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マヨイマヨイガ  作者: 日向夏
本編
10/34

祖父

「あっちはあぶないよ」


 小さな声が聞こえる。自分の袖を引っ張る幼馴染は不安な顔を全面に出していた。


「だいじょぶだろ、行こうぜ」


 何をそんなに怖がっているのだろう。全然わからない。

 外はいつもの森で、いつもどおり遊びにいくだけだ。今日は少しだけ霧がでているけど、まだ明るくて道に迷うこともないはずだ。


「そっちはだめだ」


 二つ年少の少年は立ち止まって動かない。


「帰れないだろ?」


 つかんだ手を払いのけ、少年を置いて奥へと進む。


「だめだよ、行っちゃ」

「お前だけで帰れよ」


 少年を置いて走る。どうせ、後からついてくるだろう。いつもそうなんだから。


霧はだんだん濃くなるけど、気にすることはない。


 いつもどおり遊んでくるだけなんだ。

 いつもどおり。

 いつもどおり。





 

 寝汗がじっとりと寝間着にしみこんでいる。


(やな夢見た)


 乱れた寝間着がわりの浴衣を直し、冷蔵庫を開ける。オレンジジュースを取ると口に含んだ。


(なんか苦い)


 紙パックを戻すと、気を取り直してミネラルウォーターを口に含む。


 ベッドの縁に座り、前髪をかき上げる。


「ああ、きもちわりい」


 少年のような声で遊子はつぶやいた。






「どうしたの? 電話なんかずっと見て」

「いえ、なんでもありません」


 遊子は携帯電話をポケットにしまうと、和食定食をつつく。煮物は少し甘いが、海老しんじょのお吸い物は美味しかった。贅沢をいえば、醤油は薄口にしてもらいたい。


 今日は雨だったので、昼食は食堂でとることにした。

 遊子だけならば、ごった返す昼時の食堂に行こうとは思わない。だが、輝く黒目がちの目で、「かつ丼、食べたい」と、朔也さくやに言われようものなら、うなづくしかなかった。


 購買で一度、がっかりを味わっていた朔也は、どんぶりに半熟卵でとじられたカツと玉ねぎを見るなり、楽しそうに身体をくねらせた。それよりも、ワンコインでおつりのくる価格に驚いていたが、支払方法が学生証を使ったカード形式なので肩ががくんと下がった。どうやらこのセレブは、B級がお好みらしい。


東都学園自治区内では、基本、学生証をクレジット代わりに使うようにされている。表向きは、未成年者の多い東都自治区で、不適切なことに現金が利用されないためということだ。以前、薬物が自治区内でさばかれていたことがあったらしい。世間知らずの金持ちのぼんぼんはいいカモだったのだろう。

それもあるが、実際は、学園中にある監視カメラと一緒、生徒の動向を探るためだと遊子は思った。


 学生証の利用履歴を見れば、どんなことをしたのか予想はつくし、財布代わりのものなら私服でも肌身は外さず扱うだろう。それを観測すれば、自治区内のどこにいるのかすぐにわかる。

 どおりで、遊子の実家が東都学園なら、寮生活を許したわけだ。


 この学校に、プライバシーなどという言葉はないのだ。


 東都学園では、一般入試組と言われる、比較的、健全な経済観念を持つ生徒たちもいるため、かつ丼といった比較的安価なメニューが多数ある。一部の心無いものたちに「豚のえさ」などと揶揄やゆされているが、それをやんごとなき皇子がおいしそうに食べているので、周りは不思議そうに見ている。


 値段は安価だが、材料は他のものと変わりないものを使っているらしく、カツは箸ですんなり切れた。最悪、具材を細切れにする必要があるかな、とナイフとフォークと小皿を用意していたのだが、杞憂にすぎなかったらしい。


 遊子はもう一度、ポケットの中に入れた携帯電話を取り出したが、着信の気配はなかった。


 二週間、祖父からの定期連絡は途絶えていた。






「はい、いつもどおりです。あっ、ちょっとお聞きしたいことが」


 夜八時の母の定期連絡のついでに、祖父のことを聞く。


「特に何もないですか。わかりました」


 祖父はいつもと変わらず仕事をしているらしい。

 父に権限の多くを渡したとはいえ、東雲しののめの当主として、グループの会長として暇というわけではない。

よく考えれば、入学してから毎日、遊子のもとへ電話をかけてきていたほうがおかしいのだ。弟が生まれた今、遊子に跡取りの意味はないのだから。


 母が、朔也と一緒にいるときに電話をするのは失礼だと、遠慮しているのかもしれないと言ってくれたので、そのように思うことにした。


 不思議なものだ、わずらわしかった監視が少しでもゆるくなると、途端に不安になる。

 まるで、自分がそれすら必要のない人間になったような錯覚におちいる。人間とはつくづく我儘にできている。


 遊子が生まれたときも同じように思っていたのだろうと考えると不安になるのだ。

 眼も開かぬ、生まれたばかりの赤子を、家には必要のない生き物として見ていたのだろう。


 でなければ、祖父が父にあれほどしつこく愛人を囲うようにすすめたりしないだろう。弟が生まれるまで、どれだけ母が焦燥にかられたのかわからない。

 いっそ父も煮え切らない顔で母と祖父を見比べるくらいなら、さっさと二号さんを作ってしまえばよかったのに、と遊子は思う。芸者遊びの延長だといえば、母も怒りはするが許してくれるだろう。男とはそういうものだと理解しているはずだから。


 携帯電話を充電器につなげると、珍しく遊子はテレビをつけることにした。電源を入れるどころか、コンセントを入れたのも初めてのような気がする。とりあえず気を紛らわすことができればいい。


 いきなり、初期設定画面が広がり、遊子は首をひねった。唇を尖らせながら、テレビ棚の下を覗き込んで、取扱説明書を探す。ビニール袋に入ったままのそれをとると、中身を確かめる。


 遊子は目次を開いて初期設定のページを見ること数秒、絨毯が敷き詰められた床に、取説を投げつけた。


(明日、ラウンジに運び出そう)


 遊子が充電する携帯電話は、若者向けの多機能のそれではなく、高齢者向けのシンプルなものである。

 華美なものを嫌う傾向は、電化製品の機能にまでおよんでいた。


 けして、機械音痴ではない。






 いつもどおり、教室に早く到着すると、珍しくクラスメイトたちが話しかけてきた。


「朔也さまってどういうひと?」


 とのことである。


 本人に直接聞けばいいといったら、顔を見合わせて笑いあう。


「そんなことできるわけないじゃない」


 朔也が転校してきて半月、ようやく遊子を介して接触を試みようとしているようだが、先は長そうだ。

 西の皇に比べ、東の皇はまだ人間として扱われるきらいがあるが、それでも雲の上の人間らしい。西に至っては、神事を司ることから時に生き神として扱われる。


(話せば、俗っぽいことがわかるのに)


 見た目が完璧だけに、まことに残念なことだ。


 遊子が適当にあしらっていると、朔也が現れる。

 楚々とした雰囲気に皆がゆっくりこうべを垂れる姿に、遊子は形だけでも真似することにした。






「朔也さま」

「ん、どしたの?」


 携帯端末をいじりながら、朔也が答える。周りには生徒はほとんどいない。


 授業は五時限目で終わって、ホームルームも終わっている。毎日、校舎には清掃会社が来るので、掃除をしなくてよい。

 教室の四隅にはいつも盛り塩がされてある。これも、朔也の指示で業者が行っているのだろう。


 学園内が外に比べて、澱みが少ない理由である。


「いえ、なんでもありません」

「ものすごく、気になる言い方をするね。君は」


 祖父のことを聞いても意味がないだろうと、遊子は言うのをやめたのだが、ぐいぐい近づいてくる朔也には勝てそうにない。

 かいつまんでそのことを話す。


「なんだ。それなら、普通に自分から連絡すればいいんじゃない?」


 朔也は、至極あっさりともっともな返答をくれた。

 遊子にだってそのくらいわかっている。


「それができたら、苦労はしません」

「そうだろうね。うちもそうだからね」


 互いに複雑な家庭事情にため息をついた。


 なんだか、人付き合いの下手な自分が、付き合いづらい人間のはずの朔也に慣れてしまった理由がわかった気がした。

 自分と同じ境遇を持つというのは、それだけで親しくなれる条件なのだと思う。



○●○



「あっちはあぶないよ」


 幼馴染の袖を引っ張る。精いっぱい声をだしたつもりなのに、かすれるような声しかでない。


「だいじょぶだろ、行こうぜ」


 怖がる理由のわからない幼馴染は、勝気な顔で奥へと進んでいく。

 霧が深くかかった森には、この世ならざるものたちが漂っていた。

 自分にだけ見えてしまうことが、もどかしい、なぜ、わかってくれないのだ。


「そっちはだめだ」


 足がすくんで動かない。

 それ以上、奥にいってはいけない。


「帰れないだろ?」


 つかんだ手を払いのけ、自分を置いて奥へと進む。


「だめだよ、行っちゃ」

「お前だけで帰れよ」


 自分を置いて走る。いつも通り追いかけることもできない。恐ろしい魔物のあぎとに自分から身をゆだねることはできなかった。

 ただ、臆病だった。


 恐ろしくて、恐ろしくて。


 のちに、これを後悔した。

 取り返しのつかないことになった。


 こうして、二つ年上の幼馴染はいなくなった。


 




 ひどい寝汗をかきながら、総一郎そういちろうは、寝台から起き上がった。


 悪い夢を見た。


 忘れようにも忘れられない、取り返しのつかない過去の夢を。


 幼い総一郎を責める大人は誰もいなかった。

 ほんの五つの子どもよりも、動向を見守っていなかった女中の責任のほうが重かった。


 それでも、自分の罪悪感は消えるはずもなく、そして、忘れることも許されず、時折、ああして夢の中で繰り返す。


「畜生」


 総一郎は拳を壁に打ち付ける。


 十六年経った今も、自分の無力さにふがいなさに、情けなくなってくる。力をつけるために、何でも、誰であろうとも利用しようと思ったのに。

 それなのに。


「なんで、あいつまでここに来るんだ」


 立てた膝に額をのせて、つぶやいた。



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