4.浄霊師たちの学校
正門前まで来ると、そこには人垣ができていた。後十数分でホームルームの予鈴が鳴るという時間にも拘らず、異様に騒がしい。
「あっ」
自分のいる所よりも少し先の方に、呆れたように立っている友人――三和みわ信二しんじ――を見つけた。色素の薄い髪を短く切り、銀縁の細い眼鏡を付けており、右手には黒い学生鞄を持っている。
「三和、三和―っ!」
手を振りながら叫んでみると、三和は後頭部に当てていた手を離し、誉の姿を捜した。
「日諸祇、おはよう」
明るい色の自転車で気づいたのか、面倒くさそうな顔をした三和も手を軽く振り返す。
「おはよー、この人だかりなんなん?」
「いつも通りや」
自転車を押して近寄ると、ざわめきはさらに大きくなった。
「いつも通り!?」
「いつも通り。っちゅーても日諸祇はいっつも朝早いから知らんよな」
急な坂の上で行われている何かが誉には分からなかった。野次をとばすような声が聞こえる上、前の方は盛り上がっているようなので、喧嘩だろうか、と見当をつける。
「喧嘩?」
「ま、そんなとこやな」
この時間は上の駐輪場に置くのは無理だと教えられた誉は、道からはずれ、坂の中腹に設けられた駐輪場に入っていく。
「おはようございまーす」
「おはよう」
警備員室にいるおじちゃんに、笑顔で挨拶をしてから、近くで空いている所はないかと探す。すると、出てきたおじちゃんがあっこ空いてるよと案内をしてくれた。白線内に自転車を収め、横に停める人の邪魔にならないようにと真っ直ぐに立て直す。
カゴからスポーツバッグを出し、斜めにかけていると、
「あっちからなら行けるやろから、あっちゃから行こう」
後ろから付いてきていた三和が、学校のある方を指差す。
「え、えー……あれで?」
「せや」
指の先には、石で出来た階段があった。一直線に向かっていく三和と違い、苦虫を噛み潰したような顔をする誉の足の進みは鈍い。
「日諸祇、はよ来んかいな。もたもたしてると遅刻すんで」
「だって、そんな急な階段……!」
山肌を削り、石を置いて固めて造ったと見えるその階段は、急だった。坂も苦しいが、階段はさらに苦しそうだ。
「だってもくそもあらへん。鍛練やと思え、鍛練やと」
学級委員をしている三和は、理知的に見える眼鏡――誉が一度そう言ったら安易な考え方だと眉間に皺を寄せられた――と薄っぺらい体が運動が苦手な部類の人間だと見られることが多い。だが、日々心身を鍛えるために独自の修行をしているという彼は、スポーツ万能だ。
朝から死にそうな顔で、一段一段が高い階段を上った誉の耳を怒声が貫いた。金属で出来た手すりを握ったまま、ぼんやりと声の聞こえた方に顔を向ける。
「もう一回言ってみろ!」
「フンッ、何度でも言ってやる。貴様ら仏教科は妖怪退治が専門の、二流だ!」
なんやとー!? と血圧の上がりそうな大声を上げている人が、そこにはいた。
「三和、三和、三和―!」
「何やねん、うっさいなあ」
誉は三十段以上はある階段を上り切って、肩で息をしていたはずだった。だが、そうだったはずの誉にテンション高く名前を連呼された三和は、怪訝な顔で振り向いた。
「二年の多谷おおたに先輩と伊瀬いせ先輩やで! 凄い凄い、本物や!」
「本物って、あのなあ」
「だって、うわー……格好良えー」
正門の真ん中で言い合いをして、通行の邪魔をしている二人。静かにしてくれという三和の意思も通じず、その二人をぽやーっと誉は見つめている。
「行くで日諸祇」
まるで街で偶然好きな芸能人に会った人のように目を輝かせる誉に、三和は慌てた。プライバシーの侵害でしかないため、本人からすればただの迷惑行為だが、芸能人ならまだいい。だが、誉が一人ではしゃいでいる相手は、同じ高校に通う先輩たちだ。しかも、現在進行形で罵りあっており、機嫌が悪そうにしか思えない。
「首席の先輩らやんな? わー、俺、初めて見たわっ!」
「バッ、もーええから行くで!」
首席の先輩らは珍獣かなにかか! と突っ込んで言いたいのを抑え、三和は誉の腕を掴んだ。
「首席の先輩らって……アタシたちのこと?」
だが、逃げるには行動を開始するのが遅かったらしい。
「確かにこの前の中間試験では首位だったが、それくらいのことがどうした」
首席先輩たちは言い争いをやめ、二人の方を見てきていた。
「まーまー、ええやんかあ。俺はチヤホヤされんの好きやし、嬉しいでー」
「お前のような筋肉バカと一緒くたにされてはたまらん」
「そう言う伊瀬ぽんはメガネザルそっくりやけどな」
じゃれあっているように見える二人の先輩を見、誉は仲がいいんだろうなあと和やかな気持ちになる。
「お前はメガネザルの可愛さが分かってない!」
「ほおーう。なら答えてちょうだいな。メガネザルの可愛さとは!」
「大きなくりくりした、つぶらな目が可愛いだろうが!」
「ぎょろぎょろした目で怖いやんけ」
なんだとー!? と今度は伊瀬がヒートアップしそうになった、その時。あ、と誰かが口から音を落とした。
「いい加減にしろっ、お前ら――――!!」
近くの校舎から出てきた岩のような黒服の大男が、先輩たちの三倍はあるかと思われる大声を放った。
「毎日毎日、後輩に示しがつかんというのがまだ分からんのかあー!」
風を切り裂くような速さで土ぼこりを立てながら突進してくる男に、先輩たちは引きつった悲鳴を上げる。
「すんません、武善たけよし先輩!」
「今日はこの辺りで失礼しますので!」
そそくさと逃げの体をとる後輩に、武善と呼ばれた男は、さらに眉を吊り上げた。
「そういって明日もやるつもりだろう!」
「まあ、日課ですしね」
「おいっ。ま、まーまー落ち着いて先輩!」
楽しげに笑う伊瀬の脇腹を小突いた後、多谷はじゃっ! と片手を上げて挨拶をした後、右にある大きな五重塔に似た建物に向かっていく。伊瀬も武善に頭を下げてから、左にある大きな神社に似た建物に向かっていった。
「…………日課?」
やっと終わったかー、今日はつまんなかったなー、と口々に言い合って歩き始めた生徒たちを誉は呆然と見る。
「日課。毎日やっとるから、見たかったら朝の遅い時間にここに来ればええ」
本当に見慣れているらしい生徒の姿を見ては、そうなんや……としか誉は言えなかった。三和はその背中を軽く叩き、足を動かすようにと勧めた。
「今日はお前が乱入したせいでなかったけど、普段はもうちょい派手にやっとるしな」
「派手にて、殴り合いとか?」
多谷の入っていった方の校舎に向かって二人は歩み寄っていく。ホームルームまで後五分もないという時間になってしまっていたため、自然と早足になる。
「ちゃうちゃう、うちらしい喧嘩や」
うちらしい、と誉が呟く。その後ろを、武善が怪獣のような足音を立てて通りぬけていった。彼は校内の奥に位置する体育館を抜けたところにある教会に似た校舎へ戻らなければならないため、走っている。
「まあ、すぐに分かるわ。もうすぐ期末テストやし」
「えっ、やっぱ期末テストになんかあんのんっ!?」
石造りの階段を上がり、開かれている大きな木の扉から校舎内に入る。下足室にたどり着いた二人は、それぞれ先が赤い上履きを靴箱から取り出し、足元の板に下す。踵の部分を踏みつぶさないように気を付けて履き、スニーカーを代わりに靴箱に収める。
「ある。多分もうそろそろ内容が発表されるんちゃうんかな」
姉が頑張ってといったのは、やっぱり普通のテストじゃないからだ、と誉は一人で納得していた。誉は何すんのん? と訊ねようと口を開いた。
「詳しくは先生から訊いた方がええと思うけどな」
「……まあ、せやけど」
だが、三和に先手を打たれ、押し黙ることになった。
「まあでも今回のがクリアできひんなら、確実に普通クラス行きになるんちゃうかな」
「えっ、ええ――――!?」
嘘っと三和の手を掴んだ誉の声に驚いた人々は、振り向いて見た。
「嘘やって言ってーやあ、三和ぁっ!!」