第二章
両腕両足を切断され、腹部が裂かれて内蔵が垂れているというのに、髪の長い少女は生きていた。
入眞は仮面をつけた人型の姿の存在を身体から出現させた恰好で、スタジオでその前に立っていた。
仮面の男が指をさすと、少女の切開された腹部に様々な花が咲いて垂れた内蔵に絡みついた。
首のまわりにも花を配置して、彼は一息入れた。
初めの裸の上体からゆっくり解体していったものを動画にし、色あいを加工する。
依頼者の作曲者に提供するpVだった。
仮面の男が指を回すと、少女は猛炎に包まれた。
一瞬にして灰と化し、空気清浄機が全力で稼働する。
鹿等入眞は作品が出来ると、早速依頼者に映像を送信した。
「どれぐらい集まった?」
衛星間に作られた山の中だ。
ログハウスがぽつりと建っている。
明かりはランプだけ。
照らすのは真下にある、厚い樹でできたテーブルだった。
小柄で少年のようなセリムは、ポテトのサラダに、エビの殻を入れて出汁にした白菜とミートボールのスープ、水餃子の皿をそこに並べていた。
席に座り、ふやけたような表情でジンを生でタンブラーに入れた髪の長いラウは、その香りを堪能しつつ、んーと唸る。
「まだ始まったばかりだね。事件自体は把握してないけど、起点は四件かな」
「まぁまぁじゃん」
「でしょう?」
ラウは酒で熱くなってきたため、セーターを脱いで床に捨て、キャミソール姿になった。
「……こーら、良くないよ? これからご飯でしょ?」
セリムは頬を膨らます。
「もう、これだけで十分だと思うんだよねぇ」
ラウはそれには答えず、話を進める。
「それだけで影響あるんだ?」
座ったセリムは、早速スープから口にする。香りが鼻腔をくすぐり、彼女は自作の料理に合格点を与える。
「損傷率から言って、それぐらいが最低限度で最大限の効果ってやつだね」
ラウは水餃子を口に含んでジンと一緒に飲みこむ。
「じゃあ次はそれに介入だね」
「そういうこと」
「こちらを捉えている奴はどうしたの?」
「把握してないけど、どこかに行った」
「適当だなぁ」
セリムは苦笑する。
「しょうがないじゃん。こっちは巻き込み集めるので手一杯なんだから」
今度はラウが不満そうに言う。
「まぁ、いいけどね」
セリムは頷く。
「ああ、衛星打っておいて」
「今食べてるでしょ」
「あたしは飲んでるし」
もーっと、セリムは恨めし気にラウを上目遣いに睨み、ポテトのサラダを一つまみ口に入れるとテーブルから離れた。
ログハウスの壁に付けられた星成炉に向かう。
ディスプレイには、ラウとセリムの損傷率が描かれていた。
ラウ、五十二パーセント。セリム、六十七パーセント。
まだ時間はある。
整理した後に、衛星を造り出して空間に打ち上げた。
次にそれが狙う衛星を決めた。
№44である。
最も最後に捉えた衛星だった。
もっともネットワークを持ち、その癖、重ねているセキュリティは一見堅そうだが、解析すると甘いところがある。
「一緒に行こうじゃないか……」
ショートカットのセリムは、ランプの光の届かないところで影となり、呟いた。
羽端が打ち上げた衛星からの映像だった。
彼は、東池袋にある三階のワンルームの自宅で「スクリーン」を眼前に広げていた。
絶句していた。
その少女は彼の知り合いだったのだ。
遡来乃ひなの制作メンバーだ。
名前を都羽璃譜。十八歳。
二年ほどの仲だ。
彼女は両手両足を切断されて、腹部を開かれた姿を花で飾られていた。
その演出はあまりにも生々しい。
使っている動画主は売り出し中の歌い手「侘都」だった。
冷静になろうと、一旦スクリーンをそのままにソファから立ち、冷蔵庫からπ9を取り出す。
余計な力が入って指がプルを引っかけられない。
思わず舌打ちする。
サテライト・アエティールを使い感情と意識間に壁を造り、人為的に乖離状態を作り出す。いつも使っている人格モードだ。
これで、通常通りの浮世離れしてぼんやりとした羽端に戻った。
新規のメールが来ているのに気付く。
送り主は、遡来乃ひな制作メンバーの一人だった。
『遁暮会が目を付けてきた』
相手は歌舞伎町で半グレをしている男で、その筋に詳しい。
遁暮会は数年前に池袋と練馬区で統合された、闇コミニュティである。
暴力部門と集金部門、経営部門に営業部門がそれぞれ異常特化した新しい形の組織だ。
『組織そのものから?』
羽端は返信を送る。
『中に一部の過激派グループがいる。星を使える連中だ。そこが嗅ぎつけてる』
すぐに返答が来た。
『処分できる?』
『難しいな』
『わかった』
羽端は伸びをした。
状況を整理したかった。
遁暮会の一部は、自分たちの何に喰いついてきたのか。
打ち上げた星が、予想外のものを誘っていた。
羽端は計画を立ててその範囲で動いていたつもりである。
こうも不測の事態が続くのは、明らかに何者かが自分たちに関わってきている証拠だ。
また星を打ち上げるか。
情報の収集が必要だ。
頭に浮かんだのはサンシャインシティだった。
池袋にロゼッタ・ストーンが集中的に落ちてきたのは、明らかに人為的だと憶測していた。
なにしろ、数が異様なのだ。
インターフォンがなった。
監視カメラの映像がサテライト・アエティール経由で頭の中に浮かぶ。
コートにスーツを着た、落ち着いた青年だった。
笹耶だ。
直接尋ねてくるとは、珍しい。
だが、羽端はふと思い敢えて居留守を使った。
耶杜はしばらくドアの前に立っていたが、諦めたように去っていった。
羽端はトイレのタンクの下に張り付けているリヴォルバーを手にして、シリンダーの弾丸を確認していた。
ベランダの隙間からその上空に飛ばしていたサテライト・アエティールが反応する。
羽端はリヴォルバーを向け、現れた人影に躊躇なく引き金を絞った。
ガラスが割れ、影の一部が吹き飛んだが、そのものは軽く揺らいだだけだった。
星製物。
衛星間に産まれる、通信間派生現象だ。
通信間に派生するという特徴のもと、ある条件により発動する情報塊の環境反応物でもある。
百六十センチほどで細いが引き締まった均衡のとれた身体で、光りを吸収するような真っ黒な影の姿を取り、全身に白い格子状のラインが引かれている。
通信間というものには、それを見る者が起点とされる。
つまりは、羽端の視界にいるこの星製物は彼の環境に反応して起想されたものでもある。
意識を乖離させたのが失敗だったかと、羽端は自分に呆れた。
当然、通信間である以上、介入してきた本人がいる。
星製物の人影はゆっくりと室内に侵入してきた。
その周りは微かな煙を上げて自分の周りに濃い異臭をまとい気泡を発し、辺りを高速に腐敗させて行った。
伸ばしてくる手を、後ろに跳ねて玄関に背を付けて距離を取る。
銃弾で対処できる相手ではない。
腐敗物。
星製の正体のレシピは辺りを腐敗させるものだ。
璃譜の映像の影響か。
根が羽端の環境関係とその記憶物質にあると気付いた。
羽端はそのままドアから外に出て、階段を駆け下りながら、部屋の外に置いていたサテライト・アエティールを侵入させて、ガスコンロの火を点火させた。
ドアと窓という窓が吹き飛び、部屋は大爆発のなかに砕け散った。
その中から、煙を発しながら星製物が廊下に出てくる。
サテライト・アエティールが高速で彼の元に戻ってくる。
軽く息を吐く。
星製物は、羽端の部屋ごと吹き飛んでいた。
「……あーあ。あんた見てた中で過去一派手だったわー」
そばに施樹が立っていた。
「……見てたなら、どうにかしてくれても良かったんでないの?」
「怖いもん」
π9の缶に、コンビニで買ったであろうスナックを脇にして口に放り込みながら、当然だという顔をしている。
「わかるわー……」
思わず納得してしまう羽端。
「ガス爆発でもしたの? ドジだねぇ。ところで、詫都のpⅤ観たよ。璃譜だよね?」
突然、知っているかのように聞いてくる。
結果しか知らないなら、教えることもないと羽端は思った。
「それで、家行ったけど、空だった。財布もカードも携帯端末も隠してたところに置いてあった。これらもたずに外に行くって考えられる?」
施樹は続けていた。
「知り合いが来てさらったか」
「だと思う」
「家の中の様子は?」
「ゴミがまだ捨てられてなかった。食器も洗う前だったね」
「男相手じゃないねぇ。多分知り合いの女が来たあと事故で意識を失って仲間が来て運んだ、かな」
「事故?」
「計画的なら、携帯端末は持っていくよ。それぐらい慌てて、考えが及ばなかったってことじゃない?」
施樹は何も言わないで、しばらく黙った。
携帯端末を手にとって操作する。
その間、あきらかに羽端の言動を圧していたので、彼は大人しくしていた。
「……とりあえず、連絡先が一番新しいのは笹耶杜なんだよ」
「連絡を入れた先じゃなくて、来た連絡先は?」
「渡師舞って人だね」
「聞いたことないな」
「なら耶杜のところ行くしかないんじゃない?」
施樹の言葉に、羽端は不満そうだった。
だが、それでも頷いた。
「行ってみるか」
耶杜は埼玉県の大宮にある南銀座通りの外れという人の行き来が少ない場所の飲み屋を指定してきた。
池袋から電車で一時間半。
地元から離れるのは、羽端にとって足元を引っこ抜かれるような気分である。
約束の時間に店に燈堂という名前の予約を伝えると、テーブルまで案内してくれた。
スラックスの上にロングパーカーを着た髪を後ろ手に撫でた三十絡みの男が、一人で席に座り、焼き鳥をつまみにハイボールを飲んでいた。
帽子を被ったロングTシャツ姿の施樹と、青と白のラインの入ったジャケットにハーフパンツ姿の羽端はそれぞれ、無言で耶杜の前に腰かけ、ビールを頼む。
「移動すんの、速くないっすか?」
羽端は半ば呆れたように口を開いていた。
耶杜は鼻で笑う。
「俺だって巻き込まれたくないしな」
「じゃあ、あんたどこまで知ってる?」
間髪を入れない間で軽く顎を浮かす羽端。
耶杜は背もたれに体重をかけた。
「……『古深名』というプロジェクト名がある」
まどろむような口調だった。
その目は、二人に注がれているようで、別のところに焦点を当てていた。
「まず発見したのは、天文屋。そしてそいつらが持って行った先には物理学者とコンピュター技師。連中は正規の発見と躍起になった。とんでもないものを掘り当てたとな」
「何の話?」
遮ろうとした施樹に軽く手を向けて、制す。
「情報塊だった。それは古い孤立したAIで、自らのフィールドバック機能を持ち、独自な生命と言って良いものを造っていた。当然、『意志』がある。コンタクトを試みたエンジニアに、そいつ(・・・)は言った。『貴様らを産んだ覚えはない。どこから来たバグだ?』笑えないか? 俺らはそいつから見たら異物の虫けらだったんだよ」
「特に笑えないっすねぇ」
おかれたジョッキを軽く口元で傾け、喉を鳴らした羽端は続きを待った。
「おまえ喰らっただろ? 訳の分からない情報塊。ロゼッタ・ストーンのカバーの裏でおこった襲撃を」
「腐敗物のことです?」
「腐敗要素は何かの影響だろう。そういうシステムを使った何かだ。古深名のモノ」
「……π9でもODしました?」
「そうだったらおまえも楽だったろうにな」
また耶杜はせせら笑った。
確かに羽端は襲撃されたのだ。
何も言えずにいる彼に、耶杜は続けた。
「それを利用してる奴がいる。ホンボシはそいつだ。古深名とかいう訳わからんもんなんてどうでもいいんだわ、正直」
「そういう話ならまだマシで納得できる」
羽端が言う脇で、耶杜の目の前の皿から、施樹が焼き鳥の串を一本取って口に入れる。
「ただ面倒なことに、目の前に出てくるのは、古深名だ。そいつは世界であり、生物であり、派生物の一部の名称でもあるんだけどな」
「いっしょくたにしたら、混乱するでしょうに」
「それ以外の呼び方が決まってない。名前はまだ無いんだよ」
「……鬱陶しい」
施樹はつい呟いていた。
「同感なんだわ」
耶杜はうなずいて、ハイボールを飲み込む。
「見つけてくれてありがとうとか言う奴の存在しない世界へようこそ。奴は見つけてもらった俺たちを虫けら呼ばわりした。たかだか情報塊でしかないモノがな」
彼は軽く首を傾け、皮肉気に笑んだ。
「何でそれを無視しないの? 関われば関わるほどヤバくなるなら蓋しめて放り投げればいいのに。そしたらクリアに裏の奴とか言うのも見えるんじゃないの?」
「一度関わっちまった以上、むこうが過剰反応しだしたんだ。無視とか決め込んだら、何が起こるかの予想もできん。いいか? 古深名は自称の自己認識じゃ、創造者なんだよ」
施樹の疑問は一蹴される。
「アーメン」
羽端は軽い調子で合わせる。
「全て彼により頼む者は幸いなり」
半笑いの耶杜も答える。
「誰に頼むのさ?」
羽端は苦笑いして言うしかない。
「遡来乃ひながいるじゃねぇか?」
つまりは、耶杜に彼等を逃げさせる気はさらさらないということだ。
「ホンボシとか言うのを捕まえたら?」
「古深名を突いてるのがホンボシだ。それが出来たなら、古深名は俺たちに無視を決め込むだろうよ?」
「結局そこに行きつくのか」
「おまえらが誰の恨みを買ったのか全く知らんがね。教えて欲しいくらいだ。おまえらを飼ってるってのに、役に立たねぇから参ってる。挙句に遁暮会に目を付けられてるしな」「下手打ったつもりはないんだけどねぇ」
羽端は小さな溜め息交じりに答えた。
「下手打った奴は大抵そう言う」
耶杜は辛辣だった。
どっちにしろ、羽端は耶杜の言う通りにするしかないらしい。
古深名を利用している、裏の人物を特定し耶杜の前に引きずり出す。
そういう風に自然に流れができた。
「とりあえず、怪しいのは誰っすか?」
羽端が軽く身を乗り出す。
「渡師舞という男だ」
「ああ……」
璃譜に連絡を入れてきた人物だ。
「悪いが、すぐに池袋に戻ってくれ」
「そうしますよ。ここは居ずらい」
羽端は残ったビールを飲み干した。
日本刀を腰に履いた青年が二人を駅で迎えた。
長髪をポニーテールに、エスニック系の服装をしている。
目立つようで、不思議に周りに溶け込んでいた。
迦那師施葉という二十一歳の青年だった。
歌舞伎町で自警団をやっている、遡来乃ひな制作メンバーの一人だ。
「仕事は?」
「地元に火を付けられて黙ってられるか」
師施葉は羽端に感情のない口調で答えた。
「まぁー、うち等の管轄まで出張ってきてるからねぇ」
羽端は何とはなしに耶杜のことを口にする。
「……そりゃ、自分に関係あるから出てきてるんだろ」
「マジでそうらしいから嫌になるんだわー」
「ところでロゼッタ・ストーンがやたら落ちてきてるらしいな?」
衛星間情報塊。
それは情報通信間で溜まった記録物であり、デリートされたときに圧縮化され、ゴミとして地上の重力に負けて大気圏を突破落下してくるものだった。
ただ落ちてくるなら良いが、圧縮データが個人のサテライト・アエティールに影響を及ぼす。
当初は認識されていなかったものだが最近になり、人によっては幻覚よりも酷い現実認識症状の欠落をもたらすものと医学界と情報エンジニア界で取りざたされている物であった。
遡来乃ひな運用時に使っているデータソースでもある。
「ロゼッタ・ストーンの集中落下と、アストロノミカ計画の推進開発が比例しているんだわ」
「……それか。耶杜が喰いついてきたのは」
「そうだね。情報が欲しいらしい。いずれにしろ、うち等の事件には関わってくるだろうけど、ついでに面倒ごとまで頼まれたよ」
「良い人ツラするのもいいけど、変な噂しか聞かないぜ、あいつ」
「パパとか呼んでみたほうがいいかな?」
「やめとけ」
「まーそんでね、サンシャインシティで星成炉を造ることにしたのよ」
施樹が脱線しがちな羽端の考えを代弁した。
「今あそこは遁暮会が暴れてるぜ?」
「だから来たんでしょ? 頼りにしてるよー」
羽端はすっとボケているかのような表情だった。
一瞬の間をおいて、師施葉が軽く息を吐く。
「……ホント、何でコイツ刺されねぇんだか」
ボソリと呟く。
「違うの?」
羽端は態度に疑問形を丸出しにした。
「……当たりだよ」
悔しそうに師施葉は軽く羽端を殴るフリをした。
施樹の方は、やれやれという様子である。
時折、無遠慮に相手を見透かした態度にでることがあるのだ、羽端は。
やられた相手がプライドが高かったり、意地になりやすいタイプだと、猛反発を起こさせてしまう特徴だ。
だが今のところ、そういう目に合ったところを施樹は見たことがない。
もしかしたら、羽端は相手を選んでいるのかもしれないと思った。
三人はその足でサンシャインシティに向かった。
午後も夕方になっている時刻である。
会社帰りや遊び足りない連中でやや、人通りが多かった。
コンビニでπ9を買い込み、ビルとビルの合間にある狭い空間に入った。
π9で乾杯して半ば意識を覚醒状態にした彼等は、中央演算機を、辺りに張り巡らされたネットワーク間に接続した。
衛星界への経路を造り出し、そこに上げるデータを星成炉内で構築する。
規定レシピ通りに素材を混ぜ合わせて。
準備が整うと、羽端がシステムを走らせた。
施樹と師施葉には意外なことが起こった。
辺りの未処理データが星成炉に集まりだし。衛星間に放出されていったのだ。
「……大丈夫かよ? つか、何だこの情報量……」
師施葉が不安がる。
「ここは元々第二次世界大戦が終わった時、日本の戦犯を収容した巣鴨プリズンってのがあったところでね」
羽端が何とはなしに捕捉的言葉を伝えてくる。
星成炉からぼんやりとした光球出現し、辺りの淡い光を幾筋も光りを回転させるようにまといながら空高く舞い上がって行った。
「大鎌を持った殺人鬼って、もしかしたらその象徴?」
唐突に施樹が頭に浮かんだ事を聞いてくる。
「流石わかってらっしゃる。ここは沈殿する情念の塊があるスポットなんだわ。で、今更巣鴨プリズンなんかに思い入れしてる人なんて一握りだろうから、発動させる『場』として使ってるってところじゃない?」
「あのさ……ノイズ多すぎじゃない?」
施樹は笑いを引きつり駆けそうになっている。
衛星間の情報のやり取りで、それぞれが一時的混乱をきたしているのだ。
サテライト・アエティールを思路補正として使っていたなら、確実に頭の中が迷子になる量だった。
「……動きがある。意外と早く察知された」
師施葉が呟いた。
彼の衛星は反射率に特化していた。思路補正にはほぼ使われていない。
なので、それぞれが発するモノに対して敏感に反応できる。
彼等の目の前で、空間が歪んだ。
正確には、共導視覚野に何かが侵入してきた。
ゆっくりと、それは人間の姿を取る。
サイドアップの髪は反対側で三つ編みにして全体的にショートカットである。瓜型の顔には、挑発的な据えたような三白眼に小さな口が笑んでいた。ハーネスをしたワンピースにジャージを羽織り、広い裾から絆創膏だらけの細い脚が伸びて、ブーツを履いていた。
「……だれか、起動したか?」
施施葉が腰を落としていた。
「いや、動かしてない……」
口だけ歪め、羽端が答える。
施樹もうなづく。
目の前にいたのは、「遡来乃ひな」だった。
『よー、おまえら。こうして面と向かうのは初めてだね』
「誰だよ……?」
羽端は軽く睨みつつ、今あげた衛星から情報を集める。
ヒットした。
歩道橋の下で見た男と、衛星周期が一致した。
そのまま相手の正体まで突き止められるかと思ったが、寸前で相手の衛星が消滅した。
ダミー衛星か。
捉えたのはあの、スーツの男。
だが何故、ここで?
『……わかるだろう? おまえらは私をみつけちまったんだ。おまえらみたいにネットワーク間に他人事を放り投げて無責任に笑ってるよなのが、俺をみつけちまったんだよ』
羽端は息を吐く。
地雷じみた奴を踏んだか。
師施葉が飛んだ。
細長い包みの中から、街灯に輝く白刃が抜かれる。
「遡来乃ひな」はバールを手に出現させて、師施葉の一閃を弾く。
物理化、ではない。物理現象化、だ。情報体に情報体を反応させて、当然の結果が出るようにしてあるのだ。
師施葉の刀にはそれが仕込んでいた。しかし、相手がこれほどまで早く適応するとは。
乗っ取った直後にここまでできるとは背後にいる男は相当、情報物理に通じている。
「……で、どうしよっての?」
後ろで、冷静というにはさらに力を抜いて、星成炉傍に座った羽端がゆったりと聞いた。
「おまえらを造ったのは私だ。それが、好き勝手に世界を喰い散らかしてくれてるじゃないか。放って置けるわけがないだろう?」
この間、師施葉は隙をみて「遡来乃ひな」の脚や首を狙い斬撃を加えるが、バールを持った手首の動きだけで全ていなされていた。
施樹が、星成炉の機能を一時停止させた。
「遡来乃ひな」の姿に一瞬ノイズが走る。
彼女は舌打ちした。
その後、「遡来乃ひな」の姿が描き消える。
「良い機転だったよ、施樹」
やれやれと、空に顔をやりながら彼女に目をやる。
「ぼやーとしてるから。基本中の基本でしょ?」
施樹は鼻を鳴らして飴玉を舐める。
師施葉は刀を収めつつ、何か考えている風だった。
「……耶杜に会いに行く。トンボ帰りだけどね」
もう、めんどうくさいとか言ってられない。
「俺も行こう」
師施葉は感情のない声に戻っていた。
羽端は頷いた。




