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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編

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負の思い


 さっさと卒業したい。


 そんなことを思うようになったのは、この学園に通い始めて一週間もたたない頃だった。


 誰も、自分を見てくれない。

 地元の名家の娘として、皆から気づかわれて育ってきたというのに、ここにはそれをしてくれるひとが誰もいない。

 皆、どこかしらよい家柄の出身で、自分の家などたかだか田舎の土地持ちに過ぎないことがわかった。


 家柄が良いほど幼いころよりこの学園に通っているらしく、特待制度でねじ込まれた自分とは雰囲気から違った。

 優しげに学園内を案内するクラスメイトが、自分のことを薄ら笑っているように見えて仕方なかった。


 なんでこんな学園に入ってしまったのだろう。


 なにも知らず、井の中の蛙でいたほうが幸せだった。


 さみしい、つまらない、腹が立つ、不愉快だ。

 ネガティブな思考が頭の中でぐるぐるとまわり、気が付けば自分よりも下にいる生き物を探すようになっていた。


 ほんの少しの優越感と嗜虐心しぎゃくしんを満たすために、一般入試組と呼ばれる生徒を見下していた。

 それだけでなく、同じ特待組の生徒の中でも、明らかに自分よりも家柄の悪い子をグループに引き入れるようにした。

 

 そうしなければやっていけなかった。


 それが正しいことでないことくらいわかっていた。

 いつか自分にもふりかかることをしていると思っている。


 ここのところ、身体がだるくて重い。

 なにかが、自分の背中にのしかかり、身体を押しつぶそうとしているようだ。


 目がくらくらして、耳鳴りがひどい。

 とても気持ち悪くて、食事も入らない。

 話しかける級友の声がうるさくて、頭に響く。愛想笑いを返すのも億劫おっくうだ。


 まったくわからない数学の授業を抜け出し、保健室で時間を潰す。六つあるベッドの半分は、自分と同じような理由で時間を潰しているものがいる。隠す様子もない携帯端末をいじるさまを保健医は素知らぬ顔をして見逃している。


 このまま次の授業もさぼろう。

 昼食を終えた五時間目は睡魔を呼ぶ。最近、疲れやすい身体はベッドに横たわるとすぐに眠りにつくことができた。


 目が覚めると外は赤く色づいていた。

 とうに下校時間は過ぎているらしい。


 重たい身体をゆっくり起こすと、さっさと帰れと言わんばかりの保健医と目が合う。

 保健室を一緒に出ると施錠をし、さっさと職員室に戻っていった。


 教室に戻らなくては。


 薄暗い学校の廊下は、昼間とはうってかわった雰囲気である。かつかつと上履きの音が反響する。まだ生ぬるい空気がじっとりと気持ち悪い汗をかかせる。


 早く帰りたい。


 反響する足音と外から聞こえてくるヒグラシの声が耳に響き、自然と速足になる。


 なんだかとても嫌な気分で、早く学校から離れたかった。

 何者かにじっと見られている気がして、自意識過剰とも思えなくて、階段を上る。


『なんでそんなに急いでいるんだい?』


 エコーがかかったような男の声が聞こえた。

 優しげな声につられてふと振り返った。



○●○



 なんでうまくいかないの。


 シャーレの寒天培地に目を細めた。あきらかに違う菌が繁殖している。菌の植え付けの際に雑菌が混入したようだ。

 これでは、最初からやり直しである。


 なんでもない簡単な作業にこれで何度失敗しただろうか。

 自分はちゃんと両手を消毒して作業をしていたというのに。


 器具を汚い手で触った馬鹿がいる。


 きっと、最近研究室にはいってきた二年生だ。白衣もつけず、実験室に菓子を持ってくる。

 それらしい学習もせず、ただ空いたコマの暇つぶしにやってくる。


 教授はなにもいわない。

 わかっている、この学園の生徒のほとんどがなにかしら後ろに権力を持った生徒なのだから。


 なにも勉強しなくても、これといった特技がなくとも、御家柄というひとつの生まれ持った幸運さえあれば、就職活動などという精神鍛錬をしなくてもいいのだ。


 自分もそのひとりに戻ろうと思えばできるというのに。

 しかし、それを受け入れた際に残るのは、縁戚関係を結ぶための結婚しかない。

 年齢や相手の趣味、好みなど関係なく、家に必要な歯車として用意される。


 高等部を卒業し、大学部に入るとき母に言われた言葉。


「付き合っている人はいるの?」


 それをそのままの意味で受け止めなければよかった。

 笑いながら、彼の名前を言ったのが間違いだった。


 同じ大学部に入学するはずの青年はそこにはいなかった。電話もメールもつながらず、一度だけ来た年賀状の住所を頼りに彼の実家に向かうと、『売家』と書かれた看板がかかっていた。


 母に詰め寄ると、母はにこやかな顔をして、彼との関係の深さを聞いてきた。場合によっては、手術しないといけないからと、冷たく言う母に、最初、まったく意味が分からなかった。

 その後、行きつけの病院の産婦人科医が健康診断と称した行為によって母が何を言いたかったのかわかった。


 ここ三年、実家には帰っていない。

卒業しても戻る気はない。

 

 実家からの金で生活しているというのも気持ちが悪いので、バイトをして生活費にあてがう。

 二十歳になり、寮を引き払い、一般入試組向けの安い下宿先を探した。

 今までの崩壊した金銭感覚をあらため、家に頼らずに生きていこうと決意した。


 なのに卒論の実験は上手くいかず、就職活動もままならない。


 実家が口を出しているのか、それとも純粋に自分の力不足なのかわからない。ただ、合格通知が家のポストに入りことはなかった。


 やってられない。


 腐敗したシャーレを流し場に置くと、椅子に座り外を見る。


 汚れたガラス窓越しに見る風景は、やはりそれなりの風景で、それでも薄紫色になった空は透明水彩をにじませたような色だった。


 誰かここから連れ出してくれないかな。


 甘えた思春期の少女のような考えが頭に浮かんでしまい、つい苦笑してしまう。

 そんな都合のよい話があるわけない。


『どこかへ行きたいのかい?』


 もしかして、口に出してしまったのだろうか。

 恥ずかしいと顔を赤らめながら、振り返った。



○●○



 これであいつらを見返せるだろうか。


 らせん階段を上り、屋上へと向かう。

 靴音が耳に響く。


 手には何度も書き直した封筒を握りしめていた。

 あいつらの名前を書き連ねている。コピーは二部取っており、両親と学校に後日郵送されるだろう。


 腹部をおさえる。

 昨日殴られた脇腹が痛い。わざわざこの季節にランニングかと思いきや、裏山で暴行とは暇人だ。教師に見つからないように、顔や手は避けてくれる。

 人間サンドバッグだと笑いながら言っていた。


 人通りの少ないところを選ぶのはわかるが、獣道に近い山の中でおこなうなんて。

 この学園は、出資者が大層な権力者らしく、校内ではどんなに隠れて暴力行為を行おうともすぐに教師が駆けつけてくれる。まるで監視されているかのように。

 三回ほど注意されたところで、場所をかえることを学習したらしい。


 なにかと呼び出されては、殴る蹴るの暴行である。

 それだけならまだよかった。にやにやと笑いながら、カメラをまわす奴らはどうしようもない下衆の面をしていた。


 これがばれたら、自分たちもどうしようもない立場にさらされるということがわかっているのだろうか。

 それとも、全部親の権力でねじ伏せるのだろうか。


 なぜ暴行するのかと聞くのは不毛なことだ。

 生態系のより下のものを虐げるのは、彼らの趣味である。


 せっかく親父たちは喜んでくれたのに。


 難関というこの学園に入学できて両親は両手をあげて喜んでくれた。ひとり暮らしになり負担がかかるというのに、気にするなと肩を叩かれた。


 遅れをとらないように頑張らないと、と入学してみれば、進学校とは名ばかりだった。

 人を見下すことしか考えない奴らに自分はていのいい玩具にされた。


 ごめんな、と言いながら屋上の柵をまた越す。上履きをきれいに並べ、その下に風で飛ばないように手紙を置く。


 古典的でなんのひねりもない、一矢報いる方法がこれくらいしか思いつかないなんて、それほど自分は賢くないものだと思った。


 この高さで、下はコンクリート。


 自分の頭がトマトになるさまを想像してしまう。

 駄目だ、と頭を振っても狭い足場の上に立つ身体は震えてしまう。


 生ぬるい九月の風が、べたべたとした気持ち悪い汗をかかせる。


 楽になろう。


 汗まみれの手のひらで掴んだ手すりをゆっくり放そうとしたとき。


『このまま、落ちていくのかい?』


 若い男の声がした。


 驚いて手すりを持ち直し、ゆっくりと後ろに振りかえった。





○●○





「どういうことなの?」


 朔也は、声が荒ぶるのを必死に押さえながら受話器を握りしめる。

 業務事項しか答えない電話の主は、目上のはずの朔也を無視して受話器を下ろした。


「……朔也さま」


 鈴城が心配そうにこちらを見つめている。

 普段にやけたおどけ者がこのような顔をすると、どうにも気分が悪い。


 そこで、さらに眉間にしわが寄るような報告をせねばならないとなると、気が重い。


「兄君は屋敷には帰っていないんだって」

「それは」


 葛城は、都内に構える屋敷に戻っていない。昨日、九月一日から。


「母上のもとに行っているという」


 自分でも顔が強張っているのがわかった。の言った言葉など、どこまで本当かわからない。

 できそこないの自分や役立たずのたけるはともかく、兄のためならばどんな嘘でもつきとおすだろう。

 同じ父、同じ母を持つとはいえ、三兄弟の立場の違いは母の子どもに対する扱いからわかった。


 できそこない、生涯まともに子を孕むことも孕ませることもできない身体を母はこう称す。


 父は政治的には冷酷な性格をした男で、人間として尊敬できるいきものではない。ただ、複数の女性を妻にむかえることを否としたところは、世の女性としては理想とされる夫だろうか。


 それは一般人の立場からであり、世継ぎを深く希望される東皇の血筋を考えれば愚かとしかいいようがなかった。

 母が輿入れして九年間、まったく懐妊がなかったからだ。

 十年目にしてようやく兄を生むまでにどれだけ苦労があったのかわからない。ただ、その後、数年おきに生まれたわが子を、『役立たず』『できこそない』と称する人間ではなかったと、古くから仕える屋敷の人間が教えてくれた。


 真人を乗っ取った経緯いきさつに、母が手を出している可能性は高かった。

 そうであれば、真人の身体で葛城として生きてきたことに説明がつく。


 朔也はモニター越しに父を見ることは多いが、それは一方的なものであり、実際顔を合わせることは年に一度もない。

 皇族の子は、親と隔離されて育てられる。成人まで、表舞台にでないようにするための配慮だ。


 父が兄のことを知らなくても、不思議はなかった。


 からんと、涼しい音がすると思えば、アイスティーが置かれていた。ミルクがそばに添えられている。水出しのダージリンだ。

 ダージリンにミルクを注ぐなど邪道という輩もいるが、朔也はこれが好きだった。


「砂糖はいくついれた?」

「シロップを少々」


 甘い笑顔を浮かべ、鈴城が答える。

 九つのときから仕えるこの男は、朔也の好みを知り尽くしていた。


 朔也はミルクをそそぐと、渦巻いて濁っていく液体を眺めた。


遊子ゆうこはどうしているの?」

「だいぶ落ち着いたようです。でも、自分から部屋に出る気配はありません。ただ、木月のことでどうすればよいのか、わからないでいるようです」


 遊子には、学校を休み、屋敷にとどまってもらうようにしていた。木月を刺したことに深く動揺していたからだ。葛城のことを忘れるくらい、彼女には衝撃が大きかったことだろう。


「彼女、と呼んでいいものかな?」


 ほんのりと甘いアイスティーを口に含みながら、朔也は問いかけるようにつぶやいた。


 七年間、真人として、十六年間、遊子として生きてきた。少女としての年月のほうが長いが、遊子の思考は少年よりに思えなくもない。


 これは笑えてくるな、とロリコン三白眼を思い出す。


 元を知っているだけに、無理強いなどできようにもないだろう。まあ、使用人の息子という立場もあるだろうが。


 頭の痛いことばかりを考えていただけに、降ってわいた楽しげなことに心が躍ってしまう。

 鈴城のやれやれという表情に、にやけた顔を可愛らしい笑みに戻す。


「木月のもとに、あとで連れて行ってやってくれ」

「わかりました」

「その前に……」


 飲み干したグラスをテーブルに置くと、朔也は両手を広げた。


「抱っこ」

「いつになく甘えん坊ですね」


 身長差が二十センチ以上、体重も倍ほど違う。朔也は軽々と持ち上げられ、その名の通りお姫様抱っこをされた。気持ち悪い行動だと皆が思うだろう。しかし、朔也は気にせずに続けた。これはお遊びだ。子どもがおままごとをするような、そんな戯れである。


「どちらまで行きましょうか、朔也さま」

「眠りたい」

「だめです。お風呂に入ってからにしてください」


 鈴城は、優しい声で、乳母のようなことをいう。


「では、入れて」

「では、よんでまいります」


 屋敷に使用人がいない日はない。遠回しな拒絶に、朔也は首に巻いた両手をきゅっとしめる。

 鈴城は少しだけ苦しそうな顔をしたが、鍛えられた身体に非力な朔也の腕力は意味をなさなかった。


 ちゃらんぽらんに見えて場をわきまえている男だ。

 東都学園自治区は広く監視されている。その中に、朔也や鈴城もまた含まれている。


 迷い子を作らぬように、あつすぎるおくるみにつつまれた学園。


 厄介ごとをひとまとめにすることで、迷い子の数は減った。減ったが、なくならない。


 なんの力もない、できそこないの自分を歯がゆく思いながら、朔也は鈴城の肩に額を付けた。

 くぐもるような声が漏れるが、鈴城は聞かなかったことにしてくれるだろう。

 嗚咽おえつという名の心の弱さは、皇子たる自分にはふさわしくなかった。だから押し付ける。ずるいと思いつつ、従順な青年にあってはならないもう一人の自分をなすりつける。


 鈴城は十メートルもないバスルームまでの道のりをゆっくりゆっくりと歩いてくれた。



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