冷却魔法
ヤイズル湊で『海鳥のお宿』はもうお馴染みと言っていいかもしれない。
冒険者ギルドでビグオーガ2頭を売った後、昼間からエール片手に料理を貪る。
いや、誰がとは言わんが。
「ええやん。ようけ稼いだったんやから」
「昨日もシーサウストで良いだけ食っただろう!」
喉まで出掛けたこのセリフを俺は飲み込む。
今回の稼ぎもほとんどがクレアとメグの成果だ。
特にクレアは何も言わないが、囮役でかなり危険だったんじゃないかと俺は思っている。
命の洗濯ってやつなんだろう。
食ったら宿のベッドで仮眠。
俺とウォルトはその間に街へフラリとと出た。
クレアの魔石灯改造を見たからな、魔石道具を見に行きたい。
できれば何個か種類の違うやつが買えたら良い。
宿で何軒か聞いた中で小物が多いというその店は、看板らしいものもなく、路地を入ってすぐの小さな入り口。
聞いてなかったら見つかりっこないような場所にあった。
宿のカミさんが叩けと言ったのはこれか?
トカゲが穴から這い出す途中って意匠の金属製のドアノッカー。
なんて気味の悪い趣味だよ。
そいつの右脚を掴むと、ドア横の壁から持ち上がる。
俺はそいつで3回甲高い音を路地に響かせた。
意外にも叩き終わってすぐにドアが内側へ開く。中には魔石灯が上に一つ灯るきり、人影はない。
奥を覗くと突き当たりにドアがもう一枚。
ウォルトを従えて中へ踏み込むと、廊下と言って良いのか、左右の壁は石壁に何か塗り込めたような仕上げの…こっちにもカベヌリノカイっているんだろうな。
僅か3歩で行き着く、突き当たりのドアを押し開く。
第一印象は骨董商?
大きな品は置いていない。
腰までの3段の陳列台が両側壁と中央に並び間に通路が2本、幅5m、奥行き8mってとこか。10坪少々の突き当たりのカウンターには、痩せて背の高い白髪の婆さんがいた。
何か書き物をしているのかこっちは見ない。
俺たちも勝手に見せて貰うとしよう。
着火具、魔石灯、小型のコンロはヨクレールの小さな店にもあった。
ここのは種類が多いが、飾りが付いただけに見えるものもある。
どうせクレアが改造しちまうんだから、飾りは要らねえんだが……
他には……こいつは霧吹き?
こっちのビーチボールみたいなのはなんだ?
「タケオさん、それ、布の皺伸ばしです。
丸いのはウォッシュボールと言って物が洗えます」
「へえ。皺伸ばし。アイロンじゃねえんだな。
ものを洗うってどうやるんだ?」
「確かこの辺に……これかな?」
ウォルトがボールに表面を探ると、ボールに裂け目ができてクタッとなった。
「ほら、ここから服なんかを入れて、同じとこを触ると中に水がでてですね」
「ああ、いい。だいたい分かる」
畳める洗濯機ってとこか。
ん?!
「この取っ手みたいなのは?」
「ハフハンドルって言ったかなあ。
片手で持つ荷物が軽くなるんです。
半分くらいにはなるはずですよ?
この先のところが何にでもくっつくんで、手荷物を運ぶのは楽ですよ」
「面白そうだな。
買ってみるか。
これ欲しいんだがいくらだい?」
婆さんが顔を上げた。
あれ?白髪だから婆さんかと思ったら若いじゃねえか。
「ハフハンドルかい?それは2200ギルさね。
値は張るけどこっちの方が重いものが持てるよ。3200ギルだ。こっちにしな」
「どのくらい違うんだ?」
「そっちは4分。これは7分軽くできる。
荷運びなら断然こっちが楽さね」
「7分って持つ重さが3割ってことか?」
「そうさ、半分以下さね、どうする?」
「手持ちが足りねえな、これ使えるか?」
俺は商業ギルドのカードを出して見せた。
「おや、商人だったのかい。良いよ、ここに置いとくれ。
登録を控えるから」
言われた通りに小さな台の上に置くと、書き付けに何やら書いて寄越す。
「そこに名前を書いとくれ」
「名前?ウォルト、分かるか?」
「職人ギルドでもやってるから大丈夫ですよ。
3200ギルの振り出しになってます。代筆しますよ?」
下の空いた場所にウォルトが何やら書き込んで、俺たちは商品のハンドルを受け取り外へ出た。
そのあと、別の量販店みたいな大きな店で、伸縮する物干し竿を買って宿に戻る。
ずいぶん歩き回って足が痛い。
腹も減った。と言うわけでお待ちかねの夕食だ。
クレアはまた3人前の料理を注文する。
この宿は量が多いってのに、よくあんなに食えるもんだ。
でもまあウォルトがいるんで、酔っ払っても部屋まで運ぶのは任せられる。
機嫌良く飲んでくれ。
魔道具屋へ行ったと聞いたクレアとメグが、なんで連れて行かなかったと責められたのには、俺も閉口したよ。
こんな時ウォルトは頼りになんねえのな。
・ ・ ・
今日という今日は炭窯を開く日だ。
ウォルトが焼いた炭だが、楽しみなことに変わりはない。
ウォルトが排煙口の蓋を崩し、出入り口のレンガを一つタガネで壊す。
中から噴き出る埃っぽい風は吸っちゃいけねえ。
あれは酸欠空気だからな、一息で失神しかねない。
そこらへんはウォルトもしっかり仕込まれてた。
出入り口のレンガを床まですっかり取り除くと、立てた炭がいくらか崩れてきてほわっと熱気が漂う。
なかなか冷めないものなんだな。
煙突も開けそのまま30分ほど放置して、自然に空気が入れ替わるのを待つ。
酸素濃度計なんかこっちにはねえからな、慎重なのは賛成だ。
いつもなら外したレンガを片付けて場所を開けるところだが、メグもクレアもいる。
炭も直で土魔法が掛かるようで、ワラワラと外へ搔き出し小口を揃えて積み上げていく。
膝上くらいに積んだ長い炭の棒を、メグが水斬で4等分して水網に絡めて荷馬車積むのは、流れ作業みたいなものだ。
「これは良い炭が出来ました」
切り揃えられた一本を持って、感激したようにウォルトが言った。
窯内の炭を全て掻き出し終えたクレアが、上積みの端材を手に持って
「上の方は熱の通りがいいみたいだね。逆に地面に当たってた端の部分はそうでも無い。
何かで浮かせると良いかもね」
「ほんとだ。僅かだけど炭になりきれてないね。
次は下に何か噛ませるよ」
「小枝とか端材でいいんじゃ無い?
炭になり切ってないだけで、燃えちゃうわけでも無いみたいだから」
「そうだね、次は指一本浮かせるように枝を敷くよ」
この一坪ほどの小さな窯にあった木炭も、荷馬車の荷台に積み上げるともう山盛りだ。ザッと7立米あるからな。
ん?
「クレア、どうした?」
火を止めてまだ3日の、新しい窯の前でクレアがレンガに手を当てていた。
「うん。ちょっと気になって。
この窯の中の木もいい感じで炭になってるみたい」
「まさか!まだ3日だよ?」
「そうなんだけどさ。壁を通して炭の状態が分かるんだよね。
まだ相当熱いけど、床まで全部炭になってるよ」
「それでどうするんだい?
この窯は君たちが作った窯だ。
僕に決める権利はないと思う」
「あたしは開けてみたい」
「熱いってどのくらいか分かるか?
火が点くほどか?」
火が点く温度だと炭が酸素に触れて、燃え出すかもしれない。
「火?炭に火が点くの?
燃えたらガッカリだね、どうしよう?」
「クレア、それ先に冷やせへんか?
水だったらよう分かるんやけどなあ。
あんな?
お湯と水じゃ中で動くやつの、激しさ言うか、動き方がちゃうんや。
それを、じっとしたらんかい!ってな?
ぎゅっと押さえつけるんや。
そしたらお湯が水になってな?
そのまま抑えとるとろくに動けへんようになって、終いに氷になるんやで」
「あたしの感じとはだいぶ違うなあ。
最後のろくに動けないって、ブルブルしてる?
繋がれたみたいになって」
「どうやろか?
凍ってもうたら、だいたいそこで終いやからなあ。
ちょっとやってみよか?」
メグが杖を構え、空中に人頭大の水球ができる。
それが中心辺りから凍り始め、透き通った氷となったのも一瞬のこと、表面は真っ白に変わった。
「繋がれて、ブルブルやったか?
うーん、どうやろか?
よう分からんけどもっと押さえてみたるわ」
周囲に冷気が漂い出した。白い氷の表面に放射状に模様が浮き出てさらに広がっていく。
俺たちは思わず氷塊から一歩、後退さった。
そこへ風に舞う落ち葉が数枚翻るように落ちてきて、そのうちの一枚がそばを掠めたところで、氷に捕まった。
軸のところがくっ付いてしまったのか、ヒラヒラと揺れる茶色斑らの木の葉っぱ。
その木の葉の軸を白い蜘蛛の巣が這い上がる。
見ている間に葉の先まで白くなっていって……
「おいおい、どんだけ冷やしてんだ。
これ間違っても触ったりするなよ?
手の皮、ベロッと持ってかれるぞ!」
これマジでヤバいやつだ。凍傷とかそんなレベルじゃねえ。
俺が警告する間にも、そばを通った枯葉が吸い寄せられるように軌道を変え、表面に捕えられた。
それが葉っぱに見えたのはごく僅かの時間で、直線で構成された白い網目模様の中に沈んでいく。
軸で氷に立っていた葉っぱも、もうどこへ行ったのか見当たらない。
が、俺の切迫した思いとは裏腹にメグはのんびりと
「そうなん?
クレアの言うたとおりやで。ブルブルしよる。
面白いで!これ止まるまで行ったる!」
メグのテンションが異様に跳ね上がる。
「ちょっと待て!
結界かなんかで囲えないのか?
ヤバいんだって!」
「なんや?このピシピシ言うんがええのんに。
まあええわ」
漂う冷気が消え、舞い落ちる枯葉も少し離れるように通り過ぎていった。
ヤレヤレ。しかしこいつ、何でもありだな。
「メグちゃん凄い!」
「そうかあ?
まあだ元気にブルブルしとるで?」
「あたしもやってみるね!」
クレアに物質の3態とか、分子運動とか言ってみたところで何か伝わるとも思えんのだが、何か掴んだんだろうか?
クレアがしゃがんでじっと見るのは地面の石ころ?
俺もそばに屈む。痛む膝に両手を置いて出来るだけ低く。
石の色が白くなった?
温度が下がってるのか?
こいつ、メグのアレ見ただけで、分子運動の制御みたいなことができるのか?
「何やつまらん。
これで終いかい?
あれ?クレアももう出来るん?
ウチはブルブルが止まるとこまで行ったでえ!」
何?止めた?
俺が振り向くと、そこには大きな白い球体があった。
「メグ、結界はどうした!?」
「それが結界やでぇ?
最後の方で中が真っ白になりよってん」
「何?じゃあこの白いのは空気が凍ってる?」
「ないない。空気やら凍るもんやないでえ?」
呑気なメグのセリフだが、今度は後ろでパリパリ聞こえ始めた。
そこには直径2m程も真っ白に凍った地面と、立ち上がってそれを見つめるクレア。
「おー。派手にやったやん、クレア!」
「おい、そのくらいにしとけ!」
「あはは。
これ、窯の炭にやるつもりなんか?
あれ、水とちゃうんやから、下手したらバラバラになるでえ?
宥めるくらいにしとき」
メグに言われ、一つ頷くクレアは炭焼き窯に向き直る。
「宥める……
こう、ふわっと……
ちょっとずつ……」
「せやでえ。
ウォルトの炭とおんなじくらいまでや。
ゆうっくりやでえ?」
「うん、やってる。
ゆっくりね……」
そうして10分程。
「ちょっと休憩!
集中切れたー!
しんどい!」
「まあ、お茶でも飲みい」
30分ほどの休憩の後。
「手前の1本だけパパッと押さえてみるよ。
割れても1本2本なら良いでしょ?」
「好きにしたら良いさ。なんでもやってみないことにはな」
「ようし!」
炭焼き窯の壁に手を当て集中するクレア。
「お?割れた。
そっか、境目で割れるんだ。
じゃあ……」
俺たちは見てるだけだが、真剣なクレアの様子はなんか緊張するな。
「あ、なんだ。
全部行けば良いんじゃない。
そっかそっか」
そのあとは速かった。
「ウォルト。あたしが開けて良い?」
ウォルトは俺とメグの顔を見回して頷く。
クレアの指差す先で排煙口の蓋がヒョイっと移動した。
出入り口も全体が一塊りにボコっと外れて、壁に寄り掛けられた。
窯の中に入ることもなく、真っ黒な炭が出入り口から次々出てきて積み上がる。
「おおー。ええやんか」
「きれいな炭です」
「ウォルトって土魔法だよね?
メグちゃんこんな腕環、もっと作れる?」
「材料を探さんとなあ。
魔石道具を使たら行けるんやないやろか?」
窯二つ分の炭は一人じゃ大変だろうと、ヤイズル港の倉庫街へ運んだ。
炭は30センチほどで切り揃えひと抱えに荒縄で梱包する。ひと窯で180以上の束になるがその梱包は商業ギルドでやってくれる。
売値の相場がひと束300ギル前後で、卸値は200ギル。
半月かけてザッとひと窯36000の稼ぎだ。
向こうで言えば35万円程にもなる。
それが安いか高いかは分からない。
俺たちの炭焼き体験はこれで終わりだ。いい加減エンスローや王都ってのも行ってみたい。
こんなにも付き合いができたので、たまにはウォルトの手伝いをして行こうと思う。
じゃあな、ウォルト。
また会おう。