第四話
三分前から、彼はベッドの中で身動きせずにボーッと天井を見詰めていた。
「………………………………」
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
「起きるか…………」
アラームが鳴って、それを合図に手を動かし始める。
まるで、アラームが鳴らないうちは起きてはいけない、そんな掟を自らに課しているようにも見えた。
朝。と言っても朝方に帰ってきて、昼近くの起床である。昨夜はホログラムで急ぎの会議が入り、時差のある地域で一晩中、講義をすることになったためだ。
起き上がって自身のスケジュール表を空間に出し眺め、出勤が午後からになっていることを確認する。
――――あー……ダルい…………年々、夜の仕事がキツい……。
のっそりと立ち上がり洗面所へ行くと、いつにも増してクマがきつくなった疲労顔が鏡に映った。
「うっ…………」
――――胸焼けが酷い…………そういえば、昨夜の会議で夜食が出たんだっけ。
「食事を抜くって言ったら『リリ』怒るよなぁ…………」
よろよろと廊下を歩いていくと、目的地の居間の方からガヤガヤと複数の話し声が聞こえた。
「…………?」
この家には彼と『リリ』しか住んでいない。
しかし、彼はある事に思い当たってひとり納得する。
――――……あぁ、なんだ『お客様』か……。
彼は静かに居間のドアを開けて入った。
キッチンと繋がっているため、居間のインテリアはどこか可愛らしいデザインだ。この家主である彼の趣味ではなく、一緒に暮らす『リリ』の雰囲気そのものである。
「…………うちは集会所じゃないんだが……」
彼は大きな楕円のテーブルと周辺の席に着いた『彼ら』に、半ば諦めたような表情で言う。
『あ、おはよう。いいじゃない、ちょっとくらい。みんなもあなたに会いに来たんだし』
「まぁ……みんな、久し振りだな…………」
『ん、久し振り。相変わらず顔が疲れてんな』
『おはよー。研究は進んでるかい?』
『おじゃましてるぞー』
『おはようございます』
全部で四人の『お客様』は、次々と家主の彼へ挨拶の言葉を投げる。
一番手前に『リリ』が座っている。彼女の向かい側に二人座り、テーブルの向こうの奥の壁際に二人立っていた。
「ふぅ…………みんな元気そうで何より」
『ため息つきながら言わないの』
「こっちは昨日遅かったんだよ?」
彼は『リリ』に軽い抗議の声をあげながらも、部屋に居る全員の顔を確認する。最近会った者でも五年以上前であったことを彼は思い出した。
『リリから聞いてたけど、お前働きすぎじゃないか? ちょっと見ない間に、すっかり中年のオッサンみたいになってるし……』
「まさに中年のおじさんだよ。相変わらず、見目麗しいクセに口が悪いな【143】……私が変わったんじゃなくて、みんなが“変わらない”んだ。そりゃ『プログラム』だから当たり前だけど……」
彼はため息をついて、呆れたような諦めたような口調で少年たちを見回した。
「私はあと二時間で出社だ。用件はなんだ? 来るって言っといてくれれば、私ももっとゆっくり話せたのに…………」
『急に来て悪い。忙しいのもわかってたんだけど、ちょっと至急で聞きたい事があって…………』
先ほど口の荒さを披露した、白っぽい髪の美しい中性的な顔立ちの少年【143】が言う。
『久しぶりに嬉しいニュースなんだけど、当人たちにとっては深刻なニュースなんだ。自分はあんまり分からないけどねぇ』
分厚い本を閉じて、眼鏡を掛けた短い黒髪の少年が癖のある言い方をする。こちらは【472】という。
テーブル席にいるのはこの少年たち。見た目の年齢は『リリ』とそんなに変わらない。
『おれから見れば、あんまり過保護に心配するのも良くないと思うんだけど…………お前はどう思う?』
『わたしの理解の範疇にはありません』
『………………そうか……』
少年たちとは別に、奥の壁に立っているのは二十歳くらいの背の高い男女。
二人とも顔がそっくりであり、昔の資料にある『双子』という兄妹だ。
しかし二人の雰囲気は真逆である。
黒っぽい短髪が兄の【655】で、壁にもたれて楽な姿勢で『リリ』や少年たちを眺めている。
同じ髪色のストレートヘアの妹【915】は、無表情に背筋を伸ばして立ち、真っ直ぐに前を見詰めて微動だにしない。
『ここに来る前に、みんなで“父さん”の墓参りもしてきたんだ。もう“父さん”が亡くなって三十年なんて早いな……』
懐かしむような表情で【143】が彼に話を振る。
“父さん”とは彼らの製作者だ。
その“父さん”は『プログラム』のあらゆる種類を作成し、その普及率は世界の50パーセントを占めていた。
この『お客様』の四人は『リリ』と製作者が同じ、いわば“兄弟プログラム”とも言える存在だった。
「ありがとう。私も年に一度は参っているが、みんなが来てくれたなら“父”はきっと喜んでいるな」
『うんうん、“父さん”は賑やかなのが好きだったものね!』
『リリ』も満足そうに頷く。
彼らの“父さん”とは、彼の父親である。
「さて、さっき言ってた“深刻なニュース”っていうのは何だ?」
それを区切りに、彼は全員の顔を改めて見回した。
「……何があった? 私の所に『集まる』なんて危険を冒してまで、お前たちがここに来るのには必ず『意味』があるだろうし」
『『『…………………………』』』
一般的な『プログラム』は主の許可なく動いたりはしない。まして、私用で外出などしないだろう。
こうして集合するところなどを見つかれば、即座に『異状なプログラム』として排除されかねない。
“人間への反乱分子”とみなされてしまうからだ。
全員がお互いの顔をチラチラと見回した後、『リリ』が彼の方へ向き直った。
『【143】に“妹”がいるのは知ってるよね?』
「あぁ、うちの父が最後の方に作成した、基本が『子守り』のプログラムだったね」
『あの子……【844】が、少し前に第二次シンギュラリティを起こしたのよ』
「へぇ。それは、おめでとう」
『…………めでたくねぇんだよ』
【143】がため息をついて項垂れる。『リリ』が少年の肩をポンポンと叩き説明を続けた。
『それが、二次を起こした直後に運悪く政府のシステムに見つかってね…………消されはしなかったんだけど、“不適合”にされて主と引き離されちゃった。それ以来、ずっと“図書館”に籠って泣いてばかりいるらしくて…………どうしたら良いか? って話してたの』
黙って聞いていた彼は不思議そうに首を傾げる。
「心理的過重によるストレスなら、マニュアル通りの治療法でいいはずだ。治療後に少し期間を置いて、また出直せばいいんじゃないか。もし、政府のシステムに対して恐怖心があるなら、うちの研究所でしばらく慣らせば………………」
『『『………………………………』』』
その場にいたほとんどが、キョトンとした表情で彼を見た。程なく【655】が大袈裟に首を振りながらため息をついた。
『はぁ〜、所長には解らなかったか……』
「へ? 何がだ? 『プログラム』のトラウマ対処ならそれだろう」
『所長、違う違う。重点はそこじゃない』
【143】と【655】が項垂れる。
『兄さん、わたしも所長の対処は適切かと思いますが?』
『あ、【655】。自分もよく分からないけど。あれの何が悪いの?』
『…………二人は黙って聞いてろ』
純粋に意見を言った【915】と【472】は、頭に「???」を浮かべているようだ。
【655】はため息をつきながら、双子の妹と眼鏡の少年に対して哀愁の目を向ける。
『ん〜……つまりね、第二次シンギュラリティが起きた“原因”がその主の男の子で…………【844】はその……男の子ことが、好きになっちゃった……みたいなの』
「…………“恋愛感情”……一番難しいな」
『『『だよねぇ……』』』
『リリ』【143】【655】がガッカリした顔で首を振った。
『今は諦めさせるのが一番なんだよ…………未発達のプログラムに悪影響を及ぼす感情は、そのままにしておくのは危ないし……』
妹のために“叶わない恋”から引き離そうと考えているはずの【143】だが、まるで当の本人のように辛い表情を見せていた。
「他にはきちんと会わせて落ち着かせるか……だな。念の為その男の子ってどこの子だ? 【中央都市】で生活しているなら、私を通して会わせてやるくらいはどうにかなるが……」
『無理だ。そいつ、政府が“遺伝子細胞の保護対象”にしているから、部屋から一歩も出られないんだ』
「なるほど……中級の『生活空間』の人間か。24時間体制で見張られてるじゃないか」
世界政府が減ってしまった人口を増やすための政策の一環で、特定の人間に『生活空間』という個別に与えられる場所がある。
研究者や特殊な技能の才能を持たないが、心身共に極めて優秀であると判断した人間の遺伝子を、生きている人間ごと保管管理するために作られた仕組みだ。
そこに住む人間は【中央都市】に住めなくとも、『生活空間』内にて衣食住を全て与えられ、限られた中で何不自由なく過ごすことが許されていた。
『生活空間』の住人の世話をするための『プログラム』も政府に用意される。
『俺たちは“来るべき日”に備え、この【中央都市】の他にも動けるための“回線”を増やしたいと思ってた。だから、まだ人間と接したことがなかった【844】には練習も兼ねて、中級者でもなるべく大人しそうな奴の所へ派遣してみたんだ…………けど……』
「見事に主の子に恋着して“心”を開花させた…………と。それは別に良いんだが……」
『良くない……』
『身内からしたら嫌なもんだぞ。いつもお兄様優先だった妹が、実家に戻りもせずに男に夢中になってるんだし。おれだって複雑な気持ちになる…………ま、おれんとこはまだまだ先の話だろうけど』
同じ兄という立場の【655】が【143】の味方につく。
その時にチラリと隣りにいる妹に視線を向けるが、彼女は真っ直ぐ前を見たまま黙って立っている。
「みんな、これ以上は私の専門外なんだが……?」
彼が嫌な予感を抱え始めた時、『リリ』がツンツンと腕をつついてきた。
『私は別に良いけどね。“弟”に彼女ができるのには賛成よ。ね、あなたは予定は無いの?』
「特には……」
『ふぅん?』
『リリ』の顔には「なんだ、つまんないなぁ」というセリフが滲み出ている。
――――私から見たら、みんなの方が面白いのだけどね……。
彼が出勤する時間になっても『プログラム』たちは居間を占領し、その真剣な様子に彼は思わず口の端を上げてしまった。