第三十一話
『大統領』のプログラムに面会している所長を追ってきた『リリ』。
しかし、建物内にはいつも居るはずの人間の姿が見えず、代わりに行動がおかしくなった『暴走プログラム』が歩き回っている。
『【915】、なんでここがこんな風になってるか知ってる? 他の職員とか人間を見掛けなくなったのだけど、他の皆からは何か言ってなかった?』
『正直、わたしもまだ状況が解っていません。ここへ来る前に、兄さんから言われていただけでしたので…………――――てやっ!!』
言いながら、【915】はサーベルを『リリ』の頭上で水平に薙ぐ。
『ひゃあああっ!! もうっ、びっくりするー!!』
会話途中でも容赦なく、何も無かった空間から『暴走プログラム』が突然飛び掛って来るようになっていた。
とりあえず、1階のエントランスホールから移動するために奥へと進もうとした時、
『おい、リリ。【915】がいるからって油断すんなよ』
『あ……【143】、来てくれたんだ!』
【915】の背後から、白っぽい髪の少年【143】がパッと現れた。
頼りになる仲間の顔を見たせいか、『リリ』が顔を上げて笑う。
『喜んでる場合じゃねぇぞ。すぐに動いた方がいい。ここじゃ、俺もそんなに役に立たないし』
『でも【143】がいれば、ここから他に回線を伸ばせるじゃない』
図書館側の『プログラム』があちこち行けるのは、リーダーである【143】が仮の回線を通す技を持っているからだ。
『ふん…………だから、油断するなと言ってるだろ。途中で俺がヘマしたら、図書館に帰れなくなるかもしれないんだし…………おっ、と…………』
バチンッ!!
その瞬間、【143】の背後に『プログラム』が現れるが、彼に近付いた途端にそれは弾け飛んだ。
どうやら、【143】の周辺には予めバリアーのようなものが張られていたようだ。
『……ったく。ウザいんだよ、雑魚が』
『あなたはヘマのしようが無い気がする…………』
『買い被んな。数で押し切られたら、俺だってひとたまりもねぇよ』
今は一体ずつ襲われていたが、回線が集中してある場所では一度に何体も出現することも有り得る。
『ここは政府の回線が無数にありますから。回線を潰しても、いくらでも修復して湧いてきていますしね』
『それに比べて、私たちは自分の回線一本を護るのに精一杯か…………』
まるで一本の細いロープを命綱にして、深い谷底へと降りて行く気分になる。
『ねぇ、先に行った所長は大丈夫か……分かる?』
さっきのように、おかしくなった『プログラム』に所長が襲われていないか不安になった。
『所長は運良く“暴走プログラム”には会わなかったみたいだな。ここへのアクセスをした際に、所長の入室の確認が取れたから』
『そう……良かった。でも暴走って……何でここのプログラムが急におかしくなってるの?』
【143】と【915】は顔を見合わせたあと、『リリ』に向かって同時に頷く。
『急にこの建物の回線の配置が変わったと同時に、いくつかのプログラムの行動がめちゃくちゃになった。誰かがプログラムの命令系統を書き換えたようだ。ま……“誰か”って言ってもあの野郎だけだが……』
眉間に皺を寄せて【143】が天井を仰ぐ。
『主に“警備員”や“清掃員”が、この建物の上層部へと招集させられていましたね。ここで彷徨いているのはその他のプログラムです』
『上層部って、大統領の部屋ね』
『あぁ。所長の歓迎にでも呼ばれたんだろう』
『っ……!!』
それならば、今頃は所長の周りに『暴走プログラム』が……?
そう言おうとした『リリ』に、【143】は黙って首を横に振った。
『所長が居る場所には会長が居る。大統領の部屋以外のプログラムを暴走させて、所長以外の人払いをしたんだろう。会長はわざわざ、所長が来るのを待っていただろうから……』
『……………………』
思惑、予測、魂胆、思考、決意…………自分たちに考えがあるように、相手も背水を強いて死力を尽くして考えるのだ。お互いに思い通りにはいかない。
ピッ。
【143】の目の前にモニターが現れて、文字や数字の羅列が高速で流れる。
それを眺めたあと、彼は不愉快そうに顔を歪めた。
『…………今は大統領の部屋に向かう。所長が予定通り大統領を抑えられれば良し。それが出来なかった場合は、ここからの脱出になるだろう。回線の集中具合いから、大統領の部屋じゃないと俺たちも他へ移動する回線を伸ばせないだろうし』
『わかった……』
『プログラム』が正常に動かないせいで、普段使っている自動通路や上下移動のポータルが使えず、『リリ』たちは非常用の通路を通って『大統領』の部屋へと向かった。
『あっ…………』
途中、廊下の向こうに人影が見えたが、『リリ』が声を掛けようとする前に【915】に腕を取られて何もせずに通り過ぎた。
『今……人が…………』
『……首が、有り得ない方に曲がっていました』
『…………………………』
『止まるな。行くぞ』
もう実害が出ている。
この建物に居た、数少ない人間は諦めた方がいい。
…………………………
………………
ビィーーーーーッ!!
ビィーーーーーッ!!
ビィーーーーーッ!!
向かう途中で建物内に、何かの異常事態を報せる警告音が鳴り響く。
それと同時に『暴走プログラム』が通路に現れる頻度が高くなった。
『【915】! 全部相手にしていたらキリがない!』
『ですが、回線を使って追い掛けてくるので、数は溜まる一方です』
『……くそ、雑魚でも多勢ならエネルギーを削られるな。無理はするな』
一度に現れる個体も二、三体同時が当たり前になってきた。
『所長……大丈夫かな……』
『どうだろうな。あいつ、腕っぷしは皆無だったよなぁ』
『現代人に物理攻撃は期待できませんね』
『戦闘経験なんて、ゲームの中だけだったと思うよ。大人になってからは全然やってなかったみたいだけど……』
昔、所長がやっていたゲームを思い出す。
『あの子、アバターに“魔法戦士”とか選んでたなぁ……』
『あいつ、以外に夢見がちだよな』
『館長と似てると思うよ』
『そうだな。よっ、と!!』
バチンッ!!
【143】が【915】が取りこぼした『プログラム』を見えない壁で弾いた。
――――ははは……きっと【143】は『魔法使い』が似合ってるよね。
目の前の光景が虚構のゲーム世界だったら……そんな現実逃避が『リリ』の頭に過ぎっていった。
…………………………
………………
やっとの思いで『リリ』たちは『大統領』の部屋がある階へと辿り着いた。
ここの非常用の扉を開ければ部屋のある廊下へ通じる。
すぐに入ろうと『リリ』が扉に触れたが、ロックが掛かっているのかビクともしない。
『解除できるか?』
『たぶん。この手の鍵は所長室にもあったから…………ちょっとやってみる』
鍵を解除しようと、『リリ』が両手を扉についた。
その途端、
『えっ……!?』
バチバチと廊下いっぱいに光の粒が弾けるように現れる。
『まずい……』
『……来ましたね』
【915】が『リリ』と【143】を庇うように光の粒の前に立った。
光の粒が一気に集まって人型へと変わっていく三人の目の前にズラっと、黒いスーツの人物たちが並び始めた。
『……この階のプログラムは全部、“ボディガード”に変えられてたみたいだな』
見たところ三十はいる。
『この数を……』
『【915】……』
【915】の横顔が青ざめていくのがわかった。
元々強固な『ボディガード』のプログラムがこれくらい集まれば、いくら戦闘に特化している【915】でも、基本データが『家政婦』の彼女では戦況が不利だ。
『少し下がれ【915】。これは俺もやる』
『ダメです【143】。あなたはリリさんと扉の中へ。ここは、わたしだけで…………』
『お前、図書館に生きて帰ることを考えろ。俺たちはここで死んだら“巡れ”なくなるぞ』
『…………はい』
【915】は泣きそうな顔になったが、すぐに前を向いてサーベルを構える。
一緒に前に出た【143】の腕の周りがぼんやりと光った。
『リリ、お前はこのまま扉をこじ開けて中へ行け。俺たちで解除の時間を稼ぐ……』
『でもっ……』
『いいから、早く開けろ! 所長のために!』
『……わかった。すぐに解除する!』
キィイイイイン…………
『リリ』が触れた扉から甲高い金属音が鳴る。扉に掛けられているシステムの解除をしているためだ。
ズサッ!!
バチンッ!!
すぐに背後から聞こえる音に、『リリ』は集中を削がれそうになった。しかし、ここで振り向くことはできない。
――――あと……少しで解け……
『くっ!! あ、ダメです!! そっちは……!!』
『あっ!!』
『えっ……』
不意に【915】と【143】の声が重なり、すぐに『リリ』の背後に【915】が庇うように立ちはだかった。
『【915】、どうし……』
『リリ! 解除を!!』
扉の『解除』を止めそうになったが、【143】の叱責の声に振り向きそうになるのを必死に抑える。
パチンッ!!
解除が完了したと同時に後ろを向くと、【915】の肩越しに『ボディガード』の顔が見える。五体くらいが一気に襲いかかろうとしていた。
『だ……ダメっ!!』
『リリさん、どうかご無事――――』
思わず『リリ』が【915】の背中に手を伸ばした時、彼女の姿が砂嵐のようにブレた。
『だりゃああああああっ!!!!』
砂嵐が消えてブレが治まったと思ったら、叫び声と共に五体ほどいた『ボディガード』たちが一気に床に倒されて消えた。
――――【915】じゃない……。
【915】が居た場所に、そのまま別の後ろ姿が立っていた。両方の手に二振、サーベルよりも小さい剣を持っている。
『【655】……』
『よ、リリ。無事か?』
【915】と瓜二つの顔が、振り向いてニカッと歯を見せて笑う。
『リリさん! 兄さん!』
『良かった……【915】も無事…』
『おっと、大丈夫か?』
【915】がまったく違う場所から駆け寄って来るのが見えた。安心した『リリ』は思わず脱力して崩れそうになり、それを【655】に支えられる。
『そっか……二人は回線を共有したり、入れ代わったりできるんだっけ…………』
『いつもは禁止されてるが、今回は非常事態だからな。間一髪だったな』
【655】と【915】は違う個体だが、『プログラム』が使う一体につき一つの回線を二人で通ることができる。
システムを“騙す”ことで、二体を“同一人物”として通過することができるのが『双子』の特徴だった。
普段は政府のシステムに見つかる恐れがあるのでやらない。図書館側からも禁止されていた。
『おれたちの唯一の特技なのに、頻繁に使えないのがなぁ……』
『…………使う事態にならない方が幸せなんだぞ?』
『あ、【143】も大丈夫ね……』
『あいつら、こっちの扉の護衛を優先したのか、俺のところにはあんまり来なかった』
【655】が倒したのが最後だったようだ。自分の分を倒し終わった【143】も戻ってきた。
『すまん【655】、助かった』
『いや……すぐに来られなくて、こちらこそすまない』
『呼ばれてたんだろ? 惑星の裏側……』
『あぁ……あっちは、まだ何も起きてなかった』
職業が複数ある【655】は、いつも作業服やスーツを着ていることが多い。今日は珍しくスポーツウエアを着ているので、別の場所から駆け付けたのだとわかった。
『他はまだ何も起きてない? 異変は中央から起きてるのね?』
『あぁ。さっき、それを感じ取った奴らが飛空艇で都市から脱出したけど…………まぁ、あそこのプログラムも変異して、機内はめちゃくちゃになるだろうな』
『…………………………』
惑星全体が変わっていく。
どこへ逃げても無駄なのだ。
『解除できたのなら行くぞ。手遅れかもしれないけど……』
『うん……』
俯いて下唇を噛みながら、『リリ』は解錠された非常扉を開く。無機質な細い廊下の先には動かないポータルの装置ともうひとつの扉が見えた。
『あそこの扉を開ければ、大統領の部屋へ入れるよ』
『そうか……』
『まだ、ボディガードは残っているのでしょうか?』
『わからねぇけど…………』
【655】が【915】の方を向き、来た方の廊下を指差した。
『【915】。お前はこのまま、おれが来た回線を辿って【グリーンベル】へ行け』
『え……?』
『あっちは、明日にも“火の海”になる……さっきの飛空艇の行先がそこだからな』
『………………』
【915】は少し考えるように黙ったが、数歩後退りして三人に頭を下げた。
『わかりました。では……兄さん、リリさん、【143】も…………ご武運を』
パンッと音を立てて、その場から【915】が消えた。
『【グリーンベル】って【472】が居る所だね。一度、子供たちに会いに行ったから憶えてる』
『あの子らリリが来た時、楽しそうにしてたな』
『うん。“巡った”ら、あの子たちとまた遊びたいな』
『行くぞ、二人とも……』
歩みを止めていた二人に声を掛け、【143】が最後の扉を開いた。
無機質なだだっ広い空間が現れ、その真ん中にクリスが力無く座っている。
『クリス……?』
「あ……『リリ』さん……」
『所長は……?』
見回してもクリス以外は見当たらない。
――――置いていかれた。
何も聞かないうちにそう思った。
「『リリ』さん、所長が……所長は…………」
ふらりと立ち上がったクリスは、よろよろと『リリ』へと歩み寄っていく。
そして、目の前に来たかと思うとガシッと力いっぱい『リリ』の両腕に掴みかかった。
『なっ!? クリス……!?』
見た事のない、泣きそうでもあり怒りにも取れる表情。
「所長を助けてください!! あの人はあんな死に方をしちゃダメなんだ!!」
『うっ……!!』
掴まれた両腕に“危険を報せるための擬似痛覚”が働いた。




