第17話 境界線
6月24日も08:00頃更新します。
【国家最高戦力】の決定を覆せる存在など、ほとんどいない。
その上で、その言葉は最高の決定を拒絶するものであった。
「ほう、なぜだ?」
ゼシエは否定の言葉を放った少女……アルカを見る。
「だって、エリシアは私たちの客人だもん。レトゥス、だよね?」
「ああ、そうだな。明日にでもレベル上げをして、魔法の訓練をして、その精霊とやらの力を鍛え上げて貰わねえと」
アルカに追従するようにレトゥスもそう答えた。
(ふむ、こうなるのか……)
実のところゼシエは【イデアル・マジック】がどのように動くかは把握しきれていない部分があった。
様々な優遇措置を取っている以上、ここは静観を保つ可能性も考慮していた。
加えて、この脅しの意味はエリシアという存在を楔とすることでクロウ・ホークという旅人が魔導王国エルダンに正式に所属することにある。
「お主たちにとっても悪い話ではないはずだぞ? それに、なにも魔法の訓練をするなと言っているわけではない。人としての技量を高めることは推奨するところだ」
「魔法に必要なのは自由な発想だよ? しがらみとか、そういうのでエリシアの可能性を狭めて欲しくないんだよね」
しかし、結果はこうだ。
【イデアル・マジック】のクランリーダーは自由を尊重する。
それこそが、魔法の進化に必要不可欠であるという主張。
(……む? 《念話》の類か。準備がいいのだな)
視線を戻せばエリシアの表情から先ほどまでの動揺が消えている。
緊張は消えないままであるが、今あるのは安心や安堵の類。
軍用装備の1つである《念話》の装備は希少だが入手経路が無いわけではない。
おそらく、裏で旅人から何かを聞かされたのだろう。
そう推測する。
(……となると。ここまではお互い想定内といったところであろうな)
旅の者だけであれば、先の方針で問題なかった。
しかし、この瞬間から交渉の形は変わる。
魔導王国エルダン筆頭クラン【イデアル・マジック】との意識の擦り合わせ。
そして、【イデアル・マジック】は【魔導師】の提案を拒絶した。
既に自分達がエリシアの育成を引き受けているのだ。
それを奪うと言うのか。
引く気は一切なし。
そのような圧がひしひしと【魔導師】を襲う。
ゼシエの中では【イデアル・マジック】が拒絶するのは数ある可能性の1つでしかなかった。
しかし、そうではない。
(そして、ここまでは確定か……なるほどな)
灰色髪の旅人からすれば、ここまでが既定路線だとゼシエは理解した。
エリシアが精霊としての力を解放しなければ、ゼシエは気づかなかった。
その場合、旅の者であるクロウ・ホークとエリシアを勧誘し、断られ、それで終わりだ。
エリシアが精霊としての力を解放した結果、ゼシエは精霊人であることに気づくことができた。
しかし、そうなるとどんな形にせよ【イデアル・マジック】が間に入ってくる。
なぜなら、模擬戦を通じてエリシアという精霊人は【イデアル・マジック】の興味の対象となっているからだ。
加えて、【イデアル・マジック】の方が先に接触しているのもまた事実。
関係に水を差したのは後から入る魔導王国エルダンの方になる。
このまま強引に押し通せば【イデアル・マジック】との関係悪化は必至。
(関わりが深い分、向こうの方が一枚上手のようだな)
【イデアル・マジック】の離反は魔導王国エルダンにとっては絶対に避けなければならない事項の1つ。
ゼシエはこの時点で強行策の方針を棄てた。
【イデアル・マジック】が否定を示した場合の次善策。
かの者らが何を基準にしているのか。
なぜこのような行動を取るかの分析に集中する。
「これは国防に関わる話だ。エリシアの身柄は厳重に保護しなければならない。例えそれが本人にとって望ましくないものであってもな」
国防という名の道理を諭す。
「うん。やっぱ受け入れられないかな?」
それを一切の思考もなく否定された。
ここだ、と。
かの者達の根幹にあるナニか。
かの者達の本質がそこにある。
今まで把握しきれていなかった核に触れられるという確信。
「なぜだ?」
1つ、敬語という壁は取っ払った。
2つ、関係は良好だ。
3つ、【賞金首】で活動できるような支援を始め相互協力という形ながら恩を売ってある。
少しずつ解きほぐしてきた。
その上で否定を示したということは譲れない物があるということだ。
その譲れない物こそが、これから【イデアル・マジック】と関わるのであれば理解しなければならない境界線。
それを知れる機会が訪れた。
「だって、自分の意思だけで魔法を発現できるんだよ? きっとエリシアだけの素晴らしい魔法が生まれると思うんだよね! その可能性を摘むなんてとんでもない!」
恩か、義理か、はたまた友情か。
同情か、憐憫か、哀れみによる救いか。
もしくは、魔法を通して生まれた絆か。
「それはつまり、エリシアのためということか?」
ゼシエはそれを推し量るための質問を投げかける。
「え……?」
何を言っているのだろうか、と。
きょとんと、少女は疑問の表情を浮かべる。
「私のためだけど?」
ぞわりとそれは周囲を覆い尽くした。
どこまでも無邪気で、どこまでも純真な思い。
(そういうことか)
ゼシエは1人納得する。
実績や実力は本物だ。
しかしながら、【イデアル・マジック】という集団は魔導王国からすれば実に珍妙なものであった。
魔法をバカにされれば街の近くであろうとも大暴れする。
魔法に興味ないと言われれば興味が出ると相手が言うまで付け回す。
かと思えば、仲間同士で口喧嘩ばかりし、すぐさま死ぬまで争い続ける。
楽にしろと言ったらまるで旧来の友人かのように話かけて来る。
一貫性があるようで無い。
無いようである。
魔術師ギルドから報告が来るたびに、掴みかねたその本質。
(収穫はあった)
それは求道の類。
魔法を普及したいのではない。
強者を作り出しそれを叩き潰すことで自分の魔法をさらに鍛え上げたいのだ。
魔法を好きになってもらいたいのではない。
人の数だけ可能性があり、そのどこかにはきっと自分を越えうる存在もいるだろうと考えているだけだ。
その上で、見込みがなければ切り捨てるだけのこと。
なぜなら、時間の無駄だから。
今回に至ってもそうだ。
エリシアが強くなればきっと自分を苦しめてくれる。
そうすれば自分の魔法はそれを超えてもっと凄くなる。
だから育てよう。
だから新たな同胞として迎え入れよう。
全ては己のために。
究極の利己主義。
灰の旅人が理解し、己が理解していなかったモノ。
こういった機会でもなければ……エリシアという魔法を通じて認められた存在がいなければ正しい意味で理解することができなかったであろう本質に触れることができた。
それは、エリシアという精霊人よりもよっぽど価値のあるものだ。
「……っ!?」
その興味の対象となった精霊人はどこか怯えるようにアルカを見ていた。
(この者らに目を付けられるとはな。同情するぞ……)
ゼシエは経験上、このような人種は相手に10を与え20を求めてくると理解していた。
負荷を与え続け、それを潜り抜けた先の輝きに意義を見出す。
質の悪いことに、本人たちは30も40も、なんなら100を実践していながら全く苦と思っていない。
狂った様を見せられ続けるのだからたまったものではないだろう。
「よかろう。【イデアル・マジック】に免じ先の宣言は2つとも撤回する」
「え、ですが……」
ゼシエはエリシアの様子を見て不思議に思う。
そういえばと、半ば脅しのような言葉を投げていたことを思い出した。
「ああ、そんなすぐに精霊としての格が上がるわけなかろうて」
「……はい?」
「人としての合計レベルと、精霊としての格は正確には別の話だ。短くても年。下手をすれば数十年は必要だぞ。【精霊術師】に辿られるほどに漏れ出るようになるのであればもっとか? ここしばらくはその外套と髪飾りがあれば十分であろうよ」
「……」
ゼシエは頬杖を付き意地悪く笑った。
「嘘はついていないぞ。ただ、全てを話したわけでもない」
合計レベルを上げることで精霊としての格が上がる。
事実だ。
アウローラの精霊人に実力不足の状態で動き回られるのが困る。
事実だ。
格が上がれば現状の装備では隠しきれなくなる。
事実だ。
しかし、正確には違う。
精霊の格は合計レベルを上げるために費やす数多の積み重ねによって上がる。
よっぽどの人徳者であれば話は別だが些細なことだろう。
実力など、いくらでも鍛えればいい。
装備については手がないわけでもなく、その労力は旅人が負担すれば問題ない。
ただ、アウローラの精霊人を保護しつつ、クロウ・ホークという旅人も引き入れるのには都合がよかったため、それらを適切に、自分に有利なように、自分の主張が正しいのだというように取り繕い、切り貼りし、都合のいい部分だけを抜き出していただけのこと。
「《嘘感知》に引っ掛からない話術は交渉の基本だぞ。勉強になったな」
「……【国家最高戦力】程の合計レベルがあれば、誰も《嘘感知》は有効に発動しないと思いますが?」
「大事なのは気の持ちようさ。それに、私も万能ではないのでな」
じとりと睨んで来る精霊人に、ゼシエは知らん顔をして答えた。
詭弁だと言われているようで、このぐらいできなければ務まらないのだ。
なにせ、今代の旅人には<アルカナ>がいる。
《嘘感知》という汎用スキルではなく嘘そのものを識別するような、嘘を見破ることに特化した<アルカナ>がいないと誰が言い切れる。
見ただけで相手の種族を見破れるような、解析に特化した<アルカナ>がいないと誰が保障する。
たらればなど、考えても仕方がない。
かといって、それを考えないというのもまたできないのだ。
なぜなら、【魔導師】は【国家最高戦力】。
国防の要そのものなのだから。
そう、ゼシエは嘘は言っていなかった。
アウローラの精霊人であるエリシアはこの瞬間をもってして、魔導王国エルダンに確保されるのが最も安全だという考えは変わらない。
その上で、国益、状況、旅人の心情などを考慮し妥協したというだけの話である。
否、正解など存在しない。
あるのは、選択したことでどうなったのかという結果のみ。
(……)
ゼシエは先の模擬戦を思い出す。
ステータスはともかくとして、やはり実戦経験の不足が気にかかった。
眼前にいるのは生まれたばかりの精霊人。
それを導くのもまた、悪くはない。
国家最高としての交渉を終えた今、エルフとしての血がざわついた。
「よし、エリシアよ。詫びとして明日からは私が直々に鍛えて……」
「ダメだけど」
どこか楽し気な表情で言いかけたそれを遮られたゼシエは困惑する。
「……なぜだ?」
国家最高の決定を一度ならず二度までも拒絶するとは如何なものか。
「エリシアと遊ぶのは私の方が先だから! ゼシエはその後!」
「おいアルカおめえなにしれっと一人占めしようとしてやがる!? ……あー、というか。ゼシエも色々あるんだろうけどよ。相手の気持ちも考えた方がいいんじゃね?」
レトゥスは冷静に指摘する。
さっきまでの発言を思い返してみろと。
「……」
視線をずらすと、精霊人とエルフの視線が重なり合う。
そして、精霊人から放たれるは警戒の眼差し。
「……ふっ」
それを受けて【魔導師】は余裕を持った小さな笑みを浮かべた。
しかし、その頬はどこか引き攣っていた。