東皇三兄弟
久しぶりだな、と朔也は思った。
朔也は二人の兄弟たちと対面していた。
細面の端正な顔をした長兄、葛城。切れ長の目はどことなく、誰かに似ている気がする。
ちょくちょく会う三つ上の健は、相変わらず傾奇者といった風貌で、着流しに虎の毛皮を巻いていた。まさに新鋭歌舞伎といった常識を逸脱した格好である。耳にはもう穴のあける隙間がないほどピアスで埋め尽くされており、注射も嫌いな朔也には考えられない行為である。
回転テーブルを挟み、中華料理をいただいている。老舗ホテルの最上階に位置するここは、政治屋が内緒話をするのにうってつけの場所だった。
西の皇族はひとに近い神だといわれているが、東の皇族は神に近いひとといわれる。西のものに言われるには『俗物』、誰よりもひとらしい、政治屋の血族である。
今回は、そう意味であつまったわけではないが、皇族が三人も集まるといろいろ面倒なことになる。兄弟で駄弁ることにも、気をつかわなくてはいけないとは、面倒な話だ。
「変わりないようだな」
落ち着いた長兄は、料理に手を付けることなく紹興酒を味わっている。
「まあね、俺はね。娘はすげー大きくなったぞ。はいはいもできるぞ」
十か月の娘を持つ健はでれでれの顔で娘の写真を携帯で見せてくる。今は兄弟水入らずということで席を外しているが、伴侶とその娘も同じホテル内で待っていることだろう。
それにしても、一児の親とは思えぬ態度である。子どもが子どもを生んだ、育てたとはこのことだろう。十代で姪ができようとは、朔也としてはなんとも複雑である。
「タケルのせいで僕はもうおじさんなんだよ。菊理は可愛いけど、もうちょっと遅く生まれてもよかったのに」
「いうな、いうな。生まれちまったもんは、でけたもんはしょうがねえんだ。素直に受け入れろや」
三兄弟の真ん中は、信じられないほどアバウトにできている。その性格・容姿で周りの評判はすこぶる悪いが、それでものうのうと生きているしたたかさを生来持ち合わせていた。
政治にはまったく興味はないが、アパレル業の真似事などやっている。本人のファッションセンスから想像できないが、けっこう真っ当な和服ブランドである。二十歳にもならぬ若造がそんなものを立ち上げる資金はあるのかといえば、まあ、父にねだったのだろう。
「菊理は最近、『まー』とか『ぱー』とかいうんだ。どっちが先に呼ばれるか、音橘と競ってんだよ」
ぜってー勝つ、と拳を振り上げる。
音橘とは、健の伴侶であり、健と正反対の人物だ。清楚を絵に描いたような人物で常に和服を着用している。
まるで小学生のようだと、朔也は思う。実際は、普通の小学生とはどういうものか知らないわけだが。
「あにぎみも大変だの」
音橘は健の配偶者であると同時に、同じく東皇の血筋であることから、姫と呼ばれている。傾奇者の健皇子と夫婦とは信じられない大和撫子であるので、世の中、どう転ぶかわからない。
朔也はふかひれをレンゲですくいすする。スリットの入った給仕のおねえさんを見て、チャイナ服も悪くないな、と思った。
土産に買っていこうかと、にやりと笑う。誰に着せようかと言えば、まあ、身近な人物である。
「元気でなによりだ」
がつがつと品がないくらい食べる健皇子に比べ、葛城皇子は箸ひとつつけていない。
朔也は珍しく菜箸をとると、
「兄君、なにかとりますか?」
と、らしくない気遣いを見せた。本当にらしくない。
給仕の女性はあらかじめ下げており、料理を自分でとるなどあまりやったことがない。普段なら、周りの人間がやってくれる仕事だった。
「いや、私はこれで」
小さな杯に酒を手ずから注ぐ。
「おう、酢豚とってくれ」
と、かわりに健が皿をだす。
「まだ、食べる気?」
朔也は呆れ顔で、酢豚を椀に山盛り入れてやった。嬉しそうに受け取る健だったが、具にパイナップルが入っているのに気づくと露骨に嫌な顔をした。
「好き嫌いはだめだよ」
意地悪な顔をしてにやりと笑う。葛城も健も朔也も三人とも似ていない。皆、同母から生まれているはずなのに、である。しかし、性格の悪そうな歪んだ笑みだけは健と朔也はよく似ていた。たぶん、父親譲りなのだろう。
「っで、学校はどうなんだ? 珍しいじゃねえの。ちゃんと通うなんて」
にやにやと健皇子が笑う。
「失敬だね。社会勉強のためだよ。家庭教師だけでは、知識が固まってしまうだろ?」
「ああ、引きこもりから抜け出してくれて、俺はうれしいよ」
と、パイナップルを小皿に避ける。
「友達はできたのか?」
「できるとしたら、可愛い部下だな」
長兄の質問に、朔也はそう答える。友だちというにはどうしても間は空く。相手からしても、これが妥当な関係だろう。
「うわー、なんだよ。その新しい玩具でも手に入れた顔は」
と、健は肉を貪っている。いつもにもまして良く食べる。
主に、二番目と三番目の相手をからかい合うような会話は、しばらく続いた。
長兄だけは、その話を肴にちびちびと酒を飲んでいた。
○●○
(あの子も見えるのか)
遊子は、廊下の隅の澱みを見る女生徒を見る。どの程度はっきり見えているのかわからないが、ぼんやりと変なものがあるという感覚だろうか。でなければ、目を向けようとも思わないだろう。
眼の良い遊子には、脳髄の飛び出た生首が転がっているように見えるのだから。
女生徒が首を傾げながら通り過ぎると、遊子は、ポケットから小瓶を取り出し、中の液体をこぼす。液体は霊峰の湧水と清めた塩を混ぜたものである。
じゅわじゅわと嫌な音をたてながら、哀れな迷ひ神のかけらは消えていく。
(慣れたくないものだな)
仕事ではなく、作業になってはいけない。でも、そうしないと自分の心がどんどん削られていく感じがする。
母から聞いた話では、迷ひ神とは神さまの国へ行きそこなった神さまということらしい。現世から常世へと帰りたいがため、常世に行きたいと願う人間に憑くという。そんな人間の発する気は、常世の気と似て非なるもので、だから、迷ひ神はそれを食らい、異形のものへと変化するのだという。
簡単にいえば、成仏できない幽霊がずっとこの世にいますと、ものすごい悪霊になりますよ、とのこと。
ときにそれは、実体化ではなく、ひとの身体をも乗っ取るから厄介である。
遊子は、カーディガン越しに己の身体をぎゅっとつかむ。
(もどかしいな)
遊子には見ることしかできない。
それしかできない。
先日から何度か、実体化しかかった迷ひ神の討伐にかり出された。しかし、遊子の仕事といえば、後衛で見守ることくらいである。他の三人に比べて、体力差は歴然であり、近づくだけ邪魔になるのだ。
(これじゃあ、なんのためにこの学校に来たんだ?)
わざわざ、一般入試を受けてまで東都学園に来た理由は、どうしたのだ。
折角、唯一の手がかりを見つけたのだというのに。
焦る気持ちを押さえこみ、また校舎内を見まわる。
誰かに憑りつく前に、消えてもらうのが一番簡単な方法なのだから。
少しでも、朔也の信頼を得るために。
遊子が総一郎の言葉を押し切り、朔也の手伝いをすることにした理由はそれだった。
朔也が遊子を利用するのと同じように、遊子もまた朔也を利用しようと考えていたからだ。
賢い皇子は、そんなこと重々承知であろう。
役に立てば、それ相応の対価を払ってくれるだろう。現在、支払われているバイト代の他に、情報というエサもくれるかもしれない。金など遊子には必要ないが、そういう雇用関係を作らねば、朔也は遊子をこちらへと連れてこないだろう。
遊子は学生証を入れたカードケースを取り出す。ケースの奥に、古びた写真が一枚入っている。
折り目のつき、色あせはじめたそれには、二人の少年が肩を組んでいた。ひとりは腕白だが古風な人形のような顔立ちで、もうひとりはそれより年少の三白眼のこどもだった。
写真の日付は、遊子の生まれる前になっている。
(絶対、探し出してやる)
遊子はカードケースを胸ポケットにしまうと、また小瓶を取り出す。
澱みのもとに一滴かけると、生首はじゅわじゅわと音をたてて蒸発した。
寮に戻ると、実家から荷物が届いていた。
箱の中は容易に中身が想像できる。開けると案の定、それであった。
遊子の趣味に合わないフリルのついたワンピースに、コサージュ付のアンサンブル、ロングスカートだけは無地なので着れないことはなさそうだ。
しかし、予想外に小振袖が入っていたのは笑うしかなかった。きっと父からだ。朔也の傍付きならちゃんと正装しろとのことだろう、小振袖ということで、妥協したつもりのようだが。
実家ならともかく、ここで着るような場面といえば、茶道部の部活動くらいだろうか。
残念なことに、帯がないため、着用は無理である。どこか抜けている、それが父の人間らしいところだった。
もうひとつ男物の着流しが入っており、総一郎のおばさんの手紙が入っていた。実家にいたころは、遊子も総一郎も和服を着用する機会が多かった。遊子は今でも、寝間着として浴衣を着用している。
どうやら、親不孝な三白眼男は、自分の下宿先も母親に伝えてないらしい。
遊子は着流しを畳紙に包みなおすと、他のものとは分けて置く。
一番下に、桐の箱が入っている。
開けてみると、いつも使っている小柄と同じものが二本、それと漆塗りの鞘に入った懐剣が入っていた。
一緒に入っていた手紙を読むと、流れるような筆跡で気遣いの言葉が書かれていた。母の字だ。
遊子は手紙を読み終えると、ふらふらと寝台に倒れこんだ。
毎日、電話で話しているというのに、食事の心配や健康状態、夏休みはいつ帰ってくるのかと書かれていた。
(今を楽しく生きなさい、ですか)
見透かしたような母の筆跡に、遊子は乾いた笑いを浮かべた。
(それができたら、やっているよ)
「木月なら、修練場にいるよ」
鈴城に礼を言って、遊子は言われた場所に向かう。
朔也に呼び出され、今日は朔也の屋敷にいる。週末だから、皆で食事がしたいという、朔也らしい理由からだった。
一見、古風な洋館の出で立ちをした朔也の居住は、和洋折衷に作られている。
大きな門から庭、館までは洋風であるのに、その裏側になるとなぜか平屋の道場と露天風呂がある不可思議さだ。
おそらく、洋館自体は移築したものだろうが、奥の和風建築物はあとから付け加えたのだろう。
老執事が屋敷内を案内するときに、大変不服そうにそれらを見ていたことから、やはり趣味が悪いと思っているのかもしれない。
遊子としては、風呂が和風呂のほうが好きなのでいつでも入ってよいといわれたときは喜んだが、朔也も入ろうかと言い始め、総一郎が難癖をつけるという流れで入れずにいる。
寮で共同風呂は慣れているわけなのだが、それとこれは別なのだ。ゆっくりと全身を湯につからせて、ぼんやりと楽しみたいのだ。
遊子は、白壁の平屋の中に入る。中では、袴をつけた総一郎が床に片膝をついていた。
刀をはき、流れる動きで刀剣を抜き放つ。きれいな曲線を描き、刀は再び鞘におさまる。
総一郎は、遊子の存在に気が付いたらしく、眉間にしわを寄せると、ゆっくり刀を鞘におさめた。
「なんのようだ」
冷たい幼馴染の声に、遊子は持ってきた紙袋を差し出す。先日、送られてきた荷物だ。
「おばさんにくらい連絡先教えとけ」
総一郎はそれで大体理解したらしく、刀を細長いアタッシュケースに入れる。指紋認証の鍵をかけると、それを持ち、遊子のもとに近づく。
道着とはいえ、和服姿の総一郎は久しぶりに見た。よく父にしごかれていたのを思い出す。総一郎は居合の型が崩れるたびに殴られていたが、遊子にはそれがうらやましくて仕方なかった。遊子は、道場に足を踏み入れることさえ許されていなかったのだ。入口の外からぼうっと眺めることしかできなかった。
時代錯誤な家であった。女は道場に入れない。道場だけでなく、酒造りにも参加させてもらえなかった。
遊子は、それゆえ入口の鴨居をくぐることなくその場にいる。朔也が何か言うとも思えないが、入れない境界が自分の中で作り上げられていた。
おかげで、護身術を習う際も、つい空手や合気道といったものを避けてしまい、少し変わったものを選んでしまう羽目になった。ボクシングを主流とした総合格闘技など、よくもまあ実家がゆるしてくれたものだと、つくづく思う。
(私もなにか稽古をつけてもらったほうがいいか?)
高等部に入学してから、それまで通っていたものはすっぱりやめている。
最近、筋トレを始めるようにしたが、柔らかくなった二の腕をもとに戻すのにも時間がかかるだろう。
紙袋を受け取ると総一郎は礼もなく、横を通り過ぎる。
汗の匂いが鼻につく。
「風呂入っておけよ」
「わあってる」
素っ気ない総一郎の態度に、遊子はため息をついた。
「案外、仲よさげじゃないか」
後ろから声をかけてきたのは、鈴城だった。
「なんか用か?」
総一郎は、不機嫌な顔をさらにゆがめている。
「いえね、遊子ちゃんに教えた手前、おまえがここにいなかったら悪いかなって、見にきたわけだよ」
「ちゃんといてよかったな」
総一郎は、そのまま、奥の浴場のほうへと向かった。
無愛想な背中が見えなくなると、鈴城はやれやれと首を振った。
「気を遣わせてすみません」
「へえ、遊子ちゃんって、なんか木月と喋ってると勇ましい口調になるよね。普段は、丁寧な言葉づかいなのに」
「そうでしょうか」
遊子はなんとなく目をそらしながら答える。
「ところで、本当は何か用でもあったのでは」
話をかえるように、鈴城に聞いた。
「ああ、朔也さまが帰ってきたよ。夕食まで時間あるし、遊子ちゃん、相手してあげてくれない? 俺、明日、レポート提出なんだよ」
鈴城もまた、大学部に通う生徒である。高等部の偏差値を考えると、大学部もそれなりに難しいことになるのだろう。
「大変ですね」
「うん。内容はともかく、提出枚数が半端ないからね」
苦笑まじりに指を三本立てる。レポート用紙三十枚分ということだろうか。
遊子は鈴城とともに、皇子の待つ広間へと向かった。