第十二話
関係者全員の弔問が終わった頃、部屋に現れたのは双子の【655】と【915】だった。
普段は自分の職業に合った服を着る彼らだが、今日は二人とも黒の礼服を着ている。
『すまない。本当は昨日のうちに来たかったんだけど…………おれら関係ないプログラムは通してもらえない決まりに設定されてて……』
「私の名を出せば良かったのに」
『そんなことしたら、おれたちは政府に目ぇ付けられるだろ? だから、大人しく規律に従うしかなかった』
基本的に冠婚葬祭に、手伝い以外の『プログラム』は参加できない。いや、無視されると言った方がいい。【655】は他の施設で『飼育員』をしており、【915】はただの『家政婦』であったため通らなかったという。
【655】の後ろから【915】が進み出て、彼の前にモニターを出してその中の電子書類を差し出す。
「これは?」
『彼の自宅の荷物や財産の管理の書類です。渡すのが遅れ、申し訳ありません。死亡後の手続きで時間を取られました。彼の後見人は所長でしたので、後のことはお願いすることになります』
「わかった。預かろう……」
彼が画面に手を触れると、書類は手続きの完了を表示して消えた。
この時、【915】のいつも以上に淡々とした話し方に、彼は思わず顔を顰めてしまう。
「【915】、大変だったんじゃないか?」
『いえ。私はまだ“家族”ではありませんでしたので、できることはほとんどありませんでした』
『『……………………』』
『リリ』と【655】は並んで黙っていた。二人とも【915】を複雑な面持ちで彼女を見詰めている。
「【915】も花を入れてあげて。彼も君が来たなら喜ぶと思う」
『……………………』
【915】は彼から白百合を一本受け取ると、棺の横にしゃがんで中にそっと供えた。花を手放した指先が、顔に触れる直前でピタッと止まった。
『………………なぜでしょう』
「え……?」
『なぜ、この方はわたしなどを伴侶にしようと思ったのでしょうか?』
棺の中を見詰めながら、振り向きもせずに【915】は話し始める。
『最初に家事を手伝いに行った時、この方の部屋はとてもキレイで何もすることがなかったのです。飲めないお茶を出されて、食事の準備をする時間まで話を聞くだけでした』
「緊張してたのだろう。あまり『プログラム』を使ったことがなかったらしいし……」
『わたしが尋ねる前に、彼の方から自分の趣味や好みなどを色々とお話くださったので、次のお手伝いの時に参考にしました』
手伝いといえば食事の用意だけだった。
ある日は留守番だけ。
尋ねられた事に答えるだけ。
休みに買い物に付き合っただけ…………
彼女が青年の下を訪れてから今までのことが、箇条書きを読むようにぽつりぽつりと語られていく。
『何でもできる方でした。だから、別に家政婦など、ましてや伴侶など不要だったのでは…………』
「楽しかったからだよ」
『え……』
「彼は君と一緒にいると楽しいって。帰ってきた時に君がいると、心が休まると言っていた」
大きく見開かれた目は、棺の中へその視線を集中させた。
『心……』
そう呟いた声が微かに震える。
『わたしは、自分でも“心が無い”と自覚していました。面白いことや、楽しいことを言ったこともない。この方に愛想良くしたこともありません。何で………………』
『【915】……?』
『……………………』
そこで言葉が止まり、『リリ』が心配そうに近付こうとすると【915】は棺の前の床に顔を伏せた。
棺の縁で握りしめられた拳が、ドンッと一度だけ強く打ち付ける。
『わたし……わたしはっ……貴方に何も、できませんでした……!! なんで……なんで、貴方はわたしに“好き”だなんて言ってきたんですか!? わたしはプログラムです!! 人間じゃないんですっ!! うっ……うぁ……あああああっ……!!』
声を荒げたことのない【915】が、床に顔を伏せて激しく泣き叫んだ。
『うぅっ……あああああっ……!!』
しばらくの間、部屋には【915】の嗚咽だけが響く。
『『…………』』
「……………………」
その光景に『リリ』も兄の【655】も身動きできずに立ち尽くし、彼もただ黙って見詰めるだけだった。
『ふ……うぅ……ぐすっ……』
少しだけ泣き声が落ち着いた時、彼は【915】の横へそっと座った。
「【915】、少しだけいいかな?」
『う、うっ…………は、い…………』
泣いていても、彼女は律儀に小さな返事をする。
彼は床に這いつくばっていた【915】の肩を支えて起き上がらせた。
「彼が今際に呼んだ名があったらしい。もしかしたら……『ーーーー』って……」
『………………それ……』
彼が“それ”を伝えると、【915】は涙で濡れた顔を上げて驚く。声を絞り出して答えた。
『それは…………彼が付けた、わたしの名前です……』
青年が少し前に【915】に付けた名前。
家族だと証明するのに必要だったものだが、当人たちにとってはそれ以上の価値があるものである。
「やっぱりそうか。いい名前だね、これからはそっちで呼んだ方が良いかい?」
『…………………………』
彼の提案にちょっと考え込んだ【915】だが、首を左右に振って彼を見据えた。
『いいえ。本来、その名前は……あの方に呼ばれなければいけないものです。あの方以外に呼ばれるのは…………正直、嫌です……』
「そう。じゃあ【915】…………君に預けたいものがあるんだ」
『え…………?』
「『リリ』、ちょっとアレを出してくれるか?」
『へ? あ、はい!』
呆然としていた『リリ』は慌てて、ワンピースのポケットから何かを取り出す。そっと手のひらに乗せて【915】へと差し出した。
そこにあったのは、ゴルフボールくらいの水晶玉に似たもの。水晶の中ではキラキラ光るリボンのようなものが蠢いている。
『これ…………』
『私が器を作ったの。彼の“データ”は所長が集めてくれたわ』
『…………ですが……これをわたしが持っていっても……』
『【915】の手から渡して。“聖女の補佐”だって【143】に言えば保管しててくれるはずよ。私に近しい人として“巡って”くるから……その時、あなたが私を見つければいい。そうしたら、彼も一緒に見付かるはずよ』
『彼を……リリの補佐に?』
『ええ。助手さん、とても優秀だったから。もともと、そうするつもりだったの』
【915】は一瞬だけ躊躇うような表情を見せたが、まっすぐに『リリ』を見詰めると、その水晶玉を両手でそっと受け取った。
『ありがとうございます…………必ず【143】に届けておきます……』
『うん。お願いね』
ピピピピ、ピピピピ、ピピ…………
急に何かのアラーム音が聴こえてくる。
『…………【915】、そろそろ帰らないと。政府のシステムが異常を見つけようと動いてる』
『はい、兄さん。では、失礼します……』
【655】は【915】の手を取って立たせると、棺に向かって一礼をした。
『“新しい世界”で巡ってきたら、その時は妹のことを頼むぞ…………じゃ、またな!』
言い終わると双子の姿は一瞬で消える。
それと同時に、
『そろそろお時間ですので、お帰りの準備をお願いできますでしょうか?』
「はい。わかりました」
急に部屋に入ってきた『葬儀場職員』のプログラムが、彼と『リリ』に向かって何の表情も無く退室を告げた。
…………………………
………………
自宅に戻ったのは日付けが変わる少し前だった。葬儀の直後、彼は『リリ』と一緒に青年が住んでいた部屋を訪れ、死後に行う全ての手続きをその日中に終えてきたのだ。
夜が明ければ、彼にはいつも通りの仕事が待っているが、今は少しも眠ろうという気になれない。
『はい、お茶。少し飲んだら、もう休んだ方がいいよ』
「うん……」
ふわっと花の香りのするミルクティーが置かれる。彼はそれを見詰めるだけで手に取ろうとしなかった。
「…………遠い未来で『リリ』は『聖女』って呼ばれるようになるんだよね」
そのセリフが彼の口から出たのは、昼間に“聖女の補佐”という言葉を聞いたせいだろう。
『必要があれば。必要なければ呼ばれないよ』
なぜ、そんなことを聞いてきたのかと問わずに『リリ』は彼に答えた。しかし、顔は明後日の方向を向いて表情を見せない。
「必要な事態って?」
『………………』
「私たち現代の人類が滅びること?」
『………………』
「それを食い止める手立ては?」
『………………』
彼が質問をする度、『リリ』の肩は微かに揺れる。おそらく、元々は『館長』の『プログラム』であるが故に、反政府になり得る“真実”の質問には存在保護のために答えることができないのだろう。
「…………『リリ』、答えてくれ」
『………………』
「君が『聖女』になる確率は?」
『…………っ……』
ビクンッ。一番大きく体が揺れた。
振り向かないまま呟く。
『…………に……パ……セント』
「聴こえない。もう一度」
『………………92%…………』
「…………そう……」
“人類の8%が生き残り、92%が滅ぶ”のではない。
「このままいけば、92パーセントの確率で『全人類』が滅ぶんだね。完全にリセットされた世界に、惑星のシステムが新たに人類を増やす。その時に必要なのが『聖女』たちってことだ」
『……………………』
俯いた後ろ姿は肯定である。
彼女が『聖女』と呼ばれるのは、人類が滅んで再生された後の世界。
【永久図書館】側の見解では、人類の滅亡はほぼ決まっているのだ。
『それは…………』
「いいよ、何となく分かってた。【143】や【472】も、同じようなことは言ってたんだし。でも…………」
彼は深く息をついた。
「思ってたより確率は高かったな……」
『へ?』
弾かれたように振り向く『リリ』に、彼はにっこりと笑いかける。
「8%では、『聖女』たちは不要になる。一部人類、または全人類が生き残るってことだから」
『そ、そういうことだけど……』
「『聖女』に『賢者』『王』…………まるでファンタジーの世界だ。あの『館長』の趣味が出てるな……」
時々、彼や『館長』が息抜きにやっている『政府公認』のゲームの世界観そのもの。
「可能性8%で世界を救えたら、その人間はまさに『勇者』って呼ばれるだろうな」
『……勇者……?』
「うん、『勇者』だよ。『魔王』を倒すのだから」
――――例え命懸けだろうと、相打ちだろうと…………“いい歳だから”と逃げれば、下の世代へとツケが回っていく。
「私は、若い子にこんな世界を譲る気にはなれない……」
果たして、平均寿命間近の『勇者』は92%の『魔王』を倒せるのだろうか?




