クラレスティア・エストラック
人物紹介 (本編はこの下にあります)
クラレスティア・エストラック 40歳 身長174cm(推定) 裏組織、カラマクトの女首領 長剣使い
10数年前、領同士の小競り合いの時に、僅かな数で義勇軍を挙げ自領軍に味方し敵兵100余りを長剣1本で斬りまくって勝利に貢献した過去がある
カラマクトの元手はその褒賞金であり、中核は義勇軍メンバーが多い
現在は裏稼業で暗躍する事を生き甲斐している
ネストークの他千に近い手下を養う
クラレスティア・エストラック。
グレンズールーを根城に近隣貴族領を牛耳る裏組織、カラマクトの女首領である。
妖艶な容姿に似合わぬ武闘派で、カラマクト内は言うに及ばず他領の組織からも一目置かれている。
近隣領地に散らした配下は千に及ぶ。
貴族領の騎士隊でも多くて百、王都騎士隊が相手となれば比ぶべくもないが、王国内指折りの大組織である。
その大所帯を喰わせていくのは容易ではない。
規模を縮小するのはせめぎ合う他領の組織との抗争からの脱落、組織の瓦解を意味する。
引くに引けないのだ。
テルクレフト山に発する水の恩恵を受けるグレンズールー台地は、王国内有数の穀倉地帯だ。
つい先日のこと、折からの時ならぬ大雨で崖崩れがあった。
あのファーストル脇の街道はこれまでも何度か崩れていた。
だが今回の崩落はこれまでにない規模で、物価の低い王国東側への移送が滞るのは単価が上がりむしろ収益は増える。
それはこれまでもあったことで、収穫物はダブつくが組織としてはありがたい。
崩落の規模もさる事ながら、容易に人を近づけないロックゴーレム3体には領兵と言えど対処する術はない。
それ故に価格高騰の継続を狙った一手があのロックゴーレムの召喚だった。
ところがだ。
誰にとっても危険なロックゴーレムを討伐しただけでなく、崩落箇所を通行可能にまでしてしまった者がいると聞けば、調査するのは当然だ。
崩落箇所にはなんとトンネルが出来ていると報告が上がる。
続報で崩れた畑の縁が固められ、排水路が作られたと言う。
ちょっと意味がわからず、自身で馬車を仕立てて見に行ったほどだ。
ロックゴーレムは影も見えない。
崩れたと言う斜面はすっかり形が変わっている。その上、その表面が一枚岩で覆われたようになっている。
トンネルと言うのも岩を彫り出し磨きまで掛けたかのように揃った内腔が、2百メルキ余りも続く。
崩れたはずの畑は昔と比べかなり狭くなっていた。
が、毎年の雨の時期には削られ崩れ、表面の肥えた土が流されと、問題の多い土地だったがこれと言った対策もなく、せいぜいが要所に打った杭で木柵を並べ、集まった水の向きをいくらか変える程度。
それがどうだ。
台地の上流から流れ下る水を畑の手前で深い溝によりいったん大きく区切り、しかもそこに溜めておけると言う巨大な排水路。
畑の中にもいく筋も溝があって、土が流れるような量の水は大きな溝へ集約される。
そこにも水を溜める水槽が地下に用意されていて、乾季に向けた備えになっている。
全くもって面白くない。
このグレンズールー台地はカラマクトルの本拠。
付け狙うサイダルとの抗争で小競り合いが頻発しているこの時期、これを放置すれば組織に造反する者が現れるのは目に見えている。
ここは見せしめの必要な場面だった。
捕らえて、牢に繋いだと言う小娘2人の意識の戻る時間に合わせ、その鼻っ柱をへし折ってくれんと自ら足を運んだのは、そういった事情があるからだ。
地下牢へ通じる通路は梱包材で擬装されている。
そこにはネストークが待っていた。
下部実行部隊の一派を預かるだけあって、随分と目端が効いている。
そのくらいでなければとても任せられる地位ではないのだが、とエストラックは内心苦笑を覚えた。
「何?そんなところで何してるの」
素知らぬふりで声を掛ける。
ネストークの反応を愉しむのが主な目的だ。
震える膝を見てほくそ笑む。
因みにエストラックの衣装は胸と腰のラインを強調した、黒のノースリーブ。
足首まで広がるツルッとした印象の生地でデザインさせたスカートには、普段見えないように右側に深いスリットが空いている。
執務室で右壁を向いて手下の相手をすることの多いエストラック。
このスリットから見え隠れする白い脚に、男どもの目が揺れる様子が密かな愉しみだったりする。
今もネストークの落ち着かない視線を目の奥で笑っている。
「お待ちしてやした。
中には手下が2人見張りしてやす」
ネストークが体を寄せ、隠し扉を開くと強張った姿勢で中を示す。
エストラックはその様子にフッと鼻息を吐く。あからさまに笑うわけにもいくまい。
が、戸口を潜り石の階段を降りると牢の様子が目に飛び込む。
そこには手下2人が壁に寄りかかるように倒れ、簡易テーブルと2客の椅子が通路に転がっているのが目に飛び込む。
壁に灯る魔石灯は一つだけで、右の鉄格子の奥は見通せない。
だがこの状況を見れば、何らかの方法で小娘2人は牢を抜け出したのは明らかだ。
ネストークもそれと分かったようで、狼狽が隠せない。
「ネストーク、緊急招集だ!」
言葉を受けネストークが身を翻す。
太い見かけによらず動きが軽い。
これで直轄の手下どもを集めてくれるだろう。
エストラックは鉄格子に歩み寄り格子扉を試す。
鍵は掛かっていた。
見張の腰に鍵束があるのを見てそれを取り上げ鍵を開ける。
見張りはどちらも意識がないだけのようだ。
なんてザマだ。口の中で軽く舌打ち。
檻の中へ踏み込み、あるはずのない暗い階段を見て口元が引き攣る。
近くの壁に小さな穴があって細い銀線が1本、階段の隅を這い上がる。
「何だい、これ?」
お愉しみを空かされ、イライラが見る者のいない美麗な顔を歪める。
階段の上の方に微かな動きを感じる。
星の瞬く夜空を小さく切り取ったように見える出口を目指し、エストラックは静かに登って行った。
出てみるとそこはアジトの敷地内。
隠れ蓑代わりの倉庫街は生垣と街路一本向こうだ。
後ろに本拠の元男爵屋敷が見えている。
月はさほど明るくもない、橙と黒が宙天から地上を見下ろす。
地上に出た当座は屋敷を探るような動きが微かにあった。
が、その気配は既に霧散してしまった。
エストラックの勘違いだったのか、上手くその存在を消したのか。
いや。
壊れた梱包材の影。
隙間だらけの廃材を通して星が一つ隠れた。
或いは夜空の雲のいたずらかも知れない。
だが賭け札は組織の威信と己がプライド。
運に任せる訳にはいかない。
娘は2人と聞いている。
それらしい気配は星を隠した一つだけ。
他に隠れている可能性も考えられる。
だが、エストラックは廃材の隙間に隠しから一本の細剣を投げた。
同時に右へ身体を振り出し進路を急に変える。
地面を強く踏むとそこは最前の廃材の上。
投擲した細剣は橙の月光を反射し狙った奥に刺さっている。
人影はおろかネズミ1匹の気配もない。
地面に音もなく降り立ち周囲を窺う。
朽ちかけの木材から細剣を抜いた時だった。
エストラックを殺気が襲う。
これまで出逢ったことのない、夜を切り裂くかのような強い殺気。
仰け反る様に上体を引く胸元を、槍の穂先らしいものが、月光に金属光沢を煌めかせ掠めて行く。
その穂先はエストラックの肩を抜けた辺りで止まると、戻り際に薙ぎ払いに転じた。
背後には廃材が壁に立っている、咄嗟にブリッジでもするかの様にさらに身体を倒し地に伏せる。
穂先は廃材を斬って戻って行く。
ごく瞬間の事だった。
うつ伏せに転がると身体を跳ね上げ前転で廃材に挟まれた狭い場所から逃れる。
その後ろで穂先に斬撃を受けた廃材が軋みを上げ地面に崩れ落ちた。
起き上がりざま、タタンと軽いステップで立ち位置を変える。
それを追う様な軽い足捌きを風の動きで感じ、後ろへ飛ぶが足捌きは難なく付いてくる。
エストラックはこんな荒事を予想していなかったので、外見は至って軽装だ。
腰の後ろに手を伸ばすと、隠しから刃渡り半メルキの短剣を引き抜く。
改めて相手を見ると革鎧で分かりにくいが女のようだ。
牢抜けの一人か。
対人戦は初めてのようで攻撃は直線的、しかしその威力、速さは侮れない。
魔術師という娘がもう1人、付近にいるはず。
叩きつけられる槍の蓮撃を捌きながら周囲を探る。
そう高い練度ではない槍捌きを何とか躱し、受け流しているが魔術を警戒しつつと言うのはなかなかにキツイ。
しかし、もう1人は本当に付近にいるのか?
10数合受け、躱す間もその影さえ掴めない。
いい加減焦れて突き出す槍の穂先を跳ね上げると、間合いを詰めるべく大きく脚を踏み出す。
槍使いの娘は左回りに退く。
追い縋ろうとさらに半歩踏み込んだ時右手に何か違和感を感じた。
暗い橙の月だからよくは見えない。
だがなぜそう思ったか分からないが、何か球形のものが視界の悪い闇に胸の高さで浮かぶ。
幾多の戦場でその命を長らえてきた悪寒が背筋を襲う、あれは途轍もなくヤバい代物だ、咄嗟にエストラックは飛び退こうとした。
槍の穂先で崩された廃材のさらに奥から「行きやん!」と聞こえ、眼前に稲妻が走る。
地面に身を投げ出すようにして躱わす。
が、細い光条はジグザグにその距離を詰め、追いかけるが如く右手に持つ短剣に絡み付く。
そのままどうするもなく、カラマクトルの女首領エストラック・クラレスティアは地面に沈んだ。
・ ・ ・
顔が熱い。
二の腕がヒリ付く、それと共に身体中が痛みを主張し始め、エストラックは目を開ける。
この時季では珍しく強い陽射しが黒い衣装を容赦なく焼く。
目の前には見覚えのある街路。
左右を見回すとアジトの屋敷からも見えていた倉庫の壁が背後にあって、エストラックはその石壁に寄りかかり両脚を地面に投げ出した姿であると分かった。
スカートは脚の下に畳み込まれ、開けないようにと気を使った者が居るようだ。
だが正面には屋敷があったはず。
街路の向こうには生垣があり、10メルキ程の空き地に梱包廃材が乱雑に置かれ……
エストラックは呆然と街路を眺める。
街路は何も変わっていない。
生垣は少し薄い気もするが、左右に街路に沿ってそこにある。
だが、屋敷は……
広い敷地の向こうまで何もない。
何故かその先にあった防風林と低い土手まで見えている。
エストラックはフラフラと石壁に手を付き立ち上がる。
生垣の向こうが窪んで見えるのは気のせいだろうか?
覚束ない足で街路を渡り目にしたのは、大きく3メルキ程も抉れてしまった屋敷跡だった。
呆然と見守るうち、何時間経ったのか手下どもが周りに集まってエストラックを囲む。
しきりに声をかけるが呆けたように反応しないエストラックの肩を揺する。
ようやく目の前の手下共を認識したエストラックは、まず点呼を取った。
不思議なことに誰一人欠けていない。
そうか。溜め込んだものがなくなっただけで、人は残ったのか。
「ちょっとやりにくくなったけど、することは今まで通りだね。
まだ私についてくる気はあるかい?」
手下共の何人かは抜けると言った。
これからも抜ける奴は居るだろう。
そんな事は今までだっていくらもあった事。
心機一転の再出発も悪くないさ。
改めて屋敷跡、深い窪地を見下ろしたエストラックは呟いた。
「世の中には、手出ししない方がいいやつってのがいたんだねえ」




