91話目
おはようございます。
どんどんぽやぽや増して行く主様。
あの後、肉の種類が違う串焼きを手に取った俺は、今度は肉の脂で口周りを汚してしまい、自分でやれるという言葉は無視されて、主様により舐めてからの全力でおしぼりで拭かれるという突っ込みどころが満載なお世話を受けた。
おかげで、さっきのスパイスとは違う理由で口周りがヒリヒリしている。
俺がいくら頑丈でも六歳児の皮膚はあまり厚くないので、たぶん鏡を見たら口周りが真っ赤になっているのだろう。
見なくても何となくわかってしまうのは、残った料理を片付けた主様が、ソファに腰かけた俺の前で跪いて俺の顔を覗き込んで心配そうにぽやぽやしているからだ。
原因は主様だよ、と言いたくなったのを飲み込んで、俺は主様の頭へ恐る恐る手を伸ばしてそっと撫でる。
特に手入れしてないらしい夕陽色の髪は、触ったことないからわからないけど『まるで上質な絹のよう』って表現されるやつなんだろうな。なんかひんやりして艶々してサラサラしてる。
拒否される様子がないので、調子に乗って撫で撫でと主様の頭を撫でていると、主様は気持ち良さそうに目を細めてぽやぽやしてる。
どうしよう。
今度は手を離すタイミングがわからなくなり、俺はちょっと痺れてきた腕を重く感じながら、惰性で主様の頭を撫で続ける。
なんで俺は主様の頭を撫でようと思ったんだ、とかエセ哲学者みたいな呟きが脳内で聞こえ始めた頃、
「遅くに悪いな。ジルヴァラ、夕飯は食べたか…………って、何やってるんだ、それは」
そんな台詞と共に入って来たフシロ団長が、俺と主様の様子を見て驚きの表情を浮かべて訊ねてくれたおかげで、俺はやっと主様の頭から手を離せた。
●
「ジルヴァラ、猛獣使いみたいだったぞ?」
痺れている右腕を左腕でマッサージしている俺を見ながら、フシロ団長はそんなからかうような言葉を向けてくる。顔を見なくても声が笑い混じりなので、からかうような……ではなく、からかっているのだろう。
なので、俺もへらっと笑って大袈裟な仕草で肩を竦めてみせる。
「おやおや、ずいぶん可愛らしい猛獣だな」
綺麗な猛獣と言おうかと迷ったが、綺麗だったり美しい猛獣ってのは実際いるなぁと思ったので、あえての可愛らしいとわざとらしく芝居がかった仕草で表現してみたら、フシロ団長からはなんとも言えない眼差しが返ってきた。
「可愛いか……?」
「可愛いだろ?」
バスガイドさんが名所の紹介するように、俺の前で跪いたままの主様を手の平を上に向けた状態で、ほら、と指し示してみる。
内心のナレーションは『こちらをごらんくださーい』だが、さすがに口には出さない。
「……?」
興味なさそうに俺とフシロ団長のやり取りを眺めていた主様は、目の前に差し出された俺の手の平に瞬きを繰り返すと、何を思ったかそこへちょこんと顎を乗せてくる。
前世のペット動画で見たことある『顎』って言ったら顎乗せてくれる芸みたいだなーと他人事のように思ってから、すぐハッとしてあわあわしながら反射的にフシロ団長を見ると、苦笑いして俺の頭を撫でてくれる。
「その芸をふんぞり返ってる貴族の前で見せたら、相当な人数気絶しそうだぞ?」
「いやいや、芸じゃないし、そもそも主様はペットじゃないからな? ほら、主様退いて退いて」
主様の顎が乗っている手を軽く動かすと、主様は芸扱いも気にしてないのかぽやぽや微笑んで、俺の手から顎を退けて跪いていた体勢から立ち上がる。
「ジルヴァラがやったら、別な意味で騒がしくなりそうな芸だな」
「だから、芸扱いするなよ」
「ほら、ジルヴァラ、お手……じゃないから、顎?」
ふむと頷いてから、悪戯っぽく笑ったフシロ団長は、冗談めかせた言葉と共に、先ほどの俺と同じようにして立ったまま俺へと手を差し出してくる。
「もー」
期待に満ちた眼差しで楽しそうに見てくるフシロ団長に負けて、俺は力無く「一回だけだぞ」とブツブツ呟きながら、俺の小さな手の平とは全然違う剣ダコの目立つフシロ団長の手の平へちょこんと顎を乗せてやる。
そのままジト目でフシロ団長を睨んだが、慈愛に満ちた顔して見つめられてしまい、文句を言おうとした口を閉じて大人しく顎を乗せておく。
俺でもアニマルセラピーぐらいの効果はあるだろう。
「ナハト様にやらせるなよ? 絶対、キレられるからな?」
「……両手を出して、ジルヴァラと一緒に呼べばやってくれるか?」
そんな不穏な計画を立てているフシロ団長の声は聞こえないフリをして、俺はフシロ団長の手の平から顎を持ち上げる。
ちょっと変な体勢だったので、モゾモゾと動いて体をほぐしていると、視界の端で手の平を上に向けてこちらへ突き出している主様が映る。
無言ながら期待に満ちた宝石のような瞳には逆らえず、俺は諦めを滲ませて笑いながら主様の差し出してくれた手の上にそっと顎を乗せておいた。
●
「もうしません!」
あの後、主様とフシロ団長に交互で何回も『顎』芸をおかわりされた俺は、フンッと鼻を鳴らして宣言すると、怒りを表すため外方を向くと、二人から視線を完全に外してしまう。
今日はもう二人を見ない所存でございます!
気疲れしたせいか心の中とはいえかなり妙なテンションに、少しだけ冷静になる俺。
社畜なのか侍かはわからないが、どんな言葉遣いだよと自分の脳内に突っ込み、チラリと横目で主様とフシロ団長を窺う。
さすが三児の父なフシロ団長は慣れたもので、俺の態度を気にせず微笑ましげな顔をして顎髭を撫でていたが、主様の方は明らかにしょんぼりしていてぽやぽやがなくなっている。
「ロコ……」
さらに切ない声で名前を呼ばれてしまい、俺に犬とか猫みたいな耳や尻尾があれば、ピクピクしっぱなしだろう。
ソファの上で体育座りして小さく丸まってチラチラと横目で主様を窺っていると、バッチリ目が合ってしまい、目力で訴えられる。
目は口ほどに……って聞くけど、まさにそれだ。
元から主様の瞳は、宝石みたいな不思議な輝きだから、ジッと見られてしまうと吸い込まれそうだ。
なんて考えていたら、実際に惹き込まれそうになってソファから落ちたのか気付いたらフシロ団長の腕の中だ。
心配そうな優しい瞳に見下されていると、熊に抱かれているような懐かしさと安心感を覚えて、何だか気分がアゲアゲ状態だ。
「やっぱりフシロ団長、熊に似てるんだよなぁ」
「鍛えているからな」
拗ねていたことなんてすっかり忘れて上機嫌でフシロ団長の胸板へ抱きつくと、もふもふは無くとも筋肉の感触が郷愁を誘う。
熊に似てるという普通の人なら誉め言葉とは思えない言葉にも、俺の事情を知っている上に心の広いフシロ団長は豪快に笑っている。
これがあの乙女ゲームの悪役のゲースだったら、ぶちギレてるだろうな、小悪党っぽく。
「あ、そうだ。主様、俺のせいで怒られたんだろ? ごめん!」
ゲースのことを思い出したら、連想ゲームで今日の主様の外出の理由を思い出して、すぐ側で無言のまま見つめてきていた主様へとフシロ団長に抱えられたまま頭を下げる。
「ロコのためなら、構いません」
珍しくキリッとした顔で決めて、俺をじっと見つめる主様に、フシロ団長が深々とため息を吐く。
厚い胸板が動くのわかって楽しい。それはおいといて、フシロ団長のため息の理由がわからず、問う代わりに厚い胸板をぺちぺちと叩いてみる。
「ジルヴァラのせい……では少しあるが、暴走したのはそいつ本人の責任だ。まぁ、死人はいなかったからな。膿出し出来たと陛下は笑って流してくださったので、特に罪に問われる事はない」
やたらと『死人は』を強調するフシロ団長に、何となく主様が何かをやったんだなぁと思いながら、主様を見やると今度は照れたような微笑みを浮かべている。
「……今照れるところあった?」
「無いな」
俺が間違ってるのかと小声でフシロ団長へ訊ねると、真顔な即答が返ってきて、今度はフシロ団長の精神状態が心配になる。
主様が色々しでかすから、フシロ団長後始末に追われて疲れてるんだよな、たぶん。
こうなったら俺が顎を乗せてフシロ団長を少しでも癒せるなら、何回だって乗せてやらァ、とエセ江戸っ子口調で言い放っておく。
──もちろん、心の中でだけどな。
いつもありがとうございますm(_ _)m
フシロ団長は両手を出して、息子とジルヴァラと両方に顎乗せさせたいようですが、ナハト様に全力で拒否られる未来が見えます。




