表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/38

第十一話

 “物事っていうのは急なことが多いと思うよ”


 頭の中には、あの時【472】が言った何気ないセリフが何度も繰り返し流れる。


「…………あの日、昼間は何ともなかったのに」


 ただただ広い真っ白な部屋。

 壁も天井も床も、模様も何も無い。


 唯一、その部屋の中央には花で作られた低い『祭壇』があり、上には黒い棺が膝丈くらいの高さで置かれている。


 彼はその部屋の壁に背を付けて立ち尽くしていた。


「……………………」


 真っ黒な礼服を着た彼は、呆然とその黒い棺を眺める。

 突然突き付けられた光景に、まだ頭の中が追い付いていないのだ。


 くいくいっと、彼の服の裾を引っ張る手。顔を向けると、彼とお揃いのように真っ黒なワンピースを着た『リリ』が心配そうに彼を見上げていた。


『…………大丈夫……?』

「うん……あ…………いや、わからない」


 彼は「大丈夫だ」と答えようとしたが、視界に入る棺の前で少しの嘘もつきたくないと思った。


「……………………」

『そろそろ、お別れしないと……』

「………………解ってる」


 堪らず両手でゴシゴシと顔を擦り、再び前を見るが景色は何も変わってなかった。



『…………これ……』


『リリ』の手のひらに、一本の白百合が出現する。『リリ』が特殊電子を物質化させて作ったものだ。


 力無く『リリ』からそれを受け取り、彼はのろのろと棺へと近付いて行く。棺に花を供えようとしたが、手は途中で止まり動かなくなった。


 棺の中の人物は今にも目を覚ましそうだ。


「…………順番では、私が先に入る番だった…………君じゃない、君の番にはまだ早いだろうに」


 ポトッ。彼の手から白百合が棺の中へと落ちて、つい先日まで会話を交わしていた青年の顔の横へ収まった。




 …………………………

 ………………




 ――――それは二日ほど前のこと。


 休憩室で青年を見送り、彼が午後からの仕事に取り掛かった直後。所長室へ一本の内線が入った。


『所長……今すぐ医務室へ来て欲しいの……』


 それは『リリ』からであり、向こうの口調はとても暗い。何か大事が起きたのは明白である。


「講義中に何かあったか? 彼に報告は――――」

『お願い、すぐに来て……』


 いつも明るい『リリ』らしくない今にも泣きそうな声を聞いて、彼は大急ぎで医務室へと駆け込んだ。


 ――――医務室なら怪我人でも出たか? 詳しく聞かないと…………。




 医務室に到着した彼は、その光景を理解するのに数秒を要する。

 なぜなら、ベッドに助手の青年が横たわっていたのだから。


「……な、一体何が……彼は大丈…………」

「所長、お気の毒ですが…………」

「へ…………?」


 同じく部屋には別の職員が数名いて、暗い面持ちで所長である彼を見詰めていた。


「その場で救急の措置はしたのですが、間に合いませんでした…………残念です」

「……………………」


 彼は黙って近付き、横たわっている青年の顔に触れる。まだほんのり温かいが、それは残りわずかなものであることが分かってしまった。


「何で……?」

「「「………………」」」


 この場にいる者は、所長がこの青年を後継として育てていたことを知っている。だからこそ、起きた事の説明をするのを躊躇っているようだった。


 沈黙の中、職員たちの間を縫うように『リリ』が彼の傍へとやってくる。彼の白衣の裾を引っ張り、青年のベッドから遠ざけた。


『所長……とりあえず、あっちで説明するから……』

「わかった……」


 頭が麻痺したまま『リリ』に連れていかれたのは、同じ階にある会議室だった。



 そこには何人かの子供たちがいたが、各々全員が離れた席に俯いて座っている。


『……実験をしている最中、助手さんが急に胸を押さえて倒れたらしいの』


 “らしい”という言葉に『リリ』は近くにいなかったことが伺えた。ここからは、ここにいる目撃者となった子供たちの話だという。



 ………………




「……実験は進んでいますか?」

「はい。順調です」


 青年に話し掛けられたのは、参加者で最年少のピンクブロンドの髪の少女だった。


 青年は講義での責任者だったため、彼に話し掛けられるのはやや緊張するという。

 しかし、ここでアピールできれば【中央都市(セントラルコア)】での研究の道が拓けるとあって、少女以外の子供たちも彼に視線を向けていた。


「将来の希望は、もう決めていますか?」

「は、はい! できれば、世界の環境整備で中心になれるような研究施設が良いです!」


 責任者に希望を尋ねられ、少女は上擦った声で必死に答える。

 “世界の中心になれる施設”と言うだけで、【中央都市(セントラルコア)】での就職を願っているのが伝わってきた。


「そうですか、それなら――――」


 青年が何かを言いかけた時、ふと彼が目を見開いて動きを止めた。


「…………? あの……」

「………………………うっ……」


 少女が訝しげに見上げた瞬間、青年は左胸を押さえてその場に倒れ込んだ。


「きゃあああっ!?」

「どうしたんですか!?」

「だ、誰かっ!!」


 そこにいた子供たちは一気にパニックになった。

 狼狽える者、逃げ出す者、泣き出す者…………突然起きた出来事に、すぐに対応できる者がいない。


「大丈夫ですかっ!? し、しっかり……しっかりしてください!!」


 目の前にいた少女が、倒れた青年について呼び掛け手を握った。


「…………っと………………のに……」

「えっ?」

「ごめん……ーーーー…………」


 声が途切れて、少女が握っていた青年の手から力が抜ける。救護の『プログラム』が現れたのは、それからすぐのことであった。



 ………………



 泣きじゃくる少女はイスに座っていて、彼は彼女の前で膝を床について目線を極力下げて話を聞いた。


「ご……ごめんなさい…………私、私は何も……できなくて……うぅ……」

「君のせいじゃない。話してくれて、ありがとう……」


 少女は涙に震えながらも、その時の様子を事細かく話す。彼はそんな少女に向けて、精一杯の感謝を伝えた。


「あの……それで、その……」

「ん? どうしたの?」

「……えっと…………」

「うん…………」


 まだ何かを言いたげな少女に、彼は静かに言葉を待つ。


「あの人、最後に……誰かの名前を言ってました……」

「名前……?」

「確か…………」

「………………」


 彼は少女が言う人物の名に聞き覚えがなかった。




 しばらくして『医療系プログラム』が彼女を検査のために連れて行った。少女はだいぶ衰弱した様子である。


「あの子……立ち直れるだろうか…………」

『…………それは、あなたも同じよ。大丈夫?』

「わからない。まだ実感がないんだ……」


 実感がないと自覚した途端、悪夢を見た後のように体から血の気が引いていく。


「…………『リリ』……」

『なぁに?』

「今とこれから、私がしなければならないことを…………全部まとめてくれるか……?」

「わかった。無理はしないでね……」


『リリ』が静かに彼の背中を手で支える 。

 この時、彼は自分が責任感だけで立っていることに気付いた。



 …………………………

 ………………




 この二日間、彼にとっての時間は実態を伴っていないように感じていた。


 だから、目の前の『葬式』が夢の中の出来事に思えてしまう。



 この時代の葬式はとてもあっさりしている。


 大昔に『宗教』というものが存在した時代には、故人との別れはひとつの厳粛なセレモニーだったが、それは時代と共に簡略化され、現代人にとっては『死』というものは“自分以外に起こっている事”として関心が薄れていった。



 一日から二日、故人を偲ぶ日にちが設けられるが、その後は荼毘に付されてから何も無い。

 だから青年の葬儀もすぐに終わる予定で、青年と一緒に仕事をしていた職員が花を手向けにやって来た。


「彼、まだ19才だったって……」

「平均寿命がまた下がるな」

「仕事の穴、誰が代わりにやる?」

「みんなで割り振るしかないんじゃない?」

「優秀な人だったから、それなりに仕事量もあるんだよね……」


 ヒソヒソと囁かれていたのは、青年が残した仕事のことばかり。


 青年の死は本当に突然であった。

 しかし、同僚たちからはひとりの人間の『死』に関しての悲壮感はあまり感じない。


 なぜなら、彼らは『育児機関』から出て以来、同年代の死に直面することが多いからだ。それくらい、若者の突然死は昨今の問題となっていた。


「みんな、明日は我が身…………とは思わないんだな」

『突然だったから…………それに、あなたほど助手さんと深く付き合ってなかったし』

「そう……悲しくないのかな」

『悲しいとは思うわ。ただ、死に関して“希薄”になってるだけ』


 彼は棺の部屋から出ていく職員たちの背中に、人間ではない無機質さを見た気がして余計に悲しくなった。



…………………………



 夕方、もう訪問は無いかと彼が思い始めた時、部屋に十数人の屈強な体つきの者たちが入ってきた。それはよく見ると『ボディガード』のプログラムたちだった。


『ボディガード』たちは二手に別れて真ん中に道をつくる。

 そこを悠々と、ひとりの年配の男性が杖をつきながら歩いてきた。


「やぁ所長、この度は残念だったねぇ」

「……ご無沙汰しております。()()



 この年配の男性は、現代の世界で最大手と謳われる企業の『会長』である。


 食料品から医療品、生活に必要なエネルギーや電子物質の素など、世界の物資の約八割は、この男性の企業から売られている品であった。販売や製造、流通経路も、この人物の許しが無ければ確保できないとまで言われている。



「うんうん、久しぶりだ。元気だったか?」

「はい。会長もお元気そうで何よりです……」


 彼とは父親の代からの仲で、物心つく頃には親交があった。


 彼は男性に頭を下げる。隣りにいた『リリ』は三歩ほど下がって大袈裟過ぎるほど深く礼をした。


「ふん……君はまだ『子守り』を付けているのか。父上の遺産なんだろうが、そろそろ“代替え”をしたらどうかね?」

「いいえ、この子は他にはない経験値を得ています。公私共に慣れ親しんだ『プログラム』なので、私の方が手放したくないのです」


 視界の端で『リリ』を見ると、彼女はまだ顔が見えないくらい頭を下げている。


「そうか、まぁ良い……それよりも、今回は君の後任に考えていた若者が亡くなったそうだな」

「はい……」

「ならば、儂から優秀な人材を送ろう。研究者ではないが、経営や秘書のスキルはかなり高い人間だ」

「そんな、もったいないことを……」

「いやいや、君には君に相応しい“人種”が必要だぞ」

「……………………」


 どうやら、この提案を受け入れるしか道はないようだ。

 彼は助手の青年に代わる者を、現役中に見つけられそうになかったからだ。



『……どうぞ。故人への手向けの花です』

「ふん……」


 棺に近付いてきた会長に『リリ』が白百合を差し出す。会長はそれを黙って受け取ると、故人の顔を見ることなくすぐに棺の中へと投げ入れた。


「では、またな。楽しみにまっておれ」

「はい」


 葬儀ではなく、まるで一つの商談のあとのようだ。会長は何の余韻も残さずに部屋を出ていく。


『わたし、あの人…………きらい』

「……………………」


 極小さな声で呟かれた『リリ』の言葉を、彼は聞かなかったことにして特に何も言わない。



 会長たちが廊下へ消えていくと、部屋の入り口に突如二つの人影が現れる。


「あ…………来てくれたんだね」


『所長。悪い、遅くなった……』

『……………………』


 それは双子の【655】と【915】の兄妹だった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ