第十話
「やぁ、お疲れ様。今日から近くにいるというから、気になって来てしまったよ。講義は順調みたいだね」
コトン。
彼は休憩室にいた助手の青年の前に、湯気がのぼるコーヒーのカップを置いた。
「ありがとうございます。みんな真面目に取り組んでいるからですよ。俺はずいぶんと楽をさせてもらってます」
「ま、ここに来るぐらいの人材なんだ、人生が決まるならそれは真面目に講義を受けるってものだ」
「このまま、最終日まで何事も無いといいんですけど……」
講義が始まってひと月近くが経った。
内容次第で敷地内で場所を変えて、色々な研究を進めていく。今日から数日間は、研究所本部に近い実験場での講義と実技になった。
青年主体で進められた内容は滞ることなく進行している。毎日、講義の教室や実技の会場の様子は中継され、世界中の施設の責任者たちはめぼしい人材にチェックを入れているだろう。
「所長も欲しい人材がいるんですか?」
「うん。今のところ、なるべく年若い研究員かな。『総合研究所』は研究室も多いし、覚えることが山のようにあるから。教えるなら早いうちがいい…………『参加者リスト』……」
彼は目の前に、今回の参加者の情報が細かく書かれたファイルを出した。スクロールして、ある一人の人物のところで指が止まる。
「ほら、この子なんて最年少でこの成績だ。できることなら、うちに来てもらって将来君の助手なんてやってほしいな」
「あぁ、この子まだ10才なのに頭一つ抜きん出てますよね。『育児機関』でもかなりの成績を取っていたみたいです。確かに欲しい人材ですねー」
画面にはピンクブロンドの髪の少女が映っていた。他から見ると一回り小さく、とても華奢な印象を受ける。
「あ、でも……この子、第一希望が環境設備に関する部署だな。それに関わる『プログラム』とか興味あるかな……」
「『総合研究所』での研究も希望してますから、『プログラム』に対して全く興味が無いことないとは思いますけど…………探りでも入れてみますか」
「いいよ、無理はしないでくれ。君も一人だけに気を回す訳にはいかないだろう?」
「それとなく、ですよ。俺だって優秀な部下は欲しいんです」
ニッと笑って青年はコーヒーを飲み干す。
ピピピ、ピピピ……
休憩終わりのアラームが鳴り、青年は伸びをしながら立ち上がった。
「じゃあ、俺も教室へ戻ります。講義もあと数日ですし、各国の研究所から見られているので気を抜けませんから」
連日、昼間は講義、夜は準備と忙しく動いている。笑っている青年の顔にも、多少の疲労が見えている気がした。
「あぁ、無理のない範囲で頑張って。あ……そういえば、君の誕生日は再来週だったね。そろそろ、その後の婚姻届の準備も始めないといけないな?」
「はい。講義の後片付けが終わって落ち着いたら……って、彼女とも話してました」
「そうか。私も『リリ』とお祝いを考えておくよ。楽しみにしておいで」
「はいっ! ありがとうございます!」
青年はいい笑顔で返事をして休憩室を出ていく。残された彼は嬉しさもあったが、ほんのりと寂しさも覚えてしまう。
――――可愛がっていた子供が独り立ちをするのが寂しいなんて、私も完全に父親の目線だな。
ちょっと情けない自分に思わず笑い声が溢れてしまった。それと同時に、自分にもやらなくてはならない事があることを思い出す。
「……私も戻るとするか――――」
『ねぇ、所長』
移動しようと振り返った瞬間、彼の目の前に自分より背の低い人物がパッと現れた。
「うわっ!? …………と、なんだ【472】か。びっくりするから、急に出てくるんじゃない」
『物事っていうのは急なことが多いと思うよ』
驚く彼の言葉を冷静に返してくる眼鏡の少年。
そこにいたのは『リリ』の仲間である【472】だ。彼はいつも分厚い本を持ち歩き、何事にも癖のある話し方で答える特徴があった。
「ここに来るなんて珍しい……何か用事かい? 『リリ』なら講義の会場にいるけど」
『用事というか、自分も講義に入れてもらいたかったんだよ』
「さらに珍しい。何でも情報が入る【永久図書館】で『賢者』と呼ばれる君が、人間の勉強をしに来るなんて……」
『例え賢者と言えど、時間と共に動く情報を手に入れないと“化石”と同じもんさ。自分が今欲しいのは、あそこにいる子たちの情報だね』
【472】が指差す方向の壁に、講義の教室が映し出されたモニター画面が出現した。そこには休憩から戻った参加者たちが、次の実験の準備をしている。
「なんだ、言ってもらえれば『館長』宛に、参加者の情報くらい送っておいたのに」
『所長に言ったらそうするだろうって、館長が言ってた通りで面白いね。でも自分には、“生きてる人間の生きてる情報”が一番必要なんだよ』
「…………それも、『館長』の言葉?」
『まぁ、そうだね。あはは』
笑ってはいるが、少年の目にはあまり楽しさらしき感情が見えてこない。この少年はちゃんと第二次シンギュラリティを起こしている『研究者の助手』のプログラムだというのに。
「フゥ……もしかして、『館長』から“ちゃんと人間を観察してこい”って言われたんじゃないかい?」
『うん、ハッキリとじゃないけど、そうだと思うよ。自分は“心”がある割には、心情に乏しいと言われる。まだ二次を起こしていない【915】と変わらないって』
「…………そう」
その【915】は婚姻を控えていて、いつ第二次シンギュラリティが起きてもおかしくないと彼は思っている。
きっと、この感情の起伏の違いも個々の性格……『個性』というものではないだろうか。
「どちらにしても、他者を知るのは悪くないことだよ。『リリ』に伝えておくから、明日の講義から会場に紛れておいで」
『あはは、感謝するよ。こっちも、そろそろ『賢者』になるなら“補佐”を探せって言われていたんだ』
「『賢者』の補佐……ねぇ」
彼は前々から気になっていた事があった。
――――この『プログラム』たちは、何の結果を求めているのだろうか?
彼の父親が遺した『リリ』とその兄弟『プログラム』たちは、世界のとある場所に位置する【永久図書館】の『館長』に本来の所有権がある。つまり彼らは『館長』の許可を得て各地へと出向しているのだ。
【永久図書館】とは、あらゆる情報や知識を貯めておく『情報保管施設』であった。
彼が知る限りでも【中央都市】と世界各地全ての施設、さらにその何百倍もの情報量を保管できるという。
かつて人類が100億人いた時代の事象、それ以前の人類誕生起源の研究記録など、ありとあらゆる知識と情報が億、兆、京…………無量大数あると極端な噂が囁かれるほどだ。
人類全ての記録と記憶。
それらの永久保存を目的とするのが【永久図書館】という存在。
所長である彼は『館長』とは、父親を通してプライベートで顔見知りだった。彼の知る限り、今の『館長』は現代では珍しいくらいの高齢である。
現在の『館長』は世界が進めている『惑星再生計画』には懐疑的で、必要最低限の協力しかしないと公言している。このため、『館長』に敵対心を持っている人間も少なからず存在しているのだ。
「私は『館長』とは、たまにホログラムで会ってはいるが……未だに君たち図書館側の“意図”が解らない。だから、少し聞きたい」
彼がそう言うと、特に感情を見せなかった【472】の瞳がちょっと輝いたように見えた。
『所長は何が知りたいんだい?』
「君たちはこの世界を救いたいの? それとも、一度滅ぼして創り変えたいの?」
『………………』
彼の質問に【472】は彼の顔を見ながら黙った。『プログラム』である少年は、答えられる言葉を頭の中で選んでいるのだろう。
『たぶん、その両方を考えている。館長はできることの結果で、最良だと判断された方へ自分たちを動かすんだよ』
「……両方って…………滅ぶのも致し方ないってことか?」
軽く目眩がしてきた。しかし、少年はそのまま話し続けている。
『館長は救おうともしているけど、滅んだその先も見据えている。結果は人類の行動次第。だから今の人類を手助けをしていても、もう自分らは“補佐”を捜して“巡る”準備も進めているのさ』
「……………………」
補佐、巡る……その言葉が頭の中で渦巻いている。彼はその意味が“今の世界が滅んだ先の未来”だと知っているからだ。
「…………『聖女』『賢者』『王』……昔から、館長が君たちをそう呼んでいたけど…………もう、その時から滅びの準備をしていたのか」
『滅びの準備はもっとずっと昔。それに“賢者”や“聖女”“王”の出番は滅んだずっと後だよ。“補佐”はその時の助手みたいなもの。残念ながら“賢者”になった時、自分がどうなるか今の自分は知ることができない。自分たちも君たちと同じく一度は“死ぬ”ことになっているだろうから』
「滅んだ先の未来では『プログラム』の君たちが『人間』として生まれ変わる……それで合ってる?」
『そう思ってくれて構わない。でもこれって、所長や“お父さん”が研究してきたことじゃないか。夢は現実になる。ここは素直に喜びなよ』
「はっ…………」
思わず嘲笑が漏れた。
――――私や父の研究は滅亡後に生かされるのか。まるで、死後に認められた画家になる気分だ。
「一度滅んで、そこでやっと君たちと対等になるのか」
『そうだよ。たぶん、所長は“聖女”の補佐になるんじゃないかな』
「私が補佐ね…………それよりも、うちの『リリ』が『聖女』でいいのかい? 他にも適任がいるんじゃないか?」
――――『聖女』にしては元気過ぎる気もするけど……。
『直ぐに名前が出るなら、所長も認めてるってことさ。他に聞きたいことは?』
「…………今から、滅びを止める手立ては?」
『何でもいいから、足掻いてみればいい。たぶん、ちょっとはマシになるよ』
「どう、足掻けばいい?」
『それを考えるのが、人類の課題だと思わない? 正直、自分には明確な答えは出せない』
「…………わかった」
いくら高性能な機械でも、それが分かればこの世界は死にかけていない。
『じゃ、明日また来るよ』
「あぁ……」
言うだけ言って、画面が切り替わるように【472】は一瞬で消えた。
彼はため息をついて、近くにあったイスに腰掛ける。いつもあの少年と問答をすると疲れる。もしかして、彼が疲労していく様を、少年は楽しんでいるのではないか……と邪推してしまうほどに。
【続いては、お昼の情報コーナー! 『あなたの理想の世界叶えてみましょう!』です! 今日、夢を語ってくれるのは〇〇地区にお住みの△△さん!】
キンっと甲高い声が聴こえる。
講義の教室を映していたモニターが、いつの間にか一般のテレビ放送に切り替わっていた。
【もしも世界が創れるなら、あなたはどんな世界が良い?】
【えーと、私はいつか外へ、遠くの外国に思っただけで行けるような…………】
若い女性リポーターが一般人に尋ねている。
「………………世界……」
――――今の世界を一度、更地にしないと『新しい世界』は創れないのだろうか?
「私は、今のこの世界を滅ぼしたくはない……誰も世界のために死なせたくないんだ」
彼はすぐに仕事へ戻れる気分にならなかった。
…………………………
………………
青年は午後の実験の講義を見回りながら、あるグループの方へと向かっていく。
「あ……あの子か……」
遠くの実験グループの中に、ピンクブロンドの小さな少女の姿を見付けて近付いていった。
自分の尊敬する上司の目を付けた子が、どんな感じなのかを見ようと思ったからだ。
「……実験は進んでいますか?」
「はい。順調です」
なかなか聡明そうな少女の表情を確認する。その時、
チクッ。
一瞬だけ、青年の胸に違和感があった。
「………………?」
すぐに消えた大したことのない痛み。
青年は左胸を軽く触って首を傾げた。




