第二十三話
【844】が“例の彼”に向ける感情はとても強いものだったが、彼はそれを恐ろしいとは思わない。
むしろ、何か温かい気持ちになってくる。
――――……それなら、私も少しは頑張ってみようかな。
「……また、会えるようになるといいね。この事は私も考えてみようと思ってた」
「所長さん? あの……それはどういう……」
「――――所長!」
不意に廊下の先から声が掛けられた。
見ると、遠くからずんずんと歩いてくる人影がある。それは【143】だった。
「兄様…………」
「……迎えに行かせたら、さっぱり戻って来ないから何かあったのかと思った」
「申し訳ありません……」
静かに頭を下げる妹に、【143】は少しだけ困ったような顔をしたが直ぐに真顔になる。
「いや、何もなかったならいい。ここからは俺が所長を連れて行くから、【844】は図書室の仕事に戻っててくれ」
「はい。では所長さん、失礼いたします」
「うん、ありがとう【844】」
彼に一礼すると、【844】は今来た廊下を引き返していった。
「……………………」
【143】は彼女が見えなくなるまで黙って廊下の先を向く。足音も聞こえなくなって完全に遠くへ行ったのを確認すると、彼の方を向いて反対方向へ促した。
「じゃ……行くぞ」
「あ、うん……」
今度は【143】に付いて、長い廊下をひたすら歩いた。
…………………………
………………
廊下の突き当たりには、玄関よりも少し小さいくらいの扉があった。それでも他のどの部屋の扉よりも頑丈そうである。
コンコンコン。
硬い木の音が廊下に響いた。
「失礼します。所長をお連れしました」
【143】が言うと、扉は勝手に開いて彼らを向かい入れる。
先には短い廊下があり、二つ目の扉も同時に開く。
二つの扉をくぐると、壁や柱、四方八方が『本棚』でできている部屋に辿り着く。
本棚を抜けると、開けた場所に大きなベッドが一つ置いてあった。
「いらっしゃい。待っていたよ」
「あ…………」
ベッドには白い髭の痩せた老人がいた。
上半身を起こしてはいたが、自力ではなく背中にいくつかのクッションを敷いて寄りかかっている。
この老人が『館長』である。
【永久図書館】に住むたった一人の人間であり、リリや兄弟『プログラム』たちの事実上の主だ。
館長はベッドから出られないようだ。
幼い日に見た光景では、杖こそついてはいたが歩いていたように思う。
「ご無沙汰しております…………館長」
ホログラムではちょくちょく会ってはいたが、実際に会うのとはまるで違う。こうして館長の部屋へ来るのも初めてだった。
「本当に顔を合わせるのは何年ぶりか。君は何歳になった?」
「今年で44です。以前、ここへ来たのは……6才の時ですね」
館長は微笑みながら彼をじっと見詰めている。
「そうか、そんなに経ったか。実物の君はずいぶんと立派になったもんだ。現実で前に会った時の君は、背丈が今の半分くらい……いや、そこまでではなかったか? ははは、懐かしいものだ……」
笑った顔にはあまり力がこもっていない。それだけ、この老人に残された時間が少ないのだと感じた。
「ここには、どのくらい滞在できるのかな? 【827】……リリはひと月は引き留める、と張り切っていたが、そうはいかないのだろう?」
「はい。申し訳ありませんが、来週には戻らなければなりません」
「そうか。本当は少しくらいゆっくりしてもらいたいが、今や君も責任のある立場だからな……仕方ない……う、ゴホッゴホッ……」
「館長、ご無理なさらず……」
咳き込んだ館長に、後ろに控えていた【143】が駆け寄る。背中を擦りながら、クッションを避けて館長を寝かせた。
「まともに相手もできずにすまない……最近は起きていられる時間も少なくてね……」
「いいえ、押し掛けたのはこちらです。館長の都合ではなく、私の予定で来てしまいましたので」
彼の言葉に館長はぱたぱたと片手を振った。
「気にすることはない。君が訪ねてきてくれるだけでも嬉しいものさ。それよりも、ここに来たのは私の見舞いだけではないのだろう?」
「正直に言うと、そうなります」
ここが『図書館』であるというのも、彼が訪ねた理由でもあった。
館長は彼に向かって微笑むと、仰向けになりベッドに沈んで目を閉じる。
「ふむ…………滞在している間は、この館のものは何でも好きに使ってくれて構わない。不便があったら、リリや【143】たちに言うといい。私も起きている時は話を聞こう……」
「ありがとうございます」
その後、彼は数分だけ他愛ない話をしてから【143】と一緒に部屋を出た。
「…………館長、小さくなったな」
部屋を出て、思わずぽつりと呟いた。
「所長がでかくなっただけ…………と言いたいが、最近の館長はめっきり弱くなったよ。今日は少しだけ体調が良かったけど」
館長の部屋のある後ろを振り向きつつ、【143】がため息混じりに言う。
「館長って、今年で何歳?」
「…………90才」
「私の倍以上か…………かつて人間が100才を超えたって、神話とかじゃなかったんだね……」
「『エルフ』って奴かもしれない」
「エル…………なに、ソレ?」
「…………忘れろ」
何か【143】なりの冗談だったのか、それが彼に通じなかった恥ずかしさでそっぽを向く。
「はぁ。そんなことより……」
明後日の方向を向いたまま、【143】が何かを懐から取り出した。
「これ。頼まれてたもの」
つままれていたものを手のひらで受け取る。危うくコロリと転がり落ちそうになって慌ててしまう。
「これが…………」
例えるなら、ビー玉というものだろう。
それは指の先に乗る豆くらいの小さなガラス玉のような質感で、中でキラキラ光る粒があちこちに蠢いていた。
「使い方は?」
「玉を頭につけて『閲覧』と言って指で潰せ。簡単に砕けるはずだ」
「それだけ?」
「それだけ…………」
玉を眺めながら、気の抜けたような彼の表情に【143】は眉を顰める。
「それだけで…………もう、後戻りはできなくなる。こびりついた『知識』は『記憶』になって、脳みそを取っかえでもしない限り、頭から離れなくなるからな……」
「へぇ…………これを子供の頃に知ってたら、勉強はそうとう楽だったろうに」
「バカ言うな。子供になんて使ったら、下手すりゃ廃人になるんだぞ」
一種の“洗脳”のようなものだという。記憶中枢に強力なエネルギー体を直接叩き込むというので、成長しきった大人ではないと脳に何かしらの損傷を起こすことがあるかもしれない。
「……その『知識』を基に調べものをすればいい。紙媒体の資料が欲しかったら【844】か【472】あたりが詳しい。休んだり、飲み食いをする時には客間を使っていいから」
「うん。ありがとう」
「それと…………」
「うん?」
彼に向き直った【143】の前にはカレンダーが表示されていた。
「ここにいる間、リリに休暇を与えるって言ってたよな?」
「そうだね。リリは嫌がってたけど、私がリリを放っておくことになるし……」
「なら、週末にリリを借りてもいいか? もちろん、本人にも確認を取るけど……一日、留守にすると思う」
「何処かに連れて行くのかい?」
「【472】が居る【グリーンベル】に。そこの子供たちに会わせたい」
「子供……」
そういえば、少し前に【グリーンベル】にいる子供たちについて話した記憶があった。彼の分野ではなかったので忘れていたが、子供の世話という点では『リリ』の分野とも言える。
「うちのリリが、その子たちの研究の手伝いにでもなるのかい?」
「いや、本当は【472】が、リリをそこの施設長に会わせたいって言ってたのだけど…………その他に、子供たちへの『娯楽提供』のためもある」
リリは時々、『育児機関』の『プログラム』を検査するついでに、そこの子供たちとたくさん遊んできたりする。それは子供の発達の研究の一環にもなっているのだが、ただ単に娯楽の少ない子供たちを楽しませたいという彼女の希望でもあった。
――――その【グリーンベル】の子供たちは『育児機関』から早めに出されている……
「……………………」
「ん? 何だい、【143】?」
彼が考え込んでいると、その様子を【143】がじっと見詰めていた。目が合うと、少年は一瞬逸らしたが、すぐに何かを思い出したように再び彼に向き合った。
「所長……」
「なに?」
「世間一般では、それは『不適合者』にされた子供たちだ。その施設で環境の実験に使われている……話は聞いてるな?」
「あぁ、確かそんなこと聞いたけど…………」
「…………全員、ここ十年で産まれた『原始人種』だった」
「え……!?」
【143】の言葉に一瞬だけ理解が追い付かない。
軽く動揺する彼を少年は目を細めて眺めた。
「そんな……全員……?」
「表では『原始人種』の出産は数年間に十数件とか発表されてる。でも、実際は全然違う」
「実際はどれくらいなんだ……?」
――――まさか、実際はかなり少ない?
実は希少な人間を一箇所に集めているとか? しかし、それならなんで“不適合者”に?
彼がその理由を問いそうになった。だが……
「毎年、1万人以上の『原始人種』が、“不適合者”から産まれている」
「なっ……!?」
『繁殖機関』によって培養されて生まれる人間は年間約8000人。これでやっと、人口を減らさずに済んでいると言われていた。
「年間に1万人って…………『繁殖機関』が生み出す『人工配合人種』より多いじゃないか!? その1万人は、人口に加えられては…………」
「ほとんど、いない。俺が知っている限りは『中級』になる奴が年にひと握りだ」
「『中級』……『生活空間』行きの人間?」
おそらく、以前調べていた事の延長で発見したのだろう。
「……昔は【中央都市】に行ける『上級』もいたけど、ここ二十年前は良くても『中級』。悪ければ『下級』以下の実験動物扱いさ」
「実験動物って……」
ぐらりと目眩がした。
年間8000人造ったところに、その産まれた1万人を足せば人口は確実に増えていく。
今は増やしたいはずの貴重な人間を、どうして隠してしまうのか理解が追い付かなかった。
「ほとんどが、いわゆる『下級』とされた人間の間に産まれた奴らだ。所長は『下級』がどんな暮らしをしているか知ってるか?」
「……………………」
『下級』と呼ばれる人間。
人間……とは呼ばれても、その扱いがあまり良いものではないということを彼は知っている。
「政府が定める基準とやらから外れた奴は、ひとまとめにされて施設に放り込まれる。待ってるのは学も要らない肉体労働だ。ほとんど娯楽の与えられない場所に、男女関係なく入れられたら…………所長も、自然に任せる時の人間ができる仕組みくらいは分かるだろ?」
気の弱い『上級』の人間が聞いたら卒倒しそうな台詞を、【143】は皮肉たっぷりの笑顔で言った。
人間は機械で細胞を組み合わせて、人工的に胎児を作って育てるのが一般的だからだ。
自然繁殖に興味無い人間が多い現代では、本来の仕組みを知らない者も少なくない。むしろ、それを知るのは恥だと思っている思想家もいるくらいだ。
「それでも…………何で、政府はせっかく増えた人類を隠すんだろう…………ここまで人口が減っているなら、もう『上級』も『下級』も関係な――――」
「本当に関係ないか?」
「え…………?」
「本当に、人間なら全て同じだと?」
じわり、【143】から何か言い知れぬ圧のようなものを感じる。
「……【143】、君が言いたいのは何だ? はっきり言ってくれ」
「…………………………」
スッ。少年は彼の手を指差す。
彼の手の中には、さきほど渡されたビー玉が握られていた。
「俺は…………いや、ここに居る『プログラム』たちは“世界の事”に関しては答えない。それが館長の意思だからだ」
【143】やリリは、館長の意思が全ての『プログラム』の基礎になっている。
「この場所では言動に『制限』は掛けられてはいないが、俺たちには黙秘する『権利』が与えられている。知りたきゃ、それで得たもので探し出せ。ここはそういう場所だ」
ここは『永久図書館』。
世界の“すべて”を記録し、保存している場所である。
「…………もし、私が余計な事まで知ったら?」
「それが、お前の求めるものなら構わない。ここには、知り過ぎたから……という理由で消そうとする輩はいないだろう」
ふぅ……と小さなため息が聞こえる。
【143】は、くるりと後ろを向くと片手をヒラヒラと振って歩き出す。
「じゃあな。せいぜい、ゆっくりしていけ!」
「…………あ、ありがとう」
彼はぶっきらぼうに去っていく少年を呆然と見送った。
カツカツカツカツ…………
足早に彼から遠ざかる【143】。
素っ気なく別れた少年だが、彼から離れていくほど口角が上がっていく。
「さて…………どうなるか」
【143】は館長室へ帰るまで、その笑顔を誰にも見せないよう努めた。
…………………………
………………
しぃんと静まり返った館内。
この一番大きな蔵書室には、彼以外の生物も『プログラム』も居ないのだろう。
フロアの中央、大きなテーブルの席に彼は静かに座っていた。その手の平では、ビー玉がころころと弄ばれている。
「…………………………」
彼はそれを優しくつまみ上げると、その指先を額に押し付けた。
「………………『閲覧』……」
パキィンッ。
小気味よい音がして、彼の顔の周りにはキラキラ光るテープのようなものが舞う。それはテーブルに落ちる前に全て消えた。




