第19話 呂布との試合5
想わぬことが起こった。俺が乗るべき呂布の腕もなければ、その持っているはずの戟もなかった。そして、見えるは背中。
こいつ、本当かよ。
呂布は試合の中で敵に背中を見せるという、本来あるまじき行いをして、俺の裏をかいたのだ。
俺が地に降り立つまでのなんと長いこと。それまで俺は何もできぬ。そして着地すらかなわず、俺は反対側から繰り出される太い腕に吹っ飛ばされる。間合いを詰めておった分、武器で横殴りされることはなかった。それだけでも幸いか。
呂布がなしたは、一端、右殴りに戟を振ると見せかけて、そこで反転しての左殴りであった。
俺はまだ意識があり、どうやら、致命傷ではなかったようだが、地べたに仰向けにひっくり返っておった。立ち上がることもできぬ。これで、勝負有りだろう。誰の目にも明らか。
そう想うも、俺を見下ろす呂布が、やがて、その巨大な戟を振り上げる。
俺、死ぬのか。
「いやいや、てっきりそなたは殺されると想うたぞ」
丁原様の豪快な笑い声が夕焼け混じりの空に響き渡る。
「笑いごとではありませぬ。まったく呂布の奴。我に叱られると想うてか、早々に姿を消しおった」
あのあと、戟は俺の頭からだいぶ離れたところに振り下ろされたのだった。どうやら、殺す気まではなかったらしい。それから、なぜか、俺への弟子入りを請うて来た。俺がすぐに返事できずにいると、あきらめたのか、呂布は去った。
「あいつは、こうと想ったらしつこいぞ。のう。クランや」
相変わらず上機嫌な丁原様が言うは、恐らくそのことだろう。
「まったく、何が楽しいのやら」
とは奥方。ただ、その口ぶりとは裏腹に表情はほがらかである。その細長い手指が、猩猩殿、俺、ペロの順で各々の額に油――恐らくバターであろう――を塗ってくれておった。己への仕えを認めたお祝いとして。
ペロはその額の油を舐め取らんとしてか、その舌を上に伸ばしておる。いや、猫並みに小さいその舌では、どう、あがいても無理である。鼻の頭にさえ届いておらぬ。
やがて、奥方は丁原様より革袋を受け取ると、その中のものを飲む。それから、猩猩殿から回そうとしたが。ペロが身を乗り出す、それどころか、すり寄せたので、仕方ないとばかりに、そちらへ差し出す。
それをグビグビ飲んだあとの、「すっぱーい」との嬉しげな声が、夏草を揺らす風に乗ってどこまでも伝わって行くようであった。




