表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
畑とご飯と千年魔女。のんびり田舎ぐらし  作者: Y.K


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/38

千年魔女の小さなため息

夏の夕暮れ。

いつもは穏やかで頼れる“千年魔女”セレスが、ふと見せる小さな弱さ。

弟子のライルはその姿に戸惑いながらも、「支えたい」という気持ちに気づいていきます。

畑の土は、昼間の陽射しをたっぷり含んでまだ温かかった。

鍬を置いて腰を伸ばすと、遠くで蝉がじいじいと鳴き、夕暮れの橙がゆるやかに空を染めていた。

クロは草むらにごろんと転がり、舌を出して息をついている。

「……お前、昼間はしゃぎすぎだ」

笑いながら耳を撫でると、「わん」と眠たげに尻尾を打った。


そのとき、家の方から湯気のように香草の匂いが漂ってきた。

セレスが夕餉の支度をしているのだろう。

俺は土を払って立ち上がり、扉を開けた。


「ただいま戻ったぞ」

声をかけると、台所に立つセレスがこちらを振り返った。銀髪が夕陽を受けて淡く揺れる。

「おかえりなさい。野菜は十分に取れた?」

「トマトもナスもばっちりだ。籠いっぱいだぞ」

答えながら近づくと、彼女の指先が少し震えているのに気づいた。


「セレス……大丈夫か?」

問いかけると、彼女はすぐに笑みを浮かべた。

「ええ、大丈夫。ただ……ちょっと疲れただけ」


その声はいつも通り落ち着いているのに、どこか遠くを見ているようで。

俺は思わず足を止め、胸の奥に小さなざわめきを覚えた。


鍋の中では、刻んだ野菜と豆がことこと音を立てていた。

香草の爽やかな匂いが漂うのに、不思議と部屋の空気は少し重たい。


セレスは包丁を置き、深呼吸をひとつしてから窓辺に腰を下ろした。

夕暮れの光に照らされた横顔は、いつもより白く見える。

「千年も生きているとね……ときどき、目に映るものが全部“過ぎていった日々”に重なってしまうの」

ぽつりとこぼした声に、俺は言葉を失った。


子どもたちの笑い声が外から響いてくる。

収穫したトウモロコシを抱えた少年が駆け抜け、クロがそれを追って「わん!」と元気に吠えた。

その賑やかさが窓の外に広がっているのに、ここだけ別の時間のように静かだった。


「忘れたいわけじゃないの。ただ……笑顔も別れも、積み重なりすぎて」

セレスは膝に指を絡め、少し肩をすくめる。

琥珀の瞳が揺れているのを見て、俺の胸に痛みが走った。


俺は鍬を持つときよりもぎこちない手つきで、籠から野菜をひとつ取り出した。

「……今日は、俺が切ろうか」

差し出したトマトが妙に赤く見えた。


セレスは驚いたように目を見開き、それからふっと笑った。

「弟子に台所を任せるなんて、初めてかもしれないわ」

その笑みは確かに弱っていたけれど、どこか救われたようにも見えた。


俺は慣れない手つきで包丁を握り、トマトをざくりと切った。

果汁がまな板に広がり、赤い滴が指先を濡らす。

「おっと……」

思わず声を漏らすと、背後からくすくすと笑い声が聞こえた。


「大丈夫。形が揃わなくても、煮込めば同じ味になるわ」

セレスがゆっくり立ち上がり、俺の手元に布巾を差し出す。

その指先はまだ少し冷えていた。


「ありがとう」

布で拭いながら横目で彼女を見ると、わずかに肩の緊張がほどけているのがわかった。


外では子どもたちが「クロが勝った!」と歓声を上げていた。

どうやら押し相撲ごっこで犬相手に競っているらしい。

窓越しに見える光景に、俺も思わず笑みをこぼした。

「賑やかだな」

「ええ。……その声を聞いているだけで、救われるの」


セレスは鍋に火をくべ、俺が切った野菜を受け取ってそっと鍋に落とした。

じゅわっと音が立ち、蒸気と香草の香りが広がる。

その匂いに包まれると、さっきまでの重苦しさが少しずつ溶けていくようだった。


「……俺がここに来てから、暮らしが変わった?」

ふと尋ねると、セレスは驚いたように目を瞬いた。

「ええ。いい意味で、ね。私ひとりでは気づけなかった“温かさ”を、あなたが運んでくれたのだと思う」


その言葉が胸にしみて、俺は視線を落とした。

都会で失ったはずの「誰かと分け合う温もり」が、ここでは確かに形を持っている。

鍋の中でぐつぐつと音が響き、心まで一緒に煮込まれていくような気がした。


やがて鍋の中は、色とりどりの野菜と豆でいっぱいになった。

トマトの赤、ナスの紫、緑豆の鮮やかさに、香草の香りが重なって、部屋全体が夏の恵みで満ちていく。


「できたわ」

セレスが木椀によそい、俺の前に差し出した。

湯気がふわりと立ち上り、鼻をくすぐる爽やかさに思わず息を吸い込む。


「いただきます」

一口すすると、熱とともに酸味と甘味が舌を包んだ。

汗をかいていた身体にすっと沁み込み、火照った心まで冷ましてくれるようだ。

「……うまい。俺が切ったからかもしれないな」

冗談めかして言うと、セレスが吹き出した。

「形は不格好でも、味は変わらないって言ったでしょう?」


その笑い声に、胸の奥の重さがほどけていく。


外からは子どもたちの大合唱が聞こえた。

「もう一回!」「クロの勝ちだー!」

クロが勝ち誇るように「わん!」と吠え、拍手が起こる。

そのにぎやかさに誘われるように、セレスの口元にも自然な笑みが宿った。


「……やっぱり、暮らしっていいわね」

「そう思えるのは、セレスがずっと守ってきたからだろ」

思わず本音が口をついて出た。セレスは一瞬目を伏せ、それから静かに頷いた。


――千年の重さを抱えながらも、こうして笑える瞬間がある。

その事実だけで、今日という一日が報われるのだと思えた。


椀を置いたセレスは、ふと窓の外に視線を向けた。

暮れかけの空が橙から群青へと変わり、子どもたちの声も次第に遠のいていく。

「……楽しい声ね。でも、時々胸が締めつけられるの」

琥珀の瞳が揺れ、肩がわずかに震えていた。


「千年も生きてきたからこそ、知っているの。あの笑顔も、いつかは消えていくって」

ぽつりと落とされた言葉は、湯気よりも儚かった。


俺は一瞬、返す言葉を失った。

村で見せていた彼女の姿は、いつも頼れる“魔女”だった。

だが今目の前にいるのは――ただの人として疲れ、弱さを抱えているセレスだった。


「……セレス」

気づけば名前を呼んでいた。

彼女は振り返り、かすかな笑みを作ろうとしたが、すぐに力が抜けてしまった。


俺は思わず言った。

「それでも、俺は……一緒に笑いたい。分け合えば余るって、エルンストが言ってただろ? お前が守ってきたこの暮らし、俺も背負わせてほしい」


言ってから、自分でも驚いた。

“守りたい”なんて、都会にいた頃の俺には縁のなかった言葉だ。


セレスは目を見開き、それから小さく息をついた。

「……弟子にそんなことを言われるなんて、思ってもみなかったわ」

そして、わずかに口元を緩めた。


その笑みは疲れを隠すものではなく、確かに支えを感じた人間の顔だった。

俺の胸にも静かな決意が芽生える。

――彼女を支えたい。どんな小さなことであっても。


その夜。

片付けを終え、火の残り香がまだ漂う部屋で、俺とセレスは向かい合っていた。

クロは丸くなり、子どもたちの笑い声も遠ざかり、村は深い静けさに包まれている。


ふと窓の外に目をやると、畑の端に小さな光がまたひとつ、ゆらりと揺れていた。

昼間の声と同じように、淡く、呼吸するような輝き。

今度はまるで布のように広がり、風に合わせてひらひらと舞った。


『……ありがとう』

耳を澄ませるまでもなく、その囁きが胸に届く。


「また、記憶が」

セレスが小さく呟く。

だがその声に、さっきまでの翳りはなかった。

「今はね……この村にいることを、心からよかったと思えるの」


光は一瞬、俺たちの方へ伸びるように揺れた。

まるで応えるように。


「俺もだ。……俺なんか弟子だし、って思ってたけどさ。ここにいて、よかった」

自分でも照れるほど素直に言葉が出た。


セレスは驚いたように目を丸くし、それから静かに笑った。

「ええ。居場所は、ここにあるわ」


光はその言葉を受け取ったかのようにきらりと瞬き、夜風に溶けて消えていった。

残されたのは、虫の声とクロの寝息だけ。

けれど胸の奥には、確かに小さな火が灯っていた。


俺は椅子に深く腰を下ろし、窓の外を見上げた。

夏の星が淡く瞬き、風が銀の髪を撫でて揺らす。

――この穏やかな時間を、守りたい。

そう思いながら、俺は目を閉じた。



今回は「セレスの小さな弱さ」に焦点を当てました。

千年を生きる彼女が見せた翳りは、強さの裏にある人間らしさそのもの。

そしてライルが「支えたい」と口にしたことで、二人の距離が一歩近づいた回になったと思います。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ