第15話 荒れ、狂う者たち
□カイゼン樹林 浅層 クロウ・ホーク
最初に動いたのは【刃歯】だった。
「右手えええ! いつもみたいにビビッて先に逃げんじゃねえぞ! 俺を援護しろ!!」
そう叫ぶと同時に、木の上にいた男はナメクジの<アルカナ>を肩にのせ反対方向に飛び出した。
木の上を飛び移るように、逃走を開始したのだ。
当然だ。
今この戦場において、完全にリスクとリターンが見合わなくなったのは【賞金首】である彼らだけだ。
まだ2人分の物資が残っているから致命的ではないと判断したのだろう。
デスペナルティになった【mu-ma】と合流して再起を図るつもりだ。
「くそ!」
<プレデター・ホーネット>の乱入のせいで一周回って冷静になったか。
せっかく逃げられないように思いっきり煽ったのに!
(逃げるつもりよ!)
(わかってる、だけど!)
見事に真ん中に居座ってくれている<プレデター・ホーネット>が邪魔で追いかけることができない。
そもそも、こいつが目の前にいる状態で、大声を上げながら背中を晒すという決断を一瞬でした【刃歯】の度胸がすごい。
いや、何も考えてないだけかもしれないけど。
『GiGI? GiGYAAAAAAAAA!』
戦場から離脱しようとした【刃歯】が煩わしくなったのだろう。
<プレデター・ホーネット>のヘイトが向こうに行くのが見えた。
「よし、いいぞ! これで……」
Zizizizizizizizizizzi……
(……音、かしら?)
……嫌な予感がする。
不穏な音だ。
音の発生源は当然のように<プレデター・ホーネット>である。
大きな羽を今まで以上に早く細かく振動させていた。
まるで、何かをチャージしているかのような……
「《空中機動》!」
クマの着ぐるみが空を飛び、急いで離脱するのが見えた。
それもとにかく距離をとるような形で、だ。
<プレデター・ホーネット>を連れてきたあいつが、恐らくはちみつを求めるがためだけに喧嘩を売ったあのクマが急いで離脱するという判断を下したのだ。
「やっべ!?」
(なに!? なにがくるの!?)
俺も<プレデター・ホーネット>から距離をとるように急いで駆け出した。
この音は予備動作だ。
そして、モンスターからとにかく距離を取らなければならない攻撃は、古今東西すべてのゲームで決まっている。
「範囲攻撃だ!」
<プレデター・ホーネット>の視線の先は【刃歯】に固定されている。
それなのに距離をとる必要があるということは、発動すると同時に周囲にも何かをまき散らす技ということだ。
俺が駆けだしてすぐ、その瞬間は訪れた。
『GiiiiiiiGYAAAAAAAAAAAA!!』
<プレデター・ホーネット>を起点として衝撃波が放たれる。
一直線に【刃歯】に向かうそれは、周囲に風の刃をばらまきながら直進する。
それだけではない。
<プレデター・ホーネット>を中心に周囲に無数の風の刃が放たれるのを視界の端で捉えた。
「う、お、おおおおおおおおおお!?」
(クロウ早く! 来てる、来てるわ! 早く!)
逃げる、逃げる。
とにかく逃げる。
木と木の間を潜り抜けるように。
木を盾にして、岩の影に滑り込み、それでもダメならさらに奥へ!
ゴゴゴゴゴゴゴ、と背後から何かが崩れ落ちる音がした。
10秒にも満たない短い時間だった。
物陰から顔を出せば、<プレデター・ホーネット>はまだ視界に収まる距離にいる。
それなのに、俺は全力疾走したかのような疲労感に襲われた。
スタミナの概念がないこのゲームで、だ。
(クロウ、大丈夫?)
「ああ、生きてる……」
<プレデター・ホーネット>の周囲は、切り開かれたような空間が形成されていた。
遠目に見ると、【刃歯】も地面に転がり落ちている。
ところどころポリゴンが漏れ出しているだけで致命傷を負った様子はない。
うまく避けたらしい。
周りを見ると、小さな枝などあの巨体で移動する際に邪魔になりそうなものがほぼ全て切り落とされている。
そうか!
「戦場を整えたのか!」
<プレデター・ホーネット>は3メートル相当の巨体だ。
あの大きさで高速で動くには、周囲の木々が邪魔だったのだろう。
<カイゼン樹林>の中でも浅層に位置するここは、深層で活動している怪物にとって動きづらい環境だったのだ。
だから、逃げた【刃歯】へは遠距離攻撃を選択した。
そして、あの技を使うということは、怪物からすればこれから戦闘を行うという意思表示でもあるのだ。
しかし<プレデター・ホーネット>はその場から動かず、羽音のみが戦場に響き渡る。
あの怪物にとっても、先ほどの大技は相応に力を消費するのだろう。
いや。
「傷、ついてるのか?」
冷静に見てみるとその巨体には大小問わずいたるところに傷が……
「《大回転割》!」
そして、その場で停止した怪物の隙を狩人は見逃さなかった。
どこからか飛んできたクマの着ぐるみが空中をグルグルと縦回転しながら<プレデター・ホーネット>に向けて突っ込む。
その攻撃は<プレデター・ホーネット>の胴体を的確に捉え、遠くへ吹き飛ばした。
「う、お、おおおお!?」
プレデター・ホーネットが吹き飛ぶと同時に《気配感知》に一つの反応があり、左手上方から悲鳴が聞こえてくる。
そちらを急ぎ見上げると、切りこみから裂けるような形で折れたであろう太い枝と共に、ポリゴンをまき散らしながら地上数十メートルもある木から落下してくる男がいた。
その手には弓を携えている。
怪物の羽音は消え去り、辺りは静寂に包まれた。
瞬時に、俺も落下している男の下へ駆け出した。
この男が【賞金首】最後の一人【右手にポン】のはずだ。
今この場に気配を消して潜んでいた時点で確定と見ていいだろう。
遠距離からプレイヤーを殺しまわっていたのはこの男だ。
<アルカナ>らしき影は見当たらない。
先ほどの<プレデター・ホーネット>の攻撃に巻き込まれたか、どちらにせよ好都合!
こいつは落下の衝撃で動けない間に倒しきる!!
俺は落下している男を睨みつけた。
そして、落下中の男も俺を視界に収めた。
視線と視線が敵意となって重なり合った。
「《武具切替》!」
(《反転する天秤》!)
「《動作上書き》……《弓矢創造》! 《集中》! 《早撃ち》!」
「……まじか!?」
<プレデター・ホーネット>の範囲攻撃から逃げる際に武器を落としてしまっていたので、俺は《武具切替》で新たに剣を取り出す。
それに対し、落下している男は空中で姿勢を無理やり立て直し、矢継ぎ早にスキルを発動させた。
不格好ながらも迎撃態勢を整えて見せたのだ。
ほぼ、逆さの体勢でありながら弓の照準は確かに俺を捉えており……
「《発火矢》!!」
「森の中で火を使うやつがあるかああ!?」
放たれた炎の矢は俺へ的確に向かってきた。
──避けれない。
迎撃も、取り出したばかりの剣では体勢の都合間に合わない。
怯めば【右手にポン】は体勢を立て直してしまうかもしれない。
それなら!
「《ディフェンス》! 《インパクト》おらああおお!!」
「なっ!?」
俺は《ディフェンス》を使用しつつ左手で《インパクト》を発動させ炎の弓矢を弾くように払いそのまま突っ込んだ。
これで少しでもダメージを抑える。
とにかく直撃は避け、迫撃の態勢を整えろ!
ダメージ判定を受けるが痛みはない。
ならばこのまま駆け抜けろ!!
「ぐぅ!?」
焦りによってかついぞ立て直せず、男が地面に脚から追突する。
胴体ががら空きだぞ!
「《スラッシュ》!」
「く、そ!!」
振り下ろした剣により男の腕を切り裂いた、が浅い。
転がって避けられた。
しかし落下のダメージによるものか、足を引きずっている。
「《煙幕》!」
男が叫ぶと同時に、その足元から煙が爆発した。
目くらまし系のスキルだろうが、俺には《気配感知》がある。
そして。
「《呪縛》!」
当然、先ほどの《スラッシュ》が通った地点で《呪縛》の指定可能対象だ。
煙によって見逃す前に発動し、男の動きが停止した。
視界は悪いが、動かない的を攻撃するのはそこまで難しくない。
そのまま影へ向かい剣を振るう。
急所を狙えないのであれば、今はとにかくHPを減らす!
「や、やめ!?」
「【賞金首】が、命乞いかああああああっ!?」
たった数秒の攻防は終わり、煙が晴れる。
<プレデター・ホーネット>による攻撃や落下のダメージもあったのだろう。
【右手にポン】のHPは全損したらしく、ポリゴンとなって砕け散っていた。
倒せたかの確認のためシステムメッセージを見ると【mu-ma】を倒した時を超える大量のスピルとドロップアイテムが流れてきた。
まだだ!
「そこのクマの着ぐるみの人、俺たちは協力できる! あそこにいるのは【賞金首】だ、俺とパーティを組んでくれ。それだけでフレンドリーファイアのリスクは減らせるはずだ!」
今は喜ぶ時間も惜しい。
とにかくクマの人とパーティを組まなければならない。
パーティを組むと、フレンドリーファイアのダメージを1/10にする効果とお互いのHP状況を把握できるようになる。
今この戦場には【刃歯】だけでなく<プレデター・ホーネット>もいるのだ。
敵ではないことを示すために最低限の協力体制の構築は終わらせておく必要があった。
クマの着ぐるみは<プレデター・ホーネット>を吹き飛ばした方向を油断なく見つめていた。
呼びかけに反応したのか、少し視線をずらす。
俺のことを視界に収めたのだ。
よし、コミュニケーションは取れそうだぞ。
「……くま」
そして、そう一言呟いた。
……は?
「はあああああ!? やっぱお前か! というか街の中で背後から驚かしたことまだ引きずってるのかよ、ゲーム内で4日も前だろ!? そもそも、人目の少ない裏路地で『はちみつちょうだい』とか言って女性に迫ってたのも悪いでしょうが!」
(なんであの一言でわかったの!? くまって言っただけよ!?)
クマの着ぐるみにあの言動、やはりログイン初日に裏路地で遭遇したプレイヤーだったらしい。
ほう、いいぜ。それならこっちにも考えがある。
「いいのか! お前がやってることは悪意がないとはいえ立派なMPK行為だぞ。懐の深い俺は【通報権】があろうとなかろうとそれを行使するつもりは毛頭ないが、後味悪いんじゃないですかぁ!? あそこにいるのは正真正銘【賞金首】だからいくらでもやっていいけど、俺は悪意なき善良な一般プレイヤーだぞ!」
(悪意なき善良な一般プレイヤーがそんな脅しをするのはどうかと思うわよ!? 全然懐深くないじゃない!?)
(PKを憂いてPKKしにきた俺のこの高潔な精神がわからないのか!)
(私が言うのもなんだけれど、我欲9割よね……?)
それの何が悪い!
クマの着ぐるみは俺のことをじとーっと見ている、ような気がする。
顔も体も見えないが、そんな気がした。
(心象が悪い俺だけじゃだめだ! もしかしたら疑われてるのかもしれない、ユティナからも頼む)
(え、え? 私も!?)
ユティナは俺の背後からそろーっと体を出して、声をかける。
「あ、あの。協力してくれると私も嬉しいわ……なーんて」
ユティナを見たクマの着ぐるみの動きが止まった。
じーっと、ユティナのことを見つめている。
そして、
「くま」
クマの着ぐるみはそう一言呟いた。
「やったぜ! ユティナのおかげだ」
「え!? なに? 怖いのだけれど、私なにかしたの!?」
俺たちの必死の説得を受けて、なんとか了承を取り付けることができた。
どうやら【賞金首】についても信じてくれたそうだ。
「はちみつちょうだい?」
「ああ、いくらでもくれてやる! あの<プレデター・ホーネット>の討伐も協力するよ。そんでドロップしたアイテムは全部お前のもんだ! はちみつ落ちるといいなあ!!」
「くえすとほうしゅう」
「私が【賞金首】を倒したらドロップアイテムは全部俺にくれるって? 大盤振る舞いじゃねえか! それじゃお互いデスペナルティになっても大丈夫なようにフレンド登録でもしておこっか!」
「く、そ。ぺちゃくちゃ喋ってんじゃねえよ! 右手の野郎デスペナりやがったなクソがああああ!」
【刃歯】は高所から落下したにも関わらず立ち上がっている。
脚を引きずっているが、戦闘はできそうな状態だ。
どうやら【右手にポン】を囮にしてHPを回復していたらしい。
仲間を見捨てるなんて、酷い奴だな。
俺はパーティ申請とフレンド申請をクマの着ぐるみに送る。
そして、システムメッセージにパーティ加入のメッセージが表示された。
─システムメッセージ─
パーティに【ハニーミルク】が加入しました。
「俺はクロウだ! よろしくハニーミルク!!」
「くま」
「お前に恋人と呼ばれる筋合いはないって、じゃあなんでそんな名前にしたんですかねぇ!?」
(はちみつ好きだからじゃないかしら?)
『Gi……Gi……GiGIGYAAAAAAAAAAAAA!!』
「もういい……わかったよ、やってやるよ! <プレデター・ホーネット>もお前らも全員俺がぶっ殺す!!」
俺は再度<呪われた投げ石>が入った巾着を特殊装備枠に装備し剣を構える。
ハニーミルクは空中に浮いたまま斧を振りかぶった。
ずっと動きのなかった<プレデター・ホーネット>は怒りの咆哮を上げ空に飛びあがる。
【刃歯】は新たに杖を取り出し、ナメクジのような<アルカナ>が彼の腕に巻き付いた。
──戦いは激化する。




