積雪
雪が降っている。
仕事を終わらせて早く帰宅したかったのだが、そういう日に限って残業が長引いてしまう。
はあ、とついたため息は白く、大切な眼鏡が曇ってしまった。眼鏡拭きを取り出し、念入りにガラスを擦る。
「全く、ついていない」
そういう日に限って、自転車で通勤してしまった。
雪が降る前に帰る予定だったし、雪が積もる前には帰る予定だった。寒い中歩くのはつらいから、ちょっとでもその時間を減らすためにと思ったのだが、完全に裏目に出た。
それでもせっかく自転車があるものだから、試しに乗って漕いでみた。しかし、5㎝は積もる雪の壁は大きく、ペダルが踏み込めない。前に進む前にバランスが崩れて倒れてしまう。全く、らちが明かない。
「押すか・・・。」
自転車が、重かった。
風は冷たいし、まだ雪は降っているし、本当に散々だ。
歩く自分と、自転車と、かごに入ったバッグに雪が積もっていく。まるで、俺の頭の中にある負の感情のように、ゆっくりと、しかし着実にのしかかってきた。
明日も仕事がやだなあ。この調子だと雪が溶けることは無いだろうし、つまり歩いて会社に行かなければならない。靴も乾かないだろうなあ。どうせ乾いたって、通勤しているうちにまた濡れちゃうだろうし。寒いのに加えて、濡れるのは嫌だなあ。それにしても、いつまで降るんだろう、この雪・・・。
立ち止まって上を向く。
いっぱい、いっぱい。全くどこから放出されているのだろうか。
「雨は神様の尿だと聞いたことがあるが、雪はフケなんだろうな・・・。」
くだらないことを考えたって仕方がない。俺は再び歩みを進める。
誰も歩道の雪をかいていない。だから、歩きづらい。歩道なのに。いっそのこと、車道を歩きたい。車道は定期的に車が走っているからか、あるいは除雪剤が撒かれたのかは知らないが、とても歩きやすそうなコンクリートが見えていた。
一瞬危ない考えが頭をよぎったが、寒い風に頭を冷やされた。
「そうだ・・・通勤災害になってしまう」
てか、こんなことで事故るのはさすがに馬鹿らしい。
通行量が普段より減っているとはいえ、どんなに歩きやすそうに見えたって、車道を歩いていたら危ないことなんて、小学生でも分かることだ。地道に、頑張って、歩こう。
自分を励ましながら歩みを進める。
頑張れ。頑張れ。頑張れ。
誰も応援してくれないから、自分でつぶやく。
幸い誰も雪道を歩いていないから、俺は声に出していた。
「頑張れ」
「頑張れ」
「あと少し」
「あと少し」
「見えてきた」
「見えてきた」
「社宅だ」
「社宅だ」
何十分かかったかは分からないが、そうしてようやく帰宅することが出来た。
玄関の前で、頭に積もった雪を払う。頭から落ちるソレは、本当にフケみたいだった。
ふと、ドアの横にある物体が目に入った。・・・小さな、雪だるまが。
隣の住人が作ったのだろうか。たしかに、小さいお子さんが出入りしているのを見たような気がする。
自分の周りの一角だけ雪がないのを見たところ、外から社宅内の通路に吹き込んできた雪を、ようやっとかき集めて作られたもののようだ。
「よほど降ったのがうれしかったんだろうなあ。・・・うれしい、か。」
いつからだろうか。雪が降ると聞いて、嫌な感情を抱くようになったのは。いつから・・・いつから・・・。
はあ、とついたため息が眼鏡を曇らせる。
構わず俺はドアを開け、真っ暗な、シンとした寒い部屋へと入っていった。
読んでいただき、ありがとうございました。