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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編

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18/34

能面の男

 いつからだろうか、幼馴染のことがよくわからなくなったのは。


 遊子は、口の中にまだ残る奇妙な感触を打ち消すように、目の前の焼き菓子を平らげた。ぼろぼろとソファに粉をこぼしつつ食べたところで誰もいない。誰もいないからこそ、できることだ。


 東雲家では、女は政略結婚の道具に過ぎない。古臭い家で、遊子は大和撫子という四文字を手本として育てられた。それが、ブランドといわんばかりに。


 護身術を習わせてくれたのは、遊子が何度もかどわかしにあったことからだ。護衛もつけてもらったことがあったが、万が一のとき自分がなにもできなければ意味がない。


 もし、遊子が生まれたときから、それだけの教育を受けて育てられてきたなら、きっとなにも疑問を持たずに生きてこれただろう。

 そうであれば、きっともっと楽に生きてこれたというのに。


(なんで私は)


 このように生まれてしまったのだろう、と遊子は磨かれたテーブルにうつる自分の姿を眺めた。影だけをうつすそれは、遊子にとって不気味な遊子の姿を映すことはない。そこまではっきり映し出さない。


 遊子だけが見えるこの姿を知るものは少ない。時がたつごとに、周りの皆さえ忘れようとしている。


 総一郎さえ。


 もしかしたら、そのころからかもしれない。


 総一郎が本来の遊子を受け入れなくなったころから。


 遊子はうつむく。粉のついた指先をはらい、ぱたりとソファに寝転ぶ。


「私を否定するな」


 遊子は独り言をもらすと、そのまま目を瞑った。






 ふわふわと身体が不安定だった。


 遊子はゆっくりと眼を開ける。

 まどろんだ視界がぼやけたままだ。瞬きをするが靄がはれることはない。


(どうしたものか?)


 遊子はため息をついた。たしかソファで眠っていたはずなのに。よくみると、自分の服もドレスから着なれた制服に変わっている。

 周りも見慣れぬ真っ白な場所だ。


(また、迷ったか?)


 遊子は以前、迷い家に入ったことを思い出した。光景は違うが空気はとても似ている。悪い空気ではないが、慣れるものでもない。

 今の雰囲気だと、今度は精神だけが迷ってしまったのだろう。


 また、横になって目が覚めるのを待とうかと思ったが、なんとなくこの場にずっといるのは落ち着かないので歩き出すことにした。


 硬くも柔らかくもない地面を突き進む。まっすぐ歩いているつもりだが、目印がないため、ちゃんと歩いているのかわからない。


 実に困ったが、歩き始めた以上歩くしかなかった。


(たしか、何もない空間にずっと閉じ込められていると、おかしくなるんだったな)


 古い知識を思い起こした。

 遊子もまた、ずっとこのまま歩いていると気が狂ってしまうのだろうか。今のところ平気だが、そのうちおかしくなってしまうのだろうか。それとも、今は夢なのでノーカウントだろうか。


 色々なことを考えているうちに、なにか奇妙に浮かぶ黒いものが見えた。


 遊子はなんだろう、と首を傾げる。それに速足で近づく。


 近づくにつれ、靄が薄まり、形がはっきりしてくる。黒く浮かんでいるのは人の頭だということがわかった。生首ではない。服装が真っ白な着物を着ていたため、首から上だけ浮いて見えたのだ。

 

 遊子はどうかしている、と思いながら近づいていく。知らないものに不用意に近づくことがどんなに危険なことがわかっているはずなのに。

 

 もしかしたら、自分は正気のつもりだったが、いつのまにか狂っていたのかもしれない。そう思いながら歩いていくと、白装束の人物がゆっくりと遊子のほうを向いた。鋭い細い目が遊子を見ている。まるで能面のようだと、遊子は思った。先日の海老の化け物、それが一瞬思い浮かんだが、それを打ち消す。

 相手は男だった。あの迷ひ神特有の黒い粒子はない。むしろ、装束と同じように、彼には真っ白な空気が漂っていた。

 

「迷い子か?」


 青年は遊子を見て言った。細い目をさらに細める。


「いえ、私は」


 なんといえばいいだろう。

 どうやら、ここの主はこの男らしい。迷い込んで申し訳ない、と頭を下げるべきだろうか。

 雰囲気からして、人とは違うなにかをまとっている。


 遊子は緊張して萎縮しそうになる。相手は、緩慢な動きで袖に片手を入れて、残った手で首の裏を掻く。

 

「いや、身体を間違っているのか? 取り換え子か?」


 青年の言葉に、遊子はぞくりとする。もし、いま精神だけでなく身体があれば、全身から汗が噴き出していただろう。


 なにもかも見透かしたような目が怖い。


 青年はゆっくりと何もないところに座り込んだ。胡坐をかくと、そこから青い畳が浮かんでくる。目の前に囲炉裏が現れ、遊子の足元は板張りになる。

 男は囲炉裏にある鉄瓶を取ると、湯飲みへと注ぐ。無造作に、遊子の前に置くのだから、これを飲めということだろうか。足もとには、座布団がわりに半畳の畳が置いてある。


(この空間は)


 見覚えがあった。独特の梁、燻がかった床に壁、奇妙な茶箪笥や骨董品。


 最初に感じたものと同様、ここは迷い家なのだと確信した。しかし、今回の住人は、中性的な作務衣を着た少年ではなく、能面のような顔をしたい白装束の男だ。同じ家の住人とみてよいのだろうか。

 どちらにしても、この空間ではなにが起きても疑問に思うだけ無駄だとわかっているので、遊子は畳の上に正座した。


 男は遊子が座ったのを見ると、満足したように茶をすすり始めた。空いた手には、本があった。器用に片手でぺらぺらとめくって読んでいる。見た目からして、どんなものを読んでいるのか気になって目線をやる。それに、男は気が付いたのか、遊子に本を見せつけるようにひらひらさせた。


「読むか? 一巻からあるぞ」


 青年は、本こといわゆる漫画の単行本を指してみせる。床には山積みになった漫画の単行本や雑誌があった。


 遊子は漫画を読む人間ではないので、首を横に振る。


(なんだろう、この人)


 とりあえず遊子はここにいてもいいのだろうが、なにをすればいいのかわからない空気である。どうするわけもなく、ただ正座をして目を覚ますのを待つしかないのだろうか。


 もし、以前あった作務衣の少年と同じように、この青年にも遊子の心が読めるのなら、その点を考えてもらいたい。それとも、それを考慮したうえで気を使って言ったのがさっきの言葉なのだろうか。


 青年は、「この面白さがわからんとは」とぶちぶち言っていた。


 遊子は何をするわけでもなく、ここにいるのはきつかったので立ち上がろうとすると、青年がぎろりとにらんだ。


「しばらく、ここにいろ。そのほうがいい。だから、こちらに来たのだろう」

「……どういうことですか?」


 遊子がもう一度畳に座りなおすと、青年は漫画を置いた。


「身体が不安定になっている。だから、肉体とかい離してここまで来たのだろう。今、でてしまえば、別のところへと引き寄せられるだろうからな」


(別のところ)


 遊子は立ち上がると、青年の前まで歩いて行った。仁王立ちするように、彼を見下ろす。


「どういうことだ? それは?」

 

 遊子の態度が気喰わなかったのか、青年は片膝をたてて肘をつく。


「そのままの意味だ。おまえの今の身体よりも、ずっと安定する器が傍にあるということだ」


 遊子は青年の言葉を聞くなり、彼の襟をつかんだ。短絡的行動、そう言わざるをえない行動だが、せずにはいられない。


「器だと!」

「手を離せ」


 青年は目を細めたまま、手のひらを遊子の前に見せる。遊子の身体は強張り、痙攣する。まるで金縛りにあったようだ。青年は、動けなくなった遊子の指をほどくと、遊子の肩を叩いた。身体が固まったままの遊子は、横からの衝撃に耐えきれずそのまま床に倒れるが、下には座布団が何枚も重なっておかれていた。


「おまえが何者か知らぬが、せっかく貰った肉体を大切にしろ。今更、元の鞘に戻ろうなどと考えるな。おまえが今、その肉体であるように、それもまた、そいつの肉体となっているはずだ」


 青年は諭すように言うが、遊子は犬歯をむき出しにして唸るような表情を見せることしかできない。

 彼のその言葉に従うなど、できるはずがない。


 青年は、諦めの悪い遊子を見ると、大きくため息をついた。


「もう一度言う。今の状況を受け入れろ。それが、一番幸せへとつながる。わかったな、取り換え子よ」


 青年は、そう言うと、もう一度畳の上に座り込み、漫画を読みはじめる。


 遊子は転がされたまま、ただ青年をにらむしかなかった。


(近くにいるのに)


 ただ、悔しく、そして焦っていた。


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