第18話 爆睡兎
□魔導師の間 クロウ・ホーク
ゼシエから放たれていた圧が霧散していく。
見た目だけ見ればなんとも可愛らしいものではあったのだが、それでは到底誤魔化せない程のプレッシャーが襲い掛かってきていた。
(とりあえず、何事もなく終わったな)
ゼシエとの意識合わせは終わった。
と言っても、俺は裏でエリシアとユティナに逐一状況を共有していただけだが。
この交渉は始まった時点で……【イデアル・マジック】がエリシアを正式な客人として認めた時点でほぼ全て終わっていたと言えるだろう。
取られた場合に後手に回らざるを得ないのが確定する最悪のパターンも一応想定してたが、分のいい賭けに勝った形だ。
「む、そろそろ陽が落ちるな」
ふと、ゼシエは窓から差し込む光を見てそう言った。
「せっかくだ。エリシアよ。今日はここに泊まっていくがよい」
「……はい?」
「案ずるな。既に私にその気はない。お主らは魔導王国エルダン筆頭クラン【イデアル・マジック】の客人だと、そう認識した。ならばこそ、こちらも相応の対応をしなければ周囲に示しがつかんのよ」
どこか引き気味にエリシアは反応するも、ゼシエは諭すように話しかける。
「ほ、本日は【イデアル・マジック】のクランホームに泊めさせていただく予定で……」
「正気か?」
エリシアはゼシエからの誘いを断った。
ゼシエはそんなエリシアのことを驚いたような目で見る。
「お主がこのままこやつらの拠点になど戻ってみよ。まともに休息が取れるとは思わんぞ。ワイバーンの群れに下級モンスターを一匹放つようなものだ」
「誰がワイバーンだ誰が」
「えー、そんなことないのにな~」
レトゥスとアルカは心外だと批判の声を上げる。
「そろそろログインしてくるメンバーもいるから、紹介ついでにちゃーんと俺たちなりの歓迎会を開いてやるってのに」
「そう言えば、さっきの状態ってどれぐらいで回復するの? みんなにも見て貰おうかなって思ってるんだけど!」
「……え?」
そのままこの後の予定をエリシアに話し出した。
新しくログインしてきたメンバーにもエリシアを紹介する必要があるもんな。
その際に、精霊としての力を再度解放するのが手っ取り早いもんな。
実に効率的だ。
ただ、それを本人が許容できるかは別の話だ。
うん、まぁエリシアの内心は大体想像がつく。
「今から宿を探すのも大変だろう。今日ぐらいゆっくり休みたくはないのか?」
ゼシエは再度確かめるようにエリシアに話しかけた。
「……ゼシエ、本日はお世話になります」
「えー!? なんで!?」
アルカがどこか不満そうな声を上げるも、エリシアの意思は硬いようだ。
長旅を終え、アルカと模擬戦を行い、【魔導師】からの圧に晒された。
波乱の一日と言ってもいいだろう。
これ以上はさすがのエリシアと言えど許容範囲を超えているということだ。
「よし、少し待て。今、案内のものを呼ぶ。誰か空いていたか……」
そのままゼシエは何かを探し出した。
どうやら、先程と同じようにどこかへと視界を飛ばしているらしい。
そして、何故か死んだ魚のような目になった。
「……こやつでいいか」
そのまま指を鳴らす。
次の瞬間、ゼシエの正面に1つの人影が現れる。
そこには1人の女性があおむけで倒れていた。
「すぴー……すや……」
否、爆睡していた。
特徴的なのは頭から生えた兎耳だろう。
それは大枠の括りでは獣人と呼ばれる種族。
その中でも人の特徴が色濃く表れているようだ。
黒を基調とした軍服のようなものを着た兎の獣人がゼシエの眼前で爆睡をかましている。
「起きよ、ジシ」
ゼシエは女性にそう呼び掛けた。
どうやら、ジシというのがこの女性の名前らしい。
「くかー……ぐごおおお……ふごっ!?」
「……」
「うへ、うへへ……」
しかし、起きる気配は一切ない。
寝返りをうち、ゼシエの前を転がりまわる。
(起きないわね)
(気まずいな)
どうするんだよこの空気。
「ふむ」
ゼシエは少しの思案の後、そのまま口を開いた。
「ジシよ。任せた仕事を放置し居眠りとはいい度胸だ。お主はよほど減俸されたいようだな」
「はい! 起きてます! さぼってなんていません! アタシは元気です! だから減俸だけは何卒! 何卒!」
次の瞬間、女性は勢い良く跳ね起きた。
「これ以上減らされたらアタシの財布とうとう何も残らなくなっちゃいます! 先月の給料も全部面白そうな魔道具に使っちゃいましたし! このままじゃアタシ餓死しちゃいますぅ!」
泣き崩れ、誰かに弁明しながら叫び続ける。
そのまま周囲を見渡し、ゼシエのことを視界に収めた。
「……なんだ夢か」
そして、悟りを開いたかのような声を零した。
「夢などではない」
「いいえ、これは夢です。アタシは騙されませんよ」
「いや、だから……」
「違う! これは悪い夢だ! ゼシエ様にサボって寝ているところを見つかって転移魔法で飛ばされて爆睡する姿を晒してたなんてあっていいはずがない!」
起きていたかのような素早い状況把握。
まるで、何度も似たような経験があるかのようだ。
「あー、よかった! 危ない危ない! まったくもう、アタシってば夢の中ですらどじなんだからっ!」
そのまま女性は歩き出す。
行先はこの魔導師の間の扉の方面。
つまり、逃げ出そうとしているわけで……
「話を聞かぬと本気で減俸するぞたわけが」
「失礼いたしました我らが【魔導師】よ! このジシになんなりとお申し付けください!」
女性は踵を返し、ゼシエの前で膝をつく。
仰々しく、まるで騎士のように、忠臣であることを示すように。
そのまま意気揚々とそう答えた。
☆
「はっ! こちらにおわすエリシア様を客室へ案内するという大役見事に果たしてみせましょう! ささ、エリシア様どうぞこちらへ! 私めが完璧になんの憂いもないほどに素晴らしいまでの案内を披露いたしますとも!」
「は、はい。よろしくお願いします」
ゼシエはジシに客室へ案内するように指示を出した。
それを受けて、女性はこの場から逃げだしたいのかすぐにエリシアの元へと歩みを進める。
しかしながら、その魔力の流れには一切の乱れ無し。
(この人も魔力操作持ちか)
思わず目で追っていると視線が合った。
「……ん? え。うわ……また増えてるぅ」
「また?」
「あ、いえいえ! ナンデモゴザイマセンとも! ささ、エリシア様! 外で待っておりますのでご準備ができましたらいらしてくださいな~!」
そそくさと部屋の外へと出ていこうとする兎耳の女性。
「……」
何とはなしに、魔力を練り込んでみる。
後はスキル詠唱一つで魔法を放てる状態。
瞬間、ぴくりと彼女の兎耳が僅かに震えた。
しかし、ジシは一切振り向くことなく部屋の外へと出て行った。
(魔導師級か)
魔力の流れを感じ取っていた。
つまり、あの醜態を晒したと言っても相違ない爆睡兎はどうやら、この世界における魔導師級魔法使いということらしい。
魔導王国エルダンに来たことで、なんとなくこの世界のルールが分かってきた。
ジョブスキルにより発展した世界は、魔力操作は極論必要がない。
なぜなら、天職があれば誰でも簡単に魔法を放つことができるからだ。
それ自体はゲームであれば馴染みのあるシステムであり……だからこそ、魔力操作を鍛える現住民は戦闘職の天職を有した中でもさらに一部に限られるのだろう。
この世界にあるのは、ある種の生まれながらに決められた天職依存の世界。
それが全てではないが、ジョブスキルがあるかどうかで明確に差が生まれてしまう。
そして、技術を鍛えるよりもレベルを上げる方がよっぽど簡単に強くなれるという道理。
ルクレシア王国と比較した時、魔導王国エルダンの方が魔力操作ができるイデアが多いのは【魔導師】であるゼシエの存在が大きいのだろう。
「ゼシエ、頼んでもいいかな?」
「わかっておる。【イデアル・マジック】の玄関前だろ。レトゥスもそこでよいか?」
「問題ないぜ」
どうやら、アルカやレトゥスも一度【イデアル・マジック】のクランホームに戻るらしい。
「それじゃ、エリシア。みんなには説明しておくから、クランホームで待ってるね!」
「はい、アルカも本日はありがとうございました。落ち着きましたら改めて訪問させていただきます」
「うん! ……えっと」
アルカはそのまま何かを悩むように俺のことを見てきた。
【イデアル・マジック】には近日中にでもまた訪問する予定だ。
「アルカ、またな」
「……うん、またね! 待ってるから!」
アルカは元気よくそう答えた。
見ればレトゥスも軽く俺達へ向けて手を振っている。
次の瞬間、アルカとレトゥスはその場から消え去った。
《転移魔法》スキル。
超常の魔法スキルと呼ばれるだけある。
これほどまでに制限なく飛ばせるのは【魔導師】の特権というやつなのだろう。
ゼシエはそのまま俺のことを視界に収め……
「クロウ、お主は少し残れ」
この場に残れと、そう言われた。