第二十六話
「――――と、申します。早急に『大統領』に面会を申し込みたいのですが」
『総合研究所』の所長室。
デスクの上ではモニターがずっと開かれ、その前で所長がどこか疲れたような表情で座っている。
その横でクリスが心配そうに、チラチラとやり取りを窺っていた。
『申し訳ございません。現在、大統領は他の案件が多く、お約束が出来ない状況にありまして…………』
「………………では、他に今回の『惑星再生計画』の推進の件を話せる担当者は?」
『申し訳ございません。わたくしどもでは、大統領に代わってお答えはできかねますので…………』
――――埒が明かない。これ以上、『秘書』のプログラムに掛け合っても意味が無いな。
スゥッと所長の顔に諦めの色が浮かぶ。
「…………わかった。すまない」
『申し訳ございません』
プツン。
画面を閉じてため息をついた
「さて、どうしたものか…………」
所長が『永久図書館』から戻って一週間が経っていた。
政府が勝手に始めた『惑星再生計画』は、まだ土地を浄化する前の段階といったところだ。
本来の予定通りであれば、あとひと月もすれば一気に浄化作業が広がり、陸海空全てが惑星の中心のような高熱に包まれる。
【中央都市】が最後の浄化地域になる。
だが、世界各地にある施設だってどうでもよいものではない。
それらを移転させる前に浄化が始まってしまえば、人類にとっては大きな損失になってしまうのだ。
――――ある程度の複製は取ってあるが、それが全てではない。移転や人の移送だって、何年も掛かるというのに。
モニター画面に世界の各施設の場所を映し、どんなにシュミレートしても避難までの日数が足りない。
「……どうにかして『大統領』に目通りしないと。計画を停められないにしても、遅延させて少しでも多くの人民の確保と移動を…………」
本日何度目かのため息をついてデスクで頭を抱えた時、隣でカタカタッと慌てたような物音がした。
「あ、あの! 所長!」
「ん?」
クリスは先ほどからずっとソワソワしていた。
所長が様々な手を尽くしている様を見ていたが、一向にこちらに声を掛けてこないことにやきもきしていたのだ。
だから、やっとこちらの呼び掛けで顔を向けた所長に、クリスは頬を紅潮させて提案する。
「『大統領』にお会いになりたいなら、『会長』を通されてはいかがでしょうか?」
「『会長』に…………」
「はい。僕なら『会長』との面会なら取り付けられます。『会長』ならば『大統領』も無視はできないはずです!」
「………………」
『会長』は世界における物資の供給のほとんどを牛耳っている。生き残りを図っているのだから、それまでは彼の要求を拒める人間はいないだろう。
「…………お願いできるかな。クリス」
「はい! お任せください!」
やっと、所長が自分を頼ってくれた!
パァッと背景に花が咲いたような笑顔を浮かべて、クリスはすぐに『会長』宛てにメッセージを打ち始めた。
「……………………」
張り切って画面に向かうクリスを、所長は微笑みながらただ黙って見ていた。
…………………………
………………
所長が【永久図書館】から戻って二週間が経った。
『……で? あれから、所長はどう動いている?』
『どう……って、やっとのこと“大統領”との面談にこぎつけたみたい。私の手伝いはまだ先かな……』
所長の自宅。
居間では『リリ』と【143】が向かい合って座っている。目の前には紅茶と、クッキーの乗った皿が置かれていた。
皿からクッキーを一枚取り上げ、【143】は深いため息をつく。
『手伝いたいという気持ちとは対照的に、お前はやること無し、か?』
『そう…………よくわかったね』
『こんだけ凝ったものを出されりゃ、嫌でも想像がつく……』
『素敵でしょ? 一枚一枚、丁寧にデコレーションしたのよ。疲れたわ』
手に持つ盾の様な形のクッキーには、まるで何処かの王室の紋章のようなデザインが施されていた。
『【655】へのおみやげにしたら、アイツ必死になってお前のとこに来るぞ。渡しておこうか?』
『…………お願いしちゃおうかな。話し相手が欲しかったし』
ヘラっと笑いが出るも、『リリ』はすぐに表情を曇らせた。
『………………』
『言いたいことがあるなら言っとけ。今日を逃したら、俺がここに来ることは今世では無いぞ』
『う…………』
『リリ』はしばらく考え込んで顔を上げた。
『実は…………帰ってきてからずっと、自宅待機を命じられて、“育児機関”への訪問もダメって言われた……』
『……………………』
正直、今の現状は『リリ』を困惑させるばかりだった。
所長の手伝いをするつもりで張り切って図書館から家に戻ってきたが、自宅待機を命じられるだけで、以前にやっていた施設の訪問も許可してくれない。
『あの子が……所長がこれから何をして、どこに向かおうとしているのか……わからない』
『リリ』の瞳がいつになく仄暗く見えた。追い詰められている彼女の顔を、【143】は久しぶりに見た気がする。
『図書館に行ったのだって、何を調べていたのか教えてくれない。あの子が倒れていた場所にあった本の種類も色々だったし……』
『…………色々って?』
『色々よ。図鑑や歴史書、文学書…………小説や絵本なんかもあったの』
まるで本のジャンル全てを読もうとしたように、彼の周りには統一感のない本が乱雑に散らばっていた。
“調べものはほとんど終わったよ”
そう言っていたが、終わったと言っても何がどう完結したのか。
あの散らばった本と所長の笑顔が、『リリ』には何か恐ろしいものの前触れに見えた。
『………………ねぇ【143】……あなた、所長が何をしようとしているのか、知ってるんでしょう?』
【143】は所長に『検索能力』を与えている。
いつも自他に厳しい少年は、その能力を与える際に、何にそれを使うかぐらいは聞き出しているはずだ。
『…………秘密……』
『秘密? 私に言えないこと?』
『まぁ……その時は…………』
『じゃあ、今は言えるの?』
『さぁ、それは所長次第じゃねぇかな…………』
一瞬だが、少年の表情が苦痛を我慢するように険しくなった。すぐに真顔に戻ったが、付き合いの長い『リリ』はそれを見逃さなかった。
こういう時の少年は、その『隠し事』とやらに疑念を抱いている。本当は『リリ』に話した方がいいと思っているはずだ。
『すぐ、教えて。私はあの子の“保護者”として、ちゃんと聞く権利があるの』
『保護者って……所長だって子供じゃねぇんだし………………はぁ…………』
諦めたように深いため息をついた【143】は、なんとなく持っていたクッキーをそっと皿に戻した。
『所長はさ、とんでもない“秘策”を練っている……』
『何? 秘策って……?』
『ハッキリとはしないが……始まった“惑星再生計画”に関する事。止められないなら、別の手を考えてるかもな……』
『根拠があるのね?』
『あいつは、ダメ元で“父さん”が造っていたプログラムを造ろうとしているから』
所長の父は、『リリ』たち『心を持ったプログラム』の製作者だ。
『プログラム作成? 確かにあの子なら、そのノウハウは知っているもの。ただ…………』
所長の父親は、彼に『心を持ったプログラム』を造ることを禁じていた。
『“父さん”はプログラムの制作を禁止させていた。あの子はそれを守って、今までそれを造ろうとはしなかったのよ? それを今更……』
『…………はっ……』
『な、なによ……』
『リリ』に対して【143】は鼻で笑う。
いつも辛辣な彼だが、『リリ』に対してこんな態度を取るのは実は少し珍しい。
『今回の事と関係無しに、あいつは数年前から、お前に隠れて仕事以外で“プログラム”を造ろうとしてたようだ』
隙間なく仕事を詰めていたはずなのに、ちょっとした休憩にも『プログラム』の研究を挟んでいたほどだ。
『私に、黙って…………そんな、あの子はちゃんと言いつけを守ってるって……』
『ったく……お前はいつまで経っても、あいつを子供か何かと…………すっかりママの顔になってんじゃねぇか…………』
少年はむつむつと独り言を言う。隣で半ば呆然とする彼女の様子を横目でチラリと見る。
『所長みたいに知識も技術もある人間が、黙って大人しくしていると思うか? せっかく、自分しか知らないであろう“もの”ができるのに…………』
そのセリフに『リリ』は瞬時にハッとした。
『そうだっ……なら、いるのね!?』
『へ? うおっ!?』
バンッ!! とテーブルに両手をついて、身を乗り出した『リリ』は【143】に詰め寄ってきた。
突然、鼻がつきそうなくらいに近付かれた【143】は一瞬固まった後に、ソファーに倒れ込むように彼女を避ける。
起き上がって『リリ』を見上げる少年は、耳まで真っ赤になって抗議の声をあげた。
『な、ななな、何だよ!? 急に!! 黙ってたの怒るなら、所長に言えよなっ…………』
『どこにいるの!?』
『だから、何が……』
『所長の造った“子供たち”よ!! 私たちの仲間はどこ? 数年前から造っていたんでしょ!?』
『……………………』
雰囲気から察するに『リリ』は怒っていない。それどころか、所長の造った『プログラム』を自分たちの『仲間』だと思っているようだ。
『………………いねぇよ』
『へ…………』
『とりあえず、落ち着いて聴け。所長は随分前から“父さん”と肩を並べる研究者になろうとしていた。歳をとってそう考えるようになって、ある時から言いつけを破って“プログラム”の制作を始めたらしい』
【143】は座り直して『リリ』を真っ直ぐ見詰める。『リリ』も大人しく元の位置に力無く座った。
『所長は、1体も造れなかったんだ…………何度も何度も、失敗している』
よからぬ噂と共に変死した父親。
しかし、その技術者としての腕は彼が一番解っていた。だから、同じ分野の技術者として『心を持ったプログラム』を造りたくなったのだ。
『え…………でも、あの子は“父さん”からノウハウを…………』
知識と技術。
父親から受け継ぎ、所長が持っているはずのもの。
『それでも、ずっと失敗してたんだとよ。いつも出来上がるのは“普通のプログラム”で、何が“心ができない”原因かわからないって』
『そんなこと……』
『俺から“検索能力”を求めた理由はそこだ。技術は有るから、あとはプログラム作成に必要な“ヒント”を見つけようとしていた』
きっと、作成に重要なヒントを見付けてから、本格的に『心を持ったプログラム』を造ろうとしたのではないか?
『所長も意地っ張りだよな。独りで造れないなら、誰かを頼れば良かったのによ……』
『たぶん、それは無理。“父さん”は技術の情報には【鍵】を掛けてた。あの子以外は使えないように』
『心を持ったプログラム』は政府から危険視される恐れがあった。だから、その技術と『プログラムの基礎』は【鍵】を掛けて封印されている。
『知ってると思うけど、それを管理しているのは【永久図書館】でしょ』
『今回、所長が図書館でその【鍵】を開けた痕跡が無い』
『じゃあ、やっぱりあの子は言いつけを守って造っていないんじゃないの?』
少しホッとしたような『リリ』に対し、【143】の眉間には深い溝ができる。
『…………中核基地』
『え?』
『俺たちが入れない場所だ。そこなら、所長の邪魔はできないだろ?』
特定の人間しか出入りできない重要な場所。
所長の父親が最期を迎えた場所でもある。
『【中核基地】に行って私に隠れて造っていた……』
『そういうこと。ついでに、ここに戻ってからあっちに行く予定は?』
『いいえ。今は“大統領”に会うのが先で…………いくらあの子でも、プログラムを造る時間なんて取れないと思うよ?』
『……………………』
確かに、彼らが【永久図書館】から戻ってきて二週間しか経っていない。ただでさえ多忙な所長が『プログラム』を造る余裕はあるのだろうか。
『だったら、もう対決の手段はあるんだろうな』
『へ?』
『…………【915】、来てくれ』
『――――はい』
呼び掛けと共に、少年の背後にエプロン姿の髪の長い女性が現れる。普段は『家政婦』のプログラムをしている【915】だ。
『“例”の…………解析、してもらったか?』
『はい。【472】でも数日掛かったみたいですが。どうぞ……』
『あぁ、ありがとう』
【915】がエプロンのポケットから、小さな何かを取り出して少年に渡す。
少年が指で摘んで眺めているものは、小さなカプセル状のものだ。
『【143】…………それ、何?』
『で…………結局、【472】がこれは何だって言ってた?』
『はい。言ってしまうと“睡眠薬”だと』
『睡眠薬……?』
『“時限爆弾”とも言ってましたが』
『時限爆弾!?』
物騒な単語に『リリ』はポカンと口を開けた。しかし【143】は少しも驚いていないどころか、口元に笑いを浮かべて薬をテーブルに転がす。
『……所長が色々と藻掻いているうちに、物事はとっくに“滅亡”へと向かっていたみたいだな』
コロコロと転がったカプセルは、クッキーの皿の影に隠れるように止まった。




