1.鬼とカミ
小さい子どもは、霊感が強いらしい。純粋な心を持っているから視える、という人もいる。日諸祇ひもろぎ誉ほまれも、小さい時は幽霊など、そういうものが視えていた。とはいえ、全てが全て視えるわけではないので、街中が人でいっぱいになるということはなかった。
「ねえ、お姉ちゃん。あれなんやー?」
「あれって、なんやの」
「あれはあれやで」
誉は、白い靄のような体に、赤い目をした変なものを見上げた。それは木の上にいて、ずっと誉を見ている。
「もー、お姉ちゃん、先に帰るで」
その日、近所の空き地で見つけたそれは、今まで見たどれとも違う感じがした。それを、自分と同じく視える姉に言ってみても、姉は関心を示さなかった。近寄るのはやめなさいと言うばかりだったが、誉はどうしてもそれが気になってしまう。
だから、姉が先に帰ってしまった後も、ずっとそれを視ていた。
「なあなあっ、君はなんなん? どこから来たん!?」
と話しかけ、通りかかる人に変な顔もされた。だが、子どもの興味とは長い時持てるものではなく、日が完全落ちた頃には飽きてしまっていた。話しかけても一切反応せず、退屈だったのだ。
「もう僕、帰る」
バイバイッと家の方へ走り出すと、背中に悪寒が走った。なにか得体の知れない恐怖を感じ、誉は振り返った。
ヒッと短い悲鳴が誉の口から漏れ出る。そこには、日が落ちる前とは少し違う姿をしたモノがいた。口を開き、そこから尖った歯と、赤い口内が覗き見える。風に漂う姿は、破れた裾の白い服を着ているかのようだ。
それから目が離せず、誉は口を手で押さえながら凝視していた。歯を鳴らしながら笑うそれは、もう悍ましい、嫌なモノとしか思えなくなってしまっている。
「い、いやや……」
後ろに足を一歩動かす。体は震えていた。
「なんにでもかんにでも興味を示すから、こうなる」
ため息と共に吐き出された言葉に、誉は身体の硬直を解いた。涙目で声が聞こえた方を見る。すると、そこには自分より少し年上の少年がいた。
「姉さまと一緒に帰らんからじゃ」
その空き地の真ん中にある、大きな黒い岩の上に座っている。夏の暑い時に着る甚平の格好つけたような、へんてこな服を着ていた。下駄を履いた足を前後に動かして、膝の上に肘をのせ、頬杖をついて誉を見下ろしている。
「ごめんなさい」
素直に謝ると、少年は微笑んだ。
「これからは気を付けるんじゃぞ」
「はい!」
力強く頷くと、その人はうむ、と言ってくれる。
「さて、カミよ」
岩の上に立ち上がり、腰に提げた刀を抜いた。切っ先を白いモノへと向け、鋭く睨み付ける。
「この童に手をだすことは、儂が許さんぞ」
白いモノはゆらゆらと不規則に揺れている。赤い目はまだ誉を真っ直ぐに見つめてきていた。誉は、その目と目が合ってしまった。
「あ……」
一言、そう呟いてしまった途端、白いモノは誉目指して飛んでくる。誉は目を固く閉じ、腕で頭を庇い、背を向けた。
「童、大事ないか?」
チン、という重いのか軽いのかよく分からない音が聞こえてきた後、温かいものに包まれる。目を開けると、少年がいた。白色の髪と、赤い目と、金の目がすぐ近くにある。今まで見たこともなかった色の髪と目の色に、誉はドキドキした。胸の興奮を抑えて、口を開く。
「あの、怖いんは?」
「儂が切った」
「切ったん!?」
殺したん!? と訊くと、少年は困り顔になってしまった。
「殺してはおらん。あれはカミといい、人に害を与えるものじゃ。儂はあれを切り、祓っただけじゃ」
「……よう分からへん」
「分からんでもいいが、警察を呼ぶでないぞ。儂は出ていかんからな」
首を傾げると、そう無愛想な顔で言われた。
「ほれ、もう帰れ。風邪を引く」
「はーい!」
また素直に返事をすると、優しい顔になる。この表情が好きだ。そう誉は思った。
「もう夕方に一人で出歩くでないぞ」
「うん」
「うむ。ではの」
そう言って、黒い岩の中に住む鬼神は笑った。