第十九話
――――なんで、こんなことになったの?
自宅のソファーで『リリ』は人間のように頭を抱える。
彼が医務室に運ばれてから数時間が経っていた。
…………………………
………………
パーティ会場に居て彼に呼ばれたのはわかったが、所長室へ移動しようとした瞬間、何か壁のようなものが彼女を弾いた。
気付けば部屋には入れず、所長室の前の廊下に飛ばされている。
そこには、彼女と同じく飛ばされたであろう『医師』と『救護員』のプログラムが、状況を掴めずにウロウロしていた。
『あ、あなたたち、どうしたの?』
『リリ』が慌てて彼らに話し掛けると、『プログラム』たちは顔を見合わせてから所長室の扉を見詰める。
『それが、ここから救護要請が発信されたのですが、どうしても中へ入れないのです』
『本来、救急の場合は鍵の存在は無視されるはずなのですが……』
『救急って…………誰が、呼んだの!? まさか、所長!?』
彼が倒れているのかと一気に不安になった。
『いえ……たぶん、呼んだのは所長で、一緒におられる方への救護要請かと』
『一緒にいるのって…………』
クリスの母親である。
『クリスに伝えないと……!!』
他の『プログラム』たちを残し、『リリ』は急いでパーティ会場へと移動した。
『クリス!!』
「はい。あれ? 『リリ』さん?」
クリスは会場で他の職員と話しているところだった。慌てている『リリ』を不思議そうに見詰める。
『今すぐ所長室へ……!! お母様が、大変かもしれないの!!』
「っ!?」
『私についてきて! 早く! 助手のあなたなら、所長室の鍵を開けられるでしょう!?』
「え、あ、はいっ!!」
『リリ』は、クリスと走って所長室へと向かう。彼らのただならぬ様子に、他の職員も何事かとついてきていた。
部屋の前に到達すると、すぐにクリスが扉に触れてモニターを出した。しかし少し指で弾いたあと、動揺したように扉を拳で叩いた。
「所長! お母さん! いますか!? クリスです! 開けてくださいっ!!」
『えっ!? 解除は!?』
「できません! なぜか、ロックの内容が変わっているんです!!」
「「「えっ!?」」」
悲鳴のようなクリスの声が、さらにその場の不安を煽っていく。
扉はセキュリティロックの解除も効かず、もちろん物理的な衝撃にもビクともしなかった。
『入れないんじゃ、どうすればいいの……?』
職員の中に解錠のための連絡をする者もいたが、『リリ』やその場にいた『プログラム』、他の職員も今すぐは誰もどうにもできずに立ち尽くした。
「そんな……こんな、何でっ……!!」
ただ一人、クリスだけは真っ青な顔で扉の表面を叩き続けている。
全員が完全に諦めた時、ピピピツ! と電子音が鳴り響いた。
「っ…………まさか……!?」
クリスが再び扉の鍵を確かめると、出現したモニターには『解除』の文字が浮かんだ。
「入れる……!! 『リリ』さん!!」
『う、うんっ!!』
シュッという音で扉が開いたが、『リリ』はそれよりも先に所長室へと移動する。先ほどの壁のようなものはなく、すんなりと部屋の中央へ……彼の目の前に現れることができた。
『っ……!?』
部屋の中心には座り込んでいる彼と、吐血して倒れている金髪の女性。
彼の白衣のあちこちには、彼女が吐き出したと思われる血液が飛び散り、まるで大昔のホラー映画のような姿である。
――――何があったの……?
あまりの光景に、『リリ』はショックで一瞬で判断ができなかった。その間に部屋に入ってきたクリスや他の職員、救護の『プログラム』たちが駆け寄る。
「所長!! お母さんっ!!」
「な、なんだこれ!?」
「所長、何があったんですかっ!?」
『女性一名、心肺停止。早く処置を!!』
『医師』と『救護員』が素早く対応し、倒れた所長は担架に乗せられて連れ出された。
『…………これは……』
女性の蘇生を試みていたが『救護員』が退けて、代わりに『医師』が彼女の手を取る。
『残念ですが…………』
確認が取れた『医師』は静かに首を横に振った。
「お母さん…………」
クリスは母親の横に座って項垂れた。
やがて母親も運ばれていき、警察の人間が来るまで動かないようにと伝えられる。
全員廊下に出され、そこで静かに待つことになった。
「…………………………」
『………………』
下を向き続けるクリスに、掛ける言葉もなく『リリ』も黙っていたが、後ろからヒソヒソと職員たちの話し声が聞こえた。
「この状況って…………」
「あの女性は誰なんだ?」
「え……まさか、所長があの人を…………」
「…………そんな……」
『…………!?』
確かに、あの状況だけを目の当たりにすれば、彼に対してそのような疑いを持ちたくもなるのは解る。しかし、普段の彼を知っている者からすればそれはとんだ言いがかりである。
『あなたたち……』
一瞬、『リリ』は我を忘れて他の職員に文句を言いそうになった。その時、
「皆さん、何を言っているのですか……所長がそんなことをするはずがないでしょう? 例え冗談でも、確かめもしていないことを言わないでください……!!」
「「「あ…………」」」
『っ…………』
怒気を含んだクリスの台詞に、他の職員たちと共に『リリ』も怯んだ。
普段は大人しい分、怒った時の彼の言葉には重みがある。
「あの……『リリ』さん?」
『え? は、はい』
「どうか所長のところへ。あなたは『プログラム』なので、事情聴取はされないと思います」
『……わかりました』
『リリ』はクリスに一礼して、すぐに所長が運ばれた医務室へと移動する。
簡単な処置は終わったようで、彼はベッドに静かに横になっていた。おそらく、目覚めるまではもう少し掛かるだろう。
『家で待機……その方がいいかな……』
思わず独り言を言ってしまい、慌てて周りを確認して誰も居ないことにホッとする。
――――いけない。所長がいない所では、自分が『プログラム』だということを忘れないようにしないと……。
ポンポンと自分の胸を叩いて言い聞かせ、『リリ』は自宅の居間へと移動した。
…………………………
………………
「………………………………」
瞼を開くと、いつもよりも真っ白な天井が目に入った。
彼はここが自宅ではないことを直ぐ様理解する。ゆっくりと顔を動かし、自分が寝かされている部屋を見回した。
――――ここは……見覚えがあるな。
そこは『総合研究所』の医務室である。
世界の中心にある研究施設だ。所長である彼のために、ただの医務室でも大病院の個室のような部屋も用意されていた。
「…………『リリ』……?」
『っ……起きたの?』
呼んで1秒足らずでベッドの横に少女が現れた。
『大丈夫? 何か、欲しいものとかある?』
「……平気……………何もいらない……」
彼を心配する少女の表情に安堵を覚える。やはり彼女は自分の『子守り』なのだと彼は実感した。
「……時間……どのくらい、経ってる?」
自分が気を失ってから、何時間、何日経ったのか気になった。
『まだ……半日。今は翌日のお昼前だよ』
「……そう」
『今日はお休みにしてる。他の職員さんにできることは全部お願いしてるから……』
「うん……ありがとう……」
一晩しか経っていなかった。きっとまだ、研究所は混乱しているだろう。
『あのね』
「うん……」
『あの時、何があったのか警察が聞きに来たいって…………』
「そうだろうね……」
血塗れで座る二人を見られているのだ。事件性があるのではと疑われても仕方ない。
『本当に、大丈夫……?』
「大丈夫だよ…………ちょっとぼぉっとするだけだから……」
そうは言ったが、何か感覚に膜が掛かったようで、全てが一枚布を通して触っているようにはっきりしなかった。
『……………………』
『リリ』が黙ってベッドの彼を見下ろしている。いつもは何かあると根掘り葉掘り聞いてくるのだが、さすがに今回のことは聞き辛いのだろう。
彼はベッドに横になったまま、『リリ』の方を見詰めて問い掛けた。
「ねぇ、『リリ』……」
『えっ、なに?』
「……クリスは、どうしてる?」
今まで母親と二人で暮らしてきたのだ。それを急に喪った彼の心中は察するに余りある。
『あんな事があった後なのに、あなたの代わりに混乱する現場を収めてくれていた。いざとなれば、代理くらいはできるとは思っていたけど…………本当に、しっかりしている子ね』
「あの女性…………クリスの母親は?」
『その場で死亡が確認された……』
「……………………」
――――やはり、私は彼女の『死に場所』にされたのか。
現代人の寿命は、それぞれ1分1秒まで計算されているようだ。そうでなければ、あんなに正確に彼の前で死ぬことはなかっただろう。
クリスの母親はあの日、自分の寿命が尽きるのをわかりきっていて、彼との面会の約束を取り付けたのだ。
――――何のため…………いや、あの人は理由を言っていたじゃないか。
“クリスは、あなたの”
「………………」
『どうかした? 具合悪い?』
「大丈夫…………」
目を閉じて沈黙した彼を『リリ』が心配して覗き込む。
『もう少し寝てればいいわ。まだ目が覚めたことは言わないでおくから』
「……ありがとう。少し、一人でいたい」
『そう。じゃあ、また呼んでね』
「うん……」
『リリ』の姿が消える。
部屋が完全に静かになり、一人きりになったことを確認すると、彼はゆっくりと起き上がった。
顔の前、空中で右手を横へ滑らせる。
小さなモニター画面が現れ、その中のアイコンのひとつを押しながら呟いた。
「…………【143】……来てくれないだろうか?」
ピピッという音と共に床の一部が薄く光って、そこに唐突に人影が降り立った。
白っぽい銀髪、中性的な容姿の少年。
『よう……珍しいな所長。俺も暇じゃねぇんだけど…………』
「忙しいところ、すまない……」
『…………リリには内密か?』
「今のところはそうしてほしい」
静かにそう言う彼の顔を、【143】は目を細めて眺めた。
『悪い顔してるぞ…………まぁ、お前んところのお偉いさんたちほどじゃねぇけど』
「そう。なら、私はまだ小物だろうね……」
弱々しい笑顔に対し、【143】は冷ややかな目でベッドに座る彼を見下ろす。
『俺を個人的に呼んだんだから、ちゃんとした理由を言ってもらわなければ、質問に答えることはできないからな』
「いつになく手厳しい…………【永久図書館】の『館長代理』が、一個人のために簡単に動く訳にはいかないか……」
『……………………』
小さなため息をついた少年は、一瞬だけ諦めたような表情をした。
『…………何が望みだ?』
「調べてもらいたいことがある…………」
彼は望みを伝える。
彼から淡々と紡がれる言葉には、何の感情も無駄もない。まるで文章にまとめられた論文のように、これから少年にさせたいことを述べるだけ。
『…………良いだろう』
「ありがとう」
『でも、ひとつだけ……条件がある』
「なに?」
【143】は少し目を閉じたあと、彼に向かって静かに言った。
『この先、何があっても…………リリのことだけは、裏切ったりしないでほしい』




