第二十八話
「ねぇ、何でみんな泣いてるの?」
『え…………?』
彼が自分の異質さに気付いたのは、ひとつの疑問を投げ掛けた時の『リリ』の反応だった。
それは所長が子供の頃。彼の母親が急死し、駆け付けた関係者が悲しみにくれる葬儀の場でのことだ。
大人たちの集団から離れて、『子守り』のプログラムである『リリ』と母親の棺の前にいた時にその疑問は口をついて出た。
『何でって、奥さまが……あなたのお母さんが亡くなったからよ。あなただって、悲しいでしょう?』
「悲しい………………たぶん」
『………………』
母親がこの世を去ったことは理解できる年齢だ。彼女と二度と会話もできない、肉体も明日には荼毘に付されて消えてしまうのも解る。実母が亡くなった喪失感もある。
でも、ただそれだけ。
目の前の現状を理解するだけで、身体には何の反応も出てはこない。
――――そうか、自分にとって重要な位置にいた人間がいなくなることは…………“悲しい”のか。
彼は『悲しみ』という感情を覚えた。
心で感じたのではなく、頭でパターンを理解したのだ。
自分がどういう人間なのかを分析し、その場に合った行動を当てはめるために『感情』というものを“学問”として頭に叩き込んでいった。
幸いにも、彼の周りには父親が生み出した『感情を持ったプログラム』たちがいる。特に姉として傍にいる『リリ』は、兄弟プログラムたちの中でもくるくると表情を変えてくるので大いに参考にした。
彼女たちの真似をしていくうちに、時々胸が苦しくなったりなどの、自分でも説明できない身体の反応があることに気付いたりもした。
――――あぁ、これが『感情』なのだろうか。
ひとつひとつの確認をしていくうちに、彼は発見した『感情』とその時の記憶を、決して忘れないように繰り返し心に刻み付けていく。
まるで、アルバムに大事に写真を貼り付けるように。
そのおかげで、彼は今日まで『普通の人間』としての振る舞いを身に付け、多少なりにも『感情』が芽生えて理解できたと思っていたのだ。
――――いつか、この胸に自然と『感情』が生まれたら、『リリ』は私の子守りをしなくても済むだろう。
ふと、過ぎった淡い期待。
――――そうしたら、書類上の姉と弟なんかじゃなくて…………
ギュッと拳を胸の前で握ったが、身体には特に何の反応もなかった。
…………………………
………………
「…………やっぱり、私は何も変わってなかったんだよ。『感情』を理解したつもりが、予想外のことに頭が真っ白になった」
「予想外……?」
ふぅっと、所長が笑顔を浮かべる。笑っているのに、何の感情も読み取れない“薄い”と表現したくなる笑顔。
「クリス、君のお母様だよ。まさか、あんなに激しく怖いくらいの『感情』を、ほぼ初対面で食らうとは思わなかった」
「所長……」
笑いで引き攣るくらいの“怖い感情”だ。
所長の笑顔の原因を理解した。
しかしクリスは、自分の母親が所長に何をしたのか詳しく聞こうとしたことがなかったので、彼に掛ける言葉が見つからない。
「クリスはお母様に大事に育てられたんだね。『子守り』や『保育士』なんて要らないくらい。そんな君が滅亡論者なのは皮肉だな…………いや、大事されたから人間が醜く見えたのか」
「…………………………」
「私には、それも羨ましい感情だ……」
所長は笑いながら伏し目がちに言う。だが、直ぐに顔を天井に向けると、再び部屋に響く声で語りかけた。
「とにかく、私や君の考えはどうでもいい。今はあなただ。あなたたちは自分たちが生きる準備が整ったから『世界のリセット』を始めた。そうですよね、だい………………応えてください、『会長』」
「は…………えっ!?」
『大統領』ではなく『会長』と言った。
それをクリスが認識した瞬間。
フォンッ……
圧迫感のある低い音と共に、所長とクリスしか居なかった空間に、突如として多数の人影が出現した。
「なっ……」
「……………………」
驚いてキョロキョロと見回すクリスと、静かに一点を見詰める所長。
現れたのは黒いスーツを着た屈強な男たちで、これは『ボディガード』のプログラムだ。ざっと見て100人はいるだろう。所長とクリスを取り囲むようにあちこちを向いて立っている。
「やっと、応えてくださいましたか…………」
所長がため息をついたと同時に、『ボディガード』たちが一斉に動いた。
まるで太古の神話に聞く神の奇跡のように、所長たちのところから真ん中に一本の道ができている。
『ふふ……別に無視をしていた訳では無いさ。君が“呼び出しコード”を正確に言わなかったからだ』
「か、会長っ……!?」
コツ、コツ、コツ…………
杖を突いて道の先から来たのは一人の老人…………『会長』だった。
「会長! 一体、どこから…………」
「クリス」
クリスは突然現れた『会長』に駆け寄ろうとしたが、それを所長が手で制した。
「クリス、この人は『会長』だけど本人じゃない」
「何を…………」
『本人ではないとは、随分と酷いことを言うじゃないか?』
「……………………」
『会長』は肩を揺らして笑っている。その老人の姿を見ているクリスの顔から、どんどんと血の気が引いていく。
――――何も無い空間に来ることができるのは…………
「まさか……『プログラム』? 『会長』のプログラム!? 本人は……!?」
「………………正確には、『会長』の意思を持った『プログラム』だ。ついでに『大統領』は『会長』に置き換わったみたいだな」
所長の声は冷たい。普段は『プログラム』のことに関しては若干の悦びさえ感じられるが、今は『会長』に対してそんなものを一切感じていないようだった。
「これは会長の意思を持っているだけの…………」
『くくっ。違うぞ、“持った”ではなく“移した”のだ。さっきも言ったが所長は酷いことを言う。儂は、儂なんだから』
「移した……?」
『そうだよ、クリス。儂は老いて朽ちる肉体を捨て、新しい世界へ移行するための、新しい存在を手に入れた。いくらでも生き永らえる、不滅の存在になったのさ!』
クリスはぐらりと身体が倒れそうになるのを必死で堪えた。
人間が『プログラム』になる。
実体のあるものが、実体の無いものへと変化した。
「でも、人間の身体は……死…………」
「いつ、ご自身を『プログラム』に変換されたのですか?」
クリスを背後に隠すように、所長が『会長』の前に立った。
『そうだな…………君の助手の葬式があったろう? あれから一年と経たないうちか。まぁ、これになってしまうと、時間などどうでもいい。ついでに、これも要らぬ』
カラン。
『会長』が杖を床に転がす。用済みになった杖は、その場で音もなく消え失せた。
『今までバカにしておったが、このプログラムの身体は良い。回線さえ繋げばどこへでも行ける。この世界も、今の儂には箱庭の如く狭く感じるぞ! まさに“神”とも言える存在だ!! はははははははははっ!!』
『会長』は両手を広げ、開放感に満ちた笑い声をあげた。声はドーム状の天井を伝って、あちこちの壁から響いてくる。
行き交う声の中、小さなため息が漏れる。
「事例はありませんでしたが…………『人間』から『プログラム』になるなんて……」
「まさか、それが可能だったなんて……」
「可能…………と、言いたかったんだけどね……」
「所長……?」
隣りへ回り込んでも、所長はクリスの方を少しも見ようとしない。じっと『会長』から視線を逸らさずにいる。
「人間を『プログラム』にするのは“不可能”です」
『いや、儂が居るではないか』
「あなたは単なる『複写』でしかない。本物の会長は、『会長』が生まれたと同時に死亡しているはずです」
『何を根拠に…………』
「私の父親が『人からプログラムへの移行』として、全ての実験データを遺していました」
所長の前にモニターが現れ、おびただしい文字と数字の列が高速で流れていく。それを『会長』はじっと見詰めた。
「これによると『プログラム』が起動しても、本体の人間にはまだ意識があった。つまり、意識は二重に存在しているのだから、『プログラム』の方は単なる“本人の複製データ”である可能性が高い」
『だからと言って、儂が偽物だという証拠もないだろう?』
「ありませんが、不確かな結果を科学では『成功』とは言わない。確かなのは『プログラム』は所詮“命令を打ち込まれたデータ”だと、これまでの研究や実験データでわかりきっていること」
――――『プログラム』は人間ではない。
他の人間には当たり前だが、所長が絶対に認めたくなかった言葉。
「あなたはうちの父親に『感情を持ったプログラム』を造らせた。それは成功していたように見えていたけど、どれも……何一つとして成功なんてしていなかった…………」
『ふっ。そんなことはない。君のお父上は、完璧な人間とも言えるプログラムを――――』
「造ってませんよ。うちの父親は、そんな特別なプログラムなんて…………」
所長の父親は『プログラム』開発で大成功を納めている。しかし、それはあくまで表向きであり、実際の彼の研究は行き詰まっていた。
「特別な『人間と同じプログラム』を造ろうともがいていた時に、資金の提供を申し出たあなた方に合った」
『ああ、彼は幼い頃からの天才だったから、儂は世界のためにと手を貸したのさ』
止まらない人口減少を補うために、生活を助けるだけでなく、人間の生存さえも管理できる『プログラム』が必要だった。
それには、人間が活発になるための“刺激”を与える存在が必要と考えた。
「“刺激”を与えられた人間は、必ずと言っていいほど良い影響があった。その遺伝子を受け継いだ子供も優秀だった」
『そうだ、だから博士にはそのプログラムたちの量産を………………』
「でも、父は量産を拒んだ」
『……………………』
彼はここ数年、父親のように『感情を持ったプログラム』を造ろうとしていた。しかし、教わった通りに造っても、できるのは普通の『プログラム』だけ。
これは、何か別のアプローチが必要なのだ。
そう考えて、父親が遺したものをひっくり返しては読み漁ることを繰り返し、答えが『永久図書館』にあることに思い至る。
しかし、父親が単に『館長』に預けた情報に、詳細が全て載っているとは限らないと踏んだ。だが、信頼する図書館に製造方法を預けたのは確かだ。
「ある方法で、私は父親が図書館のあちこちに残した『本物』を造るヒントを拾う手段を手に入れました。何日も掛かりましたし……」
膨大な探し物に【143】から与えられた『検索能力』は便利だった。
父親が手を付け、何かを書き加えた“書物”を拾っていくことができたからだ。
「色々なジャンルを漁って…………それで、私は『感情を持ったプログラム』の製作の方法を見付けた」
『ほう、大したものだ。やはり、君は新しい世界には必要な人材だな……』
「…………………………」
手に入れたヒントを元に、彼は父親の生前のデータの『レベル4』を開く。
そこには確かに『感情を持つプログラム』の製造方法が記されていた。
人間の感情というのは“心”だ。次々と生まれる感情は“心”が有ってできるらしい。
そして、その“心”の素は『プログラム』と回線で繋がっていた。つまり、『プログラム』自宅には感情は無く、回線の先から『核』によってもたらされている。
「分かりやすく言うと、人間の感情は五感がもたらす刺激によって、脳から分泌される物質の量によって決まる。五感が『プログラム』で、回線が脳幹、肝心の“核”が脳となる」
「…………役割りが分かれている?」
「そう。うちの『リリ』が見たり聞いたりすると、感情の素が彼女のところへ運ばれてくる」
実際は『リリ』の考えは彼女のものだが、『プログラム』の感情の仕組みだけならこれで良い。
「その“核”は『リリ』じゃなく、『永久図書館』に在る」
だから彼女たちのホームは図書館であり、独立して存在するものではなかった。
「『会長』……残念ですが、存在しないんですよ。まるで『人間のようなプログラム』なんて。所詮は『プログラム』は人間の作り物だ」
「でも……造れるのですよね? 『リリ』さんみたいに、人間と対等に話して過ごせる『プログラム』が…………」
この際、仕組みはどうでも良い。自由に感情さえ伝えることができるのならば、それは人間のためになるはず…………クリスが言いかけた。
「一体につき、一人使用する」
「え…………?」
「一体の『感情を持ったプログラム』を造る時に、その材料として犠牲になる『人間の子供』は一人………………いや、感情表現に必要な物質の抽出量を考えると、“一体につき数百人”かもしれないけど」
「なっ!?」
これは完全に隠された情報だった。
『リリ』……プログラム【827】を造った際、一人の年端もいかない女の子が使われた。
【143】や【472】も、その他に図書館にいる番号の振られていない『感情を持ったプログラム』たちも、全員が一人の人間を基本に造られていた。
さらに必要なものは、他の人間からも搾取されている。
完全な“無”から“有”はできない。
誰かを生み出した時に、誰かが犠牲になっていた。
「…………しかも、その実験や材料に使われた人間は全員…………低級から産まれた【原始人種】ですよね?」
この答えを見付けた時に、所長の胸の奥に焼け付くような、何とも気持ち悪いざわつきが起こった。
この感情が何か。いつもなら調べるのに、この時だけは考えるのも嫌だと思った。
「あなたの『人間らしい身体』を造るためにも、最近まで技術が使われていたのではないのか? 何人の【原始人種】が材料にされたのか? 死んだ父親以外に、誰かにもノウハウを教えていたのか!?」
やっと見付けた父親の技術を使われたことは別にいい。
しかし、増えるはずだった人間を犠牲にしたのは許されないと思った。
『そんなに同じ【原始人種】に同情するのか? なぁに、怒ることはない。これは君たちのためになることなのだから』
「何を…………」
『君たち二人も【原始人種】だろう?』
「「……………………」」
『会長』の言葉に、所長とクリスが同時に後ずさる。
『薄汚い人間は滅び、選ばれた人間だけが儂と同じになる。新しい世界で生き残る者たち全員に、“新しい身体”を与えるつもりだ』
「「……………………」」
ビィーーーーーッ!!
ビィーーーーーッ!!
急に鳴った警告音が、気が遠くなりかけた二人を現実に引き戻した。




