九
「なっ、何でそれ……!」
「お主、この剣が何か知っておるのか?」
指差しながら口をぱくぱくと開閉させていると、少年がにたりと笑んだ。
「何って、倶利伽羅剣だろ? 貧瞋痴の三毒を破る智恵の利剣。不動明王の持っている……」
蓮珠が言うと、少年はほお、と感嘆の声を上げた。
「まさかこの時代に知っておる者がおるとは思わなんだ」
ふうむと言われるが、こちらとしてはそんなことは当たり前だ。まずこの時代っていうか上に存在しているものじゃないし、
「不動明王」
目の前の奴を探していたのだから。
少年は蓮珠への興味がさらに湧いたようで、剣を前にやり、顔を険しくさせる。
「我を誰か見破っておったか! ならば神妙に成仏されい!」
「何でそうなんだよ!」
があっと蓮珠は腕を振り上げて抗議した。ここまでくると、ただの戦闘好きではおさまらない。ただの馬鹿じゃないか、と舌打ちをした。
「ではゆくぞ!」
「来るな」
と言ったところで通じる相手ではない。蓮珠は迫りくる相手を見、髪をかき乱し、地団駄を踏んだ。
「あ――――――っ、もう!」
「覚悟!」
腕を高く上げ、振り下ろすのを見、逃げられないということを蓮珠は覚悟した。
「面倒臭い……けど、仕方ないか」
振り下りてくる剣を半歩ずらすことによって避け、右手を背後にやる。
「むむっ」
右手の周りが光り、細長く美しいシルエットの金の錫杖を具現する。少年が渾身の力で横薙ぎにしてくる剣をその錫杖で受けると、カァーンと金属音が耳に響いた。
「よっ、と」
錫杖を素早く持ち直し、ぐるりと時計回りに回すことで剣を捌き、相手の首を強く打つ。打たれたほうの少年がまた剣を腹目がけて突き出してくるが、それは避け、逆に少年の腹に膝を食い込ませる。
「ぐうぅ……!」
止めとばかりに頬を固く握りしめた拳で殴りつけると、少年のゆるんだ手から剣がカランと落ち、動きがやっと止まった。蓮珠は錫杖を消し、少年の頬を殴った手を押さえていたが、視線に気づくと、猛然と面を上げた。
「殴らせるなよ! 痛いだろうがっ」
「ほ?」
言うであろうと考えていたことと見当違いのことを言われた少年は目をきょとんとさせるが、蓮珠はそんな少年の様子を全く気にもせず、手にふーふーと息を吹きかけている。
「少しは人の話を聞け! だから嫌だったんだよ、人間も、暴れるばかりの馬鹿の相手も!」
一気に捲くし立てたと思ったら、今度はぜえはあと息を吐く。忙しい奴だ。少年はそれをぼーっと見ていたが、すぐにはっとし、大口を開けて顔に似合わぬ笑い声を出した。
「面白い、面白いぞお主! おい、お主は何と言う」
「馬鹿野郎。そんな簡単に名前なんか名乗れるか。訊くな」
「なに、そう言わずに。仮の名でもよいのだ」
この一直線すぎる馬鹿は、どうせ俺が答えるまでしつこくしつっこく訊き続けるのだろうと判断した蓮珠は半ば呆れながらも口を開く。
「蓮珠だ」
「蓮珠、か。良い名ではないか」
「そりゃ、どーも」
「我の名は火生かしょうという。特別に呼ばせてやっても良いぞ」
「俺は呼ばないからな」
ツンケンした様子で自分の相手をする蓮珠を見、火生はそっけないのお、お主と口の中でぶつぶつと呟いた。
「ちょっといいか?」
「ん? おお、言うが良い」
じゃあ遠慮なく、と相手の目を睨み付ける。
「閻魔庁から来た。……今すぐ俺と一緒に地獄に戻れ」
「地獄にとな?」
その言葉を聞いた火生はむ、と眉をひそめた。
「ああ。泰広王が心配している」
「泰広王が我のことを? それはあらん。ただ、あやつは自分の仕事が増えることのみが心配なのだ!」
「そうだろうな。だけど、そうだとしても、責任持って自分のことだけはしっかりと支えてやれよ」
ぐ、と火生が黙る。
「帰ると言ってやれれば良いのだが……我にもなさねばならぬことがあるのだ!」
「なさねばならないことって、何だよ」
ぐしゃりと前髪を掴み、吐き捨てる。しばらく沈黙が二人の間を漂う。
「とりあえず我の家に行かぬか? 此処では落ち着いて話もできん」
「話をちゃんと聞いてくれるんなら、どこにでも行ってやるよ。冗談を聞いていられる状況じゃないんだ」
「こっちだ」
火生の背中だけを見て蓮珠は歩いていた。周りの店や家、ましてやアパートやマンションなど、目にも入れたくもない。それは、たくさんの人間が住んでいることの証拠になってしまうのだから。そんなおぞましいことをわざわざ自分から理解しようと思いたくはない。
蓮珠が無言を突き通していたからか、火生も仕方なく黙っている様子であった。やがて、火生の背中が上がっていっていることに気づき、蓮珠は驚いて顔を上げた。
「何をぼうっとしておるのだ、お主は」
火生が怪訝そうな顔をして少し上から自分を見下していた。
慌てて蓮珠が周りを見渡すと、ジジ、とはかない声を出す街灯に照らされて、アパートが建っていた。それは、今にも幽霊――蓮珠にとって馴染み深いものたち――がわあわあ笑って飛び出して来てくれそうなほどに古びたアパートであった。
そのアパートの二階から地面にかかった階段の下から三段目に立った火生が振り返っている。蓮珠が反応を返さないことに苛立ちを感じたのか、彼は鼻を鳴らしてさっさと上へと上がっていく。それにかすかに苦笑するような、自嘲しているようにも見える表情を張り付けながら蓮珠も上がっていく。
二階の左端にある扉の前にいた火生に近づくと、両手でドアノブを掴んでこじ開け、親指で中を指さされたので、蓮珠は中に入った。