第十一話
“物事っていうのは急なことが多いと思うよ”
頭の中には、あの時【472】が言った何気ないセリフが何度も繰り返し流れる。
「…………あの日、昼間は何ともなかったのに」
ただただ広い真っ白な部屋。
壁も天井も床も、模様も何も無い。
唯一、その部屋の中央には花で作られた低い『祭壇』があり、上には黒い棺が膝丈くらいの高さで置かれている。
彼はその部屋の壁に背を付けて立ち尽くしていた。
「……………………」
真っ黒な礼服を着た彼は、呆然とその黒い棺を眺める。
突然突き付けられた光景に、まだ頭の中が追い付いていないのだ。
くいくいっと、彼の服の裾を引っ張る手。顔を向けると、彼とお揃いのように真っ黒なワンピースを着た『リリ』が心配そうに彼を見上げていた。
『…………大丈夫……?』
「うん……あ…………いや、わからない」
彼は「大丈夫だ」と答えようとしたが、視界に入る棺の前で少しの嘘もつきたくないと思った。
「……………………」
『そろそろ、お別れしないと……』
「………………解ってる」
堪らず両手でゴシゴシと顔を擦り、再び前を見るが景色は何も変わってなかった。
『…………これ……』
『リリ』の手のひらに、一本の白百合が出現する。『リリ』が特殊電子を物質化させて作ったものだ。
力無く『リリ』からそれを受け取り、彼はのろのろと棺へと近付いて行く。棺に花を供えようとしたが、手は途中で止まり動かなくなった。
棺の中の人物は今にも目を覚ましそうだ。
「…………順番では、私が先に入る番だった…………君じゃない、君の番にはまだ早いだろうに」
ポトッ。彼の手から白百合が棺の中へと落ちて、つい先日まで会話を交わしていた青年の顔の横へ収まった。
…………………………
………………
――――それは二日ほど前のこと。
休憩室で青年を見送り、彼が午後からの仕事に取り掛かった直後。所長室へ一本の内線が入った。
『所長……今すぐ医務室へ来て欲しいの……』
それは『リリ』からであり、向こうの口調はとても暗い。何か大事が起きたのは明白である。
「講義中に何かあったか? 彼に報告は――――」
『お願い、すぐに来て……』
いつも明るい『リリ』らしくない今にも泣きそうな声を聞いて、彼は大急ぎで医務室へと駆け込んだ。
――――医務室なら怪我人でも出たか? 詳しく聞かないと…………。
医務室に到着した彼は、その光景を理解するのに数秒を要する。
なぜなら、ベッドに助手の青年が横たわっていたのだから。
「……な、一体何が……彼は大丈…………」
「所長、お気の毒ですが…………」
「へ…………?」
同じく部屋には別の職員が数名いて、暗い面持ちで所長である彼を見詰めていた。
「その場で救急の措置はしたのですが、間に合いませんでした…………残念です」
「……………………」
彼は黙って近付き、横たわっている青年の顔に触れる。まだほんのり温かいが、それは残りわずかなものであることが分かってしまった。
「何で……?」
「「「………………」」」
この場にいる者は、所長がこの青年を後継として育てていたことを知っている。だからこそ、起きた事の説明をするのを躊躇っているようだった。
沈黙の中、職員たちの間を縫うように『リリ』が彼の傍へとやってくる。彼の白衣の裾を引っ張り、青年のベッドから遠ざけた。
『所長……とりあえず、あっちで説明するから……』
「わかった……」
頭が麻痺したまま『リリ』に連れていかれたのは、同じ階にある会議室だった。
そこには何人かの子供たちがいたが、各々全員が離れた席に俯いて座っている。
『……実験をしている最中、助手さんが急に胸を押さえて倒れたらしいの』
“らしい”という言葉に『リリ』は近くにいなかったことが伺えた。ここからは、ここにいる目撃者となった子供たちの話だという。
………………
「……実験は進んでいますか?」
「はい。順調です」
青年に話し掛けられたのは、参加者で最年少のピンクブロンドの髪の少女だった。
青年は講義での責任者だったため、彼に話し掛けられるのはやや緊張するという。
しかし、ここでアピールできれば【中央都市】での研究の道が拓けるとあって、少女以外の子供たちも彼に視線を向けていた。
「将来の希望は、もう決めていますか?」
「は、はい! できれば、世界の環境整備で中心になれるような研究施設が良いです!」
責任者に希望を尋ねられ、少女は上擦った声で必死に答える。
“世界の中心になれる施設”と言うだけで、【中央都市】での就職を願っているのが伝わってきた。
「そうですか、それなら――――」
青年が何かを言いかけた時、ふと彼が目を見開いて動きを止めた。
「…………? あの……」
「………………………うっ……」
少女が訝しげに見上げた瞬間、青年は左胸を押さえてその場に倒れ込んだ。
「きゃあああっ!?」
「どうしたんですか!?」
「だ、誰かっ!!」
そこにいた子供たちは一気にパニックになった。
狼狽える者、逃げ出す者、泣き出す者…………突然起きた出来事に、すぐに対応できる者がいない。
「大丈夫ですかっ!? し、しっかり……しっかりしてください!!」
目の前にいた少女が、倒れた青年について呼び掛け手を握った。
「…………っと………………のに……」
「えっ?」
「ごめん……ーーーー…………」
声が途切れて、少女が握っていた青年の手から力が抜ける。救護の『プログラム』が現れたのは、それからすぐのことであった。
………………
泣きじゃくる少女はイスに座っていて、彼は彼女の前で膝を床について目線を極力下げて話を聞いた。
「ご……ごめんなさい…………私、私は何も……できなくて……うぅ……」
「君のせいじゃない。話してくれて、ありがとう……」
少女は涙に震えながらも、その時の様子を事細かく話す。彼はそんな少女に向けて、精一杯の感謝を伝えた。
「あの……それで、その……」
「ん? どうしたの?」
「……えっと…………」
「うん…………」
まだ何かを言いたげな少女に、彼は静かに言葉を待つ。
「あの人、最後に……誰かの名前を言ってました……」
「名前……?」
「確か…………」
「………………」
彼は少女が言う人物の名に聞き覚えがなかった。
しばらくして『医療系プログラム』が彼女を検査のために連れて行った。少女はだいぶ衰弱した様子である。
「あの子……立ち直れるだろうか…………」
『…………それは、あなたも同じよ。大丈夫?』
「わからない。まだ実感がないんだ……」
実感がないと自覚した途端、悪夢を見た後のように体から血の気が引いていく。
「…………『リリ』……」
『なぁに?』
「今とこれから、私がしなければならないことを…………全部まとめてくれるか……?」
「わかった。無理はしないでね……」
『リリ』が静かに彼の背中を手で支える 。
この時、彼は自分が責任感だけで立っていることに気付いた。
…………………………
………………
この二日間、彼にとっての時間は実態を伴っていないように感じていた。
だから、目の前の『葬式』が夢の中の出来事に思えてしまう。
この時代の葬式はとてもあっさりしている。
大昔に『宗教』というものが存在した時代には、故人との別れはひとつの厳粛なセレモニーだったが、それは時代と共に簡略化され、現代人にとっては『死』というものは“自分以外に起こっている事”として関心が薄れていった。
一日から二日、故人を偲ぶ日にちが設けられるが、その後は荼毘に付されてから何も無い。
だから青年の葬儀もすぐに終わる予定で、青年と一緒に仕事をしていた職員が花を手向けにやって来た。
「彼、まだ19才だったって……」
「平均寿命がまた下がるな」
「仕事の穴、誰が代わりにやる?」
「みんなで割り振るしかないんじゃない?」
「優秀な人だったから、それなりに仕事量もあるんだよね……」
ヒソヒソと囁かれていたのは、青年が残した仕事のことばかり。
青年の死は本当に突然であった。
しかし、同僚たちからはひとりの人間の『死』に関しての悲壮感はあまり感じない。
なぜなら、彼らは『育児機関』から出て以来、同年代の死に直面することが多いからだ。それくらい、若者の突然死は昨今の問題となっていた。
「みんな、明日は我が身…………とは思わないんだな」
『突然だったから…………それに、あなたほど助手さんと深く付き合ってなかったし』
「そう……悲しくないのかな」
『悲しいとは思うわ。ただ、死に関して“希薄”になってるだけ』
彼は棺の部屋から出ていく職員たちの背中に、人間ではない無機質さを見た気がして余計に悲しくなった。
…………………………
夕方、もう訪問は無いかと彼が思い始めた時、部屋に十数人の屈強な体つきの者たちが入ってきた。それはよく見ると『ボディガード』のプログラムたちだった。
『ボディガード』たちは二手に別れて真ん中に道をつくる。
そこを悠々と、ひとりの年配の男性が杖をつきながら歩いてきた。
「やぁ所長、この度は残念だったねぇ」
「……ご無沙汰しております。会長」
この年配の男性は、現代の世界で最大手と謳われる企業の『会長』である。
食料品から医療品、生活に必要なエネルギーや電子物質の素など、世界の物資の約八割は、この男性の企業から売られている品であった。販売や製造、流通経路も、この人物の許しが無ければ確保できないとまで言われている。
「うんうん、久しぶりだ。元気だったか?」
「はい。会長もお元気そうで何よりです……」
彼とは父親の代からの仲で、物心つく頃には親交があった。
彼は男性に頭を下げる。隣りにいた『リリ』は三歩ほど下がって大袈裟過ぎるほど深く礼をした。
「ふん……君はまだ『子守り』を付けているのか。父上の遺産なんだろうが、そろそろ“代替え”をしたらどうかね?」
「いいえ、この子は他にはない経験値を得ています。公私共に慣れ親しんだ『プログラム』なので、私の方が手放したくないのです」
視界の端で『リリ』を見ると、彼女はまだ顔が見えないくらい頭を下げている。
「そうか、まぁ良い……それよりも、今回は君の後任に考えていた若者が亡くなったそうだな」
「はい……」
「ならば、儂から優秀な人材を送ろう。研究者ではないが、経営や秘書のスキルはかなり高い人間だ」
「そんな、もったいないことを……」
「いやいや、君には君に相応しい“人種”が必要だぞ」
「……………………」
どうやら、この提案を受け入れるしか道はないようだ。
彼は助手の青年に代わる者を、現役中に見つけられそうになかったからだ。
『……どうぞ。故人への手向けの花です』
「ふん……」
棺に近付いてきた会長に『リリ』が白百合を差し出す。会長はそれを黙って受け取ると、故人の顔を見ることなくすぐに棺の中へと投げ入れた。
「では、またな。楽しみにまっておれ」
「はい」
葬儀ではなく、まるで一つの商談のあとのようだ。会長は何の余韻も残さずに部屋を出ていく。
『わたし、あの人…………きらい』
「……………………」
極小さな声で呟かれた『リリ』の言葉を、彼は聞かなかったことにして特に何も言わない。
会長たちが廊下へ消えていくと、部屋の入り口に突如二つの人影が現れる。
「あ…………来てくれたんだね」
『所長。悪い、遅くなった……』
『……………………』
それは双子の【655】と【915】の兄妹だった。




