第6話 帝国の魔女
暗い廊下を周囲を警戒しながらも足早に移動する1人の女性がいた。
出来る限り足音に気を付け、息を殺し、身隠しのストールを身に纏うことで自らに気配遮断効果を付与。
目的地はとある旅人へ貸し出された一室だ。
(一体何が起きているのですか!)
レプラは焦りながらも思考を回す。
外部からの襲撃があったのであれば、外壁から何らかの連絡が来るはずだ。
守衛の見回りはなぜか1人もいない。
住み込みで働き、今は自室で寝ているはずの侍女たちは無事だろうか。
先ほど食堂で自分に逃げるように促した青年はどうなったのか。
自分の姿をした偽物はなんなのか。
戦いが始まっているのであれば音がするはずだ。
しかし、周囲からは全くと言っていいほどに音がしなかった。
過ごし慣れた空間が、まるで異質なものになったかのような不快感。
普段であればすぐに着くはずのその一室はあまりにも遠かった。
(アリアンロッテ……)
レプラは合計レベル100ほどであるが戦えない。
正確には戦えるようにステータスを引き出す訓練をしていない。
レベルが高ければステータスは上がり、身体能力はそれに応じて上昇する。
当然、上昇した分だけ自らの常識を上書きする必要がある上、【踊子】と【料理人】では戦闘用のジョブスキルを有する者たちには無力だ。
情けなくても構わない。
軽蔑されてもいい。
自らにできる最善を。
焦りからか、それは既に駆け足に近かった。
足音が廊下に響き渡り、目的地へと到着した。
そのまま扉を勢いよく開ける。
そして、扉の奥にはメイド服を着た少女がいた。
この異常事態が発生している盤面に干渉しうる戦闘能力を有した旅人。
自分のような流される者とは違う特別な存在が……
「──ッ!」
少女の背後には一つの人影があった。
アリアンロッテとレプラの視線と視線が重なる。
次の瞬間、少女とその影はその場から消え去った。
「…………え」
レプラは部屋の中を見渡し、再度そこに視点を合わせる。
たった数秒前まで希望がいたはずのそこには何も残されていなかった。
「あ……ああ……っ!」
何が起きたのか彼女は理解ができない。
ただ一つはっきりしているのは、アリアンロッテがどこかへ連れていかれたということだけ。
戦う力を有していない彼女に残された唯一の光が消えた。
希望から絶望へ。
レプラは膝から崩れ落ちる。
(どうすれば……なにをすれば……)
精神的負荷がレプラへ襲い掛かる。
自問自答を何度も何度も繰り返す。
一介の侍女長に何ができるのか。
この盤面はとある旅人とその<アルカナ>が描いたものだ。
アリアンロッテという不確定要素はテリートの森へと隔離。
警戒網の主軸は当然ながら街の外壁であるため、内側にいきなり敵が現れるなど想定しえない。
魔道具も内部から無効化されたことによって完全な不意打ちが成立。
見回りの守衛はいるものの、これだけの好条件が揃っている以上精鋭部隊からすれば排除するのに苦労はない。
事実、レプラを逃がしてみせた1人の若き戦士は一切の抵抗を許されずこの瞬間その命を散らしていた。
数秒にも満たない思考停止の果て。
「……エリーゼ様」
レプラはよろけながらも一歩踏み出した。
「行かなければ……」
行ったところでなにができると言う自分がいる。
関係ない。
今この屋敷がどうなっているのか、一体何が起きているのか。
わからないことだらけだが、この静寂を打ち破れば何かが変わるかもしれない。
残された選択肢は皆無に等しく間に合うかすらも不明。
だからこそ、彼女は自分にできる最善を尽くす。
しかし、この世界はどこまでも残酷であり──
☆
第4皇子の陣営より襲撃を仕掛けた精鋭部隊、総勢21名。
全員が戦闘職を天職に有した合計レベル300以上と上級モンスターをも討伐しうる程の戦力による奇襲作戦。
13名は別動隊として動いており守衛の排除や監視、アレクシャス伯爵の暗殺を実行すべく行動している。
そして、黒装束を身に纏った8名は一つの部屋の前に到着した。
そこはカラブ帝国第2皇女に割り当てられた部屋だ。
予定の時刻よりは少し早かったが、彼らは準備が出来次第仕掛けるべく配置に着く。
猶予を与えてはならない。
最速かつ最短で仕留める必要がある。
なぜなら、今から暗殺せしめる相手は……並の存在ではないのだから。
彼らは部屋の中の気配を探る。
《気配感知》に反応が一つ。
それは一切の身じろぎをしていない。
事前に聞いていた部屋の間取りからその気配は寝台の場所に位置していたことを把握する。
「……」
配置に着くと同時に行動を開始。
「《消音》」
魔法を発動させた。
これだけ近くで発動させた魔法は感知対象であるため、すぐに仕留める必要がある。
合図と共に最もAGIに優れた1人が部屋の扉を蹴破った。
「《加速》」
そのまま部屋の中に飛び込む。
彼に続くように3つの影が入り込み残りは周囲を警戒。
《気配感知》の反応に従い、凶刃を振るうべくその視界で寝台を捉え……違和感に気づく。
「……っ!」
部屋の中に侵入した全員がその動きを即座に止めた。
広い部屋に配置されたベッド。
その反対にある机に腰を掛けるように1人の女性が座っていた。
そこにはターゲットである皇女がいた。
「……あら、こないの?」
臨戦態勢で待ち構えていた。
魔法使い用のローブを身に纏い、杖の先端は持ち上げられ彼らに向けられている。
動きを止めた理由は単純だ。
これ以上踏み込めば後には戻れないという躊躇。
彼らが《気配感知》で捉えたのは《デコイ》と呼ばれる魔法だった。
ベッドに意識を向け襲い掛かったが最後、反対方向から不意打ちに近い形で放たれた攻撃を喰らっていたことだろう。
「ま、どちらでもよかったのだけれど……」
全身から汗が噴き出したと錯覚するほどの緊張が襲撃者たちに襲い掛かる。
「それにしても淑女の部屋に随分と物騒な装いね。私をカラブ帝国第2皇女。エリーゼ・レークス・カラブと知っての狼藉かしら」
見知らぬ者が自室にいるというのに、女性は余裕を崩さず話しかけた。
「それとも夜這い? お生憎様、私はそこまで安い女ではないの。これでも将来の夫のために純潔を貫いてるのよ? ただ、このままだとお姉様のようにお父様に見合い話を持ってこられそうね」
女性は……エリーゼはクスクスと笑う。
生気のない瞳で、明らかに憔悴した顔で、隠しきれない隈を晒して。
しかし、何がおかしいのか笑い続ける。
「アレクシャスの爺め。脱出用の隠し通路を用意してたのね。しかも、私に気づかれないように遮断効果付き。やってくれるじゃない」
エリーゼは冷静に戦況を把握していた。
自分を利用し、場合によっては捨て駒にする気だったであろう男は既に殺されていることも。
目の前にいるのが自分を殺しに来た第4皇子の精鋭部隊であることも。
「それを利用されるところ含めてお似合いの末路だわ。いい気味ね。あなた達もそうは思わない?」
「……」
「ちょっとぉ。さっきから私だけが喋っているのだけれど、少しは会話で楽しませようという気はないわけ? 私、皇女よ? わかってる?」
エリーゼは不満そうに拗ねながら話し相手になれと言う。
自分を殺しに来た相手に対し、どこまでも不遜に、傲慢に。
「……なぜ、気づいた」
このまま黙っている方がまずいと判断した男は思わず問いかけた。
「なぜ……? ああ、隠蔽は完璧だったわよ。今もなお、魔力の痕跡を探ることはできないもの」
エリーゼは賛辞を送る。
事実、彼らの奇襲は完璧だった
「見事なものね。現に無能共は最後の瞬間まであなた達に気づかなかったのだから」
気配を完全に殺し、魔力を周囲に同化させる特殊な素材を用いて作成した装備を全身に纏い、声を発することなく奇襲計画を実行してみせた。
彼らの装備一式で数千万スピルはくだらないだろう。
加えて、それを人数分用意したとなるとその本気度具合が伺える。
多くの守衛は秘密裏に処理され、一切の戦闘音を周囲に響かせることなくこの状況を作り出してみせた。
精鋭部隊の名に恥じない戦果を上げており……
「でもね、私天才なの」
それを彼女は一言で片づけた。
「……はー、でも、負けね。負けよ負け」
アレクシャス伯爵が死亡したことによって、エリーゼの後ろ盾はなくなった。
アレクシャス伯爵がいたことで首の皮一枚繋がっていたのが帝位継承権争いでの彼女の立場だ。
それ以外は木っ端の貴族しか残っておらず、それも今夜の結果の是非に問わず保身に走ることだろう。
「ふふ……ふふふふ」
ここまでくれば笑わずにいられるか。
後ろ盾になった男はいつでも自分のことを斬り棄てる算段であり、その無能のせいで絶対的なまでの窮地に追い込まれている。
エリーゼは笑う。
味方の無能さを。
そして、己の無能さを嘲笑う。
「清々しいわ。今まで悩んでたのがバカみたい」
8名の精鋭部隊は動けない。
ただの魔法使いであれば、その隙を突きいかようにも殺傷してみせたであろう。
しかし、眼前にいるのは数多の魔道具を製作し帝国の発展に貢献した才女。
「どうせ最後なのだから自由気ままに、思うがままに、思いっきり暴れるのもありかもしれないわね。他に聞きたいことや話したいことはある? 今の私は気分がいいの、どんな無礼も許してあげる」
エリーゼはどこかスッキリとした表情で笑いかけた。
今まで曇っていたその光は、この瞬間再度輝きを取り戻す。
そこには皇族としての威厳を有した傑物がいた。
既に負けが決定したのだから失うものは何もない。
失うものが何も無いために、彼女は躊躇することもない。
思うがままに、自由に、その生を最後まで謳歌する。
「なさそうね……そう。それなら、始めましょうか」
刮目せよ。
彼女こそカラブ帝国第2皇女エリーゼ・レークス・カラブ。
魔導師級魔法使いにして合計レベル450。
帝国の魔女と呼ばれ恐れられた最も苛烈にして、鮮烈な光。
「ここは狭いわね」
女傑は部屋を見渡した。
「あなた達も、これでは満足に戦えないでしょうし」
その手にもっていた杖の先端を床に当て……
「特別よ?」
「っ! たい……!」
警戒の声よりも早く、その魔法を発動させた。
「──《崩壊》」
ただの一節。
魔力操作によって指向性を付与されたその魔法は全方位へと放たれる。
加えて発動時に拡散された濃密な魔力の残滓を意図的に操作。
「くっ!」
「……っ!」
魔力の密度というべき圧によって弾き飛ばされた精鋭部隊は各々が壁に、床に着地する。
その視線の先で家具が、部屋が、全てが崩壊していく。
魔法現象に触れれば最後、一切の塵も残さず粉々に砕け散ることだろう。
足場がなくなる前に急ぎその場から離脱しようとし……
「《プロミネンス》」
炎の大蛇がうねり屋敷の一角が崩壊した。




