第30話 悪女との密約
□商業ギルド クロウ・ホーク
「クロウは自分のことをどう思ってるかしら?」
「どうって……質問の意図が読めないな」
「この世界における自分の立ち位置よ。私ならそうね。ルクレシア王国で最も人脈の広い旅人と言ったところかしら?」
メリナは間違いなく、今のルクレシア王国において最も人脈が広い旅人だろう。
俺の眼の前にある多くの装備や<念話のイヤリング>という存在がそれを証明している。
俺にとっては揃えようと思っても大変なものばかりだが、彼女からすれば片手間に用意できる。
それは彼女がこの世界で培ってきたものだ。
「……そうだな。現状の旅人の中で高レベル帯にいるぐらいにはこの世界をやりこんでいる旅人ってところか?」
「まぁいいでしよう」
メリナは笑みを崩さない。
「<蛇蟷竜ペルーラ>、ドウゴクと2人で討伐したらしいわね。私の想定だと、現地で残っていた旅人……グレルゴス達と協力してことに当たるものだと思っていたのだけれど」
グレルゴス、聞いた覚えがあるな。
(ああ、ガーシスとPKクラン戦の時に揉めた演技してたあの旅人か)
メリナからの指示でクラン戦が始まる前に時間を潰すように演技していた男だったっけ?
蛇蟷竜と正面から撃ちあっていたあの大剣使い、どこかで見た覚えがあったのだがそれか。
「それは現場判断ってやつだな。少なくとも、蛇蟷竜と戦う優先権は彼らにあったから俺もドウゴクも参戦しなかった。まぁ、似たようなもんだよ。彼らの奮戦があったおかげで俺もドウゴクも蛇蟷竜の動きを頭に叩き込んだ状態で戦闘を開始することができたんだ」
「謙虚ね」
「事実だからな」
最終的には四肢で走り出したのでそれは初見で対応せざるを得なかったが。
しかし、時間が出力に関係していたドウゴクには、あの時間は金よりも重要な時間だったことだろう。
かといって蛇蟷竜の素材の売却益を分けるほど俺は聖人ではないのだが。
メリナは笑みを崩さない。
「私は自分の観察眼には相応の自信を持っているつもりよ。正直、クロウとはここまで長い付き合いになるとは思わなかったわ。言い方は悪いのだけれど、最初に会ったとき、あなたはこの世界に浮かれているどこにでもいるような普通の青年だったもの」
「それはまぁ……そうだな」
あの時の俺は今思い返しても相当浮かれていたように思う。
普段ならやらないようなことや言わないようなこともハイテンションでしていたような気がする。
うん、気がするじゃなくて実際やってたな。
レイナ関連はまさにそれだ。
「そしてPK事変、りんごちゃんへの支援、花の国への納品依頼。クロウにはいろいろお世話になったわね」
「それは俺のセリフだけどな」
メリナと一緒に企てた悪巧みやメリナからの依頼はなかなか経験する機会のないものばかりだった。
「話は戻るけれど、あなたは蛇蟷竜をたった2人で倒したの。ドロップ枠が10個を超えるぐらいには戦闘に貢献したのもさっきの会話で改めて確認できたわ」
(あー、またかぁ)
ドウゴクと同じようなものだ。
メリナは<マグガルム・コート>の存在を知っている。
その上で、メリナの知る俺の情報では蛇蟷竜との戦闘でそこまで貢献できたことに違和感を覚えたのだろう。
ドウゴクが漏らすとは思えないし、あくまでも状況証拠からの推論だろうな。
「勘違いしないで欲しいのだけれど、別にあなたが何を隠しているかなんてどうでもいいことよ。私だって他の旅人に内緒にしていることなんて1つや2つでは済まないわ」
(それはそうでしょうね……)
ユティナは胡散臭いものを見る眼でメリナを見る。
うん、俺も同意見だ。
なんなら、俺よりもよっぽど隠し事は多いだろう。
「このアドバンテージは私が築いてきたものだもの。そのおこぼれに預かりたいなら相応の交渉材料を持ってきて欲しいわ」
「それで、結局何が言いたいんだよ」
「ああ、そうだったわね。ここで重要なのは現時点合計レベル170前後、<アルカナ>の到達階位Ⅱで蛇蟷竜ペルーラの討伐に大きく貢献できるであろう何かを持っている旅人」
それは先ほど話した通りメリナから見た俺の姿で……
「それをこのままみすみす見逃していいのかって話よ」
瞬間、空気がひりついた。
「……」
「……」
「……ほう、まぁ続きを聞こう。俺は会話が出来るタイプの男なんだ」
「ありがと。これは確信なのだけれど、あなたは近い将来必ずイデアの厄介事に巻き込まれるわ。政争か、戦争か、まぁいくらでもきっかけはあるものね」
……もう巻き込まれてるんだよなぁ。
なんなら機械帝国レギスタの工作部隊と一戦殺し合いを交えたし、ノースタリアのなんかヤバそうなやつには既に顔が割れてる始末。
やだ、すごい、メリナさんの直観当たってる!
「さっきの<念話のイヤリング>はそのための先行投資ね。あなたがいつか必要になった時、私に多大な恩を感じて貰えたのなら僥倖よ」
「それだけじゃないだろ、はっきり言ったらどうだ?」
「そうね、はっきり言いましょうか」
そしてメリナは……ルクレシア王国にその毒芽の根を下ろした悪女は笑った。
「クロウ、あなた本当の意味でルクレシア王国所属になってくれないかしら?」
それは多くの意味を含む。
「あなたのプレイスタイルは知ってるわ。世界を自由に旅する旅人。そろそろ王都ルセスでやることは終わったところよね。装備は集まり、レベルは上がり、ある程度の人脈を築いた。私との会話もおそらく最後。今週には旅立つってところかしら? それならもういっそ、ルクレシア王国所属になってしまえばいいと思うの」
色々方法はある。
それこそ、契約の神レベルの契約書を作成すればいい。
本来相手に強制的に約束を守らせることなんてできないが、この世界はできてしまう。
「あのなぁ、俺はこの国でお世話になった人も多い」
リリー。
レイラー。
バーティ。
世話になったイデアは多い。
その他にも今フレンドリストに名前が載っている旅人だってそうだ。
なんなら困ってることがあるなら率先して助けにきてもいいぐらいだ。
「メリナの立場がなくてもルクレシア王国に牙を剝くなんてこと……」
「絶対に?」
「……」
「絶対にそう言える? 未来永劫誓えるかしら」
メリナが言っているのは、さっきの話の延長線上だ。
メリナ視点、俺は必ずイデアのいざこざに巻き込まれるらしい。
まぁ、実際に巻き込まれているのでそれはいいだろう。
その時、もしかしたらルクレシア王国の敵対陣営に力を貸すことがあるかもしれない。
そんな状況になった時、俺は一切合切を無視してルクレシア王国の不利益になることをしないのか。
それが確約できるのかという話だ。
「最初はクロウと競い合うのも楽しいと思ったのよ? でもね、私もそう言ってられない事情が生まれたの。そうなってくると、なによりあなた厄介すぎるのよね」
「言うほど厄介か?」
「ええ。あなたを本気で潰そうと思ったとき、逆に潰されかねないと思う程度にはね」
そうなるのか。
これはちょっと読めなかったな。
メリナにしては短絡的思考過ぎる。
まぁ、人の心なんてほんの少しのきっかけがあれば移り変わるものだ。
ようは初期のPK事変で起こったことと似たようなものだ。
ルクレシア王国に敵意を持った【賞金首】が他国に亡命するのをみすみす見逃すわけがないという話と同じ状態。
有能な人材が他国に流れそうになるところを指をくわえて見ていていいのか。
そして、その人材が敵対した時のことを考えたなら……
「……おい、メリナ」
ここで潰しておいた方が未来のためだという話に行き着いて……
「やる気か?」
意識を切り替える。
この悪女はルクレシア王国に根を下ろした。
今後この王国の不利益となる可能性があるものは潰す方が得策だという答えに行きついた。
俺の立ち回りは最初から一貫しているしそれを曲げる気はない。
非現実への、冒険への憧れがあり、それを満たせる世界を待っていた。
そして、ようやくその扉は開かれた。
この世界の美食を。
【月光の樹海】で見たような幻想的な光景を。
入替戦やグランドクエストで他の旅人達と競い合った刺激的な日々を。
メリナのいうようなことが実際起きたなら、その時の俺が判断することだ。
ようやく始められるのだ。
冒険を。
それを縛ろうと言うのなら。
それを阻もうと言うのなら。
俺が現在持ちうる手すべてを尽くしてこの悪女を潰……
「なーんてね」
そして、メリナはあっけからんとそういい放った。
「……冗談で済むことと済まないことがあるだろ」
「ごめんなさいね。でも、私はそれほどまでにあなたを評価しているということよ。伝わったかしら?」
「嫌と言うほどにな」
警戒は解かないが、意識を戻す。
どうやら、先ほどの脅しは本気で評価していると伝えたいが故の演技のようなものだったらしい。
「それで、脅しまがいのことをしてまで何を言いたかったんだよ。言っとくけど、俺は今ものすごく機嫌が悪いぞ」
「簡単よ。クロウ、あなたのリア垢を教えてくれないかしら?」
「…………は?」
「聞こえなかったかしら? リアルアカウントよ。連絡先。現実の」
なるほど。
俺の連絡先が知りたいと。
この世界のクロウ・ホークではなく、烏鷹千里と直接連絡が取れる連絡先を。
ほう。
ふむ。
いやぁ……
「……あの、出会い厨の方はちょっと」
「違うわよ! いえ、まぁ勘違いされてもしょうがないけれど!」
「悪の女スパイロールプレイとはいえ流石になぁ……」
「だから違うって言ってるでしょ!」
メリナは勘違いするなと顔を少し赤くしながらも吠えた。
いや、まぁさっきのやり返しができる機会をみすみす見逃したりしないんだが。
「それが本命の狙いか?」
「ええ。だってフレンドリストのメッセージ機能は距離や内容に限界があるでしょう? できるだけこの世界で完結して欲しい契約の神の意図はわかるけれど不便じゃない」
「まぁ、確かに。いや、でもなぁ……」
ようは俺がこのまま冒険に出かけたらこの世界だと連絡が取り合えなくなる。
だから現実でも連絡を取れるようにしようと言いたいのだろう。
先程までの会話全てがこの妥協案を提案するための見せ札だったらしい。
(そういうのもあるの?)
(ああ、どれだけ離れてても念話できるようなもんだな)
(それはすごく便利ね)
そう、便利だ。
向こうはこの世界とは比べ物にならないほど通信網が発展しているからな。
まぁ、こっちの世界は上級モンスターを筆頭にあれだけの流通網を構築できるほど安全な世界ではないので仕方がないといえば仕方がないのだが。
「ダメかしら?」
「理由は?」
「いざという時のためよ。ルクレシア王国が困ってたら助けに来てくれる程度には温情があるのでしょう? 私の方からも助けて〜ってメッセージが送れた方があなたも冷静に状況を整理できると思うのだけれど」
一理ある、か。
少なくともリリーやバーティが何らかの事件に巻き込まれ、もしくは戦争でその命を落とそうとしている時に何も知らずに意気揚々と冒険を続けることができるほど俺は薄情ではないつもりだ。
「さっきまでの交渉はこのためか」
「だってあなた、情報もできるだけこの世界で完結したいと思ってる側の人間でしょ?」
否定はしない。
必要なら向こうの世界での情報集めも厭わないが、基本的にはこの世界で見て聞いて、感じたことをそのまま体験したい。
なぜなら……
(……? どうしたの?)
ユティナは……銀の悪魔は不思議そうな顔で俺のことを見る。
思い出す。
あの星天の日の前日、月光の樹海の影響を色濃く受けた木が光り輝いていた時のことを。
それを、夢中になって見続けてていた彼女の横顔を……
(……いや、何でもない。もう憑依を解除してもいいぞ)
(そう?)
臨戦態勢に入っていたユティナが憑依を解く。
うん、まぁようやく話はわかった。
机の上に置いてある紙とペンを手に取って、文字を書きそのままメリナに渡す
「俺のエゴサ用兼捨て垢のアプリとIDだ。ユーザー名はまぁ、見ればわかるとだけ言っておく。確認が終わったらその紙はさっさと処分してくれよ。これでいいか?」
「ふふ、ありがと」
メリナはその紙をしまい、不適な笑みを浮かべた。
「さて、随分と時間が経っちゃったわね」
「誰のせいだよ」
「ごめんなさいね。これは脅した件の慰謝料よ」
メリナから飛んでくるのはトレード申請。
そのまま進めると、70万スピルを交換するかの内容が出てきた。
それは、蛇蟷竜で俺がメリナの割引に応えた額で……
「お金はいくらあっても困らない、でしょう?」
「……はあああああああああ。お前、ほんといつか刺されるぞ」
「ほんと? それはそれは楽しみね」
机の上に置かれた報酬をその手に取りアイテムボックスにしまう。
結局のところ今回の交渉は最初から最後までこの悪女の掌の上だったということで。
「ま、いつでも連絡してこい。俺とお前のよしみだ。甚だ不服ではあるが、内容次第だが、場合によっては協力してやらんこともない」
「あら、ちょっと嫌われちゃったわね。失った信頼を取り戻せるよう頑張るとするわ」
心にもないことを。
まぁ、これで最後だ。
メリナが慌てる姿も見れたことだし。
「ま、メリナとの悪巧みは楽しかったよ。またいつか一緒にバカをやろう」
「私もよ。最後まで刺激的な時間をありがとう」
「メリナ、さようなら。また今度……」
「あらユティナちゃん! 今度とは言わずこの後私と一緒に……」
「失礼するわ! クロウ、先に行ってるわね!」
ユティナが最後だからかしっかりとメリナの顔を見てお別れを言おうとした瞬間、メリナから飛んできた獲物を見る視線を受けユティナは逃げ出した。
「……懲りないな」
「だってものすごく可愛いんですもの。クロウが羨ましいわ」
メリナはユティナが出ていった扉を見続ける。
うちの子はやらんぞ。
あ、そうだった。
「メリナ、フレンドリストはブロックしない方がいいか?」
「……ふふ、何のことかしら。ただ、そうね。気になるならしてくれてもいいわよ」
ふーん、大体盗み聞くための条件は目星がついてるから別にいいんだが。
「そんじゃ、しばらくお前の名前を口に出さないようにだけ気をつけるとするわ」
「あら、薄情ね」
何を言う。
他人の会話を勝手に盗み聞く方が悪い。
そう、それが彼女の力。
誰にも悟られることなく、否、悟られないようにしてきた力。
数多の悪巧みで利用してきた力だ。
それは、一定距離以内にいる状態でフレンドリストに登録した相手が自分の名前を読んだ時に発動する条件起動型のスキル。
対策方法は容易。
フレンドにならない。
フレンドリストからブロックをする。
彼女の名前を口に出さない。
おそらく、盗み聞きできる時間にも制限が存在している。
それらのデメリットを許容することで、アルカナの到達階位Ⅰの段階で数キロメートルもの距離の制限という限界を引き伸ばしていたのだろう。
最初に俺とゴーダルに見せたのはスキルの試運転。
メリナもまだこの世界の立場を決めかねていた時の油断。
そして、どうせ見せても看破できないだろうという驕りと言ったところか。
どうやらお互いに、初期の頃はテンションが高かったみたいだな。
今のメリナなら絶対見せないであろう隙であり……全くもって最初から最後まで油断ならない女だった。
「またな」
「ええ、またね」
そして、俺はメリナと小さな密約だけ交わし、商業ギルドを後にした。




