私メリーさん、今あなたの前にいるの~後ろから襲うのが卑怯だと言われた彼女は強くなりたい~
『私メリーさん、今あなたの前にいるの』
辺りが真っ暗な丑三つ時。突如スマホにかかってきた電話を取ると、電話口の相手は開口一番でそんなことを言ってきた。思わず止めてしまった歩みを再開しながら、俺はスマホの画面を覗いてみる。
表示は非通知。相手の名前の確認などせず片手間に通話ボタンをタップしてしまったけど、何やら面白そうなことに巻き込まれたらしい。
『私メリーさん、今あなたの前にいるの』
俺が何の返答もしなかったからか、再度同じ言葉を繰り返す自称メリーさん。スピーカーから耳を離しても不思議とはっきり聞き取れるほど明瞭な発音で、故にその声音が十代前半の少女らしく高く澄んだものであることがよく分かった。
そして、どうやら最初の言葉も聞き間違いではなかったらしい。
「大丈夫、ちゃんと聞こえてるよ」
『そう、それは良かったわ』
「ところで俺の前には誰もいないんだけど?」
人っ子一人どころか、ネズミ一匹の気配を無さそうな前方の空間に視線を巡らせる。山奥に残された道路は長らく整備もされずに荒れ果て、ひび割れたアスファルトの至る所から雑草が首を伸ばしていた。時折いたずらのように吹く風が木々を揺らし、より一層不気味な雰囲気を増長させている。
手にした懐中電灯でくまなく前方を観察してみても、やっぱり誰もいない。
『正確には、あなたの前方約400メートル先の地点に私はいるわ』
「ああ、なるほど」
『このままの速度でいけば接触まで約五分』
「正確な分析ありがとう」
何だか戦闘AIみたいなことを言い出したメリーさん(仮)にお礼を言う。
どちらにしろ一本道で進む他ないので、このまま行くとしよう。止めていた足を動かし、先ほどから気になっていたことをメリーさん(仮)に訊いてみる。
「一つ疑問なんだけど、君は本当にメリーさんなのか?」
『というと?』
「いや、普通メリーさんって背後から来るもんだろ? 今あなたの後ろにいるのって」
『そうね。それについては少し私の身の上を語らせてもらうことになるのだけど、いいかしら?』
「どうぞ」
何か内面のデリケートな部分に触れてしまったのか、脈絡もなく始まるメリーさん(仮)の語り。真剣みを帯びた声に変化したので、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
『――私は自分がメリーであることに誇りを持って生きているわ』
「……え、メリーさんって幽霊とかそういう類だろうから、生きてるとは、」
『五月蠅いわね。揚げ足とらないで』
「アッ、ハイ」
『続けるわよ? メリーとしてこの世に生まれ、長らく人々から恐れられる……私こそが都市伝説の第一人者と言っても過言ではないでしょう。けれど、最近こう言われることが増えてきたのよ。所詮お前は、背後から襲いかかることしかできない、結局それしか芸の無い卑怯者だと……』
「そんなことが……」
『別に同情してほしいわけじゃないの。私の力が現代の進歩に置いていかれているのは理解しているから。山村さんちのお嬢さんみたいな人を殺せるだけの眼力もなければ、佐伯さん親子みたいに猫を使役することもできない』
「まあ、確かにあの辺りは一際強いよな。八年前には一時期合体した時もあったし」
『ねー、なによあの超悪魔合体。一時期幅を利かせまくりで本当に大変だったんだから』
電話越しだけど、メリーさん(仮)がやれやれと首を横に振った気がした。
彼女も色々と大変らしい。なんだか少しずつ親しみを感じてきたところで、こほん、と意外と可愛らしい咳払いが聞こえた。
『話が逸れたわね。とにかく私は証明したいのよ。私は卑怯者なんかじゃない、正面切って戦うだけの力は私にもあるとね』
「……なるほど、話が読めてきたよ。つまり俺は君のターゲットに選ばれたってわけか」
『ええ、理解が早くて助かるわ。さすがは大物配信者といったところね』
武者震いでも起こしたかのように電話口の声が震えた。
実を言うと俺は動画投稿サイトでの活動を生業としており、もっぱらそこでの生配信を主な活動としている。
ジャンルはホラー一筋。有名所からマイナーまで、数多くの心霊スポットに単独で足を踏み入れ、視聴者のコメントに受け答えながら探索していくのが目玉だ。チャンネル登録者数は最近10万人を突破し、生計を立てられるほどの稼ぎになってきた。実は今夜も配信したばかりで、某県某市の廃トンネルに行ってきた帰り道だったりする。
『さっきのあなたの配信は見させてもらったけど、確かに人気が出るのも頷けるわ。臨場感のあるカメラワークに小粋なトーク……そして何より、どれほどの恐怖が襲いかかっても決して動じず撮影し続けるその胆力。敵ながら天晴れだわ。あ、そうそう、ただ見るだけなのも申し訳ないと思ってスパチャを投げさせてもらったから。微力だけど何かの足しにしてくれると嬉しいわ』
「え、もしかしてメリー@修行中さん? 赤スパだったじゃん、本当にありがとう!」
『そ、そう? どういたしまして。……ねえ知ってる? 今私たちの業界だと、どうやってあなたを怖がらせるかが一大ブームになっているのよ』
「あー、なるほど、だから最近ガチな現象に出会すことが増えてきたのか……」
『ええ、その通り。今夜の配信でも捨てられてたバイクが動き回る場面があったでしょ? あれをやってたの、あの有名なポルターガイスターの縁ノ下さんよ。あなたを驚かせるために最近筋トレまでしてたらしいんだから』
「ごめんね、その人のことは知らないや。けどそうかあ、ならもうちょっと怖がってあげるべきだったかなあ」
『やめなさい、同情は時として屈辱よ』
おかげで一時期伸び悩んだ人気もうなぎ登り。ありがとう業界の方々、10万人突破は君たちの協力あってこそだ。いやどんな業界だ。
……さて、そろそろメリーさん(仮)と顔を合わせるタイミングだろうか。
向こうをそれを察したのか、声音が少し硬質なものに変わる。
『あなたを怖がらせることができれば、きっと皆だって私のことを見直すはず。そして私は恐怖のメリーさんとして、再びトップの座に君臨するの』
「君からの挑戦状ってわけだ。いいだろう、受けて立とう」
何せ向こうから垂涎の機会が転がり込んできてくれたのだ。ここで引いてるようでは配信者の、何よりホラー好きの名が廃る。
『良い度胸ね、それでこそあなたを選んだ甲斐があるわ……! ならそろそろ始めましょう』
そこで、言葉は一度途切れ、
『「私メリーさん、今あなたの前にいるの」』
――耳と正面、二つの方向から彼女の声が聞こえた。
老朽化した街灯、明滅を繰り返すその光をさながらスポットライトのように浴びる彼女の全貌を、ついに俺の目ははっきりと捉える。外国のお嬢様のような白いドレスを身に纏うメリーさん(仮)は、ぞっとするほどの冷たい美しさを持つ少女だった。
互いの距離が近付くほどその美貌はより明らかになる。白いドレスを上回るほど病的に白い肌、逆に色鮮やかな長い金髪。口元に浮かべた微笑がどこか肉食動物のような獰猛さを備え、俺の視線を釘付けにする。
あれが、本物のメリーさん……!
ぶるりと背筋に冷たいものが走った。
メリーさんは俺のことを『動じない胆力の持ち主』だと評してくれたが、それは大きな間違いだ。表面上そう振る舞っているだけで、内心じゃ結構ビビっていることなんてたくさんある。もちろんそういったスリルが楽しいからホラー生放送なんて続けているのだが。
いったい、ここから先で何が起こるのかは予想できない。
メリーさんの都市伝説は、本来の基本的なパターンだと『私メリーさん、今あなたの後ろにいるの』で終わりを迎え、その後にどういった末路を辿るのかは不明だ。
振り返ってメリーさんの姿を見た瞬間にナイフで刺されるなんてパターンを聞いたことはあるが、すでに正面から相見えている俺には該当しないだろう。
分からない。分からないからこそ恐怖し、同時に興味をそそえられる。
畏怖と期待の狭間で揺れ動く俺はその場に立ち尽くし、メリーさんの次の行動を待つしかなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………え?」
「…………ん?」
「わ、私メリーさん、今あなたの前にいるのだけど……」
「うん、さっきも聞いたし、ちゃんと見えてるけど……それで?」
「え?」
「は?」
大きな瞳を丸くするメリーさん。呼応して首を傾げる俺。
静けさたっぷりのその場がより静謐さを増した。
「そ、それでってどういう意味よ?」
「いや、そのまんまの意味だけど……? ここから何をしてくるのかっていう」
「……これで終わりなのだけど」
「……終わり? え、例えばナイフで刺してきたりとか」
「するわけないでしょそんな危ないなこと……っ! あなたが死んじゃうし、痛いのは私きらいなの」
「俺もさすがに殺されたいわけじゃないけど……え、待って、本当に何も無いの?」
「だ、だって、いつもなら私が姿を見せたら、それだけでキャーって……!」
「………………ハァ?」
思わず俺の口から、いや肺の奥底から抑えきれないほどの大きな呆れがこぼれた。
びくっと華奢な肩を萎縮させるメリーさんには悪いけど、ちょっと一言言わせてもらいたい。
「あのさメリーさん……君、舐めてんの?」
「ふぇっ……べ、別に舐めてなんて……」
「いや舐めてるでしょ。なに、姿を見せたらそれだけでキャーって。それは少しずつ相手との距離を詰めていって恐怖を煽り、それが最高潮に達したところで一度引いて、気が緩んだ瞬間に背後から不意を突くからこそ効果的なんだよ。バカ正直に真っ正面から来るだけじゃ意味ないんだよ」
「で、でも、だからそれだと卑怯って言われるから……」
「うん、それは分かってる。新しい試みを始める心意気は立派だ。でも心意気だけなんだよ。それに伴う進歩が何一つ見られない。悪いけど、口先だけなのとちっとも変わんない」
「っ……!」
「ごめん、正直ちょっとガッカリだ。そっちの業界だと俺って結構な強者なんでしょ? そんな俺に正面から挑んでくるぐらいなんだから、かなり期待してたのにこれって……。あー、もー、ほんっとないなー」
「ぅ……ひぅ、ぐす……っ」
「というかメリーさん普通に可愛いからさ、怖いよりも『こんな夜に女の子一人で大丈夫?』って心配の方が――」
「うわああぁぁぁぁぁぁあああん!」
「!?」
瞬間、メリーさんは綺麗なドレス姿に構わず道路にへたりこんで泣き出してしまった。わんわんと大きな声で泣くメリーさんには恐るべき都市伝説の面影など欠片もなく、年相応に感情むき出しの彼女に俺は慌てて駆け寄る。
「ちょっとメリーさんっ!?」
「うわぁぁぁん、わたしだってぇ……わたしだってがんばってるのにぃぃ……っ!」
「そ、そうだねごめんね、ちょっと俺も言葉がキツかったね!」
「ひぐっ、ひぅっ……もうやだ、おうち帰るぅぅぅ、おうちから出ないぃぃぃっ!」
「ひきこもるのはやめようメリーさん!? それだと余計に何も進展しないから!」
「でも、でも、どうしたいいか分かんないもんっ……ぐすっ、分からないんだもん……!」
「あ、うん……よ、よーし、じゃあ俺も一緒に考えてあげるからさ! 知っての通り、俺ホラー関係には詳しいから! きっとメリーさんの役に立てると思うから、ねっ!」
「うわああぁぁぁぁぁあああああん!」
そういうわけで、この日から俺とメリーさんによる『メリーさん強化計画』が始まりを迎えるのであった。
「……ふぅ、取り乱してごめんなさい。みっともないところを見せたわね」
「切り替えすごいなメリーさん……。というかあっちの方が素でしょ? 別に無理しなくていいよ。あーあー、目元もこんな真っ赤に腫れちゃって」
「う、うるさいわね! 私にだってプライドとかイメージがあるのよバカァ!」
「分かった分かった、とりあえずあそこに紙パックの自販機あるし、何か飲んで一息つこうよ。メリーさん何がいい? 奢るよ」
「……いちごミルク」
「さて、メリーさんが正面切って人を怖がらせられるよう強化しようって話だけど……俺はやっぱり『あなたの後ろにいるの』ってフレーズは外すべきじゃないと思うんだよ。メリーさんの代名詞、決め台詞みたいなもんだろ?」
「それはまあ、そうなのだけど……でもそれだと根本的な解決には……」
「つまりは不意を突くから卑怯って話なんでしょ? だから、そうならないように……――」
「そういえば前から気になってたんだけど、メリーさんって電話かける時、どうやって相手の電話番号を知ってるんだ?」
「ああ、あれはハッキングよ」
「ハッキング!?」
「幽霊がいる場所って電波が入りづらくなるものでしょ? 実は私たちのような存在の身体には生身の人間よりも強い電気が流れていて、それが影響してるの。私の場合、多少はそれを操ることができるから、例えば相手のスマホに特殊な電波を送って……まあ、あとはなんか、こう上手いことやって、みたいな?」
「すげえ! 大事なところがなんかふわっとしてるけどすげえよメリーさん!」
「そ、そうかしら? ……まあ、その程度にしか使い道がないのだけど」
「ちなみに他に何か特技とかってある?」
「特技だなんて言えるものは……身体の柔らかさにはちょっと自信があるぐらい。はい」
「うわすご中国雑技団の人みたい。ちょっとなんてレベルじゃないよメリーさん、これは一級品だ!」
「……あなた、女たらしって言われたりしない?」
「え、いやないけど? それにしても赤スパの時も思ったけど、メリーさんってちょっと自分を過小評価してるところがあるよ。もっと自信を持って! メリーさんには大きな可能性があるよ!」
「……絶対に陰で女たらしって言われてるわよ、この人」
「そうだメリーさん! 瞬間移動能力ってあるんじゃないの?」
「なによ藪から棒に。そんなのあるわけないわ」
「え、でも電話と電話の間に何十キロも移動してる時とか……」
「あんなの嘘に決まってるでしょう。最初から相手の近いところにいるわ、その方が反応も見れるし」
「えー……ぅわ、えー……マジかー、そうだったのかー……。なんか夢崩れるなー……はぁ」
「……ちょっと? そのあからさまなため息は聞き捨てならないわね。言っておくけど、割と足は速いんだから!」
「いや、いくら速くても瞬間移動には遠く及ばな――」
「本当だもん! 本当に速いんだもんんんんんん!」
「……うそ、これが私の、本当の速さ……!?」
「ああ、本当にすごいよメリーさん……! いや、あの過小評価しがちなメリーさんが割とって言ってる時点でポテンシャルは凄まじかったけど、無意識に身体を流れる電気で筋繊維を活性化させていた結果だっただなんて……! 意識的に使えるようになっただけで、ここまでの伸び代があっただなんて!」
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
「メリーさん、最近ちょっとオーバーワーク気味じゃないかな? もう目で追えないぐらいになってきたし、速さに関してはもう十分……」
「まだ、まだよ、私の速さにはまだ先がある……! こんな寝ぼけた分身じゃきっと通用しないわ!」
「上達には適度な休みも必要だと思うよ。はい、というわけで今日はもうお休みでーす」
「あ、ちょっと……だ、抱き抱えるなぁ……っ!」
「い――、こんな私を――――くれて、あり―――。――んっ」
「……んぁ?」
「ッ!?」
「……あれ、俺寝てた? ごめんメリーさん、なんか言ってた? 聞き逃したかも」
「な、何も言ってないわよ。自分の寝言と勘違いしてたんじゃないのかしら?」
「そっかー。ところでメリーさん、さっきからなんで口に手を当ててるの?」
「……知らないもん、ばか」
メリーさんとのそんな日々を過ごしながら、やがて月日が流れた頃。
深夜、俺とメリーさんはとある中学校の近くまで来ていた。過去に精神異常者が侵入して大勢の生徒が犠牲になったとかで廃校になったらしい建物からは物々しさを感じる。
ひび割れた外壁などをざっと眺めた後、俺たちは校舎の全景をちょうどよく見渡せる小高い丘に陣取り、懐から取り出したスマホで動画投稿サイトの生配信のページにアクセスする。
読み込みの後の表示されたページには、俺と同じように心霊スポットの探索を主とする二人組動画投稿者の姿が映し出された。
『うぃぃぃぃっす! どうも、トシ&ズッキーのトシでーす!』
『ズッキーでーす! みんなこんばっちゃー!』
『はい、というわけでね、今夜の企画は前回告知した通りこちら、G県でも有名な例の中学校にやってきましたー! つーかもう入ってるわけなんですけどー、さっそくズッキーが入口のガラス割って大変でしたってねー』
『ちげぇから! あれぜってぇ霊の仕業だからっつって!』
スマホの画面内には金髪と茶髪、二人の大学生ぐらいの男たちが病院内でけたたましく笑い合っていた。
「なんだか俗っぽくてうるさいだけの挨拶……。あなたみたいに落ち着いたスタートの方が私は好きかしら」
すぐ隣でメリーさんがそう呟き、合間に漏れた吐息が俺の頬をくすぐったような気がした。
メリーさんとの距離が近い。いや、一台のスマホを二人で見ているんだから必然的に顔は近くなるのだが、近頃は心なしかメリーさんが近寄ってくることが多いように感じるのだ。
こうして間近で見ると、メリーさんは本当に綺麗な顔立ちをしている。見かけこそ
まだ幼い少女だが、生身の人間のように成長すれば絶世の美女になることが容易に思い描けるほどだ。
できるだけ平静を保つために画面内の二人組を注視していると、メリーさんが「それで」と小さな可愛らしい唇を動かした。
「この二人が今回のターゲットってことでいいの?」
「ああ。見ての通りこいつらも結構な度胸の持ち主でね、成長したメリーさんの力を証明するにはうってつけの相手だと思うんだ。ちょうど配信中だからメリーさんのことをリアルタイムで世間に広められるしね」
「ふーん……まあ、確かに色々とちょうどいいとは思うけれど、あなたはそれでいいの?」
「っていうと?」
俺が聞き返すと、メリーさんは細い人差し指で二人組を指した。
「この二人もあなたと同じ投稿者、いわばお仲間みたいなものでしょ? そのお仲間を罠にはめるような形になるけどいいのかしら?」
「生憎と俺はぼっち活動だからね。……それに、個人的な話になるけどこいつらのことは好きじゃないんだ。平気でものを壊す、ゴミは捨てる、入る前と入った後のお祈りだってしない。心霊スポットへの敬意が感じられないんだ」
「……ふふ」
「な、なに、変なこと言った?」
「ううん、あなたは優しい人なんだなって思って。……ま、もう知ってるけどね」
幼い顔立ちに浮かぶ、どこか淑やかな笑顔。俺をドキリとさせたメリーさんはすっと立ち上がると、今度は別の意味での笑みを覗かせた。
初めて顔を合わせた時と同じような――いや、あの頃よりも数段迫力を増した、獲物を狙う獰猛な笑み。
「つまり遠慮はいらないってことよね?」
「もちろん。見せてやりなよ――新生メリーさんの力ってヤツを」
――♪~♪~~♪~。
トシ&ズッキーの片割れ、金髪のトシのスマホが不意に鳴り始めたのは、彼らが校舎の二階に足を進めた頃だった。
「おいトシ、撮影中は電源切っとけよ」
「いや、切ったはずだけど……んだこの番号」
知らない電話番号だ。撮影中だしこのまま無視してもいいが、心霊スポットの探索中にかかってきた電話なら上手くすればネタの一つになるかもしれない。
彼らの活動はその過激さ故、批判者の数も少なくはなかった。それを黙らせる人気を得るためなら何だって利用してやる。
「はい、もっしもーし」
『私メリーさん、今G県の県境にいるの』
「……はぁ?」
プツ、とすぐに通話は切れた。
ツー、ツーと鳴るばかりのスマホを持つトシの口元に嘲りの笑みが浮かぶ。
「なんだって?」
「それがよ、くははっ、め、メリーさんだって……私メリーさんだってよ、ぎゃははは!」
「メリーさん? おいおいマジかよ、古すぎて草!」
「だよなぁ! 今は令和だっつーの!」
なんて古典的なネタだろう。いまどきそんな手垢まみれの都市伝説なんて流行らないし、誰も怖がりやしない。
どうせアンチからのイタズラ電話だ。古くさいネタで挑んできた馬鹿な度胸だけは認めて取り上げてやろうか。
トシはズッキーと頷き合うと、カメラに向けてメリーさんとやらからの着信があったスマホを掲げた。
「はい、えー、たった今俺のスマホに電話がかかってきたわけなんですけど……なんと、あのメリーさんからでした! キッズたち知ってる? むかーしメリーさんからの電話って都市伝説があって――え、ヤラセ? 違う違うガチだって。俺たちならこんな寒いネタやんねーから」
配信画面に書き込まれる視聴者からのコメントに反応していると、再びスマホが着信音を発する。今度はスピーカーモードで応答した。
『私メリーさん、今バスの停留所にいるの』
プツ。
「メリーさんがいるのはここから一番近い停留所みたいですねー。さっきは県境だったんで、しっかり近付いているみたいでーす。次の電話で学校の前ぐらいに来るかな」
「トシー、視聴者からコメントだけど電話に出なかったらどうなりますかだってさ」
「おし、やってみますか。無視したらどうなるのか――お、さっそくかかってきたんで……」
♪~♪~~♪~……♪~♪~~♪~……。
しんと静まりかえった校舎内で、ただ無情に鳴り響く着信音。
それはおよそ二十秒ほど続いたところで途切れ、諦めたようにスマホの画面は暗転する。そこからコメントに相槌を打ちつつ二、三分待ってみたが、スマホに再度の着信が入る気配はなかった。
「おやおや、もしかしてメリーさんは諦めちゃったかなー?」
トシはそう軽んじてズッキーが持つカメラの前で肩を竦めた。
なんだ、思ったよりこらえ性のないアンチだ。この程度ならわざわざ取り上げてやることもなかったなと、ズッキーと無言であざ笑う。
――その直後だった。
《私メリーさん、その程度で逃げられると思った?》
突如、廊下中に響く年端もいかない少女の声。スマホのスピーカーとは比べものにならないほどの大音量にトシとズッキーは弾かれるように顔を上げると、慌てて音の発生源に目を向ける。
正体は天井付近に備え付けられた校内放送用のスピーカーだった。老朽化してとっくに使えなくなっているはずのその設備が、愛らしく澄んで、故に状況と不釣り合いで背筋を凍らせる音色を奏でる。
一方、予想外の事態に沸き立つ視聴者のコメントの群れの中、とある一文が鬨の声を上げた。
――いけ、メリーさん。
『お、おい何だよ今の放送!? 電気なんてもう通ってねえはずだろ?』
『俺が知るかよ! ハァ? だからヤラセじゃねえって言っただろ!』
トシ&ズッキーの狼狽はある意味見事なものだった。俺のスマホの狭い配信画面上でもよく分かるほどの慌てぶりで、比例して時間辺りのコメント数も増えていく。
視聴者の中には未だこれが彼らの自作自演だと疑っている者もいるらしいが、それについても問題ない。すぐにメリーさんの力は人知を越えたものだと、視聴者たちも思い知るのだから。
《私メリーさん、あらあら、聞いていたよりも臆病なのね》
メリーさんの声がスピーカーから流れる。トシの指摘通り本来だと使い物にならない設備だったが、強化された今のメリーさんの電気操作能力を駆使すれば、一時的に復旧させることなど朝飯前なのだ。
『う、うるせえぞ!? なんで使えるか知らねえけどどうせ放送室にいるってことだろ! 今から行くから待ってろ!』
『こっちだトシ!』
彼らがメリーさんの居所として目星を付けた放送室は同じ二階に位置する。全力で向かえば一分もかからない距離にあり、それなりに下調べはしていたらしい配信画面内の二人は走ってそこへ向かう。
だが、そもそもそこにメリーさんはいない。音声の出力先として校内のスピーカーを利用しているだけであって、発信自体はメリーさんの身一つがあればどこでも可能だからだ。
トシよりも先に埃が被っているだけの放送室を目の当たりにしたズッキーが地団駄を踏む。
『くっそ、いねえ!』
『どこだ、どこにいやがる! さっさと出てこねえと――ヒィィィイイイイッ!?』
『どうしたトシィッ!?』
前触れもなく頭を抱えて崩れ落ちたトシにズッキーが駆け寄る。
……ああ、これはメリーさん、アレを使ったな。
『おいトシ、しっかりしろ! 何があった?』
『……こ、声が。お前には聞こえなかったのか……?』
『声? いや、俺には何も』
『聞こえたんだよメリーさんの声が、頭の中で直接響いてるみたいに! 私メリーさん、今はあなたの中にいるもかもねって……!』
メリーボイスはテレパシー。メリーさんの声を特殊な電波に変換して相手の頭に直接送り込むことによる破壊力はASMRなんて比じゃない。
《私メリーさん、ちょっとした冗談よ。本気にしちゃった?》
『ふ、ふふふざけんじゃねえぞぉ……! いいから姿を見せろってんだ!』
《そればかりね。まあいいわ、そこまで言うのなら、廊下の窓から校庭が見てごらんなさい》
『校庭……?』
トシたちが恐る恐る放送室から廊下の窓に近付く中、俺も身を乗り出して同じように校庭を見下ろす。
そこには、
《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》《私メリーさん》
校庭を占拠するおびただしい数のメリーさんが。
『な、なんっ、なんだよこれぇぇえええ!? メリーさんって普通一人だろ、なあっ、なあズッキー、そうだって言ってくれよぉ!?』
『知らねえ、俺に言われたって知らねえよぉぉぉおおお!?』
メリー分身の正体は残像だ。メリーさんが特に修練を重ねてものにした超スピードでの移動・急停止を繰り返すことにより残像が生み出され、相手を視覚的に惑わせる。
数十体にも及ぶ分身、どれが本物であるかの判別などもはや人間には不可能だ。
『逃げるぞズッキー! こんなところにもういられねえよ!』
『わ、分かった、階段はこっちからの方が――な、なんだよ、椅子が勝手に動いて……!?』
二人が一階へ繋がる階段へ向かおうとした矢先、近くの部屋から一人でに飛び出してきた幾多ものパイプ椅子がその進路を阻む。
メリームービングは物体操作。金属が含まれるもの限定であるが、メリーさんは電磁力を駆使して手を触れずに特定の物体を動かすことができるようになった。その精密操作性たるや、皆さんご存じのあのポルターガイスター・縁之下さんも絶賛するほどだ。
『ちくしょぉぉおお! なんだってんだよおおおおお!?』
『トシこっちだ! こっちに抜け道がある!』
『ズッキー前!』
『うお危ねえッ!? くっそ舐めんじゃねえ、いつまでも好き勝手にされるかよっ!』
下への階段を塞がれて大きく迂回することになった二人になおもメリーさんの妨害が襲いかかる。
しかし、予想以上に彼らのハングリー精神は強い。逆境の中で芽生えたのか、数々の妨害をどうにか切り抜けながら学校からの脱出を目指している。
そんな彼らの奮闘を目撃し、俺は多少なりとも同情の念を覚えずにはいられない。いつしか生配信のコメント欄も大盛り上がりで、メリーさんに立ち向かう彼らを応援する声も見られる。
ほんと、同情するよ。すべてはメリーさんの手の平の上。切り抜けているように見えて、実は誘導されているだけだなのに。
『はぁ、はぁ……あそこだ、あそこから出られるぞ……っ!』
『よし……こんなところからは早いとこおさらばだ……!』
クライマックスの舞台は校舎の昇降口だ。息も絶え絶えのトシたちはやっとの思いでそこに辿り着き今すぐにも出て行こうとする。
『私メリーさん――』
そんな二人の背中を掴んだのは、校内放送ではないメリーさんの生の声。スピーカーを通すよりも明瞭な音声に思わず足を止めてしまったトシたちは、錆び付いたロボットのような動きで背後を振り返る。
彼らの視線に追従したカメラが昇降口から伸びる横に広い階段を、その踊り場に佇むメリーさんを捉えた。
その時目にした光景を、彼らは、視聴者たちは、そして俺は忘れることがないだろう。
薄暗い月明かりの中でもはっきりと姿形を視認できるメリーさんは妖しく笑い、くるりと流麗なダンスでも踊るようなステップで背中を向けた。
ふわりと翻るワンピースの裾に目を奪われるのも一瞬、メリーさんは背中を向けたままの体勢から勢いよく背筋を反らし、両の手足を完全に床につけた。
メリーさん形態変化・四足獣モード。
つまり体操におけるブリッジの姿勢を取ったと同時、メリー分身を発動。
再び出現した何人ものメリーさんを目の当たりにして今さら逃げ出すトシたちの背後に、
『今あなたの後ろにいるのォォォオオオオオ!』
階段を駆け下りる彼女たちは雪崩の如く一斉に追い縋るのだった――!
『ぎゃあああああああああっ!?』
悲鳴を上げた拍子に、トシたちの持つカメラがとうとうその手から転げ落ちた。
落下の衝撃で配信画面は大きく揺れ、何度か暗転と復旧を繰り返し、やがて機能停止に陥るカメラは今夜の生配信のラストカットを残していく。
そう、カメラの前を横切る無数のメリーさんたちを――。
「やったよメリーさん! 大成功だ!」
「ええ、まったくね! 自分でも会心の出来だったわ!」
その後、俺たちは夜が明けるまでメリーさんの大健闘を祝った。途中から縁之下さんもやってきてさらに大盛り上がりした。
無理もない。それだけの成果を残すことができたのだから。
今夜の生配信は終了から時を置かずたちどころにネットの海へと拡散され、有志の人たちによって切り抜き動画も作成され、各種SNSがメリーさん一色に染まっていく。
その様子を尻目に俺たちは祝杯を上げ続け、翌日のお昼過ぎに寝落ちから目覚めると、俺とメリーさんはネットの反応を改めて確認することにした。
お互いに笑みが隠せない。これからまたメリーさんが、メリーさんとして、その権威を取り戻すであろうことを想像するのが楽しみで仕方なかった。
とりあえず目についた、ネット掲示板でのメリーさんに関するスレッドを覗いてみることにした。
1:ほんとにあった怖い名無し
建てました
例の配信のフル版はこちらから→http://www.wetube.com/watch?v=○○○○
2:ほんとにあった怖い名無し
>>1 乙
俺の知ってるメリーさんと違う
5:都市伝説愛好家
>>1 乙です
メリーさんはどこ……ここ……?
12:ほんとにあった怖い名無し
メリーさんのゲシュタルト崩壊
43:ほんとにあった怖い名無し
メリーさんの皮を被った別の何か
62:ほんとにあった怖い名無し
>>43 いや、あれはメリーさんだ。私がそう判断した
80:ほんとにあった怖い名無し
>>62 ダブスタクソ親父は引っ込んでてください
124:ラー油好き
メリーさんのようでメリーさんじゃない少し違うメリーさん
135:ほんとにあった怖い名無し
>>124 少し?
222:ロリコン
ラストの踊り場のシーンでメリーさんのスカートの中が見れる件について
223:ほんとにあった怖い名無し
>>222
サンクス、スロー再生するわ
234:ほんとにあった怖い名無し
>>222
ほう、黒ですか……たいしたものですね
476:shindy
こんなのメリーさんじゃないわ! 普通にバケモノよ!
500:筋肉モリモリマッチョマンの変態
>>476 だったら怖がればいいだろ!
724:黒騎士(青)
知らないよこんなメリー!?
765:ほんとにあった怖い名無し
俺たちも知らない。いやマジで知らん
998:ほんとにあった怖い名無し
1000ならこれはメリーさん
1000:ほんとにあった怖い名無し
1000なら俺こそがメリーさん
1001:ほんとにあった怖い名無し
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