泥の道
俺は飯山健夫。日本からは1歩も出たことのない、個人タクシーのドライバーだ。
ある雨の日、中野林市を通るローカル私鉄山津川線、その狭く暗いアンダーパスを潜っていたらこっちの世界に来てしまった。
以来、その場で森から飛び出して来たクレアという少女と、シーサウストで出会った「魔法少女」メグの3人であちこち見て回っている。
2人とも同居していた末の孫娘と同年代、おじいちゃんとしてはいろいろ気を使う毎日だ。
さて、ここはシーサウストからヨクレールへ向かう途中のトゥリー湖。
いつぞやヌシハンザキに襲われて返り討ちにした、木柵沿いの道だ。
「あそこ!柵が傾いてるでしょ?
あそこででっかい魚と戦ったんだよ!」
「ああ。大体はタクシーの防御結界がな。
けど、あれを相手に槍一本で迎え討ったクレアは凄いと思ったよ」
そう言えばお母さんが亡くなって、ヨクレールの宿ではずいぶん世話になったそうで、その槍を含め今の装備も元冒険者である店主のお下がりだという。
「シーサウストのギルドで、出しとったヌシハンザキやろ。
ウチが見たんは一部やったけど、アレはゴッツい獲物やったで」
「メグちゃん、あれ見たんだ?」
「そらそやろ。
ウチはアレ見たさかい、声かけたんやで?」
そう言えばそうだった。メグの方からパーティを組もうと言って来て、何日か俺たちに付き纏いみたいにしていたもんなあ。
シーサウストから北上したこの辺りは、何年も道路の補修をしていないらしく穴だらけだ。
南へ下ってくる時も、大きな穴はタクシーのアビリティだと言う「リペア」で直しながら来たんだが。
「やっぱりオーガやなあ。
ここまで2個で来たん?
小粒やったら両手いっぱいでも足らんとこや」
オーガ魔石は魔力密度が高いと言うのが、ここの常識のようなものだ。
それを魔石そのものを構成している魔力まで引き出して使う、タクシーの「リペア」。
メグが引き合いに出した小粒とはクイツクシムシの魔石で、俺たちが知っている中ではスライムと並んで使える魔力量が最も少ない。
だがそれも石粒まで魔力として使うなら、侮れない暴威を発揮するのは何日か前にメグが実演して見せていた。
どうやら魔石道具で使える魔力の何倍も、石を魔力に変えた方が多いらしい。
ただそれもあの一回切りで、確たる活用法までにはまだ先は長そうだ。
今のところ石まで魔力を使い切るのは「リペア」一択と言うことだ。
「そこの丘を越えたら泥水の道だったんだよ。
メグちゃん、見たらびっくりするんだから」
決死の覚悟で下った泥の坂道は乾き切っていて、時折の風に土埃が舞う。
雨が降るたびにあれじゃあ大変ろうと、早速「リペア」の出番だ。
メグがスマホ片手に、丘の頂上が見える高さまでクレーンで上がって行く。
「リペア」には見える範囲という条件があるらしいのだ。
あの位置からだと500mくらいも行けるだろうか?
魔石は食うが回数は少ない方が、メグも移動する俺もありがたい。
その間にクレアが開いたボンネット前に付いて、魔石の減り具合を確かめに行く。
もう慣れた配置だ。
メグが上で位置決めを終え、ポケットにスマホを収めると両手で1m程の短い木杖を構える。
呪文詠唱をしてるはずだがここまでは聞こえない。
やおら突き出される杖。
アニメで見るような効果は一切無いが、道自体が徐々に変化して行く。
なぜあったか分からないようなカーブは無くなり、地表の凸凹もある程度だが修正される。
その辺りはメグのイメージで決まるらしい。
うねうねと曲がっていた道は湖沿いに左へ登って行って、それから右へ戻る形に作り替えられた。
それで丘の頂上まで一気に登る。
こいつはまた眺望の良いルートをメグは作ってくれたもんだ。
この南街道は道幅が大型馬車3台分、そのおかげで場所を選べばまだ通行できていた。
それが真っ新な造りたての街道に生まれ変わる。
馬車は道がいいからと言って然程のスピードは出ないが、俺のタクシーは違う。
高速では時速110kmの巡航速度で走ってたんだ。
1日掛かって100km走れねえなんてのは勘弁だ。
波の少ない湖面は鏡のように空の雲を映す。登る途中、車窓から垣間見る景色は一級のものだ。
これはいい名所になるな。
「ウチが思た通りやな。
湖に寄せて正解や。
お、タケオはんそろそろ止めてえな」
頂上まではまだ少しあるというのにメグが止める。
「ウチ、ちょっと上から見て来たいんや。
クレア、一応用意したってんか?」
メグはクレーンで丘の頂上を上から見たいらしい。
何をする気なんだか。
上で何か考える素振りを見せていたが、「リペア、いくでぇ!」と声が降って来た。
作られた道は頂上への道とは分岐して、先の斜面を大回りするように続いて行く。
こんなところで道を分けてどうしようと?
満足げな顔で降りて来たメグが、頂上へ向かうように言った。
キツネに摘まれたような心持ちで頂上へ上がると、そこは整地された広場になっていた。
向こうで言えば展望駐車場といった風情だ。
分岐した道はそれ以上登ることなく、大きな左カーブを描いて丘を回り込んでいる。勾配が無くなって、生身の馬車馬は喜びそうだ。
メグはここでもクレーンを使って上に登った。
その間に俺もタクシーを降りて湖を見た。
高台から見下ろそ穏やかな湖面。
もう死んで3年も経つが、いつだったか古女房と行ったバスツアーを思い出す。
毎日運転してる俺を、たまにはお客さんも良いと富士5湖巡りを申し込んで、一緒に見たのはこんな景色だったか……
メグのリペアはこの駐車場から、回り込んだ新しい道を拾って緩やかに下り。
遠目にも泥土で光る泥道とは少し離れたところへと降りて行く。
どうやらこの頂上を通るのは、景色を見るための寄り道になるらしい。
「よっしゃ、ええ感じやで。
次行こか」
メグは元の泥道よりも少し高いルートを選んだようだ。
「ここからは木がむっちゃ多いんや。
始末どないしよか?」
確かに現状の道の両側はほとんどが林になっている。
古い道は緩衝地帯で、両側の大きな木は伐採されてるから、幅が30mは必要ってとこか。
この先もずっと木を伐って、更地を作るといったら何回分の炭になるやら。
出来るだけ手間は減らしたいよなあ。
「ひどいカーブを直すくらいで、現道をこのまま平らにしてしまうか?
この泥で道が作れるんならだが」
平らと言ったが厳密には両側への水捌けを考え、僅かな横への勾配がつく。
ずっとリペアで全面改修をして来ているメグには当然のことだ。
「それはなんとでもなる思うで?
けど、雨が降りよったらまあた泥々やん、どないすんねん?」
「排水掘っちゃう?両側にさ」
「その水をどうするかやなあ。近くに川でもあるんやったら、そこへ流しったったらええんやけど」
「川かあ。
えーと。
この先6クレイルくらい先で谷に近付くよ。
そこまで流せるかなあ?」
だいぶ遠いな。
「排水は流末から追って来ないと分からんものだ。
谷の近くまで進めて、戻ってくることにしよう」
なに、メグのリペアなら7、8回だ。昼までにはそこまで行ってしまうさ。
「オーガ魔石が無くなりそうなんだ。
ビグオーガ、使っていいんだよね?」
「まだ使とらんやったん?
オーガ言うんはホンマ持ちがええなあ。
そうなるとビグオーガがどんだけのもんか楽しみや」
クレーンで登ったメグが上からリペア、そして出来上がった道路の移動を繰り返し、昼前にマップ上の谷の表示が近づいた。左手に林の奥130m程だろうか、ちょっと距離がある。
まずは谷の様子からだな。
「ここ入って行こう言うんか?
無理せん方がええんちゃうか?
ウチが道作ったるよって、このままイブちゃん連れてったろ」
「そうだよ。なんか出て来ても困るじゃないの」
いや、スマホの索敵とクレアの魔物探知を掻い潜って……
クレアがカーナビの索敵画面を指すので見ると、なんか赤丸が多いなこの辺。
言う通りにしておくか。
メグがスマホを持って上に登る。クレアはその下で警戒に付いた。
まずメグの水刃が5m幅で木を切り倒す。
それは水網が持ち上げ、一まとめに積み上げられた。
重いものは大変と言ってたくせにあっさり集めている。さてはあの魔石道具でも握ってるのか?
見通しが良くなるといよいよリペアの発動だ。木の根も草も地面の起伏も、何もかもが平らな道路に変貌して行く。
近くで見るとその異様さが嫌でもわかる。
あらゆる常識を超えた、まさに超常現象。
荷馬車のフックを外しタクシーだけでその新しい道を進んで行く。
幅3m程の道はすぐに大きな空間に突き当たった。
それは川によって崩れてできたであろう斜面に、木々が繁茂した自然の山の風景だ。
目の前の数本の大木がメグの水刃で、こちらの地面と近い高さでばっさり切られているのが少し異様だが。
おかげで谷が見渡せる。
「ここに水をそのまま流すと、斜面が崩れて大変なことになる。下まで行ってみたいな」
「タケオはやめといた方ええで?
崩れんようにってどないするんや?」
「この急勾配だからなあ。
流れて行く水もそうだけど、川で暴れる水が谷底を削ると思うんだ」
「丈夫な壁でも作って削られないようにする?」
「本当は石積みか何か、凸凹のあるものに水を当てた方が勢いを削いでいいらしいんだが、それでもいいか。
斜面の溝も削られない硬いものがいいんだ」
「硬いのが良いのね?
任せて!」
「じゃあ軽く伐採からやな?
見通し悪いさかい」
木が谷底へ向かって一直線に切り倒され、一まとめにされた。今回はクレーンで上げるようだ。
上がって来ると、枝払いと長さ揃えの玉切り。
「おい、飯にしないか?」
クレーンに玉切りできた材木をぶら下げ、南街道まで戻ってタクシー横に敷物を広げる。
野営では毎度似たようなものを食ってるが、不思議と飽きたりしないんだな、これが。
持って来た材木はこっちの分と一緒に積んでおこう。
と言うかこれ地面に直置きじゃねえか。
「クレア。丸太の水切りに置き台拵えてくれねえか?」
俺は南街道の緩衝帯を指して言った。
「道路に並んで2本、土を固めて盛り上げれば良いよね?
長めに作るよ」
分かってらっしゃる。
置き台が出来上がる間に、メグが丸太に乾燥をかけて水分を搾り出していた。
ずいぶん軽くなって、クレーンで振る丸太の積み替えが捗る。
こっちの伐採木は伐っただけで重ねてあるので枝払い、玉切りからだがこれも一緒に積み上げる。
切り取った枝も同じように置き台を作って積んでおいた。
うん、この方がずっと良い。
下積み材は地面から湿気を吸って、悪くすると腐ってしまうんだ。
さて流末だ。
タクシーで奥へ戻ってクレーンでメグとクレアが下へ降りる。
俺はタクシーの鼻先で上から眺めて留守番だ。
メグがガラケーを置いて行った。
なんかあったら写真を送るってよ。通話もできるし。
あれ?実用で使う通話ってこっちに来て初か?
写真、ショートメッセージはスマホ、カーナビでやり取りしてたが。
『谷底は小川やで。幅3メルキくらいやなあ』
『ここに硬い壁って言うと両側に要るの?
もしかして底もかしら?』
「そうだな。できたらその方がいい。
けど、こっちから水を落とす溝を先に拵えた方がいい。
その水が川にぶつかって暴れるんだからな、下流を広めに補強しねえと」
『溝ってどのくらい?』
「幅、深さで1メルキもあれば十分だろ」
『分かった。やってみるね』
出来上がりの写真を見ると良さそうな塩梅だった。
クレアがあの力を使って固めたんだから相当な硬さだと思うんだが、やれる範囲でやるほかない。
どれだけ準備してもやられる時は一瞬、自然が相手ってのはそう言うものだ。
溝を下から延長して、急な斜面を2人がフックに乗って登って来る。
クレーン様様だなあ。
さあこっからだ。道の始まりまで排水路を掘らなきゃならねえ。
分からねえのはここの深さだぞ。