第二十五話
「……………………」
所長が目を開けると、そこは図書館で用意された休憩室のベッドの上であった。
「……いつの間に、寝たんだっけ?」
独り言を呟きながら起き上がると、近くにあったソファーではリリが座ったまま眠っている。その姿が『プログラム』に見えないことに、所長は苦笑いを浮かべた。
――――あぁ、そうだ。調べ物に夢中になっているところに、リリや皆が迎えにきたんだっけ…………移動しようと立ち上がっても、上手く立てなくて【655】に担がれて…………
そして、そのまま泥のように眠っていたのだ。時間を見ると、担ぎ込まれてから丸一日は眠っていたらしい。
「あはは……心配、掛けたなぁ」
少し恥ずかしい気持ちになるが、そっとベッドから起き上がると眠っている彼女を静かに揺さぶった。
「リリ、リリ?」
「んむぅ…………ふぁああ〜」
にゃむにゃむと寝ぼけた顔で伸びをしている。
ボーッとした眼が所長を捉えると、急にスイッチが入ったように背筋を伸ばした。
「起きた! 大丈夫なの!?」
いきなり、ガシッと両手で顔を押さえられて容態を確認されたが、何ともないと伝えると今度はみるみるムッとした表情になった。
「あなた、【143】に『検索能力』を頼んだんですって!? なんて無茶なことを、あの能力は負担が大きいのよ!? 本を探すなら私だって手伝ったんだから!!」
一気に捲し立てるリリに、所長は苦笑しながら顔を挟む両手をそっと握って退かした。
「……図書館のあの膨大な数の本から探すんだよ。普通に漁っていたら、目当てを絞るだけでも何年もかかるだろ? ここに居る期限もあるし、少し無理をしてでも早く終わらせたかったんだ」
「でも…………」
「大丈夫だよ。もう、調べ物はあらかた終わったから」
「……………………」
心配する彼女に所長はふんわりと笑った。しかし、リリの表情は曇ったまま変わらない。
「さて、もう『中央都市』へ戻らないと。仕事が山積みになってるだろうし……」
「あの……そのことなんだけど…………」
リリは空中で指をスライドさせる。
目の前にパッとモニターが現れ、そこには現役の『大統領』の姿が映し出された。
画面の中で『大統領』は朗々と演説を始める。
『各施設の長の皆様。ごきげんよう、まずはご挨拶を申し上げます。先日、人類の中心たる【中央都市】にて重要な局面を迎えたことを……』
長々と環境に対する思想の講釈が流れる。
「…………これは?」
「先日、世界中へ配信されたもの」
『我々生き残った人類が“惑星再生計画”を掲げてから、早数百年が過ぎようとしている。最初はもっと遥か昔に…………』
演説をする『大統領』は、己に酔っているようにさえ見えた。
『現在は選ばれた少数が寄せ集まり、世界の中心で人類を救おうと奮闘している。もちろん、世界に散らばる施設にも優秀な人材が存在し、人類のために大きな決断をして、私たちの元へ駆け付けてくれることを切に願っている』
綺麗事としか思えない言葉が並ぶ。
『……我々はまさに一丸となって、この惑星を救う方法を実践する。今なら尊い犠牲を最小にすることができ、彼らの意志を強く心に留めて…………』
聞いていくうちに、所長の頭にこの演説の目的が浮かんだ。
「事実上、『惑星再生計画』の開始宣言じゃないか」
「うん……」
「…………予定より早い」
所長の知る限りでは『惑星再生計画』は、まだ数年は先になると予想されていた。
極狭い地域で試運転をして、その一部の結果が上がったばかりだったからだ。
これを世界規模で行うにはまだ早いと、環境整備の専門家たちからも判断されていた。
画面の演説内容に、所長はさらに首を傾げる。
「それと、この発表は【中央都市】には、向けられていないように聞こえるけど?」
「うん。【グリーンベル】に送られてきたもの。【472】が持ってきた」
「中央には別のを送っている……」
それでも『大統領』が発信したなら、これは『世界政府』の正式発表になる。しかし、計画の要である『総合研究所』の所長に対して、事前に何の報せも入ってきていない。
「大問題だ。すぐに『総合研究所』に戻らないと…………」
「だ、ダメっ!!」
モニターから離れようとした所長の腕を、リリが思い切り掴んだ。
「……リリ?」
「待って、戻ってはダメ……!!」
彼女は声も手も、身体全体を小刻みに震わせながら見上げてくる。
「なぜ、そんなことを? 私は『惑星再生計画』の責任者のひとりだ。由々しき事態があるなら、早く私も戻らないといけない」
特に驚く様子もなく、所長は涙を浮かべるリリを見下ろした。だが、彼女は一向に腕を放すことをしない。
スゥッと所長は目を細める。
「なるほど……図書館側は、これが人類の最後になるきっかけだと判断したのか……」
「……………………………………」
“92%の確率で全人類は滅ぶ”
「滅亡が『惑星再生計画』のせいで起こるなら、図書館側はこの計画は最初から失敗であると予測していたということかな?」
「……………………………………」
これに関してはここでも制限があるのか、リリが口を結んだ。
ポロポロと涙が零れていくが、涙は床に落ちる前に消えた。涙は実体化されている訳ではなく、ただの『プログラム』の映像である。
「リリ。今この事態が失敗だというなら、別の方向へ状況を変えた場合、人類は救われるのかい?」
「……………………………………」
「…………その確率もない、のか」
リリが何もしゃべらないことに、所長はため息をついてモニターを見詰める。
再生計画とは、惑星にこびり付いている汚染物質の浄化作業。
それは今のままの大地では不可能なため、土地の生態系を一度“リセット”してから構築する作業。
キレイな言い方では“土地の浄化”、乱暴に言うなら“焼き払って更地にする”こと。
作業中の土地ではどんな動植物も死滅するため、『惑星再生計画』は人間や他の動植物がいない場所から始まる。あとは生物を少しずつ、浄化の終わった場所へと移動させて、残りの土地も同じように浄化させていくのだ。
当初の計画は何十年、何百年と掛けて浄化を行うものだった。
だが、この『大統領』の演説からは、この作業を今すぐに大規模に行うといっている。
しかもこの速さでは、選ばれた人間のみを救って、残りは世界と共に『浄化』しても致し方なし……としか聞こえない。
全ての人間の避難をするには、場所も時間もない状態である。一気に『浄化』を進め、残った人類だけが『新しい世界』に進むことになる。
「尊い犠牲…………つまり、避難できない人間は仕方ないって諦めさせることだな」
――――きっと、生き残る人間はすでに決めてあった。それは【中央都市】にいる者。もしくは、中央に呼ばれた施設責任者や側近。選ばれた『上級』の人間。
リリがまだ、所長の腕にしがみついている。
「計画は始まる。もう手遅れだから、ここにいれば私は助かる……と言いたいの?」
「…………………………」
しかし、これには疑問があった。
「たぶん、私は【中央都市】の人間だから、生き残る方に入っていると思うけど?」
「…………………………」
無言。そういう事だ。
――――なるほど。図書館側は、どちらに転んでも『惑星再生計画』を信じていないんだ。
どういう経緯か、世界で生き残れる人間は誰もいないという答えを弾き出しているようだ。
「なら、他の人間は何も知らずに滅びるのに、私にはそれを眺めていろと言うのかい?」
「…………………………」
無言だが、リリはハッキリと頷いた。
「私……は、どんなにこれが卑怯な考えでも、今のあなたを死なせくない……」
「…………ここに居れば、私は死なない……けど」
空中に置き去りにされたモニター画面には、演説を終えて静止した『大統領』が映っている。
所長はそのモニターを指で弾いて引っ込めた。
ドサッとリリの隣に腰掛け、所長は天井を見上げて大きく息を吸う。
「私は『原始人種』だが、それ以外は普通の人間だ。もう四十を過ぎて、現代での平均寿命が迫っている。ここに居残って他の人類との滅亡を回避しても、いずれはさらに歳を取って肉体の限界を迎えることとなる。それは私も館長も同じだし、人間としての必然だ」
「………………」
リリは俯いてグズグズと鼻を鳴らしていた。彼女たちは肉体的にも、本物の人間のように造られていることが判る。
「私は研究所に戻るよ。本来と違った『惑星再生計画』が行われるというなら、その原因や理由を知りたいと思う。後からではできないことを今やっておきたい。たとえ、無駄な行為だとしても……ね」
「分かっているなら、何で帰ろうって…………」
リリは所長の腕を掴み、泣き顔のままフルフルと首を横に振った。
「私は勘違いをしていたよ。以前、『92%で世界が滅ぶ』って聞いて、残りの『8%』は滅ぶことはないと考えていた。でも…………」
――――『8%』が“希望”だと、誰が言っていた? 最悪のケースだって有り得るだろ。
その8%がどんな未来かは、今更考えても仕方がないのだ。
動いた計画は止められないが、誰か特定の人間だけが得をしたり、不幸になるものであってはいけない。
「首謀者がいる。そいつは“他の人間よりも、自分が生き残ること”を重要にしている。だから計画を早めたんだと思う」
「…………………………」
「リリたちは、そいつを知っているね? 私もここで調べ物をしたから、大体の予想はついているよ」
ここでの『調べ物』から、所長は全体の把握ができてしまった。
所長は片手を胸に当てて拳を握る。
しばらく黙って俯いていたが、息を吐いて顔を上げた。
「私もあなたと一緒に【中央都市】へ帰って計画の全容を見届ける。良いよね?」
「………………わかった。帰ろう」
「うん……」
リリが頷くと、所長は彼女の頭を撫でた。目を合わせてお互いに微笑む。
リリは勢い良くソファーから立つと、両腕を伸ばして彼に向き合った。
「今度こそ、私も最後まで手伝うから」
「うん」
「じゃあ、善は急げね。今日中には帰る準備をしましょ」
「うん」
にっこり。
所長は微笑んだまま、リリを見上げる形でソファーに座っている。
「ねぇ、リリ」
「なに?」
「私は【143】から能力を付与される時に、『絶対にリリを裏切らない』って約束をしていたんだ」
「そうなの……」
「うん」
「今まで、あなたは誰も裏切ったりしたことないのに……【143】ったら、そんな約束しなくても良いじゃない……」
「うん、そうだね。私がリリを裏切ることなんて……」
所長はそこで言葉を止めた。一瞬だけ何かを考える様子があったが、すぐに微笑んで立ち上がった。
「荷物、まとめてくるよ。あと、館長やみんなにも挨拶しておかないと…………じゃあ、いってくる」
スタスタと部屋から出ていく所長を、リリは微笑んで見送ったが、彼が見えなくなった途端に真顔になった。
「…………【143】。私、あの子の最期まで帰らないから」
「………………」
リリの背後に【143】が降り立つ。
少年はどこまでも無表情で、じっと所長が出ていったドアを見詰めていた。
「リリ…………いや【827】。お前が帰ってくるまでに、俺たちも準備を進めているから」
名前ではなく【番号】で呼ばれたことに、リリは終わりが近付いていることを悟る。
「私は極力【中央都市】で、あの子がやる事を見守る義務がある」
「見守っていたところで、結果は変わらないぞ?」
「最期に何を願うか、直接ちゃんと聞いておかないとね……」
「叶わないかもしれない」
「叶うよ。あの子は、私がなる『聖女』の“補佐”なんだから」
「あいつがお前の補佐か。まぁ、妥当だな……」
リリは【143】にいたずらっぽく笑い掛けるが、やはり少年は表情を崩すことはしない。
「『王』の“補佐”は? あなたのことだから、一人は【844】だと思うけど……あと一人、人間からは選ばないの?」
「……………………」
ふぃっと、少年が斜め下に視線を落とす。
「一人……めぼしい奴はいる。だから、そいつはできるだけ政府の企みからは遠ざけておいた」
「そう、良かった。それは巡るのが楽しみね…………」
「……………………」
「……………………」
“楽しみ”と言うリリの表情は暗かった。
…………………………
………………
翌日。
来た路を辿る様に、所長と『リリ』は自宅へと戻った。
その帰り道。所長はずっと黙ったまま考え事をしている様で、『リリ』も彼に話し掛けようとはしなかった。




