第三十話
――――命を削る……というのは、こういうことなのだろうか?
自分の身体の半分を走る青い炎のような光。
視界にゆらゆらと動くその光に、所長は危うく意識を放棄しかけて大きく息を吸う。
「ふぅ…………危ない危ない……ボーッする暇なんかないんだ…………」
気を取り直してふと横を見ると、床にペタリと座り込んでこちらを見上げるクリスがいた。
「しょ、所長…………それは一体……?」
「あぁ……ごめん、びっくりしたよね」
「何が起きて…………それに所長のそれは……」
「まず、『ボディガード』のプログラムは、ここに通じていた回線ごと消えてもらった。これを使ってね」
これと呼ばれた、所長の身体の青い光は消える様子がない。
「一応、これも『プログラム』の一種だよ。ただし、これ単体では活動はできずに姿も持ってない。量子単位で物質に介入することでしか、空間に存在できないものなんだ」
「え? えーと……?」
「簡単に言うと、この『プログラム』は私をエネルギーにして活動している」
「それって、生体エネルギーを…………命を消耗して、『プログラム』を“寄生”させてるってことじゃないですかっ!? な、なんてことを!!」
悲鳴に近い声をあげて、クリスは所長の腕を掴む。
確かに人間は電池ではない。それに決して若くはない所長の生命エネルギーなど、すぐに枯渇するかもしれない。
「それでも、これで『会長』を止める手立てにはなると思って…………少し前から仕込んでいたんだ……」
「所長は『会長』がなさる事を、予測されていたんですか……?」
「あぁ。惑星を救いたいから、私もなりふり構わなくなった。人間が考えそうなことを、色々と調べ上げて可能性を出したんだ。まさか、ここまで当たるとは思っていなかったけど」
昔から“悪い予感ほどよく当たる”などと云われていたらしい。
――――今なら、移動も簡単にできるだろう。この姿なら問題なく通れるはずだ。
ピピッ。
所長が命じる前に、目の前に【中央都市】から【中核基地】への移動経路が次々と表示された。
「へぇ、便利。やっぱり生身の人間と違うなぁ」
これが『プログラム』の目線かと、所長は思わず感嘆の声が出てしまう。
「さぁ…………時間が無い。私も『会長』を追わないと。彼もまだ、基地には到達していないみたいだし……」
モニターには赤い点滅する光が、ゆっくりと【中核基地】へ向かっているのが表された。これは『会長』が、回線を乗り継いで向かっていることを示す光だと認識する。
――――私が通れるところは……
ピピピ……
いくつもの経路が赤や青で色分けされ、通行の可不可が分かり易く表示される。
「ここからか…………」
「でもこれ、どうやって……? 所長がいくらそうなっても、完全に回線とシステムを使える『会長』には追い付かないでしょうし…………」
今の所長は自身の身体を半分ほど『プログラム』に食い込ませた形になっていた。しかしこれは、まだ半分は人間であるということ。
「もちろん、回線は使えないよ。でも、短い距離を移動できるポータルは人間でも使える。しかも、いつもよりも簡単にね」
いつも自宅と所長室を、扉一つで行き来していた方法だ。【永久図書館】へ行った時も、似たようなものを使っているで慣れている。
「で、でもっ……今の身体では負担が掛かるのではっ!?」
「負担を掛けても行くさ。そのまま滅びる訳にはいかないからね」
「だ、ダメですっ!!」
「……………………」
『滅亡論者』であるはずのクリスが、命を懸けようとしている自分を慮っていることが可笑しく思ってしまう。
負担を掛けようが、掛けまいが滅びれば終わりだ。
生命を使うなら今なのだ。
所長はスッとクリスの手を振り解き、『会長』が消えた壁の辺りへと歩く。
「……クリス、今なら所長室の鍵は開いている。そこで静かに過ごすといい」
「所長…………ですが、今さら……」
「私は最後まで足掻きたいんだ。92%の滅びでも、足掻いた後には違う結果がくるかもしれない」
「92%……?」
クリスには訳が分からないだろうと思いながらも、これだけは言っておこうと思った。
「ねぇ、クリス」
「はい」
「私たちは“親子”じゃなかったけど……」
「はい……」
「所長と助手。私はそれでも良かったよ。楽しかった」
「は、い……」
クリスの泣きそうな声。
彼が望んでいたものとは違ってはいたが、それが無意味なものだったとは思えない。
「“巡った”ら、また会おう」
「巡ったら?」
クリスの母親のレベル5の情報には、一番重要な“ある事”が残されていた。
「今度はちゃんと“兄弟”として、同じ立場でいられればいいね」
「えっ……!?」
クリスの父親の名が、所長の父親と同じ名だったのだ。
細胞が保存されていたのなら、現代においては有り得る話だ。
驚いて顔を上げたクリスが一瞬で白い光で掻き消えた。消えたのは所長の方だが、そんなことはもうどうでもいい。
眩さからの急激な暗転。
カツン。
浮遊感から足が床につく。ムワッとした息苦しい空気が胸に入り込む。
暗い場所だが、身体に巻き付いて揺れている青い光が辺りを照らした。
そこはやっと立てるくらいの高さのトンネルで、何メートルおきに目印のように小さな灯りが点いている。
どうやら移動先は【中核基地】へ行く途中の地下通路のようだ。
――――成功したか。これなら間に合う。
次に転移する経路を確かめようとした途端、
「……ごほっ!? ぐっ、ゲホッ!!」
込み上げた不快感に、思わず咳き込んで手で口を覆った。
また移動酔いでもしたかと思ったが、指の隙間から零れ落ちたものが白衣の胸元を紅く染めていく。
「…………まさか、1回の移動で吐血するなんて」
予想より遥かに早く、この『プログラム』は生命エネルギーを食い荒らすようだ。所長の人間の部分を容赦なく破壊しにきている。
ピピ……ピピ……
目の前のマップで『会長』が移動していく様子が見えた。
「せめて“中心”へ行くまで、『会長』を止めるまでは…………ごほっ!!」
さっきよりも大きな血の塊が床に吐き出される。
それをぼんやりと眺めて、所長は天井を仰いで呟いた。
「……『リリ』ごめん、私は独りで地下へ行く。君には地上を頼んだよ」
本当なら“中心”へは『リリ』と合流してから行くはずだった。しかし、それは所長が『大統領』を説き伏せてくるというのが前提だ。
――――説き伏せるなんて無理だとわかり切っていたよ。私は最初からこうするつもりだったのだから。
この世界は滅ぶ。
彼女には新しい世界のことだけを考えていてもらいたいと思う。
「でも…………『リリ』は過保護だからなぁ」
所長に何かあるのであれば、世界が滅びようが関係なく危ないことをさせないのが『リリ』という身内だ。
――――私のこの姿を見たら……泣く? 怒る?
泣きながら怒る彼女が思い浮かんだ。それと同時に、こっそり所長の意思を汲んでくれた時の友人の言葉が響く。
“この先、何があっても…………リリのことだけは、裏切ったりしないでほしい”
これも、裏切りに入るのだろうか?
【143】は、所長が何か企んでいるのをわかって力を与えた。たぶん、想像はしていた上で釘を刺してくれたのだろう。
「なら、死んでも……行かないと」
大事な家族と友人に裏切りまでしておいて、何もできなかったじゃ済まされない。
ぽたっ、ぱたっ。
いくつかの小さな血溜まりを残し、所長は再び移動のために消えた。
…………………………
………………
本棚に囲まれたような広い部屋。
部屋の中央にある天蓋付きのベッドに横たわる老人は、目の前の空中に広げられた大きなモニター画面を見上げながらため息をつく。
画面は何百にも細かく区切られ、色々な街の場面を映し出されている。
急にエネルギーが止まった地区。
呼び出した『プログラム』が動かない施設。
建物の入り口がビクともせずに、中に閉じ込められた人々。
異変に気付いたが、何をしてよいのか分からずその場にへたり込む者。
最初はモニター内の画面一つ二つだけだったものが、寄せる波のように段々と数を増して全体に広がっていく。
「始まってしまったか……」
「はい……」
ベッドの端には、老人と同じモニターを見ているフワフワ髪の少女が腰掛けていた。
「【844】、皆はそれぞれ何処へ行っている?」
「……兄様は【827】と【中央都市】へ。【472】は観察していた【グリーンベル】へ向かいました。双子の【655】と【915】は、まだ何も起きていない地域の範囲を見に行ってから、兄様たちと合流すると言っています」
『館長』の問いにスラスラと答えた【844】だが、言った後に暗い表情をして俯いた。
「ふむ……【844】、君も世界の様子を見に行きたいか?」
「いいえ、私は行きません。ここで館長のお世話をするようにと、兄様から言い付けられていますので……」
【844】は頑なにここを離れるのを拒否する。彼女にとって図書館は存在する理由であり、他の『プログラム』を手伝うという使命は最優先である。
ふぅと小さく息を吐いて、館長は【844】の方を見詰めた。
「行きたいなら、行ける間に行っておきなさい。【844】が強く望むのなら、きっと【143】は許可してくれるはずだ」
「……………………」
「何も無くなった世界を見て、行かなかったことを後悔する前に……」
「……………………」
下を向く眼からポタポタと涙が落ちていく。
「でも……皆が世界のために動いているのに、わたしだけ……個人的なことで、勝手に動く訳には…………」
「【827】……『リリ』は所長のことを“自分にとっての世界”だと思っている。だから、あの子は“世界”を見守りに行っているんだよ。他の者も、ほとんどそうだ」
『リリ』は所長のため。
【472】は交流のあった人たちの所へ。
その他、図書館の『プログラム』たちの中にも、世界が浄化される前に動いた者がいる。
惑星全体のためではなく、自分のために世界を看取りに行った。
「自分にとっての世界…………」
何年も前、不本意に別れることになった一人の人物を想う。
「わたしは…………」
「新しい世界で巡る前に、今の世界の彼に会っておきなさい。そして巡った後の世界で、絶対に見付けるという覚悟を持つといい」
「………………はい」
見上げたモニターの端に、人間が居なくなった施設の様子が映っていた。そこを、よく知った少年と少女、女性の三人が駆けている。
【143】と『リリ』、そして【915】だ。
「…………兄様」
「【143】たちは【中央都市】の問題が終わったら必ず戻ってくる。その時に、自分の気持ちを【143】に全て言っておきなさい」
こくんと頷き、それから【844】はモニターを見続けた。
…………………………
………………
少し前。
『会長』が『世界政府本部』から消えたと同時刻。
一足先に『大統領』へ会いに行った所長を追って、『リリ』が『世界政府本部』の建物内を移動しようとしていた。
いつもなら数人の職員を見掛けるはずなのに、入り口から誰にも出会さないことに首を傾げる。
『……受付けに、人もプログラムもいないなんて何で――――』
『リリさん、避けてください!!』
『へ? きゃあっ!?』
突如、エプロン姿の美人と言える女性が、不似合いなサーベルを手に『リリ』の側へと滑り込んできた。
ヒュッ!! と風を切る音と共に、『リリ』の真横に迫っていた何ものかが上下真っ二つに避ける。
『ぎゃあああっ!!』
バチバチと火花を散らすように、斬られた人影は散らばって消えた。
『きゅ、【915】!? 今の何っ!?』
『……どうやら、プログラムの暴走が始まったようです』
『暴走……?』
『プログラム』を斬り捨てたサーベルを、鋭く床に一振りする。刃から光の粒がキラキラといくつか落ちて消えた。
『手応えからすると、事務員あたりのプログラムだったのではないでしょうか』
『て、手応えでプログラムの種類って分かるものなの……?』
『ええ。筋組織情報が少ない構成でしたので……』
『あはは…………そう、なんだ……』
基本的に『プログラム』は電子の組み合わせであり、物理的な感覚はほとんど無い。特に戦闘経験など無い『リリ』は違いが分からず、【915】の言葉に苦笑いをするしかなかった。
『リリさん、所長はどちらへ?』
『先に大統領に会うって。私には、あとから来るようにって…………』
『それは…………』
『私、情けないよね。所長に命じられたら止められなかった』
『いいえ。所長も考えあってのことかと……』
所長は意図的に『リリ』を置いていったのだと、本人も【915】も悟ってしまう。
『ついに、始まっちゃったんだ…………“世界の終焉”。館長の言った通りに……』
先に行った所長が何をしようと、ここからの挽回は無い。
惑星全体は浄化されて全てが塵になる。
新しい命も、今とはだいぶ形を変えて再生されていくだろう。
その時に『大統領』…………いや、『会長』の支配が過半数を占めてしまっている。
長年にわたり、『会長』の一族はそれを虎視眈々と狙っていたのだ。
何代か前の館長が気付いた時には、既に『惑星再生計画』にそれは深く根付いてしまっていた。
――――うちの館長たちだって、対抗策を練ったのだから。大丈夫…………そのために“巡る”のだから。
タダでは滅びない。
何が起きても、図書館側ではそう決めてきたのだ。
しかし『リリ』の脳内では、『92%の滅び』が『100%の滅び』として流れるのが止まらなかった。




