迷ひ神
東都学園自治区、学園の周りはこのように呼ばれている。
東都中心から西に四十キロほどのそこは、元々、なんの面白みもない田舎で、なにもない山間部である。避暑地として観光客が訪れることはあっても、好んで住む場所ではない。都内に行くには電車の乗継が必須であり、一時間半ほどかかるわけで遊びたい盛りの若者にとっては退屈な場所だといえる。もっとも電車の乗継などという難度の高い行動ができるのは、箱入りのそろった学園生徒のほんの一部であり、多くはタクシーまたは自家用車を利用する。それだけで、タクシー会社が一つ潤うのだからある意味経済効果ともいえる。
学園設立当時は陸の孤島と揶揄された学園周辺だが、親ばかな有力者がPTAになることによって、子どもたちに不自由させまいと努力した結果、今現在の様相にいたった。
自治区内の総人口は三万人に満たないのに、やたらファッションビルが目立つ。でなければ娯楽施設か、スポーツクラブ、美容室といったところか。一部区画だけ見れば、都内と遜色ない。
そうそうたるブランドの看板が立ち、小銭も触ったことのないような少年少女たちが親のカードを湯水のごとく使う。かわりにスーパーといった生活感の漂う小売業は少ない、コンビニはいくつかあるが内容は他地域のものと比べるとまったく異なる品揃えである。
客単価を考えれば元がとれるのだろう。学園生徒だけでなく近隣の別荘からの客もいる。元々避暑地としての一面もあった。どちらにしても上客だ。
(どこに行けばあるんだろう?)
遊子は目を糸のように細めた。買い物がしたいが、目当ての店がどこにあるのかわからないのである。田畑に囲まれた田舎で育ち、中学まではバス送迎付きの女子高に通っていた遊子は、買い物を一人でする機会など恵まれなかった。箱入りと言われれば、否定できない彼女に街中で買い物というのは難問に違いない。
しかも買うものが問題である。
毎月のように送られる母からの服、それは比較的地味なものを着ているからよいとして。
(まさか、もうサイズが合わなくなるなんて)
遊子はリネンブラウスの上に手を置いた。肩紐が締め付けられて痛い。
大変贅沢な悩みであるが、胸部の肥大による下着の不合というわけである。細身で露出が少なくてわかりにくいが、同年代の平均より遊子のそれは大きい。確かに、体型の割に健啖家であるが、肉よりも魚を好み、野菜もたくさん食べている。それほど大きくなる要素はないと思うのに。
遺伝と言われれば仕方ないな、と実家の母を思い出しため息をつく。
母親に電話で相談したところ、専門店にいってサイズを測ってもらえということ。通信販売ではダメか、と聞いたら、「すぐ合わなくなる」と返された。正直、アルファベットと数字を見ても、自分に合うものがどれかわからないので、母の言葉をちゃんと聞くことにした。
「歩いていればそのうち見つかるか」
遊子は妥当に近隣のファッションモールに入ることにした。
遊子は人ごみが好きではない。モール内は人ごみとは言わないまでも、それなりの人通りがあった。学園生徒らしい若者が目立つ。
(目がちりちりする)
遊子は通りすがる人間にまとう黒い粒子や静電気のようなものが見えていた。本来、不可視のはずのそれが見えるのは母からの遺伝だという。母方の親類には同様の症状を持つものが多い。
『迷った神さんがすがりついとるんよ』
母の言葉が憐れむ声であったのは覚えている。だからといって、同情するなとも言った。矛盾した言葉だった。
実家をでてから、その症状はどんどんひどくなる。それは、遊子に変化が起きたというより、東都自治区という場所が、母の言う『神さん』を集めるようだった。学園内は比較的ましだが街中にでるとひどくなる気がする。
純粋に人が多いのかもしれない。
『神さんには悪いけど、それを相手にしちゃいかんよ』
(気が付いた相手を引き込もうとするから)
どこにでもある光景だ。ただ、皆は見えないだけで。
遊子は何事もないように通り過ぎる。
いや、過ぎようとした。
(いやーなの見つけた)
遊子は斜め前の店舗を見た。比較的カジュアルなアクセサリー店である。そこに見覚えのある少女を見つけた。見つけてしまったのなら、目を離せそうにない。
静電気などという生易しいものではなく、黒く立ち込める雷雲のような空気だった。先日、教室でみたそれよりも濃い。
金髪に痛々しく開けられたピアス、シフォンワンピを着た少女は、見た目以上にその表情が痛々しく見えた。メイクで隠せないくまと青ざめた唇が沢渡の不調を目視させていた。
震える指先には値札のついたリングを持っている。
くすくすと不愉快な笑い声を立てるのは、先日まで遊子にちょっかいをかけていたいじめグループの女子三名だった。皆、派手な恰好をしている。
「じゃあ、がんばって」
グループの中心の少女、マユは背中を叩き、店の外にでる。
沢渡は、手にアクセサリーをつかんだまま、深くうつむいている。隠れた表情は見えないが、かわりに黒い粒子が砂鉄のように彼女の周りにまとわりつく。
(まさかね)
遊子は面倒くさそうにため息をつくと、店に入った。
「こんにちは、偶然だね」
あまり遊子らしくない声をかける。わかりやすすぎる嘘が顔に出ていないか心配になる。無意識に誤魔化すように縛った髪の毛先を指でいじっていた。
沢渡は驚いて肩を震わせた。級友に偶然会っただけにしては、大げさな驚き方だ。
「あっ、東雲ちゃん。ぐ、ぐうぜん」
しどろもどろに答える沢渡に、遊子は彼女が持っていた指輪を取ると元の位置に戻した。
それがどういう意味であるか、わかるだろうか。
「あっ」
何か言いたそうな沢渡に遊子はそっと耳打ちをした。
「そこ、防犯カメラ映るってわかってる?」
「!?」
少し離れて見ると、カメラが設置されていることに気づくだろう。沢渡のいる位置からでは死角になっていて見えないが。
冗談みたいにドラマのような話である。マユたちは、沢渡に万引きをそそのかした。わざわざ防犯カメラのある前で、行うようにと。悪意以外の何物でもない。
「場所、かえる?」
遊子は、首を傾げて沢渡に言った。
「えっ、でも、まゆちゃんたち……」
沢渡は外で待っているはずの『友人』を見るがそこに誰もいない。遊子は知っている、沢渡を置いてすでにどこかへいったことを。
「捕まるかもしれない人間のそばにいたら、共犯と思われるからね」
遊子はそっけなく言うと、沢渡の手首をつかんだ。
遊子はモールの外まで沢渡を連れ出すと、周りに人がいないことを確認する。近代的なさきほどまでの場所と違い、歪な石畳が道を作っている。赤い柱が道の両脇に連なっている。奥に寺社があるのだろう。ノスタルジックな雰囲気を持つ小路だ。
遊子は軽く息を吐き、つかんでいた沢渡の手首をはなした。
「お金、困っているわけないよね」
確認するようにたずねた。遊子たちのいる弥生寮は、他の寮よりもランクが高い。洗濯も掃除もハウスキーパーがやってくれる。食事も個別に作ってくれる。そんなホテル並のところに入る生徒が親からの小遣いが少ないことはないだろう。
「だって、ゲームだって」
言い訳がましく目線を泳がせ、落ち着かない様子で沢渡は言った。
その態度に遊子は軽い苛立ちを覚えた。
「じゃあ、沢渡さんは楽しい? それ」
遊子は、善悪云々を語る気はない。
経済観念の崩れた人間にささいな金銭損失の積み重ねを語っても理解できないだろうし、説明は難しい。遊子は学園内では比較的まともな金銭感覚を持っていると思っているが、それは比較であってやはり世間ずれしている。経済的損益をうまく説明できる自信はない。
進路に関わる、内申に関わるというのも違う気がする。
だから、このようにたずねた。
「たのしい、わけ、ないよ」
沢渡が漏らすように答えた。かすれる声に嗚咽が混じっている。
「でも、やらないと。ともだちじゃないって、いう、から……」
唇をかみしめる。染めた髪もあけて固定していないピアスも露出の多い服もともだちだからとあわせたものだ。
本来の彼女が見た目に合った少女だと、遊子は思わなかった。
「そんなのがともだち?」
ともだちというものを数多く持ったことのない遊子にはよくわからない。切りそろえた前髪を揺らし、首を傾げて見せる。じっとその目を沢渡へと向ける。
「みんな、私よりもいい家柄だし、私ががんばんないと」
震える沢渡を見て、怯えさせてしまったかと、少しだけ視線をそらす。
皆とは言わないが、選民意識の凝り固まった人間が少なからずいる。あの連中がいい例だった。
残念なことに、東都学園には一定数そのような人間がいる。子どもだけではない、親たちの中にも。
「家柄とか別に関係な……」
「東雲ちゃんにはわかんないよ!!」
沢渡は遊子の言葉を遮った。
肩を震わせ、涙がこぼれないように瞼に力をいれている。遊子と目が合うと、はっとなり背を向ける。涙のしずくが地面に落ちた。
「……ごめ……んな……」
沢渡は言い終わる前に走りさっていた。
「わからないかあ」
言葉、間違ったなあ、と遊子は思った。少し考えてみれば実に浅はかな言葉だった。
遊子は奥の神社のベンチに座っていた。赤塗の社と青い公孫樹に囲まれ、周りには誰もいない。静かだが寂れているという雰囲気はなく、きれいに手入れされていた。静かに調和されたわびさびがそこにあった。
学園関係者には神事に携わるものも多いので、寺社の数は案外多い。表の若者向けのビルに気圧されがちだが、昔ながらの門前町もある。元々、こんな田舎に学園が建てられたのは、信仰の要があることが一つの理由だったからである。
めったなことではへこまない遊子でも、沢渡の言葉はきいた。投げ技を受けて、上手く受け身をとれなかった気分だ。
家柄で莫迦にされることは、遊子に経験がない話だった。
東雲家、東の十華族に数えられる名門である。比較的近い時代に皇族から分かれた名家であり、酒造・食料品を中心として現在は金融・保険も手掛ける財閥だ。
家と本人は関係ないというのは無理である。少なくとも遊子はそのように思っている。
でなければ、幼いころから怪しげな大人に連れ去らわれそうになったり、送迎付きの女学校に通わされたり、許嫁候補の青年たちと顔合わせをすることもないだろう。そのどれもが遊子のことを東雲ブランドの一商品として見ていた。
息がつまりそうな監視が、遊子の生活の一部だった。
現在も電話で監視されているが、以前に比べたら自由になったものだ。気軽に買い物に行けるのは、東都自治区だからこそだと思う。
そんな箱入りお嬢様が一般入試を受けて、入学してくるとは誰も思わない。だから、特待組の生徒たちが、遊子を見下していたのである。
しかし。
沢渡の言葉から、遊子があの『東雲』のものだとわかっているのだろう。
(いうほど価値はないというのに)
遊子は深くため息をついた。ため息は幸せをこぼすというが、本当だろうか。母は『迷ひ神』を呼び寄せるからやめろといった。
(そろそろ決壊だろう)
澱み凝り固まったそれが許容量をこえたとき、『迷ひ神』は孵化する。孵化してしまえばどうにもならない。
『迷ひ神』、一般的に心霊現象といえばわかりやすい。どこにでもいるが、どこにもいない。小さなものに何の影響力もないが、それが強大化すれば人に害をおよぼす。
見える者には存在し、見えない者にはいかれた人間の戯言だ。多くの普通の人間にとって、それは狂人の妄想である。否定しようにも、否定できない。
でも、無視することもできない。
(どうすればいい?)
沢渡をあのグループから引き離せばいいのか、それで解決になるのか。いや、なると思えない。一時的なしのぎになっても、いつか顕在化してしまう。
他の人間には、もっと簡単なことが答えとしてでるのだろう、しかし、遊子にはそれがわからなかった。遊子の精神は、大人びて冷静な一面、ある部分ではひどく幼い思考でできていた。
気が付けば鞄の中にある布包みを撫でていた。触ったところで、なんの解消にもならないというのに。
「ともだちか」
それがどういうものなのか、遊子にはよくわからない。
遊子に友人といえる人物は一人しか思い当らなかった。
(どうすればいい?)
「総一郎……」
遊子は、五年前に別れたきりの幼馴染の名前をつぶやいた。