ヨクレールの町
5話目!?
「あたしにもこれに乗れっての?
なんかやだよ。
中がやたらキレイだし。
汚れちゃうって」
明るくなって血や泥で汚れた自分の体を見たクレアが言い張る。
が、今更だ。
「大丈夫だ。
後ろの席はサッと一拭きでキレイに出来るから、泥が付いても気にすることはない」
クレアを何とか宥めすかして客席へ乗せた。
タクシーは後部座席には標準で厚手のエンビカバーが掛かっている。
なんでかって言うと酔っ払いなんか乗せると、車内で吐いたりすることがあるからだ。
ビニルが掛かって居れば水洗いも出来ようと言うもの。
しかし正直、好んでやりたいわけでは無い。
「ねえ。なんかやけに涼しくない?」
「エアコンがはいってるからな」
「……」
そのあとクレアはしばらく車内のあちこちに触れ、収納の蓋なんか開いたりしていた。
タイヤの直径が都合16cmも大きくなると、結構な接地面積が増えるんだなあ。
それが走ってみた実感だ。
これが増えるとなにが違うかというと、柔らかい地面でも走りやすくなるのだ。
車両の重量が乗客込みで2トンの場合、4つのタイヤにはそれぞれ500kgが掛かる。
実際には重心位置によって配分が多少変わるが、まあそんなものだ。
若干の沈み込み、接地圧によるタイヤ変形などで決まる接地延長と、タイヤ幅約20cmを掛けた数値が接地面積になる、ここまではいいだろう。
タイヤが大きくなるとこの接地延長が長くなるのだ。実際、ここに到着した時は30cmほどあったはずの延長が、50cmくらいになっている。
接地面積にして1.7倍。
接地圧は重量を接地面積で割ったものだから1.7分の1は0.6。つまり4割減となる。
実際には200kg以上のオーク肉を積んでいるので、差し引きは計算上1割少々減となるのだが、この走りにくい草地の場合、タイヤ径が大きくなっていなければ街道まで戻れなかったかも知れない、という事だ。
細かい事を言えばもう少しあるはずだが、俺のボケかけた頭と実走行の感触でざっと検証するとそんなものだろう。
クレアの案内で、タクシーは柔らかい地盤の荒地をノコノコと走って街道へ出た。
草地を出るのに1時間近く掛かった。
あまりにも揺れるので時速数キロしか出せない。
エアコンに驚いてた割に、こんな揺れでもクレアは然程驚いた様子はない。何でだ?
街道は固いだけまだ草地よりマシだったが、舗装路とは比ぶべくもない。
だいたい街道という割に曲がりが多い。
もっと真っ直ぐに通せそうなもんだが。
その上に細い馬車の車輪が道を抉り、よくはまる辺りは、馬が勢いをつけるために道を蹴る。
結果、そのあたりは穴だらけになる。
このクルマは通常前輪駆動だが4駆の切り替えも出来る。
伊達に県のタクシー協会に高い会費を払っているわけではない。
車両入れ替えには積み立て金が下ろせる上に、県の補助金を申請してもらえるのだ。
個人タクシーはその申請も個人になるので、補助額も安いが協会を通すとなれば話は別だと言う。100万に近い満額を補助から引っ張れた。
もちろん一部返済は残ってしまうが、装備に色々カネをかけることができた。
その一つが4駆切り替えだ。
中野林市街と周辺は良いが郊外の農村部に行くと、林道のようなとんでもない、これを道路と言って良いのか、みたいなところを呼ばれれば走ることになる。
5年ほど前、そんな道で泥濘にハマってレッカーを呼ぶ羽目になった。
4駆にギアを入れ直したが、落ちたタイヤが引っ掛かって抜け出せない。この時ばかりはデファレンシャルギアで、只々空転する左後輪が恨めしかった。
あの時は山中なので携帯が繋がらず、無線も通らない。
近所の固定電話まで3kmも山道歩いて、レッカーはレッカーで車体が大きいので、一部障害物を排除しながら1日掛かりで到着すると言う、悪夢のような話だ。
新しいクルマはEVなので、モーターは4輪全部のタイヤの根本にある。
このクルマは片側が浮いたからと言って、その車輪を空転させるようなことはない。
エンジン式の4駆と大きく違う点だ。
が、腹が付いたりタイヤが2本落ちてしまえば、もう自力での脱出は叶わない。
悪路車用のウインチ装備ってのもあるが、重いしタクシーに積むような物じゃないしな。それは諦めた。
他には小さな冷蔵庫とルーフハンガー、あとは貨物スペースの床下収納にカネを掛けた。
エンジンと燃料タンクのスペースが丸っと空いているんだ、使わない手はない。
屋根には小さいが黒に近い緑色の、最新の太陽電池も貼ってある。
「へえー。じゃあこの辺に知り合いは居ないの?
お金はあるの?」
クレアに俺の現状をできるだけ話したが、こっちのお金を持っていないのは分かってもらえたようだ。
街道では大きな穴は流石に避けて通るが、他も細かな穴やら溝やらでひどく揺れる。
行き違う馬車は「馬車」と呼び習わしてはいるが、実は色々な獣が引いているそうだ。
対抗する荷車をムカデっぽい虫が引いているのを見て、思わずクレアに
「ありゃ一体なんだ?」って聞いたら、めちゃめちゃ笑われた。
あの虫は長く見えるけど、4匹がくっつくように並んでるんだそうだ。
他にはハシリトカゲやトリウマ、オオイヌを使うんだと言う。
「今では馬を使う人の方が少ないんだよ?
聞いただけだけど、この子といっしょで魔法で動く自走馬車ってのもあるってさ」
さすが異世界だなあ。
車中で年齢の話になった。
クレアは16歳、それは昨夜カーナビで見た。
下の孫とそう変わらない。
俺には孫が4人居て、一番上の女の子が27歳の会社員。男2人を挟んで中3だったか高校へ入ったんだったか、女の子が一番下だ。
いやまいったね。
片や脛齧り、片や駆け出しとは言え1人前に稼ぎがあるんだから。
で、俺が68だ。
「昨日も言ったけど、ここらじゃそこまで元気に生きてる人は滅多に居ないよ?」
まあ俺たちの国だって、ちょっと前までは60過ぎたらひどく年寄りに見えたもんだ。
それこそ風が吹いたら、死んじまうんじゃないかって爺婆を見かけたもんだった。
「クレアはなんかやりたいことでもあるのか?」
「うーん、特には考えてない。
今は自分の生活ができるようにならないとだよ」
「生活か。
毎日なんて何もしなくたってなんとなく流れて行くもんさ。
楽しみが一つでもあればそれでいいんじゃないかと、俺はこの頃思うようになったな」
「楽しみかあ。
あたしは食べることかなあ」
平均で時速10キロ程でしか走れなかったが、時間にして40分程で石塀で囲われたヨクレールの町に入ることができた。
木櫓と並ぶ門には門番がいた。革鎧の髭面大男。
190は超えてそうで、横幅もある。
いつだったか興行で見たプロレスラーを思い出す。
「何だコイツは。
どこの者だ?」
「ええと、これはタクシーと言います。
お客さんを乗せヨクレールの町まで……」
「タクシだあ?
聞いたこともねえ!
どっかの執事かなんかかよ」
執事って……
あ、黒っぽいスーツ着てるからか。
でも、うわー。めちゃくちゃ不審者扱いだな……
「ちょっと、グレイル!
お客ってのはあたしなんだけど!」
クレアが後ろの席から吠える。
グレイルと呼ばれた男が窮屈そうに身を屈め、車内を覗き込んだ。
「お。クレアじゃないか。
みんな心配してたんだぞ、どうしたんだ?
こんなおかしなものに乗って」
門のそばにある小さな小屋にグレイルが合図すると、男が一人寄って来て「クレアが帰って来た」と聞いて町の中へ走り去った。
クレアが黒の森で一夜を明かしたことで、ひと一悶着はあったが門は通ることができた。
街は木造の店や家が多く、ごちゃっとしている印象だ。
看板らしいものも見えるが余り大きさもないし、目立つような感じでもない。
もちろん描かれている文字なのか記号なのか、全く判別が付かない。
道はそこそこ平らだが、敷き詰められた石が凸凹で、かなりの振動が座席まで伝わって来る。
メーターウインドウにある時計で8時過ぎ、俺たちはヨクレールの町に入ることができた。
体を拭いて下着を替えたいというので、クレアが泊まると言う宿の前へタクシーを付ける。
「クレアちゃん、無事だったんだね!
良かったよぅ。あたしゃ、エルザに何と言って詫びようかってそればっかりで!」
宿のカミさんらしい小太りの中年女性が、入り口でクレアをそう言って引き止めた。
「ナブラさん!
森の奥からオークが飛び出して来てさ…」
「オークだって!
それであんた!……
おや、怪我は無いようだねえ?」
「ああ。あたしは大丈夫。
オークの奴、随分走らされたからへばってたんだ。
それに急所を教えてくれた人がいてね。
何とかなったよ、あ!
オークの肉があるんだけど、血抜きが上手くできなくってさ、ギルドで買い叩かれそうなんだ。
ここで何とかならないかな?」
「そうかい。オーク肉は図体が大きいせいで、上手く血抜きするやつなんて滅多にゃいないよ。
そういう肉を美味く食わせるのがあたしらの腕の見せ所さね、まかしときな。
それで肉はどこだい?」
一瞬で商売モードに切り替わったナブラにクレアが苦笑する。
「タケオを紹介するよ」
それを合図に俺はクルマを降りてバックドアを開けた。
「おや、何だいこの見掛けない変なもの、クレアの知り合いかい?」
クレアばかり見ていて、こんな大きなタクシーに気が付かないってか。
「変な物って、これはタクシーって言うんだ。
お客さんを乗せてどこへでも行くぞ」
少し憤慨してタケオが口を挟む。
「おや、それは失礼したね、あたしはナブラだよ。
ふうん?馬車よりは小さいね。
あまり荷は積めないようだけど。
腕と足の肉だね。なかなかの量じゃ無いか。
奥へ運ぶから手伝っとくれ」
言いたい放題言って、ひと抱えの肉を持ってナブラは店に入って行った。
肉は切り分けてクサミケシと言う大きな葉で、何重にもクレアが包んでいた。
防腐効果があるらしい。
「なんか、負けそうだ」
「うふふ。あれで面倒見がいいのよ」
クレアに続いて俺もひと抱え持って中に入ると、受付カウンターの跳ね上げから厨房へ抜ける通路があった。
低い間仕切りの向こうには食堂があって、6人掛けくらいのテーブルが4つ見える。
「暗いからね。足元に気をつけな」
厨房の作業台脇の一段低い台の上に、肉の包みを積み上げていく。
3人で5回運ぶと
「あとはやっとくからいいよ。
うちだけで捌ける量じゃ無いから、知り合いにも流すことになる。
代金はこっちで取りまとめるけど、いくらか前金を入れさせてもらうよ。
大体の半金で2500ギルだけど、それで良いかい?」
こっちの金についてはクレアに、車中でザッとだが聞いている。
半金ってことはあれで5万円見当か。卸値だし安いのか高いのかさっぱりだな。
「総額で5千ギルって高いの?」
クレアも気になったと見えて飾らずに聞いた。
「安いだろうね。
でも、全部買取りする金なんかうちにもないんだ。
臭み抜きはうちの手間だしね。
あたしの予想じゃもう少し良い値がつくはずなんだが、売ってみないことには分からない。それに取引額が5000ギルを超えると、商業ギルドに税を払わないとだからその差し引きもあるんだ。
それで取り敢えずの2500だ」
「それで良いです」
クレアは森で摘んできた赤い花を束でナブラに渡していた。
オーク肉はおろしたのでギルドへ向かう。
メーターは320ギルまで上がっていた。
森の中まで採取に付き合ったのもあるが、日当としちゃまるで少ない額だ。
お客は最低でも日に40人乗せないと、維持費で食われて顎が干上がる。
こっちで客と言えるのはまだクレア一人だ。これはなんとかしないといけない。
クレアが狼の魔石がどうとか言ってたな、まさかとは思うけど……
俺はクルマを降りてボンネットを開ける。
MSと書かれたキャップを開け、中を覗き込んだ。
そこには予想通り、小指の先ほどの小石が2個あった。色が黒っぽい。
俺の体重で揺れる様子から、底の方にまだ何かあるっぽい。
ゴミハサミで一つ取り出してみると、その下にすっかり小さくなった灰色の小石がある。色が違うのはネズミの物だからか?
随分小さい。
「これって……突っ込んで来た魔物の魔石なのか?
その魔石をここに取り込んで、必要なだけ飴でも舐めるみたいに食ってるのか?
まあ、燃料の心配は無いわけだ。
はは……」
道理で電力計が減らないわけだ……
クレアがギルドから戻って来た。
「タケオ!すごかったよー。
薬草が大漁の上にさ、オークの魔石だよ!
睾丸にも良い値段が付いたし!」
いや、年頃の娘が睾丸言うなよ。
あれ?
クレアが解体してタマ抜きもしたんだから今更か?
「小さい魔石にグレイウルフの傷なしの毛皮だもん、もう、新記録だよ!
いくらだったと思う?」
そこでクレアが我に返って左右を見ると、小声で
「6600ギルだよ!」
「ほう。それは凄いな」
「遅くなったけど、朝ご飯行こう!
話もあるし!」
取り敢えず飯と言えば宿へ戻るようだな。
ここまでの運賃は325ギル。
クレアは当然のように払ってくれる。
厨房の奥はオーク肉の処理だまだバタバタしていた。
ホール係の女が、籠に盛ったパンと煮込みスープを二人分持って来てくれた。
相変わらず量が多い。
固いパンをスープに浸しつつ齧る。
塩味だな。
「それでさ」
クレアが話というのを切り出した。
「あたしの今日の稼ぎはとんでもないことになってるんだ。
今までなら宿代払って食うや食わず……は大袈裟だけど、余裕なんてなかった。
でもタケオに助けられてからガラッと変わったじゃない?
これって全部タケオのおかげだよね。
だからあたしの稼ぎってことになってるけど、これはタケオと分配しなきゃいけない」
「それはまあ有り難い話だが」
「なんでそんなに気のない言い方するかなあ。
ねえ。あたしとパーティ組まない?」
「パーティ……って俺と?」
「そう!
あたしが攻撃役!
タケオが情報。
んでタクシーがタンク!
あ。兼、荷物持ちも!
3……人で良いのかな、とにかく3人パーティだよ!
分配は……3人均等!」
「いやタクシーは頭割りには入らんだろ」
「何言ってるの!?
あの子がいるから成り立つのよ?
喋れないからって、外せるわけないじゃない!」
俺はこっちに係類がいるわけでもなし、身一つ不自由がなければ最低限の生活でも良いと思ってたんだが、クレアはどうあっても俺の取り分を多くしたいらしい。
金にがめつい娘じゃないのは様子でなんとなく分かってたが、俺の心配もしてくれるのか。
「分かったよ。いいようにしてくれ」
「言ったね?
じゃ、タケオがリーダーだから!
年の功!反論なし!」
「俺はこっちのこと何にも知らないんだぞ?
いいのか?」
「そんなのあたしだって一緒だよ。
できることは手伝うし」
「……仕方ねえか……」
ニマッと笑顔を咲かせ、クレアが言う。
「今日の稼ぎが大体9000ギルあるの。
だからタケオに3000ね。
イブちゃんの分3000は預かっていて」
「おい。そんなに……」
「さあ!服を見に行く約束でしょ!
さっさと食べちゃうわよ!」
とは言えパンを一つ食って、スープが半分無くなったところで俺の腹は限界だ。
あとはクレアが引き受けて、きれいに食べてしまう。
待つ間に飯代の120ギルは俺が払った。
タクシーに乗るとメーターは回送にして古着屋へ向かった。
服は丈夫なものがいいかと思ったが、生地の厚いものは着てみるとあからさまに重い。
普通の街着のようなのを2着買った。
新品の靴下と下着は替えがないので助かる。
縫製はしっかりしているようだが、肌触りはゴワゴワザラザラした感じが少しある。これには慣れるよりない。
代金は合わせて2800ギル。古着でこの値段は割高に感じたが、手縫なので安くはできないのだろう。
「ねえタケオ。
冒険者登録しておかない?」
「必要なのか?」
「だって身分証とかないでしょ?
ギルドで登録証を貰っておけば、あたしが一緒でなくても町へ出入できるよ。
それにね、正式なパーティを組むならギルドでパーティ登録する必要があるの」
むう…どうしよう……
ではまた来週お目にかかります
次回は11/9 8:00に予定してます