第十五話
考え事をしている間に、ポッドは無事に彼の拠点へと到着した。
ポッドの発着所から出て、連結するいくつかの部屋を抜けると、やっと基地の研究エリアへ入ることができた。
「所長、おかえりなさい!」
扉が開かれた途端、元気な声と屈託の無い笑顔が彼を出迎える。
クリスの顔を見てホッとした彼だが、本来ならここからもう少し離れた、居住エリアにいるはずの助手の出迎えに少しだけ驚いていた。
「ただいま。君には今日、お休みを与えていたんだけど…………休みにわざわざ研究エリアまで来るなんて、面倒だったんじゃないか?」
「いえ、助手として、お帰りになった所長を迎えに来るのは当たり前です。それに、途中で一緒に休憩もしようかと思いまして……」
「そうか。じゃあ、休憩所でお茶を飲んで行こうか」
「はい!」
採用されてから一年。
まだ少年らしさが残る助手は、こうして僅かな時間も彼の傍にいることが多くなっていた。
隣りを歩くクリスの横顔は嬉しそうだ。彼はそれを横目で見ながら、気恥しいような面映ゆい気持ちになる。
「…………こんな感じなのかなぁ」
「え? 何がですか?」
「いや、こっちの話……」
彼は『原始人種』であり、実の両親の元で育った。そしてクリスも、彼と同じような境遇にある。
そのせいなのか、今の状況に『息子と歩いている父親』の気分になってしまった。
「何か、嬉しいことでもありましたか?」
「あはは……特にないよ。いつも通り」
笑いながも、ふと不安に駆られてしまう。
このままいけば、クリスたち次世代に92%の確率で滅ぶと云われる世界を託すことになる。
――――私の引退後と言わず、今からでも少しずつ“人類滅亡”の可能性を潰していく。
せめて、若い世代には『当たり前に自然がある惑星』を遺しておきたかった。
…………………………
…………
彼が『惑星再生計画』の“要”である【中核基地】と、その関連する施設に滞在して数日。
その日は彼を含めて職員全員を休日にしていたが、クリスが希望したため遅めの朝食を一緒に摂ることになった。
「所長は実のご両親に育てられたんですよね?『育児施設』には行かずに、ご実家で生活していらした……と」
「そうだね。母親は私が8歳の時に亡くなり、父親はその五年後だった。その後は成人まで自宅で『子守り』のプログラムに育てられた」
「『リリ』さん、ですね」
実を言えば、現在も『子守り』の『リリ』が世話を焼いているが、それをわざわざ言わなくても良いだろうと判断する。
「『子守り』は『育児機関』から自立した人間に付けられることが多いと聞きました」
「ああ。ほぼ九割、生活のシステムで出現させることが多い『プログラム』になる」
彼とクリスは仕事の時間以外にも、『プログラム』についての簡単な講義を行っていた。
クリスが助手についた当初、あまり『プログラム』について知らなかったこともあり、時々こうして彼が雑談のような形で教えている。
食事をしている部屋は、所長である彼のために用意されたもので、彼とクリス以外は誰もいない。自然とプライベートな話も出てくる。
「僕は実家暮らしで母親もいますし、『子守り』もあまり馴染みがありませんね。『プログラム』としては、幼児スクールにいる『保育士』と似た感じなのでしょうか?」
「まぁ、似ていると言えば似ているかな。ただ『子守り』の方が一個人に掛かりきりになるから、施設で大勢を見ている『保育士』よりも一人に口うるさい時があるけど……」
「ああ、なんかそれって役目が『母親』みたいですね。うちの母も僕に色々と言ってきますから」
クリスの言葉に、彼の頭の中でポンッと『リリ』の顔が浮かんだ。やれ『ご飯はしっかり食べろ』だの『あんまり遅く帰ってくるな』だの、彼の身の回りの心配ばかりしてくる“見た目が年下の母親のような姉”である。
「あはは、そうかもしれないね。『子守り』は主を一番に想ってくれるからね」
「一番に想う……なんか、良いですね。いつも所長と一緒にいる『リリ』さんを見ていると、ちょっと羨ましくなるんです」
「うん。『リリ』はその辺のプログラムよりもしっかりしていて、仕事も手伝ってくれるから……最近は私にはもったいないくらいに思ってるよ」
「そうですか。本当に、羨ましい……」
クリスはカフェオレをちびちびと飲みながら、彼との会話を心から楽しんでいるようだった。
そのうち、昨今多くなった『プログラム』が“家族”として登録されている現状について話すことになった。
「『プログラム』を伴侶にって……この数年で当たり前になったとまで言われていますね」
「……前にうちで研究員をしていた子も、『家政婦』のプログラムを伴侶にしたいと言っててね。最初は驚いたが、それも新しい家族の在り方かと感心もしたかなぁ」
助手の青年が亡くなったのは、もう一年以上も前だ。彼は青年の葬式以来、『家政婦』の【915】とは会っていない。時々『リリ』が近況を伝えてはいて、今は何事もなく他の場所へ働きに行っていることを知っている程度だ。
「所長は家庭を持ちたいと、一度は思われたことはありますか? 今は『リリ』さんと暮らされてるみたいですが……その、同じ人間の伴侶とかは…………」
「うん、あまりないかなぁ。私のような仕事ばかりの人間は、人間の伴侶を持ったとしても相手を放ったらかしにしてしまうだろう?」
「そう、ですか……」
ふと、この質問をしてくるクリスの顔が曇ったように思えた。自分で質問を振ってきたというのに。
この世界では、とうの昔に『結婚』という制度は人類にとって重要ではなくなった。
生き残った人類は大昔に比べて寿命も短い。加えて、『上級』や『中級』の人間は自分の細胞のデータを『繁殖機関』へ提出されるため、次世代を作ることが他人任せになってしまった。
生活で必要な雑務は『プログラム』が代わりに行ってくれる。個人は自分が生きている間だけ、自分の財産や生き方を選択しているにすぎない。
「元々、結婚という制度は、子孫の繁栄、財産の管理、自分の“家柄”の権力を大きくするためのものだ。個人の成功を一代だけに留めるなら、それらは特に意味の無いことだ。一緒にいたいという『恋愛感情』だけなら、別にその制度を必要としなくてもいいと思うが……」
そこで再び、助手の青年の顔が浮かんだ。彼は自分損得や、子孫のことなど考えずに『プログラム』である【915】と一緒に暮らすことを選んだのだ。
――――あれが本当の“愛情”というのなら、私はやっぱり伴侶を持つべきじゃない。
彼が今一番大事な『家族』は『リリ』である。しかし、それも自分の生活を楽にするためで“愛情”とは呼べないと思った。
「……………………」
「所長? どうかしましたか?」
「…………ああ、すまない。色々と考えてしまったものでね。でも、そう考えると、君のお母様は偉いね」
「え?」
「だって、ちゃんと君を自身の手で育てている。その前に、伴侶を得て君を産もうと思ったのだから凄いよ」
『原始人種』は生身の人間が出産した人類である。
古来より出産とは命懸けで、身体に大きな負担を掛けるもの。それを覚悟で、一人の人間を産み育てるのは並大抵ではない。
「うちの母親も出産の後遺症が大変でね。子育ては父親と『リリ』がほとんどで…………」
「あ、あのっ……」
「ん?」
「うちの母には…………伴侶はいません」
「へ?」
「母は一人で僕を育ててくれました。もちろん、色々なところからの支援はありましたが…………」
彼は一瞬、きょとんとした顔で固まってしまった。
『原始人種』というものは、婚姻関係を持つ夫婦の間にできるのが普通だと思っていたからだ。
「え、え〜と……じゃあ、君の『お父様』は…………あっ……」
もしかして“離婚”や“死別”か? と考えて彼はハッとしてしまう。かなり不躾なことを言ってしまったのではないか?
「……申し訳ない」
「へ? あっ! い、いえ! うちの母は伴侶を持たずに、『繁殖機関』の治療と指導の下に僕を妊娠して出産したらしいです! 元から『原始人種』が欲しかったって……!! だから、所長が勘違いなさるのも当然なので、お気になさらず!!」
気まずい空気を察したか、クリスはパタパタと両手を振って慌てたように会話を続けた。あまりのクリスの慌てぶりに、彼は内心驚いてしまう。
「そ……そうなのか。じゃあ、なおのこと君のお母様は偉大だな。全て自らの意志なんだから……」
母体に大きな危険を背負ってまで、自然に任せたのはかなりの勇気だと思った。
「はい。母には感謝しています。僕を『特別』にしてくれましたから…………」
「『特別』か。そういえば、君のお母様ってどんな人か聞いたことなかったね」
「僕の母は……」
クリスの母親は元は『総合研究所』の研究員だったという。
彼はクリスの母親の名前を聞いて、直に会ったことはないがその人物を知っていたのだ。
彼女は『人類研究』が主だったらしく、そこで『原始人種』という人類の存在に興味を持ったそうだ。
出産するまでの短い間だったが、研究員としてかなり優秀だった。『上級』とされた中でも、さらに細胞提供としても優良だったようで、人工授精もそのために許可されたものだとわかった。
そのおかげか、クリスを母親が独りで育てることになっても、彼ら母子の将来に期待した会長から、かなりの補助を受けて生活できていたそうだ。
――――そんな女性への細胞の組み合わせだ。クリスの父親もきっと、母親に見合った細胞の持ち主だろうな。
「君はエリートの血筋なんだなぁ……」
「や、やめてくださいよ…………所長だって、ご両親共に研究員だったと聞きましたよ?」
「うん、まぁ……ね。私にはとても優しい両親だったよ」
彼は良い親だったということ以外、クリスには両親について細かく話すことはしなかった。
…………………………
………………
ピピ、ピピ、ピピ…………
真っ暗な部屋で小さく呼び出しのアラームが鳴った。
ピピ、ピ…………
『はい……』
アラームが止んですぐ、気怠い返事が聞こえる。
『……家に居るならすぐに出てくれ』
『ごめん、寝てたの……』
『人間みたいなことを言う。とりあえず、回線を開いてくれ』
『はい………………どうぞ……』
パッと急に明るくなった部屋には、ソファに座る『リリ』とその目の前に立つ【143】の姿があった。
『所長、出掛けてるのか?』
『えぇ。今頃はこの真下、地下数百から千キロメートルの所にいるかな』
『【中核基地】か』
『そうよ。私たち図書館のプログラムが入れない“政府の要所”』
『………………』
俯きながら『リリ』が言った。それを【143】は眉間にシワを寄せて聞いている。
『そこに入れる術は?』
『まだ見付けてない。あの子でさえ、地上のプログラムが入れない理由は解っていないみたいだし……』
『所長がダメなら、誰がアレを解除できるんだよ……』
『……たぶん、あっち側の関係者』
『ふぅん……?』
気の抜けたような返事をして【143】は何かを考え始め、しばらくして眉間のシワをそのままに顔を上げた。
『なぁリリ。所長、しばらく帰ってこないよな?』
『そうねぇ……』
一度【中核基地】へ行ってしまうと、最低でもふた月、長くて一年は戻ってこなくなってしまう。
『……で、その間は休みって言われた。たまーに地下から連絡はくれるんだけど、こっちは暇で暇で活動休止しそうになる……』
『なるほど……』
不意に【143】の口の端が上がった。でもそれは一瞬で、その後は冷淡なほどの真顔になる。
『じゃあ、今なら急に呼び出されても対応できるよな?』
『まぁ、暇だし…………なに? 図書館に戻って仕事すればいいの?』
『いや……』
【143】が指を横へ滑らせると、『リリ』の前にモニターが出現した。そこには、ある人物のプロフィールが記されている。
『あら? この人“中級”じゃない。しかも辺境の“生活空間”住まい……』
『もし、こいつにプログラムとして呼び出されたら応えてほしい。お前の呼び出しコードは“聖女”にするぞ』
『ええ?』
『【472】にも“賢者”で出てもらう』
『本気で……?』
急に命じられるように言われた内容に『リリ』は困惑した。
しかし【143】はまっすぐに彼女を見ている。これが冗談ではないという証拠だ。
『う〜ん……私たち“世界の叩き上げ組”が、コードひとつで図書館とは無縁の人間に呼ばれるなんて……いいの?』
【永久図書館】の『プログラム』である彼らは、本来なら特定の人間の元にしか行かない決まりだった。
『本当ならルール違反になるが、今回だけは特例にしてくれ。館長からも了解は得ている。もちろん、コードは本人には教えず、自分で思い付いて呼べた時だな』
フフッと『リリ』はたまらず声を出して笑う。
『“聖女”も“賢者”も館長の趣味だから、同じ考えの人になるのね。ちょっと面白いわ』
『まぁな。でも、俺は“王”じゃ呼べねぇようにするから』
『ん? じゃあ、あなたは何てコードにするの?』
『そうだな…………“友人”……じゃ、捻りがねぇし……“知人”? 何か希薄だな…………簡単に呼び出される訳にもいかねぇもんな…………』
ブツブツと考える【143】に対し、『リリ』がいたずらっ子のような笑顔を浮かべた。
『じゃあ“親友”っていうのは?』
『うぇっ!? 何か…………恥ずかしい……』
『現代の子はなかなか思い付かないんじゃないかな?』
『う〜ん……』
『私たちのリーダーまで呼べたら、その子は見込み有りなんでしょ?』
『見込みってゆーか、あとで繋がりができるだけで…………』
『【844】も喜ぶわね?』
『…………………………』
【143】は小さくため息をついて『リリ』の方をチラ見する。
『……“親友”……ね。俺まで呼び出せたら、こいつも“叩き上げ”に入れてやるよ』




