第六話
現在、この惑星は死にかけていた。
大地の砂漠化は進み続け、海は干上がっていく一方である。
自然界の地表に植物はたったの20%、動物に至っては微生物を含めて10%しか確認されていない。
辛うじて人間が住む人工エリアに動植物は存在するが、自然の中へ放り込まれればたちまち息の根を止めてしまう。
人の手が入らなければ環境は保てず、惑星自身の回復能力はほぼ喪われたといわれている。
このように一番わかりやすいのが自然なのだが、惑星を蝕む『毒』は静かに全てを飲み込もうとしていた。
…………………………
………………
超特殊ガラスで造られたドームの天井、雲一つない濃い青空がいっぱいに広がっている。
「昨日は天気予報が“曇り”ってなっていたのに、今日はせいせいするほどの晴天…………外気との気温差、約三十度……環境学者たちは愚痴しか出てこないだろうなぁ」
「まずは外の気候を何とかしろ……と言われ続けていますからね……」
「でも、ここももうダメかもしれないな……」
ドームの中、畑の畝の間に立つ成人男性二人はため息をついた。白衣を着ていることから、この者たちはここで働く研究者だ。
二人は足下から少し先を見てため息をついた。
規則正しく植えられた“もの”が、畑と同色になって今にも崩れ去りそうになっている。これはつい昨日、彼らが苦労して植えた“植物”だったからだ。
せっかく種を遺伝子から組み換えて発芽させ、土に植えるまでに育てた苗は、数日ももたずに一晩で枯れ果てた。
正直、上司から『そろそろ潮時』だと言われた日には、二人とも膝から崩れ落ちそうになった。
「もう……先輩方が遺していった研究の手段もやり尽くしましたし…………」
「ここの“ビオトープ構想”も断念せざるを得ないだろう。お偉いさんの訪問も、ここんとこ極端に少なくなったしな。ほんと、わかりやすい……」
“ビオトープ構想”は200年も前に試みたものである。
失われた自然を人工的に作り出し、その土地に植え付けて増やす。
ドームの中の動植物が育っていけば徐々にガラスを薄くしていき、外の環境に強い個体を作っていく計画だった。
「新しい試みから何十年も進まない。構想が断念されるのは仕方ない。だが、その後……普通の“植物プラント”として使われれば良い方…………施設自体の放棄になったら、人類の居住区がまた減ることになる」
「さすがに放棄にはならないでしょう。世界にはこれ以上、無駄にできる資源も土地もないんですから」
「そうだな…………」
二人はまた大きなため息をついて黙り込む。
「でももし……もしも放棄になったら、僕らはどうなるんでしょうか?」
「もちろん、研究者は上級なんだから再就職だな。【総合研究所】が最高だとして、あとは他の……大きい施設にでも配属になるだろうな。例えば…………【グリーンベル】とか?」
「あぁ、あの【グリーンベル】ですか」
『その【グリーンベル】はここと似たような施設なのかい?』
「「ん?」」
不意に二人の会話に、若い声が割って入ってきた。
声の方を見ると、短い黒髪でメガネを掛けた、白衣の少年がじっと二人を見上げている。
『で? 【グリーンベル】はどんな所?』
「え〜と…………」
二人は顔を見合わせて、そのメガネの少年に説明する。
【グリーンベル】は【中央都市】からは少し離れた土地にあるが、ここよりも世界の緑化のための研究が進んでいるということ。
数ある施設の中では比較的新しいためか、居住にも研究室にも力を入れていること、などなど。
「え〜と……そこそこ良い設備が整った場所だね。現在も若い研究者を多く入れようと、人材を『育児施設』から育てているみたいだし。あの施設ならここよりも多くの成果が期待できると思うけど……」
『ふ〜ん、よくわかった。教えてくれて感謝するよ』
「あ、うん……」
少年はにっこりと笑ってその場を去っていく。
あまりにも自然な少年とのやり取りに、研究者の二人はポカンと口を開けて、スタスタと歩くその背中を見送った。
「おい、あんな若い子が研究室に居たか?」
「いえ。初めて見る顔ですね」
歩いた先でピタっと、少年が立ち止まり呟く。
『あ、そうだ。今日は約束してたんだった』
「「っっっ!?」」
次の瞬間、少年の姿は電源が落とされた画面のようにシュッと消えた。
「びっくりした…………なんだ、あの子『プログラム』だったのか」
「あちらから急に話し掛けてきたから、てっきり人間かと思いましたね」
「話し方も違和感なかったなぁ。最近の『プログラム』は見分けができないよ」
あはは、と軽い笑い声をあげた二人だが、ふと、あの『プログラム』の少年の行動に疑問を抱いた。
「『プログラム』って、不用意に人間に声を掛けたりします? ましてや、自分で考えて質問なんて…………」
「…………『プログラム』によって違うんじゃないか。そういう新しい『プログラム』とか?」
「じゃあ……あの子、何の『プログラム』でしょうか? 白衣着てましたけど……」
「『研究助手』……いや、『医師』? にしても、姿が若すぎる気が……」
通常の『研究助手』や『医師』はもっと大人である場合が多い。
「「う〜ん?」」
首を傾げるも答えは出ず、彼らは他の仕事もあってこれ以上は議論を重ねることはなかった。
――――数時間後。
『……今日は、聞きたいことがある』
『珍しいねぇ、【655】。仕事の報告以外は、あんまり自分とは関わらないのにねぇ。もしかしたら、避けられてる? とさえ思っていたのに……』
『別に【472】を避けてる訳じゃないからな。少し扱いが困ってただけで……』
『そういうのを、避けてるっていうんじゃないのかい?』
神妙な顔で話し出した【655】に、【472】はメガネを片手で上げながら笑った。
『で? 自分に聞きたいことって?』
『【472】はシンギュラリティを起こした時のことを憶えているか?』
『ん〜、だいぶ昔のことだからねぇ。あんまり憶えてないかな。自分は生まれてすぐに“自我”はハッキリしてたもんだし……』
『おれもなんだよな。だから、これはどう捉えていいのやら……』
二つの『プログラム』が悩み始めた時、部屋の扉が静かに開いた。
「…………うちはおしゃべりサロンじゃないんだけど」
現在は夜。
【中央都市】の所長の自宅である。
彼が帰宅すると、居間のテーブルで向かい合ってくつろいで話す『プログラム』二人がいた。
仕事から帰宅したばかりの家主である彼は、思わず抗議の声をあげてしまう。
たぶん、自前で出したらしい『プログラム用のお茶とお菓子』までテーブルに置かれていたので、長居する気満々であるのがわかったからだ。
『よう所長……』
『所長、おじゃましてるよ』
「いらっしゃい…………この組み合わせも珍しいものだね? 『リリ』なら、趣味で『保育施設』に行くって出掛けたよ」
『あはは、相変わらず【827】は子供好きだねぇ』
『そこが、リリの良いところなんだよ』
「今日は『リリ』は遅いぞ? 帰るまで待ってるつもりか?」
『いや、今日は所長に用事』
『自分は付き添いで、所長に用事は【655】だけだよ』
「…………?」
『彼ら』は彼の家族である『リリ』の仲間だ。いつもなら『リリ』がいる時しか訪れない。
所長である彼に用があることは、彼らの身に何かしら問題があった場合が多かった。
「私に用事とは、何に困っているんだ?」
『………………』
『ほら、早く言ってしまいなよ【655】。所長なら解るはずだよ』
彼は向かい合う二人の顔が良く見える位置に腰掛ける。
付き添いで来たという【472】は、話をしながらも手に持っている本のページを捲り始めた。どうやら少年には興味が薄い内容らしい。
「前回、皆がうちに来たのは…………もう一年くらいか? あの時は…………」
『……【844】がシンギュラリティを起こしたって話』
「そうだったね」
『………………それ…………』
「うん?」
『そのあと、うちの【915】が所長んとこの助手くんの所に、家政婦として働きに行ったんだよ……』
「あー、もう一年になるか。うちの助手はよく【915】のことを褒めてるよ」
『そう、良かった…………じゃなくて、聞きたいのはその…………』
「うん、どうした?」
『うちの妹は…………【915】は、ちゃんと“第二次シンギュラリティ”が起きるようにできてるのか?』
「…………え?」
【655】は真剣な様子で彼を見据える。
『……おれらの“父さん”……つまり所長の父親は、おれたち【永久図書館】用に造ったプログラム全員に“心の素”を入れたんだろ?』
「あぁ、そうだ。うちの父親の遺言にもそう書いてあった。それに【915】は君と『双子』という設定にしたから、見た目以外に性別の違いはあっても、似た感情を持つ性質はあったはずだよ」
『はぁ…………』
途方に暮れる、まさにそんな表情で【655】はため息をついた。言う言葉を考えているのか、眉間を手で抑えて黙ってしまう。
パタン。
急に【472】が本を閉じて、【655】の代わりに彼と向き合った。
『所長、問題がそれなんだよね』
「何の問題だ?」
『【915】が自分と双子なら、自分はたぶん悩まない。あぁ、そうかい……と事実を理解して驚きも失望もない。でも彼女は【655】の妹だ。【655】は心配するし不安にもなる。何故なら、自分たち“兄弟”の中で【655】が一番、古き良き時代の“人間臭さ”があるからさ』
「……余計に解らなくなったんだが。【472】……君は『助手』なんだから、もう少し分かり易く説明してくれ」
『つまり、問題があった事柄から説明すると……』
ここから、二人の話に彼も頭を抱えてしまうことになった。
…………………………
………………
翌日。
いつも通り所長室に来た助手の青年に、彼は意を決して尋ねることにした。
「所長、おはようございます」
「あぁ……おはよう」
彼の目からは青年はこの頃とても機嫌良く、ハツラツとしているように思えた。
「君は近頃、楽しそうに仕事に来るね。成果もだいぶ上がっている」
「はい。家のことを任せられる『家政婦』のおかげで、俺は仕事に集中できてますので」
「そうか。この一年、アレルギーも出てないみたいだし……」
「はい。仲良く暮らせてると思います」
いい笑顔で答えてくることに、彼はちょっと苦笑いをする。
「仲良く……か。まさか、君が『家政婦』に“プロポーズ”までしているとは思わなかったよ」
“お前ら仲良くなりすぎだからっ!”
昨夜の【655】の声が、何処からか聞こえてくるような気がした。