第7話 管理AI レイナ
□2035年 2月15日 烏鷹千里
夢から覚めるように俺の意識は現実へと帰ってきていた。
寝起きと違って意識ははっきりしている。
体の違和感もないな。
晴れて初死亡判定になったわけだが、ショックは少ない。
すでに覚悟していたからだろう。
俺はまず時計を確認した。
チュートリアルに1時間、街を見て回って2時間、レベル上げに大体3時間ログインしていたからゲーム内では6時間弱過ごしていたことになる。
しかし、時計の針が示すのは午後の3時を回ったところだ。
本当に1/2しか進んでいないな。
少し感動しつつ、俺はトイレへ向かった。
☆
必要なことを済ませてから、俺は再度VRヘッドギアに向かい合っていた。
最後のアナウンスは覚えている。
ログインするには現実時間で1時間必要ということだろう。
ただ担当の管理AIに権限が引き継がれたというアナウンスがどういう意味を示しているのか少し気になるところだ。
「<Eternal Chain>の起動自体はできそうだな……」
確かめないことには始まらない。
俺は意を決し再度<Eternal Chain>の世界に飛び込んだ。
☆
気が付くと俺は白を基調とした謎の空間に佇んでいた。
チュートリアルの時ぶりだ。どうやらこの空間が現実と<Eternal Chain>の待機スペースのような場所らしい。
前と違うところがあるとすれば、目の前にいるのがラビではなく、足を綺麗に揃えて椅子に座っている女の子というところだろうか。
こちらを無表情でじっと見つめてきている。
「こんにちは、お兄さん」
「ああ、こんにちは。君も管理AIなのか?」
そう聞くと無表情から一変、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの笑みを浮かべ、彼女は椅子から立ち上がった。
美しい少女だった。身長は百五十センチほどか、青みがかった長い黒髪を腰まで伸ばしており、外光もないのに怪しく輝いている。
目は大きく、その瞳には好奇心という名の無邪気さが伺える。頬は柔らかく、美しさと幼さが同居し、どことなく感じさせる高貴さが不思議な魅力を生み出していた。
黒色を基調としたゴスロリの服装は、多くの装飾で彩られている。
しかし、その装飾も過多というわけでなく、見事に調和しており彼女の可憐さを際立たせていた。
頭の側面から伸びている大きな角と口元に見える尖った八重歯は彼女が人間ではないことを示している。
鬼や悪魔か、それに準ずる種族なのだろう。
「その通り! 私は管理AI2号、レイナだよ。種族は悪魔。主な担当は、全てのアバターの管理と、アバターの再生及びデスペナルティ中のプレイヤーへのサポート対応。よろしくね」
彼女の挨拶を聞いてる間、俺はどうでもいいことを考えていた。
──運営、お前らキャラクターデザインに気合い入れすぎだろ。
☆
惚けてはいられないと、俺も彼女に名乗りを返す。
「俺はクロウだ。よろしく」
「うん。えっと……クロウくんって、呼んでいいかな?」
レイナはこちらにゆっくり近づいてきて、少し不安そうな顔をしながら上目遣いで見つめてくる。かわいい。
はっ!
いかんいかん、何を考えている俺は。
「あ、ああ! それで、アバターの管理とデスペナルティの対応ってことだけど、どういう意味なんだ」
動揺を隠しながら、疑問に思っていたことについて聞くと彼女は椅子に座り直し手元を動かした。
「ほら、デスペナルティになった際にポリゴンになってアバターが砕け散ったでしょう? 私はそれを再生させることをしているの。ちょうど今復元中なんだ~」
そして俺のアバターが表示された。外傷はなく、ゲーム内の姿のままだ。
「今のクロウくんは、初回ログイン時のように仮のアバターでここにいる状態だよ。アバターの修復が終わったら元のアバターと同期させて<Eternal Chain>に再度ログインできるようになるから、少し待っててね」
なるほど、ここはゲームのログイン画面のようなものなのか。
「それでね、アバターを再生させながらデスペナルティ中のプレイヤーのサポートするのが私の仕事」
「サポート?」
「そう! 例えば、何が原因で負けちゃったのかとか、何が悪かったのかとか、今後の方向性に悩んでたらジョブの相談に乗ってあげたりするの!」
「うん? なんの説明もなかったような……」
「最初に詰め込みすぎると頭いっぱいになっちゃうし、私のサポート自体は必ずしも必要というわけでもないからね。デスペナルティ中に待ちきれずにログインしてくれた子にだけ対応するようにしてるんだ」
そういってレイナはふふん、と得意げな顔をした。
「死因自体は理解してるからいいけど、ゲームの説明とか仕様について聞いても問題ないのか?」
「開示できる情報に制限はあるけど、ある程度なら答えられるよ。ただ、ゲーム内で売られている本や住民との会話、ヘルプとかホームページのQ&Aの説明で色々調べられるからネタバレが嫌いだったり、自分で調べたいなら推奨できないかな。私も自分で調べるのが好きだしね~」
「ああ、わかる。まずは自分の目で見た情報から検証や推察をしてくのが楽しいんだよな。答え合わせはそのあとでいいというか、自分の予想と合ってたり、間違っているところで一喜一憂するのが楽しいというか……」
「だよね! ……クロウくんもしかして、結構話せる感じなのかな?」
「ふ。当然」
レイナは期待のこもった、そして好戦的な瞳でこちらを見ていた。
きっと俺も似たような顔をしていることだろう。
これは……負けられない、な。
目の前の少女は今この瞬間、俺の敵となった。
いや、戦友とでもいうべきだろうか。
お互いがお互いに主張を行い、どれだけ相手を自分のゲーム観に染め上げることができるのか。
これから始まるのはそういった戦いだ。
一挙一動、油断することができない。
レイナは不敵な笑みを零す。
「ちなみに、<Eternal Chain>のUIや仕様、ジョブシステム、そのほとんどを考案したのが私だよ。デスペナルティの1時間制限を決めたのも私。もちろんデスヒールも禁止にしてるから、ちゃんと再ログイン後は時間経過かアイテムやスキルを使って回復しないとだよ」
「……なに?」
「だってそうでしょ? 戦いは下調べと対策が大事。攻略に詰まったら基本に立ち帰り、ギミック対策やモンスターを倒すためのジョブ構成、パーティー編成、立ち回りを悩むのが醍醐味だもん。死ぬことを前提としたゾンビアタックを許容するのはクソゲーの第一歩だよ」
「救済措置と検証の大切さを忘れたのか、この原理主義者め!」
「デスペナルティになるたびに好きなだけ私が相談に乗ってあげるよ! 思考停止のゴリ押しなんてこの世からなくなってしまえばいいんだ!!」
目の前の巨悪を打ち倒さんと俺は決死の覚悟を決めた。
いざ、尋常に!
☆
議論は白熱の様相を呈した。
議題【ゲームに難解なストーリー性は必要か否か】
「勇者が魔王を倒すような単純明快なストーリーでいいに決まってるだろ。シンプルイズベスト! 変化球投げられるユーザの気持ちも考えてほしい!」
「ゲームに対する没入感を高めるために複雑なバックグラウンドは必要不可欠でしょ! あと、ありきたりやら言われないようにする必要があるんですぅ!」
「ごめんなさい」
最終的に世界観に関してはフレーバーテキストを用意しておけば問題ない。
多くのゴールを用意し、ユーザの発想に一任するのがいいのではないかという結論に落ち着いたが、これも議論の余地はあることだろう。
☆
議題【<Eternal Chain>のメニューUIについて】
「メニュー機能が口頭発動に手動操作って不便じゃないか? アイテムボックスに仕舞う時も結局手で直接しまうかメニューで操作するかだったし。脳波を計測してるっていうぐらいなんだから、視線や集中状態を読み取って思考で動いてくれてもいいと思うんだけど」
「共通インターフェースであるメニュー操作の公平性を維持するために仕方なかったんだよね。手動なら誤操作はあるとはいえ慣れれば大体同じくらいの操作速度に落ち着くのに対して、思考入力だとユーザ間格差がちょっと無視できなくなっちゃって……」
「あぁ、若年層のプロ化みたいなことがここでも起きるのか」
「うん、身体はアバターで代替してるから反応自体は問題ないようにしてるんだけど、思考内容そのものに関しては干渉できないからね……」
どうやら順次調整予定らしい。
手動操作と思考操作両方を任意で選びカスタマイズできたら嬉しいとだけ言っておいたので、今後のアップデートに期待することにしよう。
☆
議題【MMORPGの良さとは】
「そうそう! ジョブ構成を悩むのが醍醐味だよね!」
「同じ魔法戦士っていうコンセプトでも、剣を主軸にするのか、弓を主軸にするのか、じゃあその時の装備構成は? ステータスの割り振りはどうするのかって悩むのがいいんだよな。レベル上げっていうのは副次的なものであって、結局最終的に自分の考えたジョブがどれだけ強いのか、完成させて確かめることが面白いんだよ!」
「だよねだよね! 装備を揃えて、ジョブを決めていざ育ててみたはいいもののPSが足りなくて十全に扱えなかったり、思ったより弱くて、泣く泣くビルド構成見直してまた次の最強を考える。これが一番楽しいよね!」
意見が合った喜びの声と反対に、レイナは悲しげに視線を落とした。
「……ただ、私はレベル上げそのものに意味を見出すことを否定したいわけじゃないんだ」
「というと?」
「成長の過程とその結果が目に見えるっていうのは、ゲームならではだと思うんだ。現実の場合そういったものは不透明で、どんなに努力しても報われないことってどうしても出てくる……」
それは、そうだろう。
勉強をすれば成績は上がるし、スポーツも練習すれば上達する。ただ、これだけ勉強すればこのレベル、これだけ練習すればこのレベルという明確な基準は存在しない。
また、同じだけの勉強、同じだけの練習をしても、同じように成長するとも限らない。
基準をどこに置くかにもよるが、結果を出さない限り、自分のレベルを知ることができないのだ。
「すぐに強くなりたい、すぐ結果を出したい。すぐに何かを守れる強さが欲しい。気持ちはわかるけど、だからこそ、ゲームだからこそ成長する楽しさを私は大事にしたいの」
「そのための、最初のジョブ限りの経験値10倍、か」
「うん。『ずっと10倍にしろ』って意見もきっと出てくると思うんだ。だけど、完成された強さだけが楽しむ方法じゃない。色々用意してるし、他人とのふれあいや、仲間と協力して強くなる過程、1人での試行錯誤。そういったものを楽しんでほしいんだ。おかしいかな……?」
レイナはとても不安そうな顔をしていて、折れてしまいそうだと、そう感じた。
「……確かに、所詮ゲームだって、今すぐ強くなりたいって思うユーザはいるかもしれない。それも一つの正しい考えだ」
「……うん」
違う。
俺が言いたいのはそんなことじゃない。
だから、だからそんな顔をしないでくれ!
「違うだろ!」
「……っ!」
「君が、願ったんだろ! そうあってほしいと、祈ったんだろ! だったら、レイナが信じてあげないでどうするんだ!!」
「でも、どうやって……」
そんなの、決まっている。
「──俺が証明する」
「えっ……」
「このゲームを1から100まで楽しみつくして、間違ってなかったって、正しかったと! 声高らかに叫んでやる!」
そうだ、俺が証明するのだ。
否定する者だけではない、肯定する者もいるのだと。
俺もその1人だと証明すればいい。
「いいのかな、クロウくんにそんな重荷を背負わせて……」
「背負わせてくれよ、これぐらい。俺も恩返しがしたいんだ」
「……恩返し?」
そうだ。せっかく夢のゲームに出合うことができたんだ。
いわば彼女は俺にとっての恩人である。
NPCとか管理AIとかそんな記号に当てはめることそのものが間違いなのだ。
「……そろそろ、時間だな」
「あ、そうだね。アバターの修復も完了したから、同期するね」
一瞬視界がブレ、次の瞬間俺は<Eternal Chain>の体になっていた。
「……次は、いつ会えるんだ」
「あはは、デスペナルティになったら会えるって最初に言ったよ」
「そういえばそうだった」
お互いに苦笑しあう。
思えば随分と熱く語りあったものだ。
「まぁ、すぐにデスペナルティになるなんてカッコ悪いところは見せられないな。しばらくはお別れだ」
「うん! この世界を思いのまま楽しんで、もし次会うことがあったらたくさん感想を聞かせてね? 約束だよ」
「ああ、UIの使用感から改善点、良かった点、悪かった点、全部ひっくるめて一万文字のレポートにまとめ上げてきてやるさ」
「もう少し要約してくれると助かるかな! ……はい!」
掛け声と同時に、レイナの前に<Eternal Chain>へと繋がる扉がでてきた。
その扉を見て一つ思い出した。
聞いていいものかと悩んだが、せっかくだし聞いてみることにする。
「レイナ、【魔王】ってなんなんだ?」
「【魔王】はね、<アルカナ>の最終到達点だよ」
最終到達点?
「何か強大な敵とかそういうのではなく、<アルカナ>が魔王になるのか?」
「うん、<アルカナ>の最終進化形態が【魔王】。プレイヤーと<アルカナ>が築いた軌跡、ともに歩んだ軌跡の一つの終着点。そうあってほしいという願い……」
一つの終着点。ともに歩んだ軌跡。そうあってほしいという願い。
故に永遠の絆、か。
「それなら、とりあえず【魔王】になろうかな。目指すのは世界征服ってところで」
「勇者に倒されないように気を付けてね!」
「それなら返り討ちにしてやるさ。……それじゃ行ってくる」
「うん、頑張ってね!」
彼女の笑顔に見送られながら、俺は新たな一歩を踏み出した。
☆
ログインすると、デスペナルティになった<モコ平野>ではなく、初めてゲームを開始した時に送られた場所である広場の近くに立っていた。
時刻はゲーム内では2時間ほど経過したからか夕方になっている。
本来であればいくつかあるセーブポイントや宿屋を利用することでリスポーン地点を設定することができるらしいが、特に設定していなかったからか初期ログイン地点になったようだ。
まぁ、うん。
「好きになっちゃうだろバカやろおおおおお!」
周囲の人達が驚きこっちを見ているが、そんなの気にする余裕が俺にはなかった。
なにあれ。ずるい、ゲームに理解のある美少女悪魔娘とかダメだろ! 運営はあたまおかしいんじゃないか?
あんなに熱く語りあえたの人生で初めてだよ、ありがとうございます!
意見の食い違いがあっても頭ごなしに否定はせずに歩み寄ってきてくれるところもあるしさぁ!
もう終わりだよ運営。
違う、終わってんのは俺の方だよ!
最後の方とか変なテンションになってたぞ! キモイ! くたばれ!
俺はMMORPGをやりに来てるの! 恋愛シミュレーションゲームなんてもっての他なの!
でも動悸が収まらない。ゲームの中なのに胸が苦しい。
「これが……恋?」
ドゴッ!!
俺は自らの頭をぶん殴った。
デスペナルティ明けで少ないHPがさらに減るが、俺は構わず殴り続ける。
冷静になれ烏鷹千里! お前はそんな男じゃなかったはずだ!
年齢=彼女いない歴だったから勘違いしているだけだ。
お前はもっと硬派な男だ、敵を見誤るな!
敵って誰だよ! 知らねえよ!
「この頭か? この頭だな! そうなんだろ!? おらあああああッ!!」
このあと、空腹と排泄のアナウンスが来るまでめちゃくちゃレベル上げした。