熱くなった目頭からなにかがこぼれないように、スプリングの悪いベッドにうつ伏せになった。
枕に顔を押し付けると、そのまま寝息を立てた。
「またお客かあ」
少年の声が聞こえる。
遊子はぼんやりとした身体を起こす。すると、以前みた光景がまた広がっていた。
古風な時代劇にでてくるような民家である。
階段状の箪笥の上に、鉄瓶を持った少年が座っていた。以前、迷い家で出会った白髪の不思議な少年だ。
「……また、来てしまったな」
どこか懐かしさを感じる古い家に、落ち着いている自分がいた。
たしか、ホテルのベッドで寝ていたはずなのに。
神出鬼没なのは、この場所だろうか、それとも自分なのだろうか。
「不法侵入だよ、三回目、いやもしかしてもう一回多い? 四回目?」
少年の非難めいた声に、遊子はなんとも言えない顔で頭を下げた。
少年が先ほど言った言葉に、遊子は頭を傾げる。
(四回目?)
こちらに来たのはあの白装束の男のときもカウントして三回目のはずだが。
「すみません」
とりあえず謝っておく。
「いや、別にいいんだけど」
あっけらかんとした口調で少年は湯飲みにとくとくと茶を入れている。
(どっちなんだ?)
少年は鉄瓶を置き、なぜか遊子の前にある刀を持った。総一郎が持っているはずの宝刀だ。
なぜ、ここにあるのだ。
「それは……」
鞘から出して、中の刃を見ている。なにが起こるわけでもなく、平然としていた。
「ふーん。宝刀の兄弟刀か」
「!?」
少年のまったく平気な姿に遊子は驚きを隠せなかった。なにより、それがどんな代物なのかわかっていたのだ。
「なんで知ってる?」
「なんでっていうか。これ作ったの、僕だからね」
「……理解できない」
少なくとも百年以上前には、遊子の家にあったものだ。刀の形状から、かなり古いものと見受けられるのだが。
それに対し、少年はせいぜい中学生くらいにしかみえない。
「そりゃあ、俺は人間とはちと違ってるから。まあ、人間だけどさ」
(意味がわからない)
口に出しかけて、以前、この部屋であったことを思い出す。遊子の言いたいことを言わずともわかっていた。
サトリのような少年だ。
「理解が早くて助かるね」
少年は、刀を鞘におさめると遊子の前に置いた。
「君は力が強いようだから、簡単に鞘を抜くべきじゃないよ。どうせ、幻覚みたいなものがみえた挙句、変な扉開いちまうだろう。今回は、傍にあるだけで呼応して、こちらに呼び出されたみたいだから。こんなに傍に刀を置いたことなんてなかっただろう」
少年はにやりと笑う。
そういえば、祖父は宝刀をずっと別宅に保管しているようだった。
「でしょ」
少年は湯飲みを優しい手つきで遊子の前に置く。
一応、接客しているつもりらしくつられていただいてしまった。香ばしい番茶の匂いがした。
「焦んなくていいよ、ここじゃあ、時間の概念なんてあんまり関係ない。むしろ、夢の中ってところかな」
「気持ちが整理できない」
遊子は少年に対して素直な感想を述べる。
「それが、普通だ。どちらかといえば、理解力が高くて助かる」
と、階段の上から降りると、箪笥の前に立った。屈みこんで、一番下の大きな引き出しをあける。
そこには巨大な繭があった。長さは一メートル半位だろうか。
「混乱してうるさいと、こうするしかないからな」
少年が繭をめくると、中から女性の顔が見えた。
遊子はごくりと唾液を飲んだ。
「死んでる?」
「死んでない。そのうち、返すよ。今は、安定してないから、変なのに憑かれやすくなっている」
少年は面倒くさそうに答える。
少年の言葉に嘘はなさそうだ。
「君らが早く解決してくれると、こちらも助かるんだ。収納が狭くなって仕方ないんだよね」
と、違う引き出しも開けると、同じように大きな二つの繭が転がっていた。
「僕らは平穏に暮らしたいだけなんだけど。そのために、その刀だった渡したのに」
あまり活用されてないね、と両手を広げる少年。
(何者なんだ?)
「僕らは人間だよ。ちょっと変わっているだけさ。並行世界が交わる先にあぶれたものたちといってもわからないよね」
(わからない)
「わからなくて結構。知らなくても問題ない。でも、君がこれから成し遂げたいことは、僕と利害が一致することなんだ。君には、僕の存在価値なんてそれで十分だろ?」
(そんなことは……)
なくはなかった。遊子にとって、真人の身体に宿ったものを滅することが、最重要事項だ。そのために朔也だって利用するつもりでいる。
目の前の少年だって利用できるなら利用する。
「正直だね。でも、それで本当にいいの? 他にも方法はあったりするけど」
(何が言いたい?)
少年は何もかも見透かした黒い瞳をこちらに向ける。吸い込まれそうな目は人形のようで見ていると恐ろしくなってきた。
「怖がらないでよ。傷つくなあ。おわびにいいものをあげるのに」
少年は、箪笥の上の引き出しをあけると、青い本繻子をとりだした。
投げるとひらひらと舞いながら遊子の手に落ちる。
「それでその刀を包むといいよ。少しの間なら、力を抑えてくれるから。まあ、使い方はいろいろ、任せるよ」
絹の光沢ある布を言われた通りに包むと、頭に響くような感覚がなくなった気がした。
「それはチョコの実のときみたいに、なくならないものじゃないから。破れたり汚れたらそこで終わりだから気を付けてね」
少年はそう忠告すると、引き出しを閉める。
「そろそろ、お目覚めの時間だ」
視界がぼんやりと歪んでいく。少年が笑顔で手を振っている。
「君が今、そうやって生きている意味を考えると、他の方法が見えてくるはずだよ」
真っ白になる視界の中で少年の声だけが響く。
「君の妹さんがそうしたようにね」
身体が引き寄せられる感覚がしたと思ったら、そこで思考が途切れた。
「……」
遊子は、連打される呼び鈴と、震え続ける携帯電話をうるさく思った。
ベッドの脇には、隣の部屋にあるはずの宝刀が、青い繻子に包まれて置いてあった。




