ゼクレアスタ
ピンクや白い、濃淡の空色。
色とりどりの草花が咲き誇る庭園の一画。
ゼクレアスタは2頭の蝶を追いかけて、若草色の芝生を駆け回っていた。
自分の両手のひらを合わせたよりも大きな羽をヒラヒラと誘うように、踊るように舞う2頭は、淡い青と黄色の鮮烈な色味を撒き散らすかのように、時に離れ時に交わりゼクレアスタをあちらこちらへと誘った。
それをキャアキャアと歓声をあげ、追い回す。
いや、目で追うのがやっと、手足はフラフラと彷徨うが如く。
6つになったとはいえ、まだ幼いゼクレアスタにはそれで精一杯だった。
この子の名はゼクレアスタ・モンファン・ド・シェル・ザイクレオス。
世が世ならエストラック伯爵家のご令嬢。
屋敷ではクレアの愛称で呼ばれていた。
「メドル!そっちに行ったわ!
ほら、そっち!」
奥様付きメイドのメドゥールに付き添われて庭を駆け回る。
大きな蝶と少女の戯れる様を見ながら、転んで擦り傷でも作っては大変と、付かず離れずメドゥールは付き従う。
そんな騒ぎも長くは続かず、蝶は手の届かない木立の上へと舞い昇る。
けれどすっかり興奮してしまったゼクレアスタは、庭の外れへと駆け出した。
「あ。
クレア様、そちらはいけません!」
メドゥールが声をかけるが聞こえてなどいない様子で、本屋敷の屋根が見え隠れする方角へゼクレアスタは駆けていく。
迷路のような生垣を縫い、見つけた茂みの隙間を潜ってゼクレアスタは、モンファン家本屋敷の庭へ出てしまった。
「なんですか騒々しい!」
突然のきつい声、尖った声音に足が止まるゼクレアスタ。
その視線の先には豪奢なドレスに、纏った貴金属に陽光を跳ね散らかした驕慢そうな女が一人。
後妻に収まったニクラスゥィーネであった。
エルザスターニャとゼクレアスタが慎ましく暮らす、先代屋敷になんの折か訪れ、執事姿の男に大声で詰問する光景を見たことがある。
その時にメドゥールから近づかないようにと教えられた。
そのニクラスゥィーネがわずか十数歩の距離で、目尻を釣り上げていたのだ。
「おや、おまえはエルザスターニャの娘だね!
なんて躾のなってない子だろう!本屋敷の庭を荒らすだなんて!
ネクルフト!
この汚いなりの子供を捨てて来ておくれ!」
近くに立っていた下男らしい男が慌てた様子で、ゼクレアスタに近づく。
思わぬ展開に怯え、踵を返し数歩駆け出そうと言うのを、ネクルフトと呼ばれた男が後ろから、荷物でも小脇に抱えるかのように抱きかかえた。
あまりの恐怖に声も出ない少女は、
抵抗らしい抵抗も出来ず、抱えられ運ばれる。
その後ろから
「全く!役にも立たない者をいつまで飼っておくんだか!
さっさと追い出してしまえばいいんだわ!」
苛立たしげに毒ずく声が追って来た。
・ ・ ・
「……レア……
…きやん、クレア……
目覚ましたってや、クレア、お願いやから」
「う……
何?」
あたし、子供の頃の夢を見てた?
「あ、メグ、どうしたってのよ。
うわ、口ん中、ものすごくエグいんだけど?
あたしどうなったの?」
重い瞼を上げると目の前にメグがいた。
いまいち目のピントが合わないし、喉奥にヤニかカキシブでも流したかような、表現できようもない不快感がある。
口の中も酷く苦いような味がする上に身体の節々が痛む。
そうだ、襲撃?
「ひどい味がするやろ、うちもそうや。
コントウソウ使たみたいやな。
無理でも起き上がって、汗流しい」
メグが言うには、コントウソウという眠り薬の一種は目覚めが最悪で、その影響を消すには大量の水分を摂って、その大半を汗と小便に変えて流し出す以外に、排出する方法がないらしい。
「むかし、修行時代やけどな?
うちの師匠に何遍も毒抜き体験させられたんや。
ウチは水魔法使いやから、そない無茶せんかて体内の水気も簡単に外へ出せるんやないか思て、何遍かやってみたんや。
上手くは行かへんやったなあ」
そんな豆知識はどうでもいい。
「今どうなってるの?」
床は冷たく硬い石敷きの、酷く暗い、風が無いことから屋内なのだろう。
空気に排泄物や腐ったような異臭が漂よう。
「どうやらここ。地下牢らしいで。
鉄格子の向こうは通路、そこに見張りが2人、ってとこや。
寝かしつけるんはやっといたで」
クレアが鈍った感覚を澄ますと、それらしい気配が確かにある。
メグの言に従って立ち上がると全力でスクワットの動きを行う。
水はメグが手のひらに何度も出してくれる。それを無理してでも飲み込んで汗に変えるのだ。
その横でメグも同じように体を動かし汗を絞る。
休憩を幾度か挟み、数10分の時間が経過した。
あたしの荷物と槍は取り上げられてる。
メグも杖が見当たらないという。
杖の魔力反応を頼りに探りを掛けると、30メルキほど離れた場所にそれと分かる反応があった。
さて、まだ本調子とは言えないがある程度動けそうだった。
「良さそうやな、ほな始めよか」
始めるって何を?
メグはこういう時、口数が妙に減る。
普段は結構おしゃべりなのに。
メグは短マントの下、背に負った薄いバッグの紐を伸ばす。
あれは師匠に貰ったというマジックバッグだ。薄いのでそれと分からず、取り上げられなかったらしい。
そう大量に入るわけでは無いが、小部屋一つ分くらいの容量はあるらしい。
背にぴったりのままでは物の出し入れもままならないが、そこは不思議バッグ。
紐を伸ばせば、手の届くところまでその口を移動するなど造作もない。
メグはそこから改造した魔石受けを取り出した。
いつかの夜、2人で魔石灯を改造し、魔石から魔力を一気に引き出して雷を落としてみた、魔石を強力な魔法に変換できる道具。
数個のゴブリン魔石もその手にはあった。
クレアはそれを見ながら、タケオに貰ったスマホからマップを呼び出す。
近くにタケオが居るんじゃないかと思ったから。
タケオを示す緑色の光点は、淡く表示されていた。
距離は……
南西860メルキ、市街のどっかだね。
色が淡いのは多分弱ってる?
心配っちゃ心配だけど、いつぞや攫われた時よりか、マシに見える。
今はまだ大丈夫。
そう、クレアは自分に言い聞かせた。
あとはイブちゃんと探すと、北へ320メルキ、こっちは割と近い。
続いてこの場所をスマホで確認すると、倉庫街のようでここはほぼ中心部だ。
敵性を示す小さな赤い光点があちこちにあって、少し北に大きめのが一つ見えていた。メグの杖と位置が近いっぽい。
その間にもメグの準備は進む。
極細の銀線を筒状に巻いたロールを、先だけほぐしていくつも石の床に並べ、改造魔道具を握る。
「クレア。土魔法の先導が要るんや。
この魔銀でこの辺りを大きく囲うつもりや。
土の中に細く穴、通したってんか?
ウチはその穴に魔銀通したる」
「大きく囲うってどんだけよ?」
「せやなあ、大きい言うても魔銀のロールはこれで全部やからなあ、100メルキくらいやろか?」
「ん、分かった」
「囲うんはこっちの方角やな」
そっちは大きめの赤丸のいる方だ。
「ちょっと聞いていい?
魔銀の細線で囲って何しようって言うの?」
「ええけど、穴掘りは続けたってや。
ウチな、あの時は材料がないよって指先くらいの丸玉やった。
師匠のとこから魔銀の回路線、くすねてな?
それ細おく伸ばして地面にまあるく置いたってん。
あれ、何しよ思たんやったか忘れてもうたけど、ヒョイっと魔力が輪っかに向かって流れよったんや。
それもな?割と全力やねん」
???……
話はどこに繋がるんだ?
「そしたらやで?
火柱が空高うまでビヤーっと上がりよった。
あの時はもう、そりゃびっくりしたで!
ウチの魔力は今の半分もなかってんで?
それがあの高さやん。
ほんでそのあとや、顔真っ赤にしよった師匠にしこたま怒られたんや」
自慢そうに喋ってるけど、こいつは何をやってるんだ?
そりゃ怒られるわ。
「話はこっからや。
うんとこ少なかった頃のウチの魔力で、大木越える火柱や。
今は相当増えた、そこにこの魔石ブーストや、囲いが大きい言うたかて、何が起きるやら?」
え?それって……
「まさかと思うんだけど、もしかしてぶっつけ!?」
「せやでえ。師匠は2度とウチに魔銀なんか持たせてくれへんやったし?
こーんなようさんの魔銀手に入れたんは、グレンズールーが初めてや。
せやから、大っきい花火が見れるんやないか。
楽しみやで!」
声音が興奮気味に変わったので振り向くけど、そこにはいつもの姿に、顔だけ薄ら笑いを浮かべた魔法少女が居た。
・ ・ ・
街が僅かな灯を残し朝早い者は皆床に就く頃、あたしたちは地面下に銀線を回し終え、牢から地上へ出ていた。
もちろん鉄格子も石造りの階段も使ってない。
魔石でブーストしたあたしの土魔法で、地上まで3メルキほどの階段を作って出て来た。
そこは生垣の向こうに立ち並ぶ倉庫の石が見える5メルキほどの空き地。
朽ちかけた木箱がひしゃげたまま、傾いで置かれている。
廃材置き場なのだろうか?
輪に繋がる銀線は1本伸ばして来ている。
それを輪の外側へ、離れた場所まで伸ばして行く。
夜だからかスマホの索敵画面には、気絶させた見張り以外に光点は無い。
メグの杖とあたしの荷物をまず回収しよう。
幸い夜明けの近づくこの時間、人らしい光点は屋敷の数箇所に集まっていて、周囲にはいない。
あたしたちは杖の反応を探し屋敷内に侵入した。
阻む石壁はあたしがくり抜いて退かす。
どうせメグが仕掛けた火柱とやらの効果範囲だ。石壁に切り込みをぐるっと自分たちが潜れるだけ回し、石材を丸ごと引き抜いて脇に寄せるだけ。
耐熱レンガの作成に比べればなんと言うこともない。
踏み込んだ場所は、木箱が積み上がり迷路さながらだだったけど、杖の反応を追うのに支障はない。
反応を辿るとそこは地下通路の壁際、灯のない石階段の下に事務机のような大きなテーブルが前を塞ぐ。
あたしが高く掲げる魔石灯の灯りに、座り心地悪そうな木の腰掛けが一つ浮かぶ。
その左側に人ひとり通れるだけの通路があって、暗い坑道っぽい通路が続く。
反応はごく近い。
あたしは画面の倍率を上げ、翳したスマホをぐるっと回す。
「あ。あれや、ウチの杖!」
メグの刺す先にはあたしの槍も見えていた。
小ぶりの背嚢も棚にある。
この槍はヨクレールでお世話になった宿の亭主、カッツェドスに貰ったものだ。
ナブラの旦那は元は冒険者。この槍は魔力を通す性質のある一種の魔道具、そこらの武器屋で買えるようなものではない。
もちろんあたしも気に入っていて、この頃はかなり使いこなせるようになったんだ。
頬擦りせんばかりに槍にしがみ付いてるあたしを横目に、メグが自分の杖をヒョイっと腰ベルトに挿した。
あの杖は師匠に貰ったもので、大事にしてるはずなんだけどなあ?
あ、でも合わなくなって来てるから新しいのが欲しいって、お金を貯めてるんだっけ。
あれはあれで大事に取って置けば良いのにね。
「戻るで。こないけったくその悪い場所は、さっさと吹き飛ばすに限るで」
「ねえ、奥に扉があるよ?
見て行かない?」
「なんや、クレア、お宝の匂いでもしよるんか?
せやけどあんま時間、ないで?
夜明けが近いんやから」
「うーん…そうだね、タケオも心配だし。
戻ろ!」
だがこの後、グレンズールー一帯を仕切る地下組織、カラマクトの女首領との出会いが待っていた。




