第二十九話
『君たち二人も【原始人種】だろう?』
確かに所長とクリスは『原始人種』だ。
そして『会長』は『人工配合人種』である。
――――なぜ、今さらその事を?
実験のために犠牲になった『原始人種』のことを思う。『会長』がその言葉を発した時、何か言い知れぬ不安のようなものが背中を走った。
――――私たちを実験に…………いや、それは『低級』と呼ばれた者だけだった。
それなら、自分たちが利用されるのは新しい世界になってから。
『新しい世界で生き残る者たち全員に、“新しい身体”を与えるつもりだ』
「っ…………」
何を企んでいるのかと尋ねようとした時、
ビィーーーーーッ!!
ビィーーーーーッ!!
ビィーーーーーッ!!
鳴り始めた警告音。
「なっ、何ですか!?」
「…………『会長』…………」
所長は『会長』をじっと見据え、クリスは所長の隣りで狼狽えていた。
『どうやら、【中央都市】の周辺に仕掛けた“浄化装置”のエネルギーが臨界に達したようだ。ここから24時間以内に、【中央都市】から浄化が始まる』
「……始まりがここから? 最後ではなく?」
黒幕が【中央都市】に居るのに。
「っ!? ちょ、ちょっと待ってください!! まだ、『会長』が選んだ人たちの避難が終わっていません!! 確か僕が知っている計画では、極小数の人間は最後の浄化地域までは残すと…………うわっ! は、放してください!!」
クリスが『会長』に掴みかかる勢いで駆け寄ったが、すぐに近くに居た『ボディガード』に押さえられる。
『安心するがいい、君たちは世界に必要な人間だ。しかし“新しい世界”が出来上がるのは相当先の話になるだろう。それこそ、100年……いや、1000年は掛かるやもしれない』
「そうでしょうね。元々の『惑星再生計画』も、それくらいの長期で組まれていたんです。さすがに今生き残っても、どんな延命措置を施したところで時間は足りない」
最初に『惑星再生計画』を始めた世代はもういない。所長も次の世代に託すつもりで進めていたのだ。
未来の惑星のために、何世代にも渡る計画だったのだから。
「でも、それは『会長』だって同じですよ。いくら自身を『プログラム』に変えたところで、彼らにも寿命があるんです。いつかはデータごと消えてしまう。これから惑星に何も無くなるのなら、なおのこと存在を維持するのは難しい」
『あぁ、そうだ。だが、それは浄化の間は然るべき場所で眠りにつくことで解決できる。ここではない“世界の中心”で、儂は新しい人類たちと時を待とう』
「……………………」
やはり、自身を『プログラム』にしたところで寿命はたかが知れている。
『会長』の真の目的は“生き残ること”ではない。
「あなたの目的は世界を手に入れて、意のままに操ること。何も知らない人類に『自分こそが世界の主だ』と刷り込むこと」
『くく……力があれば、誰だって考えうることじゃないかね?』
「ええ。確かに多くの人間が考えそうです」
ガチガチに決まりができた世界や、人々の常識的なルールを変えるのは難しい。
それならば、今の人類には全て消えてもらった方がどんなに楽か。
唯一、世界の叡智を知る存在になる。
滅びた先の新しい人類は、何も知らない子供なのだ。
『君たちや他の選ばれた人間とは、“新しい世界”で再び会うことになろう。その時は儂の手伝いをしてもらうこととなる…………もちろん、一つのプログラムとしてだが』
「“巡る”……」
『リリ』たちが言っていたことが過ぎる。
「でも……そこであなたは、再び“人間に戻って”支配者になる。そうですよね?」
『ほう、やはり君はよくわかっている』
「あなたは昔から、『プログラム』を人間の下僕のように思っていましたから……」
『何を今さら。当たり前だろう?』
「……………………」
『リリ』たちが言う“巡る”とは違う、新しい世界で人間の身体を造って、そのままの『会長』が出来上がるという計画。
「考え方は違いますが、あなたは【永久図書館】と同じことをしようとしている」
『ふん、一緒にするな。【永久図書館】が何を考えているかは知らんが、浄化が始まったらすぐに奴らの居場所の特定を始めよう。陸、海、空、惑星の全ての場所を浄化すれば自然と見つけられるはずだ』
世界の『大統領』も取り込んだ『会長』にとって、今一番厄介なのは政府とは独立している【永久図書館】の『館長』だろう。居場所を見つけると同時に、図書館の情報量と技術も手に入れれば、新しい世界では神にも等しい存在になるはずだ。
「残念ですが【永久図書館】は簡単には見つかりませんよ」
『簡単ではなくとも、絶対に見つからないわけではないだろう?』
「…………無理やり見つけても、それがあなたの力になるとは思えませんが」
――――この人は今の文明が無ければ生きていけないはずだ。
そこを突けば、“人類の滅亡”など起こさなくても済むかもしれない。
「今の人類を存続させて、科学力と文化を持っていた方が惑星の復興は早い。なら、もう一度【永久図書館】側と話をしてみては? わざわざ袂を分かつようなことをせずに、協力して新しい世界を目指せるのではありませんか」
説得を試みようと『会長』の顔を見た。
彼は口元を大きく歪め、冷めたような目で所長を眺めている。
『政府をくだらないと決めつけ、袂を分けたのは館長の方だ。奴こそ神気取りで、儂らの世界を見下している』
「館長は冷静に世界を見ていただけです。誰の味方とか敵とか、そんなの一切関係なく人類を見ていた」
そう、館長は見ていたから、世界各地に『プログラム』を派遣していた。
問題にしていたのは、人類が生き残りに踏みとどまれるかどうか。
館長が心配して伸ばした手を、強引に振り払ったのは会長なのだ。
「私が【永久図書館】に掛け合ってみることは…………」
『もう遅い』
ガシッと『ボディガード』たちが、説得途中の所長を後ろから羽交い締めにする。
それと同時に、チクッと首の後ろに小さな痛みが走った。
「っ……」
「痛っ!! な、何を……!?」
『残念だが、儂がプログラムになったことで館長と話すことは何も無い。奴も分かっているから、静観を決め込んだのだろう』
目の前の『会長』が手を振る。視界の端に『ボディガード』が小さなペンのようなものを握っているのが見えた。
「今、我々に打ち込んだのは…………『ウィルス』ですか?」
「僕の造った…………」
『そうだ。クリスに造らせたウィルスプログラムだ』
「確か、睡眠効果があったはず。そうだよね? クリス」
こくんと頷くクリスの顔が蒼くなり、口の端を震わせながら『会長』を仰ぎ見る。
「来るべき時が来たら…………『ウィルス』を取り込んだ人体は昏睡状態に陥ります…………で、でもっ…………それは……」
恐怖に引き攣るクリスとは対照的に、『会長』は穏やかな満足そうな笑顔だ。
『儂から“上級者”と“中級者”への贈り物だ。君たちは新しい世界で生きるための、素晴らしい細胞を提出してくれたからな』
「…………昏睡状態になれば、眠っているうちに全てが終わるからですか?」
『そう。儂が惑星の“玉座”へ到達した時、ウィルスによる慈悲を与えてやろう。ふふふ……』
「慈悲……ははは……あー、そうですか……」
『会長』の愉しそうな声を聞いた途端、おかしくもないのに笑い声が漏れてくる。
お互い笑顔で見詰めているのに、なぜこんなにも考えが違うのかと『会長』を締め上げたい気持ちになった。
『さぁ、儂もそろそろ“玉座”へ行くとするか……』
まったく動けない二人を眺めながら、『会長』はジリジリと後ろへと下がって部屋の壁際へ背中をついた。
『では二人ともまた会おう。新しい世界で君たちには、大いに働いてもらうことになるからな。ふふ、ははははははっ!!』
バシュッ!
一瞬の光と、派手な音と共に『会長』が消える。
「お待ちください『会長』!! 僕はまだ、ここでの死は望んでいません!!」
クリスが涙声で叫ぶが、『会長』が応えることはなかった。
「…………そんな」
「どうやら、回線を使って移動したみたいだな。完璧に『プログラム』らしくなってる……」
「うっ…………う、うう……」
「行くのは勝手だが、これも連れていって欲しかったなぁ……」
『会長』は消えたが、彼が残していった『ボディガード』たちは消えずに所長とクリスを押さえ込んでいる。
最初は混乱した様子でもがいていたクリスだが、『ボディガード』の力は強くてビクともしない。
10分ほど経つと、クリスは疲労と諦めで大人しくなった。所長はそこで声を掛ける。
「クリス。君は何処で死のうと思ったんだい?」
「……僕は…………『総合研究所』の所長室で死ぬつもりでした。最後の最後に、あそこに残って『ウィルス』を使うつもりで…………」
「なぜ、所長室で?」
「母が死んだ場所だからです」
「………………」
「母は所長が好きだったのでしょう?」
「…………死に際に“愛してます”と言われたよ」
「あはは…………やっぱり。母のレベル3の情報に“所長との子供を望んだ”ってありましたから…………」
「そうだね。それは、私も知ってる」
所長は彼女の死後、その情報を見つけた時はそこまで自分が想われていたことに、驚くと言うよりも妙に居心地の悪さを感じた。
「実験用の『原始人種』を欲していた『会長』の力で、本来は許されないはずの“遺伝子の希望”を打診したとあった」
現代で子供を望む場合、特定のパートナーがいない人間が他人の遺伝子を選ぶことはできないようになっていた。それは法で決められ、人類に偏りが出ないようにするためだった。
「母は法を犯してでも、所長との子供を欲しがっていました。だから…………その……」
「うん」
お互い宙ぶらりんのまま顔を見合わす。
「所長は…………僕の……」
「違うよ」
「へ?」
「残念ながら、君のお母様は“望んだ”だけ。私たちは親子じゃない。これはレベル5の情報だ」
レベル5の情報は、上級でもほんのひと握りの人間しか閲覧できない極秘中の極秘事項。
所長でも【永久図書館】に直接行って検索したから、知ることができたものだった。
「レベル5って、そんな…………『会長』は母に所長の血統を約束していたはずなのに…………」
「私の血……」
クリスは母親と『会長』のやり取りで、所長を父親だと信じきっていたのだろう。
――――なんて純粋で愚かなことか。
「君はずっと騙されていた。今も騙されてここにいる」
「そう、ですね…………」
「だからもう、『会長』に義理立ては要らないね?」
「……………………」
「で? 『会長』は何処を“玉座”にするつもり?」
クリスはしばらく項垂れていたが、大きくため息をつくとぽつりと言った。
「……【中核基地】です」
「『プログラム』の身体で? 本当にそこに向かった?」
「はい。そこでしか『ウィルス』に命令を下せません…………」
「そこには地上の『プログラム』は持ち込めないのでは……?」
回線で移動する『プログラム』であれば一瞬で着きそうだが、【中核基地】へ至る道には少々難があった。
地上で作られた『プログラム』は【中核基地】へ向かうまでにデータを破損する恐れがあるのだ。
だからこそ、所長はわざわざ直に基地へ赴いて『プログラム』を作成していた。
「もしかして、その問題は解決したのか?」
「基地への路を強力な専用磁気で包みました。『サンダーウォール』なんて呼んでましたが……」
「クリスが開発したの?」
「はい…………完成したのは先月です」
「あぁ、やっぱり君は優秀だなぁ」
『プログラム』ではない分野では、もしかしたら所長よりもクリスの方が優秀かもしれない。
「私が足掻いても無駄になるかもしれないが……」
『サンダーウォール』ができたからこそ、『会長』は無理に計画を進めた。自身が『プログラム』なのだから、この問題が無くなれば無敵だ。
――――そのクリスを囲っていた『会長』の方が優勢だった。それだけ。
「それでも…………私も【中核基地】に行かないと……」
「きっと間もなく『ウィルス』が働きます。今から行ったところで、途中で力尽きるのは目に見えている……」
『惑星再生計画』の中心である【中核基地】へは、生身の人間が専用ポッドに乗って移動するため最速でも三、四時間は掛かる。
「物理的な移動で、プログラムになった『会長』は止められないと思いますよ」
「時間が無いな。うちの『リリ』や他の『プログラム』なら………………いや、無理か」
所長は目を伏せて下を向く。
さすがに諦めたのだろうと、クリスは苦笑いを浮かべて彼を見つめた。
「所長室で死ぬことは叶いませんでしたが、最期を所長と一緒に過ごせるなら本望です」
「それは光栄だ。でも…………」
羽交い締めにされて動けない所長の眼前に、突如としてモニターが出現する。
「私の死に場所もここではない」
パシィイイイインッ!!
所長が顔を上げた瞬間、鼓膜が破れそうになるくらいの高音が響き渡った。
「ーーーーーっっっ!?」
クリスは咄嗟に目を閉じた時、自分の両腕が自由になって耳を塞ぐことができたことに二度驚く。そして、慌てて辺りを見た時に三度目の驚愕が訪れた。
「えっ……?」
フロアに犇めいていた『ボディガード』が一体残らず消えていた。
「な、何でっ……!?」
「あぁ、上手くいって良かったよ。使うまではやっぱり怖かったからなぁ……」
「所ちょ………………あっ!!」
そして振り向いて四度目。
目の前に立つ所長は、身体の半分が“青い炎”のようなものに包まれていた。
「まだ、あの人には聴き出さなきゃいけない事がある」
――――『会長』がやろうとする事を自分の記憶に留めておく。それを『リリ』たちに届けよう。
自分の死後、彼らが汲み取ってくれるはず。
それが最後にできる反撃だ。




