第二十話
研究所での事件からしばらくが経ち、誰もあの日のことを口にしなくなった。
現代人はみな忙しく、自分に大きく関わることでなければすぐに忘れてしまう傾向にある。それが良くも悪くも、人間関係のいざこざを少なくしているようだ。
「所長、先日お会いした企業から、大量の『プログラム』の回線の設置願いがあったのですが……」
「『プログラム』の種類を教えてくれないか。場合によっては対応できないから」
「はい」
あの日から、特に彼やクリスに変化はないように見えた。
変わったことといえば、クリスが一人暮らしを始め、家には『家政婦』が来ているということだけだ。それもすぐに慣れたようで、本人は何も言うことはないようだ。
さらにもう一つ変わったことがある。
「……そろそろ終業だな。クリス、君も無理せずに帰った方がいい。私はもう少しやりたいことがあるから残るよ」
「え? あ、いえ! もしそんなに長い時間じゃなければ、僕も勉強がてら残りたいです! お邪魔はしませんから!」
「…………雑務だけだから、あんまり面白くもないぞ?」
「所長の仕事を見てるだけで勉強になります! でも…………ご迷惑でしょうか?」
「ふぅ。ま…………別に構わないけど」
「ありがとうございます!」
前にも増して、クリスが彼にべったりになったのだ。
…………………………
………………
『“少しでもお父さんと一緒にいたい”って心理じゃないの?』
「さぁ、どうだろう……」
別の日。
とある研究室に彼は『リリ』と二人で居た。
今日はプログラムに関わることではなく、別の部門の研究成果を確認しに来ただけだった。
目の前のモニターに指を滑らせて内容を確認しなが、ぶつけられる『リリ』の軽い嫌味を受け流す。
あの日、所長室で何があったのかを彼は包み隠さずに『リリ』に教えた。
クリスの母親が彼に向けていた想い。
死に際に言ったこと。
その後に彼が【143】を呼び出したことは教えてはいない。
『でも……クリスはこのこと知ってるの? あなたから話したりした?』
「話してない。彼とはお母様の葬式でも何も話はしてないから……それに、実の母親の私への思慕なんて、息子としては言われても複雑だろう?」
『そうね……』
クリスや警察には『会って挨拶しているうちに倒れられた』と言うだけにした。
事実、彼らは初対面であり、面会時間も短いために怨恨などの疑いは無しと判断され、彼女の偶然の病死だったと公式に発表されたのだ。
『でも、まさか現代人の寿命が、人工交配のせいでどんどん短くなるなんて…………』
「何も驚くほどじゃないと思ってる。誰だって寿命はあるんだ。それが様々な要因で長くなったり短くなったり…………今の環境が命を縮めている…………そう考えても無理はない」
『言ってしまえば、生き死にに完璧な決まりは無いってことね?』
「そうだよ」
『でも、クリスのお母さんの言い方だと、原始人種が長命で、人工配合人種が短命ってことに解釈しちゃうね。それなら人類は尚更、自然交配を勧めないとおかしいのに……』
「うん。あ、いや……問題は……」
問題は寿命の長短ではなく、彼らは自分の寿命を分かっているということだ。それもかなり正確に。
そして確実に言えることは、このままでは人類はどんなに頑張っても自然と滅んでいく。まるでそれを一部人類が良しとしていること。
「『人工交配人種』全員がそうだと言えるかはわからないけど…………寿命が正確に分かっているなら、それの対処法だってできたはずなのに……」
今や世界の人間の平均寿命は、この二年ほどで43歳くらいまで引き下がっている。
――――とうとう自分も、来年で平均寿命に追い付いてしまう。私を現代の人類と同じで考えるなら……だけど。
「……………………」
彼は黙って考え込んだ。
もともと、何かに集中すると黙り込むことがある彼だが、あの日……クリスの母親に会った日から、それは徐々に増えていくようだった。
「そういえば、【永久図書館】に行く予定も延び延びになっていたな……」
『そうね。みんな待ってる』
ふと、以前に予定に組もうとしていた、【永久図書館】への訪問を思い出した。
それは『リリ』も喜んでいたことだったが、あの日以降に彼女からそれをせっつかれることがなかったので、うっかり忘れてしまっていたのだ。
「ごめん、すっかり頭から抜けてた……」
『仕方ないよ。でも、そろそろ予定に入れてくれても良いと思う。館長も最近は体調が芳しくないから、早めにあなたに会いたがっていたし……』
「館長が……」
彼が最後に【永久図書館】に直接行ったのは子供の頃。あの時は両親が健在で家族全員で訪れたと記憶している。
「行くとなれば、また図書館側のプライベート機を使ってか…………今でも場所は『秘密』なんだな?」
『そーよ。図書館の場所は情報保全のために“秘匿”されなければならないから』
世界中から閲覧可能であるが、その場所へ行く道は隠されている。
“誰もが知る存在であり、誰も知らない存在”
それが【永久図書館】の最大の特徴であった。
この世の全ての情報が記録され、どんな小さな記憶も記録も、どんな巨大な秘密も望めば手に入る。
人間がその“記憶”を書き留め、それを後世に遺すと決断した時から存在を許された場所。
現在、【永久図書館】の所在地は『不明』となっているのだ。
世界の人類の頂点にいる『大統領』でさえも、直接その地へ向かうことは容易ではない。
「本当なら、私ごときが気軽に遊びに行ける場所じゃあないと思う…………けど……」
『あらぁ、ちゃんとお茶菓子用意して待ってるわよ? 気軽にどうぞって館長も歓迎していたし』
「………………」
彼の一族だけは、訪問を許されている。
おそらく、彼の父親が『リリ』たち図書館側の『プログラム』を作ったからだろうと思っているが、それにしては図書館自体の歴史が深すぎる。
「昔から疑問なんだけど……なんで、うちの家族だけは行っていいの?」
『……………………………………。さぁ、なんででしょうねぇ』
「現在でも答えられないんだ……」
彼は今まで同じ質問を『リリ』や他の図書館の『プログラム』にしたことがあったが、いつもたっぷりの間があるので、何度もこの質問をしても答えられないのだろうと感じた。
「はぁ…………とりあえず、仕事に空きができそうなところに訪問予定を組み込んでて……」
『了解! じゃ、さっそく――――』
『それは、すぐに行く予定かい?』
「『…………!?」』
突然、二人の会話に呑気な声が入ってきた。
「『【472】っ!?」』
『久しぶりー』
黒い短髪で眼鏡を掛けた少年。今日は白衣も着ていて、まるで見習いの研究員のようだ。
にこにこと挨拶をする少年に、彼は慌てて周りを確認した。
「【472】、ここは“普通回線”が多い場所だから、怪しまれたら面倒なことになるぞ……!」
『大丈夫、正式な手続きを踏んできたから』
『正式って、まさにここにいる所長の許可でしょうがっ!!』
いつもは最初に所長室へこっそり出現してくるのだが、彼と『リリ』の知らない間に研究棟へ侵入していたようだ。
「いやいやいや。私の許可は出すけど、今すぐにここで誰かに見つかったら結構マズイぞ?」
『政府のプログラム以外は、研究棟の入室許可が難しいのよ!』
政府の『プログラム』が受付けに居たはずだが、それをどうやって突破したのか? 二人は血の気が引く気分で疑問に思った。
ピピピ、ピピピ、ピピ…………
その時、入室の許可を求めるアラームが鳴った。目の前には個人名と“入室許可”、“待機”、“その他”の文字が付いたモニターが現れる。
「まずい、うちの職員が来た! 【472】は隠れ……」
『大丈夫だよ。はい、“入室許可”……っと』
「あっ……!」
ピピッ…………シュッ!
「失礼致します。所長、お待たせして申し訳ありません」
扉の開く音がしてすぐ、研究員の青年が入室してくきた。
「い、いや、別に待ってない! 大丈夫だよ」
『そうそう、大丈夫ですよー!』
「…………? 所長、なんかありました?」
「いやいや、何も…………」
彼と『リリ』は横並びで【472】を隠したが…………【472】は二人の隙間を縫って、青年に手を振って声を掛ける。
『やっと来たね、待ってたよー!』
「あぁ、『シド』くん。先に来てたんだね」
「『…………へ?」』
――――…………『シド』?
彼はパッと【472】を見た。
少年は口に人差し指を当てて微笑む。
「えっと……うちの『シド』とは……?」
「え? この子、所長の『家族プログラム』だって聞きましたけど……」
「あはは……いや、あの……君と仲が良さそうだったから驚いてね。そんなに人前に出さない子だから…………」
どうやら、【472】は『リリ』と同じように『家族』として登録された『プログラム』で押し通したようだ。
『家族』の場合は、プログラムに名前を付けなければならない決まりである。
それをすぐに理解し、彼は笑って誤魔化すことにした。
『ちょっと、“シド”って名前……あなたが決めたの?』
『適当に見繕った名前だけど……変かい?』
『ううん、でもちょっと強そうな名前だなぁって……もっと柔らかい方がいいかなぁ』
『う〜ん、よく分からない……』
コソコソとプログラム同士で話をしているのを横目に、彼は青年と会話を続ける。
「いつ頃から、お世話になってたのかな……?」
「『シド』くん、去年あたりからうちの課の手伝いをしてくれることがあったんですよ。ご存知ありませんでしたか?」
「あー、うーん、まぁ、そうなんだねー……」
この青年は『総合研究所』の『動植物課』で室長をしている。主に人間以外の生物の遺伝子研究をしているのだ。
「そ、それよりも、私に研究成果の確認を求めてきたのだろう?」
「はい、さっそく見てもらえると…………この子です」
『キュウゥゥゥ……』
「ん……?」
床の方から何かの鳴き声がした。
青年は一抱えはある箱を机に乗せる。それは小動物を入れる移動用のケージだった。
「あ、『シド』くん。ちょっと出すの手伝ってくれる?」
『はいはい。ほら、おいでー』
『キュルル……』
【472】がケージに片腕を突っ込んだ。少しだけガタガタとケージが揺れて、大人しく首根っこを掴まれた小さな動物が引っ張り出された。
それは両手のひらに乗るくらいの、小さなキツネの子供だった。
「人工細胞を培養して、完全にゼロから造った生物です。モデルはキツネと犬の遺伝子です。生後ひと月ほど経ちました」
「完全な人工生命体?」
これまでは元になる細胞有りきで、その遺伝子を変えることが可能なていどだった。
「まあ、細胞の培養自体は昔からありましたが、すべて『遺伝子記号』から起こして本物の『生体細胞』をつくったのは骨が折れる作業でした」
「記号から生体に…………」
「基礎の生体は『多角アミノ媒体』から造ってますが、食品なんかとは比べ物にならないほど難航したんですよ……」
つまり、『プログラム』の記号を遺伝子配列に書き換え、その細胞を造れるということ。
「えぇ、これが人間でも完璧にできれば、大昔の偉人の身体の再現なんかもできます…………が、それは倫理的には難しいでしょうね」
『今は、ね。倫理観なんて時代で変わるからねぇ。君はやってみたいんじゃないの?』
「あはは、『シド』くんは痛いとこ突くなぁ。でも、この子を生み出した時点で言われても仕方ないけど…………」
ちょっと他では聞かせられないことを話しているので、青年は【472】とはかなり仲良くなっていたようだ。
『この子、頭も良いんだ。ほら“スイ”ちゃん、このおじさんはここで“一番偉い人”だよー』
『キュウウ〜ン』
『スイ』と呼ばれた子ギツネは、コロンとテーブルに仰向けになって、白いフワフワのお腹の毛を彼に向けていた。完全に言葉の意味を理解して服従してくる。
『なんて教え方を……でも、可愛い……』
「うん…………確かに可愛い」
ゼロから造られた生物は、普通の生き物にしか見えなかった。
――――生物を記号から創り出す……それが可能になれば、みんな人間になれるはずだが……。
彼がやりたかったことはまさに『それ』だ。
いつの時代か、『プログラム』が人間の生を選択できるという未来だった。




