タクシー転移する
100話ほど書き溜めができたので連載に挑戦してみます。
週一(土日辺り)の複数話投稿でしばらく頑張っていきますのでよろしくです。
中野林市を通るローカル鉄道、山津川線の下を潜る小さなアンダーパスの手前で、一台の緑ナンバーの車が停まった。
折からの雨の中、屋根の上の黄色いタクシー行燈に「個人」と見える。
鈍色の空の下、《高さ制限2、0m》と書かれた虎模様の鉄骨が上に掛かって、忙しいワイパー越しのライトに浮かぶ。
が、それでこの個人タクシーが止まった訳では無い。全長100mに近い箱型通路の内幅が4mしかないのだ。
ドアミラーを畳むなど、無理をすればギリギリ乗用車同士のすれ違いは可能だが、コンクリート壁に擦る危険を冒す事になる。
実質車両同士のすれ違いは不可能と言っていい。
自転車とのすれ違いでも非常に神経を使うような幅員なので、運転手は通路の向こうを覗き込んでいた。
いつもならこんなところは通らない、
のだがなぜここを通る事になってしまったのか、運転している飯山健夫(68歳)にも分からない。後方からはバイクが付いて来ており、Uターンするのも気が引ける。
向こうから3台の自転車がこちらに向かって来る。あの後なら良さそうだ。
前方を照らしていたライトをビームに切り替え、健夫は車を発進させた。上下左右からの圧迫感のなか、車は進んで行く。
アンダーパス通路の半ばに達した辺りで前方の出口から差す光が異様に強い。
いや、あれは……?
「うわっ!なんだ!?」
それはこの狭いボックス型のアンダーパスに飛び込んできた対向車のライトだと気づいた瞬間、猛烈な衝撃を受けて男の視界は暗転した。
・ ・ ・
ふと意識が浮上する、後輪の回転が虚しく増す音が、そしてわずかな浮遊感が、シートから受けるお尻の圧迫感が減ることで分かった。
直後、フワッとどこかへ着地したかの様な緩い衝撃が有り、視界が真っ白になる。
暗がりに慣れた目に強い光を浴びて目が眩んだらしい。
ワイパーゴムのビビり音に、手探りでハンドル左のレバーを上げる。
健夫は目を瞬いた。だんだんと見えて来たのは舗装道路などではない。
辺り一面の草!
丈はそれほど長くないが膝下くらいはあるだろう。
右側には木立も見える。奥が薄暗いのは森になっているのか。
「ここは何だ?なぜこんな場所に…」
中野林辺りは冬には雪が降ることもある。なので、健夫のタクシーは通常は前輪駆動、切り替えで4輪駆動になるEVタクシーだ。
クルマはまだ低速で走っていて、フロントのグリップがやや甘く、スリップ気味の感触がハンドルとシートを通して伝わって来る。
土が沈み込む草地を走っているとすればそれも当然か。
健夫はシフトレバーの右側にある4駆切り替えボタンを押した。
メーターウインドウに4駆表示が緑色のアイコンで点灯し、走行が途端に安定する。
時速表示は12km/hとあった。
「俺はあの狭い穴倉で対向車と?
あれからどうなったんだ?」
突然のことで、何が何だか分からないが、ともかくも平らでは無い地面でえらく揺れる。しかし走るに問題はない。
だがここはどこだ?
カーナビを見ると上下にメニューの表示は出ているが、地図画面は全面グレー表示だった。
GPSが無いのか地図が無いのか。
健夫は車を停めた。
スマホを出して、画面をタップするといつもの画面が出る。
が右上に圏外の文字を見つけ溜息を吐いてしまう。
「おいおい。ホントかよ」
中野林市内であれば圏外の場所なんかない。基地局が落ちたんだろうか?
タクシー協会支給のガラケーも圏外は同じだった。
しかしこの景色はどうなってる?
シートベルトを外すと、丈の高い草を薙ぎ倒す様にドアを開けた。
降りてみると地面は思ったより硬いが、靴がやや沈み込む感覚がある。
2駆では走りにくいのも頷ける。
周囲の風景は大自然、緑一色の真っ只中だ。
正面と左手は遠くまで見通しが良い。
気がつくと空は大きな白い雲が一つある切り、好天と言っていい。
だが見渡す限り自然の風景で、日本国内ならばどんなど田舎でも必ず見えるはずの電柱が一本もない。
「むう」
唸ったと言うよりは途方に暮れたと言った方がいい。
どうしたものか。
思えば出がけに同居する娘が
「今日は運勢が悪いってテレビで言ってるから気をつけなよ!」
なんて、玄関先で見送りまでしてくれた。
ただの視聴率稼ぎの占いだと言うのに。
俺も歳が歳だから何かにつけ心配されるのは分かる。
けど、あれも何かの前触れだったんだろうか。
そんな事を車と開いたドアの間に突っ立って、風景を眺めていると突然、右手の木立の奥から騒ぎが向かって来る。
女のような高い声が何か切れ切れに叫び、しゃがれたグギャグギャ、不明瞭な叫びが混じる。
なんだろうと見ている前に、槍を持った厳つい鎧風の衣装が木立から飛び出した。
明るい草原に飛び出した皮鎧姿がタタラを踏んで、俺の方を向きなおり止まる。
いや、俺じゃなく、白に青いラインの入った俺のタクシーを見ているんだろう。
開いたドアの間に立っている俺に目を止めた様で
「ゴブリンが来てるんだ!直ぐに逃げて!」
と、こちらへかん高い女声で叫んだ。
言ってることが要領を得ない。
何が来るって?
逃げるってなんだ?
この鎧姿で女なのか?
俺がクエスチョンマークに埋もれているうちに、ガサガサグギャグギャと木立から複数の緑色の小人が現れた。
手には何やら太い木の様なものを持っている。
「あー!もう。
来ちゃったじゃないか!」
そう言って女は数歩戻って車の正面辺りで、持っていた槍を構えた。
一方、ゴブリンと呼ばれたものは、風景に釣り合わぬ目立つ塗装の大きなタクシーに戸惑った様子で及び腰。
そこへ女が突きかかる。
最初の突きは一匹の肩口を捉えた。
血飛沫が舞うが、色がおかしい。
血なら赤い筈が妙に黒っぽい。よくみると緑の皮膚に濃い緑の血が伝う。
女は突いた槍を引き抜くと頭上を大きく振り回した。
遠心力で威力を増した穂先の刃が、一匹をまともに捉える。脇腹に入ったその一撃は大きく腹を切り裂き、隣に立つもう一匹の片腕を切り飛ばした。
ゴブリンと呼ばれた醜悪な生き物は5匹居たようで、そのうち1匹は既に地に伏せ、2匹は尻もち突いて戦闘不能。
残る2匹は女とタクシーを交互に見て幾許かの逡巡の後、背を向け逃げ出した。
女はそれを見て手負の2匹に止めの突きを入れる。
転がって避ける最後の1匹も槍で叩き伏せた。
ふうふうと息を吐く女とゴブリンの死骸を眺めることになった俺は、どうして良いやら分からずドアの窓枠を握り締めて突っ立っていた。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
気がつくと女は切り取ったゴブリンの耳をぶら下げ、俺の方に歩いていた。
「そのデカいのは何?
お陰で奴らがビビってくれたみたいだ。助かったよ」
「あ、ああ。これはタクシーだよ」
「タ…ク…?」
「タクシー。どこでも行きたい場所まで金を取って運ぶのが仕事だ」
近くに来た女は俺よりもずっと背が高いんで驚いた。
タクシー協会の春の健康診断で測った俺の身長は150を切っていた。だいぶ縮んじまったから、背丈に関しちゃ感覚がおかしくなってるが、この女は170に近いんじゃないだろうか。
「運ぶって……これ、動くの?」
「ああ。人を乗せて動くぞ。ここじゃあそんなに出せないが、道路に出ればすごく速いんだ」
「……へ、へえー。
あ。
あたしはクレアっていうんだ。駆け出しの冒険者だよ」
そう言ってクレアと名乗った女は、革の帽子、兜と言った方が近いか、を取る。
首の後ろまで覆う垂れのついた丈夫そうな革帽子から、静謐な湖を思わせる青の髪が現れた。
髪は肩にかかるくらいで切り揃えられている。
顔立ちは鼻が高くほっそりした輪郭、彫りの深い西欧風で瞳は青い宝石のようだった。
美人の基準はよく分からんが、この娘はそれに該当するだろう。
「俺は飯山健夫だよ。個人タクシーの運転手だ」
「イーヤマタキオ?コジ……テンシュ……?」
「あー。タケオでいい。
運転手ってのは職業だよ」
「へえ。そんなのがあるんだ、初めて聞いた。
あたしは薬草採取でこの森の入り口辺りに来てたんだけど、ゴブリンに出くわしちゃってね。1匹2匹ならなんとかするとこだけど、あの数でしょ。
とてもじゃないんで、逃げて来たんだけど、あんたのおかげで助かった。
そのデカいのに気を取られてくれたから、思いがけず3匹も討伐出来ちゃった。
なんかお礼をしないとなあ」
「そうですか。俺は何にもしてないんで、礼なんか要りませんよ。
それよりもここってどこなんですか?
教えてもらえると助かります」
孫みたいな年頃の女が相手でも、礼儀というのは大事だと思い出した。伊達に客商売はやってない。
「分からないってどっちから来たの?
この辺は道なんかないけど」
「山津川線のアンダーパスを潜ったらここに来てしまったんだ。事故にあったようなんだが。
出たのはすぐそこだよ」
「そうなの?
よく分かんないけど、旅の人ってことでいいのかしら。
ここって言ってもなあ。ヨクレールの町から6|クレイル程の黒の森って言ったらわかるかな?」
「ヨクレールですか?黒の森ねえ。
町はどっちの方向になります?」
「んー?あっちだね。けど道って言うなら遠回りだけど、街道がこの先を通っているよ」
そんな話をしてると、クレアは急に森の方を振り向いた。
重心を落として槍を構えようとした辺りで、藪から1m程の獣が飛び出した。
そいつは俺に向かって一直線に突っ込んでくる。
クレアが進み出て突き出す槍先を躱し、タクシーのドアの間で棒立ちの俺に飛びかかった。
頭に長い一本角が見えた。
「チッ!」
クレアが舌打ちし、ドアのガラス面に角が突き立つ。
ガラスは破られるだろうと思われた、がしかし。
バキッとすごい音がして毛玉が弾け飛ぶ。
そのまま草地に叩きつけられ2度3度と転がって、動きを止めた。
クレアの槍が、草地をバシッと叩くと赤い血が舞うのが見えた。
「どうなってるんだ?
てっきり、タケオを突き刺したと思ったんだが、ツノが折れてるよ。
イッカクネズミの角はまともに当たれば、ただじゃ済まないくらいの威力はあるんだ」
そう言われてドアを回って、当たった辺りを撫でてみるが傷一つ無い。
クレアはネズミと言うには大きな獣の血抜きを始めた。
後ろ足に腰に下げていた紐を掛け、近くの木に枝に吊って首筋にナイフを入れる。
赤い血がダラダラと草地に落ちると、縛っている足の血管を探して傷を入れた。
その後吊ったまま腹から切れ目を入れ、器用に皮を剥ぎ出した。
アンコウの吊るし切りなんて解体ショウがあったが、あれに近いものがある。
こっちの方が難易度は高そうだが。
「ねえ、これ、預かっといてもらっていい?
薬草がまだハンパなんだ」
このどことも知れない場所で周囲に人影もなし、俺は一つ頷くほかなかった。
小さいのが相手ならタクシーの中にいれば何とかなるようだから。
定番の異世界常識のすり合わせ部分はちょっとワクワクしちゃいます。