第20話 Misunderstandings
PC画面と正面から向かい合う。
そこには、AR・VRデバイスの研究開発を行っている加賀研と呼ばれる研究室の資料がずらりと並んでいた。
「んー」
能力拡張研究会の活動は問題なく進んでいた。
毎週1、2回ほど集合し適当にAR・VRゲームを起動することもあれば、特定の環境とデバイスで加賀研からデータ取得の依頼を受けることもある。
これはその活動の一貫で、研究テーマで気になった点や分かりづらいことをピックアップするというものだ。
俺からすればバイトの延長線上ぐらいの感覚で気楽に活動しながら、<Eternal Chain>の意見交換の場としても活用できているので異論はない。
「こんなもんか」
とりあえず、簡単なものだと誤字脱字らしき箇所のチェックと用語の注釈漏れや文体の統一など。
専門的な部分だと今の俺の知識では理解できない用語をピックアップしておいた。
流石に人様の娘さんを預かっている横で仮想の世界に行くわけにはいかないので、ちょうどいい暇つぶしになったと言えよう。
時計を見ればおおよそ2時間ほどが経過していた。
(なんか入れるか)
今日は気分を変えて紅茶にでもしようかと思い席を立つ。
その瞬間、狙ったかのように遠慮がちにドアがノックされた。
そのまま扉を開けば、妹が立っている。
「兄さん、今平気?」
「麗凛か? どうしたんだい?」
一瞬で意識を切り替え、ふわりと優しく笑いかける。
「……それ、今はいいから」
「そうか?」
ちらりと麗凛の背後を見て誰もいないことを確認。
どうやら1人で来たらしい。
「ちょっとゲーム貸して欲しくてさ。ゾンパ二のパッケージ版持ってたよね? ダメ?」
「ゾンパ二……? 別にいいけど」
俺はゲームを収納している棚に移動し1つのゲームを取り出した。
ゾンビパニックランはジャンルとしてはゾンビパニックホラーアクションゲームだ。
VRゲーム黎明期に腐臭の完全再現をしてのけた怪作である。
(ああ、そういえばもう遊べるのか)
VRゲームは昔のなんちゃってレーティングと異なり、既定の年齢に達していない場合プレイできないと厳密に定められている。
R15指定であれば15歳未満のユーザーはそもそもログインできないようになっているのだ。
もし年齢を偽ったとしても年齢相応の脳波パターンかをチェックされる設計である……と、先程の資料の完全没入型VRデバイスの基本構造の項目に書いてあった。
「これでいいか? ただ、ゾンパ二はソロゲーだから一緒に遊べないはずだぞ」
「そうなの? マルチプレイもできるって書いてあったんだけど」
「え、マジ?」
俺はPCの前に戻りゾンビパニックランの公式ホームページに移動。
アップデート履歴を確認する。
「……うわ、ほんとにマルチプレイできるようになってんじゃん。しかも、腐臭のオンオフ切替機能実装とか」
俺が昔やってた時とかオンライン要素はスコアアタックのランキングしかなかったのに。
「あー、でもマルチプレイするならデバイスは2つ必要なのか。ダウンロード版が入ってるVRヘッドギア貸そうか?」
「ううん、大丈夫。優香は自前で持ってるみたいなんだよね」
あのカバンにはVRヘッドギアが入っていたらしい。
「ゲームのフレンドに前おすすめされたみたいでね。せっかくだから遊んでみようって流れになったんだけど、確か兄さんも持ってたなって思って」
なるほど、わざわざ買う必要もないので借りに来たと。
それにしても、そのフレンドとやらゾンパ二を選ぶとはなかなかいいセンスをしているな。
リアルすぎる腐臭でユーザーを減らしたものの、ショッピングモール、大橋、病院、学校とゾンビ映画の有名どころで数百体のゾンビに追いかけられる恐怖体験。
刀、拳銃、バット、車とテンプレの武装も用意されており、かなり自由度の高い作品なので以外とコアなファンが多いゲームなのである。
一番の問題であった腐臭の切り替えができるようになったのであれば一般受けもするかもしれない。
ただ……
「アドバイスとかある?」
「んー、マルチプレイはやったことないから何も言えないが……そうだな」
ゾンビパニックランはホラーアクションゲームである。
それは誇張でも何でもない。
校庭にゾンビが入り込んで来たらどうしようと、教室の窓から外を見たことはないだろうか。
自分以外全員ゾンビになってひたすら逃げ惑う夢を見たことはないだろうか。
パルクールができなければ、ゾンビから逃げきれず捕まると強迫観念に駆られたことはないだろうか。
体力が持たずに息切れをして足を止めたら追いつかれるからと、パンデミックに備え体力づくりをし始めたことはないだろうか。
その空想が、妄想が、夢想がそこにはある。
「普通に怖いから気を付けろよ」
結論、普通に怖い。
腐臭の完全再現よりも、怖すぎて一般ユーザーが根付かなかったと言われるほどに……
「ずず……ふー。紅茶うめー」
数十分後、悲鳴と共に何かが飛び起きるような音がかすかに聞こえてきたが俺は努めて無視することにした。
防音仕様の部屋でよかった。
☆
どれだけ時間が経っただろうか。
課題や私用が全て終わる頃に時計を見れば針は5時を指していた。
GWにやらなければいけないことは全て終わらせられたので、ここからは心置きなく向こうの世界に行くことができる。
廊下から玄関の方へ向かう足音と雑談も聞こえてくる。
いい時間なので暗くなる前に帰るのだろう。
俺は再度異常がないことを見直し、部屋から外に出る。
玄関の方を見ればちょうど靴を履く彼女と目が合った。
「……あ、千里さん。本日はお邪魔しました」
「いえ、外はもう暗くなってきましたので、お気をつけてお帰りください」
「お気遣いいただきありがとうございます……あの、うるさくありませんでしたか?」
有村さんはおずおずと伺うようにこちらを見てくる。
そこには確かな気遣いがあった。
ここ最近、魔法バカ達やねここと煽り煽られを繰り返していた俺の心に染み渡っていく。
なんていい子なのだろうか。
ちょっと浄化されそう。
「全然でしたよ。もし機会があれば、またいらしてください」
麗凛は普段は実家にいるはずだが、高校との近さを考えると遊ぶ時はこっちの方が使いやすい……なんてこともあるかもしれないしなぁ。
「優香のこと送ってくるね」
「ああ、まだ明るいけど気を付けろよ」
玄関から外に出た彼女を追うように麗凛は靴を履いて出ていった。
僅かに足が震えていたことには気づかなかったことにしよう。
悲鳴の大半が麗凛の声だったのも俺の気のせいに違いない。
(そういえば、アルカにもゾンパニをオススメしたっけな)
さっきはあまり気にしていなかったが、思い返してみれば俺も過去に布教したことがあったことを思い出す。
(もしかして)
あいつもR12のラグマジから逆算すれば麗凛と同じくらいの年齢のはずで……
──ざっこー。よわーい。そんな魔法で私に勝てると思ってるんだー?
──はい今回も私の勝ちー! なんで負けたかノート100冊にまとめて反省してきてください~!
── バイバイ、負け犬さん♪
「………………うん、気のせいだな」
あんな礼儀いい子がアルカなわけないだろ、いい加減にしろ。
失礼極まりないにもほどがある。
「夕食の準備でもするかぁ」
妹の精神安定のために今日は麗凛の好物にするとしよう。
献立が決まった俺は夜のログインに備えるために、調理をすべくキッチンへと向かった。




