迷家
遊子は目の前で広げられる狩りを淡々と見ていた。
一方的に、ダメージを与えるだけの闘いなど、狩りというほかになんというだろうか。
無数にのびた腕を半分以上斬りおとされたその化け物は、三つの口から咆哮を、七つの目から涙をこぼしていた。
どう見ても人外のものであるそれを、総一郎たちは憎々しげに見ていた。たとえ、パーツだけでも、人間と同じものを使われると、戦意というものはだいぶそがれるらしい。
それでも、朔也の私兵たちは、無駄のない動きで迷ひ神を削っていく。
無傷で戦闘を終わらせる、そのように総一郎たちは訓練を受けているようだ。遊子の場合、それに参加することはない。そちらの面で戦力外と見なされている。
周りには、補佐をするものたちもいる。総一郎たちのように原始的な武器、つまり刀や槍ではなく、銃のようなものを抱えている。物理的な攻撃方法のきかない化け物には、清めた水を詰めた弾を撃ち込むようだが、生憎、そういうものは相性が悪いらしい。お浄めの水の能力を半減させてしまうし、なによりスコープ越しだと対象がぶれて見えるだろう。
いっそ清めた水を全身に浴びせるように降らせるのが、一番簡単な方法であるが、それは難しいという。水は貴重であり、大量に作れず、なにより核を狙わねば消えてなくならない。
原始的な攻撃方法しかきかないというのは、迷ひ神退治における命題なのかもしれない。
遊子は、倒れた少女を膝にのせる。目にくまのできた少女は、先ほどまで宿主として憑りつかれていたものだった。
学生証を見ると「西倉田」と書かれてある。西の血族だろう。
(神隠しを防ぐためか)
なぜ、これほどまでこの学園に、迷ひ神が多いのか。
(呼び寄せる血筋が多いから仕方ないか)
遊子もまた、その一人に違いないだろう。
見えるということは、関心を持ち、持たれる。そして、心の影にすまわれるのだ。
自然災害のようなものだと遊子は思う。
被害を減らすことはできても、完全になくすことはできない。
「つまらないよね。夏休みとやらは」
期末テストの成績結果を広げながら、朔也はだらしなく机に突っ伏している。
「だらしないですよ」
遊子は、及第点にとどかなかった数学の点数に目を細める。補習にでる必要はないが、これを実家に送ったら、お小言とはいわずとも、顔をしかめることだろう。
(やっぱり中学とは違うな)
暗記物の量は格段に増え、数学になるとまったく新しい概念を入れ込まれて、それを理解するので一苦労する。応用に至るのは難しい。
学習計画では、一年目で数学は数Ⅰ・A、Ⅱ・Bを終わらせるらしい。大学入試で出てくる基本問題は、初めの年で終わらせる計画である。
二年以降は、大学受験を意識した応用と選択科目を中心にやるという。形だけは、しっかり進学校である。
朔也は少し不貞腐れている。理由は、遊子が夏休みに実家に帰ることを伝えたためだ。
暇なことを嫌う皇子は、それ以外にも案外さみしがり屋だったりする。可愛いなあとか、思ったりしたが口には出さない。年少の少年にしか見えないが、本当に遊子と同い年だというから驚いた。てっきり、齢をごまかしているものだと決めつけていたからだ。
しかし、見た目にだまされて下手に甘い顔をすると、調子にのって何をされるかわからない。
先日はなぜか、服をひんむかれ、無理やりチャイナドレスを着せられた。やったのは命令を受けた女中だったが、それでも常識外れとしか言いようがない。
着せ替えを終えたら、やたら写真を撮られた。途中、総一郎が不機嫌な顔をして乗り込んでこなければ、もっとひどい有様だったろう。
(恥ずかしくて死にたくなった)
デジカメのデータは、朔也のパソコンに入っているが、遊子にはそれを消すすべがわからなかった。いつか不慮の事故を装い、物理的に破壊しなければならない。
「ついていこうかな?」
上目づかいに朔也が言った。
「別にいいですけど」
遊子は肯定の意を示す。
父ならむしろ歓迎するに違いない。だが、田んぼと酒造所しかないど田舎なので、なにも面白みはないだろうが。
「ネットは?」
「ありますけど、電話回線です」
「無理」
即答だ。
朔也はうなったあと、やっぱいいと、首を振った。
やっぱり、と遊子も頷く。
気を取り直した朔也は、携帯端末で新作ゲームの発売日を調べているようである。やはり、遊子には理解しがたい世界のものである。
(土産とやらは、どういうものを買えばよいのだ?)
実家に帰るのなら、そういうものが必要だと朔也に言われた。よくわからないがそれが一般家庭の常識らしい。
一般的なものは、饅頭だのクッキーだのと言われたが、舌が肥えた実家のものに量産品を買ってきても喜ばないだろうし、だからとて、怪しげな彫り物細工も邪魔になるだけである。ペナントを買えと、朔也に言われたが、言うまでもなく却下だ。それ以前にペナントとはなんなのかわからない。
名産は山葵なので、新鮮なものなら文句は言われまいと、学校近くのショッピングモールではなく、昔ながらの門前町にやってきた。老舗ならよいものがあるだろう。
門前町に入ると、赤い柱と石灯篭が並び、敷き詰められた石畳が雰囲気を醸し出していた。入った瞬間、神々しいような感覚さえした。先日の神社とまた違う、不思議な感じだ。たしかに、常世の領域の入口だが、空気が違う。
少々、寂れた雰囲気さえも趣と感じられる。
周りにいるのが地元の人間ばかりだからだろうか。
学校内やショッピングモールのように、目がちりちりするほど気持ちの悪い澱みはない。
ただ、周りの人間はそれほど明るい顔をしていない。
遊子には、趣とさえ思う寂れ具合だが、それは商いを営む本人たちには深刻な問題だろう。
学校近くの商店が繁盛していれば、自然とそれ以外の客も吸い取ることとなる。
客層が違うことは救いかもしれないが、逆を言えば、学園の生徒は客にならないともいえる。
澱みが生まれそうな空気だが、それがないのはとても清浄な空気が漂っているからかもしれない。赤い柱にはそれぞれ盛り塩があった。毎日取り換えられているそれは、空気を汚さないようにしてくれるのだろう。
遊子は横目でどんな店があるのか見ながら何を買おうかと悩む。
一応、観光地としての体裁は崩れておらず、荷物が増えても宅配できるのが助かった。
クレジット代わりの学生証もちゃんと使えるようになっている。
とりあえず店のおばさんがすすめるまま、大量の漬物をクール便で送る羽目になった。すすめられると断れない。これは、朔也相手だけではない。先日も下着店に行ったら、すすめられるまま何組も買ってしまったので、どうやら押しに弱いらしい。
(黙っていれば、イエスとされるのか)
無駄に長いレシートをごみ箱に捨てる。景観を保つためにごみ箱を置かない観光地は多いと聞くが、ここは木枠で無難に目隠しされていた。
(そのうち、上にも行ってみるか)
門前町の奥には、長い石階段が続いており、山の上には社が奉られている。
西に多い、イキガミ信仰の分社だという。遊子にも少なからず縁があるものなので、見に行って損はないだろう。妙な空間にとらわれることはあるまい。
用事が済み、店のおばさんの笑顔が本物になったので、門前町を出ようとしたところ、困ったことが起きた。
遠足は帰りつくまでが遠足だ、と朔也に耳元で言われた気分になった。
街中でまったく見られなかった澱みが、吹き溜まりのごとく固まっていた。粘菌のようなゲル状のそれは無数の眼球が付いており、そのすべてと目が合ってしまったらどうすればよいだろうか。
(懐刀持って来ればよかったかな)
持ってきても役に立つかどうかわからないが、お浄めの水が三本と小柄が二本、自分の身の丈よりも大きなものに対するには、心もとなさ過ぎた。
無視しようにも、完全に相手に気づかれたようだ。
遊子が走り出すと同時に、化け物も流れるように追いかけてくる。
化け物は、ようやく見つけたごちそうを逃がす気はないらしい。
(アメーバならゾルゲル運動でもしてろよ)
物理法則を無視した摩擦を感じさせない動きに、遊子がとらわれるのは幾何もかからなかった。触れた瞬間、肌に浸透する感覚がする。遊子は、小瓶をあけると、水をためらいなくふりかける。
蒸発する音が耳につく。
(能動的すぎるだろ)
本来の迷ひ神は、このような動きはしないはずだ。
その場にとどまり、手ごろな人間が近づくことでようやく憑りつこうとするものである。
しかし、この化け物は、餌を絶たれて久しい獣のような勢いを持っている。
異質な感じがした。
虎の子の聖水も、丸一本使ったところで消えてくれない。むしろ、怒りを買った気がする。焼石に水だ。
物理化はほとんどないので町の人間には無害だったのだろう。しかし、遊子のような人間には、十分危険な存在だった。
身体を浸透し、内側から乗っ取られる感覚がした。手首に触れたあの気持ち悪い感覚を打ち消すため、小柄で肌に傷をつける。血のにじむあとから、なにかが蒸発して消えていった。傷痕が残らないかなんて、今はそんな心配する暇などない。
(どうすればいいか)
脇と背中、そして首の裏から汗がにじむ。ねっとりした感触に不快指数が上がる。
無力な自分には何もできない。
むしろ、見えることがあだとなっている。
手持ちの駒がない以上、逃げるよりほかなかった。
体裁など考える余裕などない。
あのすばやい動きから、学園まで逃げることは不可能だろう。
そう考えると、目にうつったのは高台に見える社だった。
(あそこまで逃げ切れるかな?)
門前町を突き抜けるよりも、林の中を突き抜けたほうが早そうである。障害物は多いが、ショートカットを優先する。
こんなことなら、最近、また始めた基礎練習の中に、ランニングを加えておけばよかったと反省する。
小柄を二本とも口にくわえ、蓋をとった小瓶を親指で栓をして両手に持つ。そのまま、社の階段に向かって走り抜ける。
計画的に植林されたそこは、思ったより足場が悪くなく走るのに苦労はなかった。しかし、木をすり抜けながら近づいてくる化け物にすぐに追いつかれ、そのたびに、持った小瓶からしずくを振りかける。
じゅわじゅわと耳触りな音を無視し、懸命に走る。それを数回繰り返したところで、目の前に赤い鳥居と石階段が見えた。
残り少なくなった小瓶をそのまま化け物に投げつけると、全力疾走する。激しい息切れと心臓が壊れるような心拍数を感じながら手を伸ばす。
ふと、頭にネガティブなことがよぎった。
(御社に来たところで、何の意味もなかったら?)
その一瞬、遊子の足が止まったのだろうか、それとも、おいしそうな匂いに化け物が反応したのだろうか。
もつれる足に、何かが浸透してきた。
(まずい)
身体がバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れこむ。
その瞬間、指先が鳥居の柱に触れていた。
まぶしい光とともに、遊子は気を失った。
「あーあ、こんなとこに紛れ込むなんてね」
おどけるような少年の声がした。
眼をあけると、ぼさぼさの白髪の少年が顔を覗き込んでいた。あずき色の作務衣を着て、腕を組んでいる。見た目は中学生くらいだろうか、声はまだ半端に高い。
「おう、おはよ」
遊子は、目をぱちくりさせながら、つられるように、
「おはよう」
と、いった。
目の前には、見たこともない天井が見えていた。仰向けに横になっているらしい。
混乱する頭をおさえながら、ゆっくり身を起こす。
周りを見ると、見たこともない部屋にいる。燻がかった板張りに、趣のある柱に土壁、家具もアンティークを思わせる箪笥が階段状に並べられていた。
近代を思わせる古い造りの部屋に、遊子は懐かしさをおぼえた。
少年は、水屋に置かれた植木鉢をとる。苺のような苗が植えてあるが、その実は不可思議にも銀紙のようなものに包まれた球体をしていた。自然発生したようには到底見えない。
(一体、なんだこの部屋は?)
遊子はぱくぱくと口を開ける。
少年はニコリと笑い、遊子の驚いた表情を楽しんでいるようだった。
「どうぞ」
先ほどの奇妙な実を差し出された。
遊子は、少年から、奇妙な果実を受け取る。
(なにこれ?)
観察しながら、包み紙を開ける。外側はやはり銀紙のようで、中身は苺味のチョコだった。昔、こっそり食べた駄菓子の味に似ている。
でも、葉や茎の部分もついており、これは植物のものとしか思えない。
いったいどうなっているのか。
「世の中、不思議なことはたくさんあるよ」
見透かすかのように、少年は言った。
「ここは、たまに君みたいなのが迷い込んでくるのさ。困ったことに、何度も来るやつもいる。まあ、僕としては、いい迷惑なんだけど、ぽいぽい追い出すわけにもいかないからね。相方に叱られる」
「それは、すみません」
チョコを全部食べ終えると、とりあえずごみはポケットの中に入れる。
「も、ひとついかが?」
「今は結構です」
「そりゃ残念」
少年は、チョコの実を自分の口に入れる。
(たしかに、町の中で迷ひ神にあって)
「安心してよ。化け物はいないからさ」
また、心を読んだかのように少年は答える、
(サトリか?)
「失敬な。妖怪扱いしないでくれよ。人間だよ、人間。ただ、少し性質が違うだけさ」
やはり、妖怪だと思いながら、遊子は少年を見る。
ついでに、なんで自分がここにいるのかと、疑問を頭に浮かべてみる。
「なんていうのかな。ここの大家なんだけど、そいつの作った結界に触れたみたいだね。化け物は結界に入れずに溜まっていて、そこに君が出くわした。逃げる中、化け物は結界に弾き飛ばされ、君は保護される形で吸い込まれた。まあ、たまにあることなんだけど、どっちみち結果オーライで問題ないよね。あーあ、盛り塩の位置、見直さないといけないかなあ」
詳しく聞きたいところだけど、少年はいちいち説明が面倒だという顔をしている。聞いたところで謎が増えそうな気がするだけなので、話はここらで折っておいたほうがよいのかもしれない。
少年は、物わかりのよい客人に愛想よく笑っている。
「そのほうがいいよ。君はこことは相性が良いみたいだから、早く出て行ったほうがいい。せっかく安定しているその身体がぐらつくのはよくないだろ? 二度、三度もこちらにくるものじゃない」
遊子は驚愕の表情を顔に浮かべて少年を見た。
なにか口にだそうとしたところで、少年が人差し指を口の前で立てる。
「ただいまー。誰かいないのー?」
間延びした女性の声が聞こえる。玄関のほうから、ぺたぺたと足音がする。
この家の住人のようである。
「相方なら別にいいんだけど、あっちにつかまると、長居させられてしまうからね。面倒くさいことになる前に、帰ってもらおうかな。縁があればまた会えるだろうし」
と、少年が遊子の前に手をかざす。
すると、目の前が真っ白になり、まぶしくて目を瞑ってしまった。
「あれ? 君ってもしかして?」
少年は何かを言っていたが、最後まで聞き取れなかった。
足元がぐらついた感覚がして、平衡感覚がなくなった気がして、そして、時間の経過すらわからなくなった。
(いったい、なんだったのだ?)
白昼夢でも見ている気分になった。
目をあけると、そこは先ほどの門前町だった。
鳥居と灯篭の並ぶ、趣深い商店街である。
ぼんやりした頭をこすりつつ、ふとなにかに気が付いた。
ポケットに手を入れると、丸い銀紙にくるまれた実がそこにあった。
(たしか、ごみしか入れてないのに)
いぶかしみつつ、また、銀紙をはがし中身を口に入れる。苺味のチョコレートが口に広がる。
また、ごみをポケットに入れると、一度手をだし、また取り出す。すると、ごみはまた、もとのチョコの実に戻っていた。
(似たような昔話、聞いたことあったな)
迷った旅人を持てなす屋敷、そして、土産にもらったものはいくら使ってもなくならない。
「迷い家ですか」
東に伝わる奇談を思い出し、くすっと笑った。
(不思議には慣れたつもりでいたんだけどな)
奇妙な手土産を指先でもてあそびながら、遊子は寮に帰ることにした。
少年の最後の言葉は、すっかり頭から消えていた。