第三十三話
“人類が滅ぶ確率は92%”
【永久図書館】の見立てでは人類に未来は無かった。
最初にそれを聞いた時、所長は何とかそれを覆そうと考えた。
人類が誰一人居なくなる世界。
浄化され、新しい大地が創られ、新しい動植物たちが一から造っていく世界。
それは、かなり前のこと。
ふと思った疑問があり、所長は自らの立場から世界の意見を聞いてみたくなった。ちょうど、『惑星再生計画』の事で参考にしようと思い、現代人の意識調査をメディアを通して流してみることにした。
何も無いところからの出発なら、人はその世界をどうしたいと思うのだろうか?
『もしも世界を創れるのなら?』
――――いや、“創る”というのは人間の傲慢だろう。でも、みんなはどう思うのか?
世間に静かに浸透した質問には、様々な地域から答えが寄せられた。
・自由に行き来できる世界がいい。
・色々な人々が暮らせる世界にしたい。
・美味しいものがたくさんある世界。
・面白い場所や良い景色が多い世界。
やはり人間が考える事は偏りが多く、だいたいはこんな回答だった。
そして、一番多かった答えが…………
・“悪いもの”が全て排除された世界。
――――あぁ……最近の若い子も、少しはまともなことを考えるじゃないか。
帰ってきた答えは想定の範囲内だと言える。
今の若者に流行っている『滅亡論』とはこんな感じで、“悪いものを無くしたい”という自分の信じる“正義感”の表れだった。
人類が滅んだ先、世界を創るのは惑星自身であり、それを大昔には『神』と呼んでいたのだ。
人間にできるのは、世界から存在を“許される”こと。この世界を正常に保つことだった。
最初にその倫理から外れた人類は、世界から排除されるのが当然の罰である。
「怠った罪に、罰が問われるのは当然かもな……」
不適切としてメディアには決して流れない回答を眺めつつ、所長の胸には多少の“楽しさ”が芽生えていた。
…………………………
………………
そして現在。
所長は目の前の巨大な水槽を見上げる。
壁のような水槽の見る限りの大きさは、高さにして20メートル、幅は50メートルはある。
奥行がどのくらいあったか思い出せなかったが、キロメートルはあったはずだ。
赤い水が満たされたその真ん中。
もはや人間を完全に卒業してしまった『会長』が、大きな赤い水槽で揺蕩っていた。
「『会長』、あなたが入っていらっしゃる水槽……それが何かお解りですか?」
『知っているとも。この液体には、世界の“すべての記憶”が入っている』
「えぇ。厳密に言えば『この世界に存在したあらゆる物質の素粒子情報』です。浄化が終わった世界で、自然界に発生する必要があるものを構築するための設計図…………」
浄化された地で、新たに芽吹かせる生命の情報を凝縮した液体である。
「それは惑星の“核”に注ぎ込むために用意したものです。システム化した惑星が、自らの再生能力で自然界に“存在”を増やすための」
『もちろん、それも知っているさ。ここに入っているものは惑星のシステムの一部となる。そして、惑星再生の際には地上にそれらが自然発生してくるのだろう?』
かつて、生まれたばかりの惑星に原始が想像されたように、人工的に浄化再生された世界に同じように生命が発生する仕組みを組み込んでいたのだ。
「そう。ここに入れてある情報は、主に野生に生きるための動植物です。ですが…………そこに『人間』は含まれていません」
元々、人間はわずかながらも生き残り、再生された世界で再出発を図る予定だったのだから。
「あなたがそこに入ったまま、惑星の“核”に取り込まれてしまえば、自然界に『人間』が発生することになりかねない」
『ふ…………何を言うのかと思えば……それの、どこに問題があるのかね?』
「問題は『人間』そのものではなく、『人間』の種類があなたの一族だけになることだ」
『あぁ、そこは問題ない。【中核基地】の保管してある他の人間の情報も入れておこう。もちろん、儂が選出した人間だけになるがな』
「発生するのは、『神』に選ばれた『人間』と仰りたいのか」
『人間』の情報はあくまでも人口を殖やすため、遺伝子に偏りをなくすために保存していたものだ。
『君も解っていると思うが、このままの人類では再び同じ運命を辿ることになる。ではいっその事、まったく違う人種を創ればいい』
――――確かに、保存している現代の遺伝子をそのまま使うことは、“短命”などの問題を解決していない状態だ。
「…………でも、あなたに忠実なだけの『人形』を増やす訳にはいかない」
『では、さっき言ったように取り除けばいい。残念ながら、半分以上は溶け込んでしまったから不可能に近いだろうが。ふはははははっ!!』
「……………………」
どんなに急いだつもりでも、所長が来るのが遅かったのだ。
『だが、安心したまえ。君もここへ入ってくればいいんだ』
「こんな混浴はお断りします。この状態で私が入っても、あなたの一族の仲間入りをするだけですし…………」
『ふふ、ははは……!!』
このまま進めば、『会長』の望む世界はほぼ出来上がってしまう。
何も知らない世界で、『会長』の一族は神に等しい発展を遂げるだろう。
「……あなたは新人類たちから『神』として、『王』として崇められる。もしかしたら、『賢者』や『聖人』とも呼ばれるかもしれない」
ギリッと拳を握り締め、所長はズンズンと水槽へと近付いていった。
「でも、あなたの考えについていけない『人間』だって、きっと現れるに違いない。だって、一人一人が『あなた』ではないのだから……」
所長の身体にまとわりついている青い光が、スルスルと彼の右腕へと移動していく。
「その時、あなたは『それ』を排除しようとするでしょう。あなた中心の世界で、『それ』は異物扱いになる」
ペタッ。
光を纏った腕が水槽の表面に触れた。
『ほぅ、どうしょうというのかな? やはり君も、こちらに入って共に進もうとするか?』
「たぶんもう、私が入っても92%は覆せない」
『……? 何を言っている?』
「私はそこには入らない。でも、代わりに…………」
『っ……!?』
青い光が、所長の腕から離れて水槽をすり抜けていく。
「一人だけに、世界の全部は渡さない」
ゆらゆらと揺れる影目掛けて、青い光はジグザグに突進していった。
一気に影を捉えて絡みつくと、だんだんと凝縮するように締め付けて丸くなっていく。
『何だ、これはっ!?』
「私が造った最後の『プログラム』です。どうか、惑星再生の際にお使いください」
『ぐっ!! や、やめろ!! 囲むんじゃない!!』
赤い水の中で『会長』の影はぎゅうぎゅうと青い光の球体へと押し込まれていった。
それでも球体からは『会長』の声がハッキリと聞こえてくる。
『こんなことをしても、儂の一部はもう惑星に入り込んでいる!! 消滅などしないぞ!!』
「大丈夫です。その『プログラム』はあなたにしがみついたまま、一緒に“核”へと吸収されていきます。さっき、消去するとは言いましたが、それは不可能だと思っていましたので諦めていました。だから、あなたを独りにはさせませんよ」
『ぐわぁああああっ!!』
苦痛による悲鳴ではなく、束縛されたことによる抵抗の叫びだ。
「拒まなくても大丈夫。あなたの統治に間違いがあれば、『プログラム』が指摘して合理的に導いてくれる。簡単な『監督』みたいなものだ」
『最初からこのつもりだったか!? 儂はこんなものは要らな……』
「独裁じゃなければいい。新しい世界を二柱で仲良く治めてください」
『これをどけろ!! 儂は…………“神”だぞ!! 新しい世界で全ての正義の象徴として――――』
「あなたも意外にロマンチストですね」
ゴンッと水槽に額を付けて、所長は喚く塊に薄く笑う。
「世界を創る『プログラム』が、正義感なんて“感情”なんて持ったら、ひとつも身動き出来なくなってしまいますよ」
あの『プログラム』には、もちろん“感情”は与えていない。
ただただ、『会長』のやろうとする事の結果を算出し、余計な事を削ろうと動くだけ。
「長い歴史の中で『神』は必ずしも正義ではない。感情とか正義とか、そんなもので測れる存在じゃないと思われます」
もしもそんな『神』が、浄化をするために世界を更地にしたり、人間をリセットなどしたりすれば、己の功罪に押し潰されて世界どころではなくなると思ったのだ。
「だから、自分の支配欲と正義を振りかざすのは『神』じゃない」
『邪魔をするのか……!! もう遅いと言ったはずだ!!』
「えぇ。私が邪魔をするなら、新しい世界が出来上がってから。あなたが勘違いした“善”を振り撒こうとしたらです」
ここからどう足掻いても『会長』が上に立つ未来が待っている。
『“神”や“王”に逆らうことは罪深いのだぞ!』
「罪……ですか」
『っ!! 貴様、何が言いたい!!』
「現代人のせいで犠牲になった『原始人種』の弔いになるかと…………いや、ついでみたいなものか…………」
問答を返す中、水槽の向こうの所長は笑顔を崩すことがなかった。
「あなたが今のままの正義を振るおうとするなら、私は“巡って”も世界に逆らい続けます。あなたが『神』であると言うのなら、私は未来永劫“悪”で構わない。だから、覚悟していてください…………」
片手でガンッと水槽を叩いて、所長は『会長』を睨み付けた。
「私は『魔王』になってでも、『神』であるあなたを追い詰めていく」
『神』が勝手に人間を選別しないように。
新しい世界に生まれた人類が、今度こそ自分で世界に立てるように。
『くっ……潰してやる! 絶対貴様らは潰してやるっ!!』
青い光の球が『会長』の声と共に、水槽の奥へ奥へと進んで見えなくなった。
それを確認すると、所長は水槽に触れていた手をそっと離した。
その途端、水槽の表面に全体にぎっしりと数字と文字が並ぶ。
「プログラム『女神』。“核”へ到達し次第、データベースから『人類』の情報をそちらに移動させなさい。その後に掛かる浄化の規模と時間は、汚染の具合いによってそちらの判断に委ねる」
ピピッ。
どこからか機械的な音がして、水槽に大きく『算出中』と『実行中』の文字が現れた。
「そして…………浄化中、浄化後にかかわらず、【永久図書館】からの情報は受け取るように……」
ピピッ。
次に『了解 シマシタ』と大きく表示された。
「ははっ………いい子、だ…………ゴホッ!! ガッ……ゲホゲホ!!」
水槽に背中をつけて、所長はズルズルとその場に座り込んだ。床には徐々に血溜まりが広がっていく。
「この惑星は『女神』に託そう。8%の希望が、新しい世界に生まれることを願って……」
ピピッ。
『“核”ノ 侵入範囲 ヘト 到達シマシタ。只今ヨリ、システム ノ 組ミ込ミ ト 浄化ヲ開始シマス』
「…………浄化終了予定は何時間後?」
『浄化終了予定 ハ 約17,532,000 時間後』
――――浄化完了まで約2000年か。
「ははは……どっちにしても、私たちはダメそうだったなぁ」
途方もない時間を聞いて、人類が滅ぶ方が早いことを悟る。
「浄化をしなくても良い地域…………残る人類は?」
『0% ニ ナリマス』
「ごめん、開始して」
『開始 シマス』
残す土地も人類もいない。システムとしても、今の人類や環境は最悪ということだった。
ヴゥヴヴヴ…………
全体に細かい振動が起きた。
天井や壁にチカチカと火花のような光が走っていくのが見えた。
背後ではブクブクと液体が沸騰したように泡立ち、少しづつ水位が下がっていく。これは、惑星の中心へと“情報を持った液体”が移動しているせいだ。
どうやら思ったよりも早く、この【中核基地】も浄化対象にされて潰されるのだろう。
「いや……ここが最初か………………“世界地図”を」
ピピッ。
目の前に出たモニターに、簡単な世界地図が映し出された。
「……【中央都市】、【グリーンベル】……この辺りからが始まりか」
世界の表面を焼き尽くすのに、惑星の裏側までなら1ヶ月も掛からないだろう。
残る力で『女神』へと、今後の『惑星再生計画』の指示を出した。
全てを整理した途端、所長は完全に脱力してため息をつく。
「…………死にたくないなぁ」
思わず漏れた独り言がおかしい。
あんなに、自分は寿命が近いと覚悟していたのに、いざ死と向き合うと命が惜しくなってくる。
――――こんな弱音を吐いたら、『彼女』に怒られるだろうか?
「………………『リリ』……」
「なぁに?」
「へ……?」
いつの間にか、顔を覗き込む『リリ』が隣りに立っていた。
「あ…………」
「来ちゃった♪」
「…………夢?」
「そう思うなら、そう思っていいよ」
「………………」
置いていったことに何か小言を言われるのではないかと待っていたが、『リリ』はじっと所長を見詰めて微笑むだけだった。




